3-7 小田原征伐
四国がやっと落ち着いたようだ。
長宗我部の領地として、土佐一国に加えて讃岐のおよそ半分、それに伊予の板島城周辺を認めることになった。
板島城に関しては、後に九州征伐の拠点として長宗我部には、めいっぱい働いてもらうことになるだろう。
官兵衛と九州征伐の相談をしているところへ家康からの急使が届いた。
上野国の沼田城の帰属問題で揉めていた徳川配下の真田昌幸の元へ北条氏が攻め込んだというのだ。
史実と違って、すでにこちらと内々に同盟関係にあった家康が沼田の北条氏への割譲を拒んだのが原因らしい。
どうやら、史実より小田原征伐が早くなったようだな。
俺はすぐに官兵衛を連れて浜松城に転移した。
折よく、家康のところへ真田昌幸がかけつけ、本多正信を交えての協議中であった。
「さーて、三人さん。やっちまうんだろ?」
「翔太殿、気軽に言いますが、小田原はあの上杉謙信公も退けた名城です。慎重に行かないと」
家康は例によって慎重派だな。苦渋に満ちた表情をしている。
「なんのなんの。謙信公のときとは攻撃の規模が違うぜ。ちょうど話も出たところで、景勝にも声をかけておこう。
俺のところも、京より東の連中をこぞって連れてくるから、徳川勢含めて十万を超える兵になるぞ。
何時でも出動できるように、兵站の準備も出来ているから、完膚なきまでに叩き潰してやろうぜ」
「十万の兵ですか……これまでとは戦の規模が違いますね」
家康の顔にも血色が戻ってきたようだ。
「他に関東・奥州勢にも急ぎ参集を呼びかけるべきかと思います。上手く行けば東日本のことは一気に方がつきます」
官兵衛がそう提案してきた。
「関東では佐竹、里見、結城、宇都宮らの諸侯に、奥州では伊達、蘆名、最上らの諸侯に参集を訴えるべきかと。
ただ、奥州勢は上方の情勢に疎いため、どれだけ反応があるかは微妙ですが」
奥州勢か……グリフォンでひとっ飛びするには、ちと遠いか。
伊達政宗とか、実際に会ってくればすぐに動くと思うんだがなぁ。
大筋で方向性がまとまると、実際に戦の準備とかは現場まかせになってしまうから、官兵衛や本多正信らは大忙しだが俺はヒマになっちまう。
といっても、ひたすら花押を書きまくる仕事が回ってくるから逃げ出すことも出来ない。
関東・奥州勢への参集を呼びかける書状にしろ、官兵衛が言っていた大勢力だけでなく、聞いたこともないような小勢力にまで、送るようだから大変な量になる。
それ以外にも、北条傘下の豪族らへの寝返りを促す書状やら、味方の諸勢力への書状など、小田原征伐関係の書状が山のようにある。
それだけでなく、小田原征伐と順序が逆になってしまったが、九州征伐への準備のために京以西の配下や諸勢力たちへの書状も量が多い。
こんなことなら、花押はもっと簡単にしておくべきだったなぁ。
ついつい厨ニ心が出て、かっこいい花押なんて考えるべきじゃなかったぜ。
そういえば信長って、「天下布武」なんて印鑑を使ってたんだっけ。
ああいうので代用効かないのか?




