異世界に行くべきか、受験勉強をするべきか、それが問題だ
春、それは始まりの季節。
新たな環境で、新たな出会いに心を躍らせる人が数多くいることだろう。
そんな人々を象徴するかのような、入学したてであろう子供たちが元気いっぱいに桜並木を駆けて行く。その表情は希望に満ちていて、見る者の心を和ませてくれる。
しかし、せっかく和んだ俺の心は、ある悩み事によって再び曇らされた。
「受験かぁ……」
全国の高校三年生の頭を悩ませる学力による闘争、めでたいことに、俺も今年からその戦場へと向かう一人となったわけだ。
「俺にとって今年の春は、さながら地獄の始まりってところだな」
そんな軽口を叩きつつ、重い足取りで学校へと向かう。
のろのろと歩き続け、もうすぐ到着というところで周囲から嫌な単語が聞こえてくる。
――宿題。
勿論、春休みの宿題があったことは知っている。一応ではあるが終わらせてもいる。
だが、持ってきた覚えがない。ないので、急いでバックを漁ってみる。
「ない、な」
天を仰ぐ。青い空が広がっていて、とても美しい。
代わりに俺の心は曇り模様どころか雨さえ降りだしてきた。
困った。今から取りに帰るとなると、戻ってくるまで一時間近くかかる。かと言って、うちのクラス担任は「やったんですけどー、持ってくるのを忘れちゃったんです~。テヘヘ☆」などという言葉を信じてくれるような心優しい人間ではない。
どうすべきか悩ましい所ではあるが――
「……取りに帰るか」
やはり、宿題を忘れるよりは遅刻の方がましだろう。と、判断し、来た道を全力で戻る。
「なんで、初日から、こんな苦労を、しなきゃならないんだ!」
愚痴をこぼしながらも全速力で走り続ける。桜並木を抜け、商店街を通り越し、ようやく住宅街に入るというところで、俺は何かに躓き盛大にすっ転んだ。
「おお、いってぇ……」
よろよろと立ち上がりながら躓いた原因に目をやると、それはスマホの様に見えた。誰かの落とし物だろうかと思い手に取ってみると、高級感のある材質や色合いに見惚れてしまう。
「でも、カメラは付いてないみたいだな。会社のロゴも入ってない……、非売品か?」
とりあえず起動させてみようと思い、あれこれ触ってみたがウンともスンともいわない。
「――しまった」
こんなことをしている場合ではない。俺は一刻も早く家に帰らねばならないんだ。落とした人には悪いが、警察に届けるのは放課後にさせてもらおう。
俺は落とし物を手にしたまま、再び家へと走り出す。
勢いよく玄関の扉を開け、自分の部屋を目指して階段を駆け上がる。
「ハジメ? あんた、学校はどうしたのよ?」
「なに? 兄貴、サボったの?」
母親と妹がリビングから顔を出して何か言っているが、そんなものは無視する。
自室に入り、宿題をバッグに詰めるため落とし物を机の上に置く。
そのとき、何かの電源が入るような、そんな機械的な音が聞こえた――。
「……あの、私の声は届いていますか?」
そこには、一人の少女が映し出されていた。美しく煌く銀色の長い髪、燃えるような紅い瞳、白く透き通るような肌が、端正な顔立を彩っている。気づけば、俺は彼女に見惚れていた。
「……は!」
いかんいかん、何をボ―っとしてるんだ。
状況を整理しよう。
一、俺は誰の物かわからない落とし物を拾った。
二、それを家に持ち帰って机の上に置いた。
三、そうしたらそいつが起動して画面には女の子が映し出されていた。
なるほど、論理的な推察によって答えが見えてきたぞ。察するに、この子が落とし主で、誰かが拾っていないかと思い連絡してきたというところだろう。
「君が、こいつの落とし主かい?」
相手が年下の、それもおそらく外国人の女の子だったこともあり、紳士的な応対を心掛ける。日本人は冷たい、なんて思われたら困るからな。責任重大なのだ。
「はい、私がその次元間通信端末をあなたの世界に送りました」
――うん? 今なんて言った?
「今、私の世界は大変なことになっています! ですから、どうかお願いです。あなたの力を貸してください!」
……ああ、急な展開過ぎて頭が追いつかない。
この銀髪少女は一体何を言っているのだろう。もしかして、電波系というやつか?
そういえば日本語ペラペラだし、日本のアニメ文化に毒されたのだろうか。ジャパニメーションの弊害がここに生み出されてしまったのだろうか。
「あの悪いんだけど、俺、今急いでるから君と遊んであげられる時間ないんだ。この……なんとか端末は警察に届けておくから。じゃ、そういうことで」
早々に話を切り上げ、端末の電源ボタンを探す。
「ま、待ってください! 信じられないかもしれないですけど、本当の事なんです! お願いです、私の話を聞いてください!」
目に涙を溜めて、少女は訴えかけてくる。今までの人生でお目にかかったことのないシチュエーションだ。しかし、俺は空気が読めるので、こういう場合の正しい対応をちゃんとできる。
とりあえず、学校に行くことは諦めた。
――彼女の与太話をまとめると以下のようになる。
まず、彼女の名前は、アリサ・ラステンク―ル。
生まれは、シュレベ―ル王国というところで、一人の女王様が統治しているらしい。
また、彼女の世界では魔法と科学の両方が発達していて、それぞれに専門の育成機関も存在しているらしく、彼女自身は魔法学校の生徒だそうだ。
まあ、言われてみればそれっぽいコスプレをしている。
で、そのシュレベ―ル王国を含む大陸が、三年前に突如として現れた正体不明の化け物に襲われてもう大変な感じらしい。
そんなこんなで、もう次元を超えた先の世界に頼るしかないということになり、次元間通信及び次元間転送ができる機械を作成、それを俺たちの世界に送り付け現在に至るというわけだ。
予想以上の電波娘だ。鉄格子付きの病院にでも行った方がいいんじゃないだろうか。
「で、話はそれで全部? じゃあ、もう切っていい?」
「待って下さい! ……どうすれば、信じていただけますか?」
五分くらいかけて話を聞いてあげたのに、彼女はまだ満足していないらしい。しつこく引き留めてくる。ちなみに、どうすればと言われても、信じる気なんて毛頭ない。
「そうだな、まあ証拠の一つでも見せてもらえれば信じるかな」
「証拠……ですか?」
「そう、証拠」
おらおら、出せるもんなら出してみんかい。動かぬ証拠ってヤツをよぉ。……ま、そんなものはあるはずもない。これで諦めてくれるだろう。
そんな俺の期待に反し、彼女は驚くことを口にした。
「あなたを、私たちの世界にお呼びすることなら……できます」
……沈黙が痛い。
もう、かれこれ五分以上はお互いにだんまりを決め込んでいる。
仮に彼女の話が本当だとしよう。
次元を超えた先の世界、実にロマンがある。というか、俺の世界にロマンが無さすぎて笑えるくらいなので、一度くらいは行ってみたいとも思う。
しかし、行くのなら一つだけどうしても気にかかる点がある。
「あのさ、そっちに行ったら、もう帰って来れないなんて言わないよね? ね?」
「…………」
そこで黙るのか。
沈黙は肯定を示す。つまり、彼女の世界に行くのなら、二度と帰らない覚悟で行かなければならないということらしい。
どうしたものかと悩んでいるうちに、いたたまれない気持ちになり、俺は一旦この場を離れることにした。
「ちょっと、トイレに行ってくるから待っててくださいな」
彼女を残し、階段を下りてトイレを目指す。
……さて、どうするか。
悩む、凄まじく悩む。
勿論、彼女の話が嘘の可能性も大いにある。むしろ、本当である可能性など豆粒ほどだ。
だが、俺を呼び出すことが出来ると言った彼女の顔は、真実を語っているように見えた。
「次元を超える……か」
ぽつりと呟き、その意味を考えてみる。
そもそも、別の世界になんか行って一体どうするんだ?
俺は今年受験生なんだ。やりたくもない受験勉強をして大学に行かなければならん。
しかも、だ。とあるルートで手に入れた話によると、大学生は遊んでばかりなんていうのは大嘘で、やれ単位だゼミだインタ―ンだ就活だのに悩まされるらしい。
つまり、苦労して大学に入ったところで、そこでもまた悩まされるということだ。
……憂鬱だ。ああ、憂鬱だ。
話がずれた。俺が今考えるべきは次元云々の話だ。
「魔物とかも、やっぱりいるんだろうな……。魔法があるんだし」
それだけではない。彼女によれば、今、向こうの世界は危険な状態にあるらしい。
最悪、死ぬこともあり得るということだ。
また、そんな世界に行って俺が役立てるかというのも甚だ疑問だ。
彼女は、とにかく助けて欲しいとしか言わなかったが。
「う―ん……」
なぜ、ここまで思い悩んでいるかというと、実はこの世界にあまり未練がないからだったりする。高校卒業、大学入学、大学卒業、そして就職したらその後は四十年以上働きづめだ。
夢も希望もない。モチベ―ションがまるで上がらないわよね。
そんなことを思い、俺は諦観の入った言葉をため息交じりに口にした。
「そういう意味じゃ、どっちの世界も変わらなさそうだ」
となると選択肢は二つ。
この世界で死んだように生きるか、新天地で物理的に死ぬかだ。
「考えるまでもない」
きっと、全国の漢たちは俺と同じ選択をするだろう。
「超えてやろうじゃねぇか、次元とやらを! 独り荒野で果てる、漢の生き様を見せてやるよ!」
拳を突き上げ、俺は高らかに宣言した。
「お母さ―ん。兄貴がトイレで叫んでてキモい」
「受験のストレスでおかしくなったんじゃない? まあ、前からおかしかったけど」
などとほざいている母親と妹に別れを告げようと、俺はリビングに向かう。
「マイマザ―アンドシスタ―、ちょっと話があるんだけど」
俺が話しかけると、二人はソファ―に座ったまま顔だけをこちらに向けてきた。
「なに、なんの話?」
「ていうかハジメ、あんた学校はどうしたのよ?」
学校? 今更そんな所に用はない。
「俺、しばらく旅行に行ってくるから」
その言葉に少しの間目を点にする二人だったが、やがて妹が口火を切った。
「ふ―ん、行ってらっしゃい。お土産買ってきてね」
それだけ言うと、テレビの方に顔を戻してしまった。可愛げのない妹だ。来年の高校受験で存分に苦しめばいいのに。
「いや、旅行って……。あんた、今年受験でしょ⁉ それに、そんなお金どこにあるのよ?」
そんな妹と違って、母親は真剣に聞き返してきた。
しかし、上に彼女を待たせているため、用件だけを伝えて早々に切り上げることにする。
「商店街の福引で当たった(嘘)。学校にはもう連絡を入れてあるから問題ない(嘘)。じゃあ、早速今から行ってくるから」
言い終わると同時に、自室へと走り出す。
母親が何か言っているようだが、聞かなかったことにしよう。
部屋をそっと覗いてみると、通話はまだつながっていた。
どうやら、彼女はじっと待ってくれているらしい。こうなると、彼女の話もいよいよ真実味を帯びてくる。意を決して部屋へと入り、机の前まで歩く。
「ごめんね、長いこと待たせて」
まずは、待たせてしまったことを謝罪する。
すると、彼女は早速例の答えを尋ねてきた。
「それで、その……、どうでしょうか?」
ここまで来て焦らす必要もない。早く答えよう。とした、その時だ。
「あのっ、助けていただけるならお礼は何でもします! あなたをそちらの世界にお帰しすることはできないかもしれないですけど……、でもそれ以外なら、あなたが私たちの世界で生きていく上で不自由を感じさせるようなことは絶対に致しません! ですからっ、どうか……、どうか……」
お願いします、と絞り出すような声で懇願してきた。
この時、俺は思った。たとえ俺の人生が、今のようにつまらないものではなく、色彩あふれる充実したものだったとしても、この子の願いを断ることはできなかっただろう、と。
俺は改めて口を開く、彼女が望む答えを返すために。
「わかった、俺に何が出来るかわからないけど、出来る限りの協力はする。君の世界に、行くことにするよ」
すると、たちまち彼女の顔の曇りは晴れ、そこには、満面の笑顔が浮かんでいた。
「ありがとう、ございますっ……!」
目元の涙をぬぐいながら、更なる感謝の言葉を紡ごうとする彼女だったが、俺はどうにも照れ臭くなってしまったので、本題の方を進めることにした。
「それで、一体どうやったらそっちに行けるんだ?」
「あ、はい。転送はこちらに端末の本体があるので、それを使って行います。なので、あなたは、端末に触れていてくださるだけで結構です」
その言葉に少しだけがっかりする、次元の扉が開くみたいことを想像していたのに。
まあそんなことを気にしていても仕方がないので、気を取り直し、俺は右手で端末を持ち上げる。
「それじゃあ、よろしく頼むよ」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。――あ、えっと……」
突然、言葉に詰まった様子の彼女。
どうしたのだろうかと思ったが、俺はすぐその原因に思い当たる。
そういえば、俺だけまだ名乗ってなかったな。
遅ればせながらだが、彼女に名前を告げる。
「俺の名前は、君語一だ。呼びやすいように呼んでくれ」
どうやら、俺の勘は当たったようで、彼女は得心がいったという顔つきになった。
「では、ハジメ様。改めて、よろしくお願いします。私の事は、どうぞアリサとお呼びください」
そう言ってお辞儀をする彼女からは、どこか気品のようなものが感じられた。
その姿に見惚れそうになりながらも、気を引き締めて言葉を放つ。
「じゃあ、アリサ。やってくれ」
彼女は頷き、転送のための作業を開始した。
その作業を眺めている間、俺は、そういえば同年代の女の子を呼び捨てにしたのは初めてだなとか、様付けで呼ばれるのは恥ずかしいな、などと益体も無いことを考えていたが、いつしか視界は歪み始め、やがて意識は断絶した。
「次元跳躍のエトランゼ」をご覧いただき誠にありがとうございます。
こちら、初めて書いた作品ということで、至らぬ点も多々あったかと思いますが、読者の方が少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。これから先、更新を続けていくことになるのですが、ご覧になる方に楽しんでいただけるように全力を尽くしてまいりますので、よろしければ、お付き合いの程、願いいたします。
評価・感想も募集しておりますので、気が向いた方は是非、そちらの方もよろしくお願いいたします。
本日は拙作をご精読いただき、本当にありがとうございました!