美人なら何をしても許されると言うヤツがいるが、俺は許さない
意識が戻り始め、肉体には感覚が宿る。
うっすらと瞼を開いてみると、そこには彼女――アリサ――の姿があった。
「気が付かれましたか?」
アリサは不安げな表情を浮かべながら、俺の顔を覗き込んでくる。
俺はゆっくりと体を起こし、辺りを見回す。
何かの研究室といった印象だ。
「……転送は、成功したんだな……」
確認するように呟いてから、立ち上がってアリサに向き合う。
しかし、何を話していいのかわからない。こういう時は、挨拶をしておくのが無難だろう。
「あ、えっと……、初めまして、君語一……です」
そう言って軽く頭を下げると、アリサは挨拶と共に深々なお辞儀を返してきた。
「は、初めまして、アリサ・ラステンク―ルです。この度は、私の願いを聞き届けていただき、本当にありがとうございます!」
さっきも思ったが、同年代の子に敬語を使われるというのはどうも落ち着かないな。
「あ、敬語は使わなくていいよ。見た感じ、俺の方が少し年上なんだろうけど、そういうの気にしないしさ」
「とんでもないです、そのようなこと……、この世界を助けるために来ていただいた方に、失礼な振る舞いをするわけには参りませんから」
俺が軽い感じで話しかけているというのに、相変わらず堅苦しい返しをするアリサちゃん。
まぁ、こんな問答に時間を割くのもアレだし、これ以上言ったところで聞いてくれなさそうだし、諦めるか。そのうち慣れるだろう。
そんなことより、本題について話をしないとね。
「それで、この世界を助けて欲しいっていうことだけど、俺は具体的に何をすればいいんだ? 自慢じゃないが、俺は他人に誇れるような優れた能力は持ち合わせてないぞ」
「そのことでしたら大丈夫です。ハジメ様はこの世界に転送された時点で、体現者として覚醒されているはずですから」
「体現者? それは一体……」
何なんだい、と言いかけたところで部屋の扉が開いた。
「ん? アリサちゃん、お客さんかい?」
入ってきたのは若い男。おそらく、二十代前半といったところだ。
白衣を着ているから、ここの関係者なんだろう。多分。
「あ、ヨハンさん。聞いてください! この方が、私達の世界を救うために次元を超えて来てくださった、体現者様です!」
アリサは嬉しそうに俺の事を男に紹介する。
「え、それは本当かい⁉」
男は血相を変えて、俺たちの側にある大きな機械に駆け寄ると、その機械を調べ始めた。
「……本当だ。次元間転送装置が停止している。召喚陣も起動した後だ」
そして、何やら独り言を呟いた後、俺に体を向き合わせ自己紹介を始めた。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私は、ここ王立研究所科学局の副局長をしております、ヨハン・ルペ―ズと申します。この度は、彼方よりのご来訪、誠にありがとうございます」
「あ、いや、そんな畏まらなくても……。俺は、君語一といいます。あの、本当に敬語なんて気にしなくていいんで、楽に話してください」
アリサと同じように堅苦しい挨拶をしてくるヨハンという男に対して、少し辟易しながらも挨拶を返した。
すると、男は急に態度を変えて――
「そうかい? いや、助かるよ。僕、敬語苦手だからさ。あ、僕のことはヨハンでいいからね。君のことは、ハジメ君でいいかい? ハジメ君も敬語はいらないからね」
軟派な笑顔を浮かべながら、砕けた話し方を始めた。
――確かに楽に話せとは言ったが、馴れ馴れしくしろとは言ってないぞえ。
「ヨハンさん、失礼ですよ!」
「え、まあ、いいじゃない。ハジメ君がいいって言ってるんだからさ」
アリサがたしなめるが、ヨハンは特に気にした風もなく話し続ける。
「それよりもハジメ君、君は別の世界からこの世界に転送された存在だ。なら、体現者としての力が覚醒しているはずなんだけど、そこのところはどうかな?」
体現者。アリサも口にしていたが、一体なんのことでしょう?
何かを体現する者、超能力者か何かか? いや、この世界は魔法があるんだから、すごい魔法使いのことだったりするのか……?
「あの、そもそも、その体現者っていうのは何なんだ? どういう存在なんだ?」
二人に問いかけたが、二人はどう言ったものかという様子で、しばしの間まごつく。幾らかすると、ヨハンが口を開いた。
「……実は、僕たちもまだ完全に理解することはできてないんだ。ただ、次元を超えて来た人間は、その体に元の世界の因子を宿していて、その中で最も強くつながっているなにかが特別な能力となって体現される……らしいよ」
おい、最後に「らしい」って言ったぞ。完全どころかほとんど曖昧じゃねぇか。
ていうか、目を逸らすな、俯くな。困ってるのは俺の方だ。
「あ、あの、なにか身体に変化はありませんか? 体力や魔力が上昇したりなどは……?」
気を利かせたのか、アリサが口を挟んできた。
「いや、体力や腕力が上がった感じはしないし、頭が良くなった気配もない。あと、俺の世界に魔法は存在しないから、魔力なんてものは元から持ってない」
「――嘘、そんな……」
余程ショックだったのか、アリサは顔の色を失ってしまう。
何か声をかけようと口を開いたときに、横からヨハンが話しかけてきた。
「今の話は本当かい? ハジメ君の世界には魔法がなくて、魔力も持っていないっていう……」
「ああ、本当だよ。少なくとも、俺が知っている限りでは」
そう言うと、ヨハンは白衣のポケットから、先端に針が付いた計測器のような物を取り出した。
「これは魔力計といってね、簡易的にだけど、個人の魔力量を量ることが出来るんだ。 量る際に、腕に刺さなきゃいけないんだけど……、いいかな?」
躊躇いがちに尋ねてくるヨハンに対し、構わないと答え、右腕を差し出した。
「これは……」
量り終わったのか、ヨハンは少し驚いた顔で呟く。
「なんだ、どうかしたのか?」
「うん、その……、完全にゼロなんだ。この世界の人間なら、あり得ないことなんだけど……」
「そうか……。やっぱり、俺の世界には魔力自体が存在しないってことだなー。ああ、無念だ。それから、こっちの世界に来たからって、魔力が手に入るわけでもないってことか」
「どうやら、そうみたいだね。……となると、体現者に関しても僕たちの考えが間違っていたということになる。これは、いよいよ不味いな」
真剣な顔で悩み始めるヨハンを見て申し訳ない気持ちになったが、かといって俺に何が出来るわけでもない、せめて先程言いそびれた励ましの言葉をかけようと思い、アリサの方に顔を向けると、何やらぶつぶつと独り言を呟いている。
「……噓でしょ、こんなことって。お祖父様が命を懸けて造っていたものなのに、ナディアさんたちが必死になって造り上げてくれたのに、他の世界の助けさえあれば、みんなもう大丈夫だって信じてたのに……」
「あの、アリサ……?」
少し心配になって、おずおずと声をかけてみた。
「なに? 今、落ち込んでるんだから話しかけないで欲しいんだけど」
――聞き間違いでしょうか。今、僕の耳に、妹を彷彿とさせる粗暴な言葉遣いが聞こえてきたのですけれど。
「えっと、アリサちゃん。今なんて……」
「うるさい! 話しかけないでって言ってるでしょ⁉」
――はい、聞き間違いじゃありませんでした。さっきまでとても礼儀正しかった女の子は、態度を豹変させて燃えるような瞳で俺を睨みつけています。
なんだこいつ、二重人格か?
「大体あんた、なんで何の能力もないのにこっちに来たのよ?」
は? 喧嘩売ってんのか。
「お前が来てくれって泣いて頼んだからだろうが!」
「私は、助けて欲しいって言ったの! ただ、来てくれなんて言ってない!」
こいつ、いけしゃあしゃあと!
確信した、間違いない。こいつは、典型的な外面がいいだけの性格ミゴミゴ女だ。
「おい、ヨハン!」
バカ女の相手なんざしていられないと思い、考え事をしていたヨハンを呼ぶ。
「……え、なんだい?」
「俺は帰る。元の世界に戻してくれ」
そう頼むと、ヨハンが困った表情をして――
「それはちょっと……、無理かな」
などと言いよった。
「無理? どうして……」
と、そこまで言いかけて俺は思い出した。
――そういえば、俺は帰れないことを承知で来たんだった。
しかし、どうして帰れないのだろうか?
その理由をヨハンに聞いてみると、予想外の答えが返ってくる。
「それは、この次元間転送装置が壊れちゃってる上に、直る見込みがないからなんだよね」
「壊れた⁉ どうして?」
愕然として、思わず詰問するような口調になっていた。
「う―ん、この装置は元々前局長が設計して造ってたものなんだけど完成前にお亡くなりになってしまって、それで現局長が開発を引き継いで未完成部分を造り上げたんだけど、どうも不備があったらしくてね。恐らく一度使えば壊れてしまうだろうという予想はしてたんだ。ま、その予想が当たっちゃったというわけだね」
「ということは、アレか? 不備の有ったものをそのまま使ったってことか?」
「そういうことになっちゃうかなあ、あはは……」
ヨハンは申し訳なさそうに頭を掻きながら、ごめんね、と付け加えた。
――正直なところ、帰れないことについては別に文句があるわけじゃない。自分で納得して来たんだから。だが、俺が思わず帰りたくなった原因、目の前で憮然とした態度を取っているアリサとかいう女については別だ。
「なあ、ヨハン。こいつはもしかしてこれが地なのか?」
「こいつって何よ! 私はアリサ、ちゃんと名前教えてあげたでしょ⁉ あと、私を指さないで!」
俺はヨハンに話しかけたというのに、やかましく吠えたててくるこの女。
必死になって助けて欲しいと言っていた子と、同一人物とはとても思えない。
「まあまあ、アリサちゃん落ち着いて」
アリサをなだめつつ、ヨハンはこの場を取り持とうとする。
「そうだ、ハジメ君はこの世界初めてなんだし、折角だから街を見て回ったらどうかな? 僕たちが案内するからさ」
「僕たちって……、ヨハンさん、なんで私まで!」
「俺もこいつの案内だったら別にいらないんだけど」
「まあまあ、そう言わずに。さあ、行こう行こう!」
睨み合う俺とアリサの背中を押して、ヨハンが外へと案内する。
王立研究所。その名が示す通り、廊下には研究者風の人間が闊歩している。
皆忙しいのか、俺の事を不思議がる人はいない。
廊下を歩きながら、閉じられた窓の向こうを見る。
高さからしてここは二階らしく、また、大通りに面しているためか、人々が街を行き交う姿がよく見えた。昼の街並みに相応しい騒々しさで、馬車や自転車、自動車の姿も見えたが、デザインは近代のものに近い。
建物の造りはヨ―ロッパのゴシック建築に似ていて、少しだけ古臭さを感じる。
全体的に十九世紀の風味が感じられるが、この世界の文化や科学技術がどのようなものなのか、それは俺たちの世界のものと同じなのか、実際の所はまだ分からない。
「ハジメ君の世界とは大分違うかい?」
「え、まあ。でも、思ったより違和感はないよ。別の世界に来たというよりは、外国にでも旅行に来たみたいだ」
「へえ、意外と変わらないものなのかな。時間があれば、その辺りの事もゆっくり聞いてみたいな」
そんなことを話しているうちに、俺たちは研究所のエントランスにたどり着いた。
王立というだけあり、入り口の造りも見事で、些か豪華すぎるんじゃないかとさえ思える。
こんなところの副局長をしているなんて、ヨハンは意外とすごい人物なのかもしれない。
外に出てみると、玄関前に一人の少女が立っていた。
「あ、アリサ!」
その名を呼んだ少女が、金沙のような髪を揺らしながらこちらに駆け寄って来る。
「サラ、どうしたの?」
「今朝、アリサの様子が変だったのが気になって。学校も休むって言って研究所の方に飛び出して行ったから、ここで待ってたの」
会話から察するに少女の名前はサラというらしい。優しげな微笑みを浮かべながら答える彼女の顔には、アリサへの親愛の情が表れていた。
「そうだったんだ。心配させて、ごめんね」
「ううん、それより、何かあったの?」
「え、えっと……、それは……」
横目で俺に視線を向けてくる。どう言うべきか悩んでいるようだ。
おそらく、次元云々の話は公にされていないのだろう。
魔法が存在する世界でも、次元を超えるなんていうのは大ごとだということか。なら、ここは空気を読んで黙っておくべきだろう。
「ああ、サラちゃん。実はね、ここにいる彼、ハジメ君というんだけど彼は別の世界からのお客さんでね。今日は彼を出迎えるためにアリサちゃんにも手伝ってもらってたんだ」
――あれれ?
「別の世界……?」
「ちょ、ちょっとヨハンさん、いいんですか⁉ このことは……」
驚いたのはアリサも同じだったようで、隣できょとんとしている友人のことも構わず、慌ててヨハンを問いただそうとしたが、ヨハンの返答はあっさりしたものだった。
「ん? ああ、いいんだよ。元々、成功したら公表する予定だったからね」
秘密というわけでもなかったようだね。
「ああそれから、今思い出したんだけど、僕はハジメ君の事を局長や女王様に伝えなきゃいけなくてさ。だから、アリサちゃんとサラちゃんの二人でハジメ君に街を案内してあげてくれないかな?」
「え、私もですか?」
「うん、アリサちゃんだけだとハジメ君と喧嘩するかもしれないからね」
「なっ⁉ それは、こいつが私の事を怒らせるからで……!」
「おい、人を指さすな。あと、ちゃんと名前で呼べ。お前が言ったことだろうが」
「あ、あはは……。わかりました、私でよければ」
俺とアリサのやり取りを見て納得したのか、彼女は苦笑いを浮かべて答えた。
「ありがとう、それじゃ僕は行くから後の事はよろしく」
そう言うと、ヨハンは駆け足で研究所の中に戻って行く。
……ああ、男が俺一人になってしまった。普通なら嬉しいのかもしれないが、普段から女子と話し慣れていない俺にとっては緊張の方が大きい。
まあ、アリサだけなら何とも思わないんだが、金髪に翠緑の瞳、加えて大人しそうな顔立ちをしたこのサラという子、なんだか、お嬢様然としてて側にいるだけで緊張する。
そんなことを考えていると、彼女の方から話しかけてきた。
「あの、私はサラ・アルテュセ―ルといいます。よろしくお願いします」
「え、ああ、俺は君語一。よろしく、えっと、アルテュセ―ルさん」
彼女も緊張していたようだが、俺の方があまりに酷かったためか、幾分気の抜けた表情に変わった。
「ふふ、サラでいいですよ」
「あ、じゃあ俺の事も一で構わないよ。そっちが名前だから」
「わかりました、ハジメさん」
「えっと、そ、それじゃあ、行こうか」
俺の方はまだ緊張していたが何とか返事をしてサラを促す。
なんだか、少し青春の予感がしてきたような……。
「ちょっと待ちなさいよ!」
――ああ、気のせいだった。そうだね、お前もいたんだったね。
「なんだ、何か用か?」
「『何か用か?』じゃないわよ! あんた、サラをどこに連れていくつもり?」
「どこにって、街を案内してもらおうと……」
銀髪ちゃんは何が気に食わないのか、いきなり食って掛かってきた挙句に俺の返事も聞かず、サラの腕を取って俺から距離を取る。
「信じられないわ。あんた、いかにも軽薄そうな顔してるもの」
ひどい。なんで、今日会ったばかりの奴にこんなことを言われなきゃならんのか。
「おい、その軽薄そうなやつに頼み事をしてきたのはどこのどいつだ」
「あの時はあんたの声しか分からなかったし、私も動揺してたからよ。こんな間抜け面の男だと分かってたら、助けて欲しいなんて言わなかったわ」
「ア、アリサ失礼だよ」
「いいのよ。人を期待させるだけさせておいて、失望させるような奴なんだから」
そう言って異常なまでに俺を敵視してくるアリサ。
最早、怒りを通り越して更にスーパーな怒りを覚え始める。なにがこいつをここまでさせるんだ?
そりゃ期待を裏切ってしまったのは申し訳ないと思うが、それだってお前が勝手に勘違いしていたせいだろうに。……はあ、もう考えるのも面倒ですわ。
「あー、分かった分かった。もう何でもいいから早く行こうぜ」
「そ、そうですね。では、大通りの方から」
サラが先頭を切って歩き出したその時、街中にけたたましい警報音が鳴り響いた。
「な、なんだ⁉」
俺の動揺をよそに、続いてアナウンスが開始される。
「緊急警報発令、緊急警報発令、市民の皆様は速やかに屋内に避難してください。繰り返します、市民の皆様は速やかに……」
おいおい、なんかヤバそうだぞ。
「なあ、これって一体……」
「ッ!」
俺が聞き終わる前に、凄まじい勢いで駆け出すアリサ。
訳が分からずサラに尋ねようとすると――
「アリサ、ダメ!」
同じ様に走り出してしまう。
何が何だか分からん。分からんが、とりあえず二人を追いかける以外ない。
そう思い、俺は何も考えずに走った。この先に何があるか、そんな予想すらしないまま――。