50✤Primrose
「チェザーリ!!」
プリムが廊下で思いきり呼びつけると、どこからともなく魔王が現れた。空間を転移して来たのだ。
「プリムローズ、そんなに熱烈に呼ばれたら来ないわけにもいかないね。私にどうしてもドレスを選んでほしいと、そういうわけかな?」
ほくほくと嬉しそうにとぼけたことを言う魔王の胸倉を、プリムは精一杯背伸びをしてつかんだ。そうして、ガクガクと揺する。恐ろしさはすでに微塵もなかった。妖精王が前世を思い出せと言ったわけが痛いほどによくわかったのだ。
「思い出しましたわ」
「へ?」
「前世もそのまた前も、その前も! コーネリアであった頃までザッと!」
「ほ、本当かい!」
魔王は一瞬だけ嬉しそうにした。けれど、一瞬だ。後は目をそらした。だからプリムはガクガクと続けて揺さぶった。
「よくも適当なことを言いやがりましたわね!!」
「プリムローズ、落ち着いて……」
「何が!! 何が前世で妻だった、ですの! そんな前世は一度だってありませんでしたわ!!」
そう、一度もない。
コーネリアは魔王の妻ではないのだ。
コーネリアは人間だ。人間の女戦士であった。
地上へ這い出す魔物を散らし、仲間たちと共に魔物を統べる魔王を討伐しにやって来た。
魔王は語り継がれたような角もなく、ほっそりと優美な青年の姿であった。ただ、その赤い瞳だけは人のそれとは異なった。
それでも、地上で魔物に苦しめられている人々のことを思うと、コーネリアは魔王を倒さねばならない。
戦いを挑んだ魔王は、王座から何故だかぼうっと剣を向けるコーネリアを眺めていて、そうして言ったのだった。
「私と結婚してほしい!」
一目惚れというやつらしい。もちろんコーネリアは即刻断った。
けれどこの魔王、コーネリアが妻になってくれるなら地上へ魔物が出ないようにするとか言い出す始末だった。誰も真に受けたわけではなかったけれど、魔王は約束の期限を設けたのだ。
もじもじと、照れながら言う。
「ええと、一年待とう。その後で返事をもらえるだろうか」
その間、地上に魔物は出なかった。コーネリアさえうなずけば、魔王は妃の故郷を荒らすようなことはしないと言う。
ただ――。
コーネリアはもっと逞しい男性が好きであった。優美ではあるものの、いかにもヘタレな魔王にまったく魅力を感じなかった。いそいそと会いに来た魔王にはっきりと伝えた。
「私は他に好いた男がいる。お前とは結婚しない」
すると、魔王はわなわなと震えて、そうして怒り狂った。
「な、なんだと! そんな男は私が消してやる! 君は私の花嫁になるのだ!」
けれど、魔力を帯びた暴風の中、コーネリアは少しも揺るがずに言い放ったのである。
「そうか。ならば私も死のう」
「へ?」
暴風がぱたりとやんだ。コーネリアは魔王の赤い瞳をまっすぐに見据え、そうして告げた。
「彼がいないのなら、私が生きる意味もない。彼を消すというのは私を消すことだ」
魔王が顔をくしゃりと歪めた。それはそれは悲しそうに見えたけれど、だからといって結婚してやりたいとは思わないコーネリアだった。
魔王は捨て犬のような目をしてコーネリアの剣ダコのできた手を握った。
「では、来世こそは――」
「それも断る」
ガン、とショックを受ける魔王であったけれど、こればかりは仕方ない。
「チェザーリ、お前はお前を見てくれる相手を探せ。ではな」
それっきり、燃え尽きたような魔王に背を向けた後、コーネリアは二度と魔王とは顔を合わさなかった。
けれど、その生涯を魔王はきっと見守っていた。
その次の生も、その次も、魔王はしつこく迎えに来た。けれど、一度として『コーネリアたち』はうなずかなかった。
そうして回って来たプリムの番であったのだ。
魔王はハハハ、と笑った。あまり悪びれた様子もない。
「最愛の人を妻と呼ぶのは間違っていないと思うのだが」
「激しく間違ってますわよ!」
どっと疲れた。前世の記憶を取り戻したせいか、頭がグラグラする。負荷がかかり過ぎたのだろうか。
魔王の胸倉――スカーフを放したプリムの手を、今度は魔王が強く握った。けれどもう、プリムは恐ろしくはなかった。思いきり魔王を睨んでやった。
「わたしく、家に帰らせて頂きますわ」
すると、魔王はプリムを腕の中に抱き締めた。きゃ、と小さく声を上げたけれど、魔王の腕はゆるまなかった。
「それは許さない。私のもとへ自らやって来てくれたのはプリムローズ、君が初めてなんだ」
プリムは自分の軽率さを恨むばかりである。
「は、離して……」
もがいたくらいでは腕は外れない。やっと腕がゆるんだと思ったら、魔王はプリムの肩を急に押した。床に倒れる、と覚悟したのに、何故だか体は柔らかなものに支えられた。ハッとして体をよじると、そこは今朝起きたベッドの上だった。どうやら魔王が勝手に部屋へ転移したのだ。
しかし、このシチュエーションは――。
魔王の手がベッドに埋まるようにしてつけられた。端整な顔がプリムに迫る。
「コーネリアは文武に秀でていた。けれどプリムローズ、君は魔術師のようだ。人の体は不自由で、道具がなければその魔術も使えないのだろう? つまり、今の君は無力でか弱い女性だ。私を退けることなどできないだろう」
そこに気づかれたか、とプリムは内心焦った。魔王の手がプリムの頬を撫でる。プリムはぞくりと体を震わせた。
「君は私の花嫁になるのだ」
強くそう言い放った魔王がプリムの視界に被さる。
「わたくしが望むのは――」
ぽろりと涙が零れて、その後のことは覚えていない。
意識が遠退いて、闇に解けた。




