52✤Luther
「ルーサー?」
腕の中のプリムがルーサーを潤んだ瞳で見つめていた。ほっとしつつ、ルーサーは柔らかな声を意識して出した。不用意なひと声でさえプリムを壊してしまいそうな気がしたのは、それだけプリムが怯えて見えたからだ。
「プリム、もう大丈夫――」
そう言いかけた途端、プリムの顔が悲愴に歪んだ。
「嫌!! 離して!」
急にルーサーの肩を押しやるようにして腕を突っ張る。普段ならそれくらいどうということもないけれど、打ちつけたあばらに響く。
「プ、プリム、落ち着いて下さい! 落としてしまうでしょう!」
「嫌っ!!」
プリムはボロボロと涙を零しながら抵抗する。その本気の拒絶に、少なからずルーサーは傷ついた。これは、ルーサーが別の女性と関係を持っていると信じているせいなのか。プリムはもう、そんなルーサーになど助けられたくなかったと。
けれど、気持ちを伝えるのは今からでも遅くないと思いたかった。
「話を聞いて下さい!」
錯乱気味に首を振るばかりのプリムを、ルーサーは仕方なくベッドの上に下ろした。その途端、プリムは手負いの小動物のように素早くルーサーから距離を取って、泣きながらルーサーに怒鳴りつけた。
「ルーサーに化けるなんてあんまりですわ!」
「は?」
意味がわからなかった。けれど、プリムは涙を流し続けていた。
「その姿ならわたくしが言うことを聞くと思っているんですの? ルーサーのことを消してしまうと手紙を寄越したり、やることがえげつないですわ。いくらルーサーに化けたところで、本人でなければ同じことですのに。わたくしは、ルーサー以外は誰のことも好きになりませんわ」
ひく、としゃくり上げる。
ルーサーはそんなプリムをぼんやりと眺めつつ、その言葉の意味を考えた。
プリムはどうやら魔王がルーサーに化けたと、そう思い込んだらしい。あのシチュエーションならそれも仕方がないのだろうか。
そして、ルーサーを消してやるという手紙を魔王がプリムに送りつけて来たと。――実際崖から落とされたので、脅しではなかったけれど。
ルーサーの身を案じた、それがプリムが魔王のもとへ自ら出向いた理由だったりするのか。
そんなにも想われていたとは信じがたいけれど、ルーサー以外は好きにならないと、そう――。
カッと頬がほてるのを感じた。泣いているプリムが愛しくて、言葉で伝えるよりも先に体が動いた。
ベッドに肩膝を乗せ、小さな体を抱きすくめると、プリムは逃れようともがいた。体の痛みはこの際どうでもいい。プリムがここにいる、それを感じられるだけでよかった。その耳元にそっとつぶやく。
「大丈夫、ここがどこだかわかるでしょう? あなたの部屋です。あなたはもう帰って来たのですよ」
「――――」
返事はなく、小さくひく、とプリム喉が鳴った。少しずつ冷静さを取り戻して来たのだろう。抵抗する力が弱まった。
「ル……」
「はい」
「そ……えぇ?」
何が言いたいのかよくわからないのは、まだ落ち着いていないせいだろうか。またしてもルーサーの腕の中で抵抗を始めた。急に胸板を拳で叩かれ、あばらに響いて息が詰まった。けれど、精一杯やせ我慢をした。
「な、な、なんで! なんで最初から本人ですって言って下さらなかったんですの!」
「いや、話を聞いてほしいと――」
言ったはずなのだが。
プリムは腕の中で戦慄いていた。
「わ、わたくし何か口走りましたけれど、頭がどうかしていたみたいで、その……」
「口走ったというのは、俺以外のことは好――」
「あ゛――!!」
うつむいて叫ぶけれど、耳が尋常ではなく赤い。どんな顔をしているのかどうしても見たくなって、ルーサーはプリムの顔を片手ですくい上げた。可愛らしい顔立ちの、涙に濡れた眼と赤く染まった頬。羞恥に身をよじる様子にどうしようもなく心臓が疼いて、ルーサーはほとんど衝動的にプリムの唇を奪っていた。紳士的な行いとは言えないけれど、抗うことのできない衝動だった。
プリムはルーサーのそうした行動が予測できなかったのか、とっさに息が止まったようだった。体を強張らせてルーサーの胸元を握り締める。戸惑いは大きかったようでも、抵抗はされなかった。
震えているのがとても可愛く思えた。いつまでもこうしていたくて、唇を離すのが惜しかったけれど、どうしても言わなければいけないことがある。ルーサーはプリムを解放すると少しだけ息を整えて、プリムの潤んだ瞳を見据えて言った。
「あなたのことが好きです。プリムのことは魔王にも誰にも譲れないから、俺と結婚して下さい」
すぐに返事がもらえると、心のどこかで思っていたのかも知れない。プリムが途端に困った顔になってしまったことが、ルーサーにとっては意外で、もしかして断られる可能性があるのかと思ったら途端に怖くなった。
プリムはしょんぼりとルーサーの胸に額を預けてつぶやいた。
「わたくしはどうやってここへ戻って来られたのですか? 魔王と口にするのなら、少なくとも事情は知ったのでしょう? わたくしと結婚したら、生涯魔王につけ狙われますわよ」
「ああ、それでしたら大丈夫です」
「え?」
「ええ、その――とある協力者がいて、間に入ってくれたのです。魔王は納得ずくであなたを見送りました。ですから、もう心配は要りません」
その協力者がエリィであることは言えない。さあどうやってごまかそうかとルーサーが考えていると、プリムは目を瞬かせた。
「協力者……」
「ええ、その、口止めされてしまって詳しくは教えられないのですが」
結局、ごまかしようもなく正直に言った。けれど、プリムは何故だか納得してしまった。
「ええ、なんとなくわかりましたわ。まあ、諦めたのはわたくしのことだけで、来世にはまた同じことをしそうですけれど。でも、長年の重荷からやっと解放されたんですもの。今は素直に嬉しいですわ」
少し腫れた目で、プリムはようやくクスリと笑った。その微笑は少しだけ大人に見えた。
ずっと、六歳の頃から誰も頼らず、一人で耐えて来たのだ。努力家だと言えばそうだけれど、一人で抱え込むのはやめてほしい。これからはルーサーを頼って心配事は打ち明けてほしいのだ。
ルーサーはドキドキと緊張しつつもう一度プリムに問う。
「あの、返事は……?」
すると、プリムはルーサーの腕の中で胸元に寄り添いながらぽつりと言った。
「返品不可ですわよ」
「もちろんです」
「でしたら、よろしくお願いしますわ」
そう言ってルーサーを見上げて来るプリムは、何にも変えがたいほどに愛しかった。頭の奥が痺れて、あばらが痛まなければ力の限り抱き締めてしまっていたかも知れない。そこまで読んでエリィがルーサーを痛めつけたのではないと思いたい。
プリムは頬を染めて微笑んでいたけれど、ふとまぶたを閉じた。それが意味するところがわかるのは、ルーサーも同じ気持ちであったからだろう。返品不可だというその唇に、ルーサーは深く口づけた。約束を疑われぬように心を込めて。




