40✤Primrose
どういうわけだか、気力が湧かなかった。
六歳の時、プリムの話を大人たちが信じてくれなかったことをとても悲しく思った。けれど、今はあの時よりももっと悲しいと感じている。いつでも自力でなんとかしようと奮い立つことができる自分だったはずなのに、何も手につかない。
悲しいから。気がつくと涙が滲んで、そんな自分が嫌になる。
しっかりと自分で自分の心を支えていられたのに、一時でもルーサーによりかかることを望んでしまったのだ。この人なら信じてくれる、わかってくれる、と。
実現しなくなった未来を嘆くのは愚かだ。
プリムローズは運命を切り開く、そうした花だというけれど、プリムの未来には少しの光も見えない。
もう、疲れたと思った。
魔王を退ける手立てもない。現実は何ひとつ思うようには行かないのだから、きっと足掻いてももうどうにもならないのだ。
そんな気にすらなった。
プリムは夕方になってようやく、横たわっていたベッドから身を起こす。そして、子供の頃から部屋の片隅に置き去りの、大きなオモチャ箱の上に積まれた小箱を手に取った。魔王の手紙や贈り物を大きなオモチャ箱に入れてしまうと、年々それらに場所を取られると気づいて、なるべく小さな箱に詰めるようにしたのだ。ただ、本棚のそばにはいつでも使えるように空箱を積んであるので、結局邪魔にはなっているのだが。
送られて来る手紙をまともに読んだのは最初の二年くらい。プレゼントは一度も開けたことがない。
今、プリムは捨て鉢だったのかも知れない。長年手を触れることすら恐れていた小箱のひとつを持ち上げる。
鈍く光る真鍮の小箱。プリムは宝石箱ほどのそれをテーブルの上に置くと、意を決して杖を振るった。
「――நீங்கள் இந்த பெட்டியில் திறக்க」
杖の先から零れる白光が、小箱の封印を解く。プリムは胸の前でギュッと拳を握り締めると、杖を机の上に下ろして小箱を手に取った。その中には魔王からの手紙と贈り物が入っている。この小箱がいつもらったものだかはわからない。
今になってこれを開いたわけは、そこになんらかの情報があるのではないかと思えたからだ。
妖精王に前世の記憶のことをほのめかされてから、この手紙のどこかにそれに繋がる手がかりがあるかも知れないと思い至った。けれど、恐ろしくて触れることもしたくなかった。開けた途端、取り返しのつかないことになりそうで。
だからこれは最終手段として、なるべく開かずにいたかった。それでも、もし失敗してしまうとしても、回避できないのなら時期が少し早まるだけで同じことだと覚悟した。
プリムが両手で小箱を包み込むようにして持ち、そのフタを持ち上げると、小箱は音もなく簡単に開いた。そこにはやや色褪せた封書と赤いリボンのかかった小さな包みがある。
その手紙をナイフを使わずに手で封書の縁を破ってみた。なんとなく、体は逃げるように手紙から距離を置いてしまうのは仕方がない。けれど、封書の紙はごく普通の紙であり、手でも十分に破れた。そうして恐る恐る中から便箋を抜き取ると、尋常ではなく震える手でそれを開いた。
そこに綴られていた想いを今、目の当たりにする。
魔界から届いたとは思えないような手紙であった。
『親愛なるコーネリア、十一歳おめでとう。
後五年、これで半分過ぎたのだから後少しだ。
そうは思うけれどやはり待ち遠しい。
十一歳といえば、大人とは言えずとも、完全に子供と言うほどでもない。
多感な年頃に君は何を想うのだろう?
君が一歩ずつ素敵なレディへと成長して行くのを静かに見守っている。
贈り物のイヤリングは魔界でも指折りの職人に作らせたものだから、
きっと気に入ってもらえると思う。
どんな時でも変わらぬ愛を。――チェザーリ』
目新しい情報はない。ないのだけれど、これだけの文面の中に重たいほどの気持ちがこもっている。
「……十一歳の頃に何をって、そんなの――」
どうやったら魔王を撃退できるかしか考えてなかった。見守っていたというのならそれくらいわかるだろうに。
大体、初対面の時にキッパリと断ったことすら忘れているのではないだろうか。
これを一途と言うのか。それとも勘違いと呼ぶのか。紙一重である。
プリムはそこから封印を次々に解き、この九年で貯まった手紙のすべてをテーブルの上に集めた。どの手紙にも、それはそれは愛しげに言葉を連ね、約束の日を指折り数えている。ただ、その宛名はいつもコーネリアである。その名がプリムを冷静にさせる。この愛情はプリムに注がれているのではない。
とにかく愛を語るが、それはもういい。
プレゼントもすべて開いた。最初は素材がよくわからないけれど艶々としたリボンから始まり、アクセサリーが多かった。メイド・イン・魔界のくせに趣味はそう悪くないのが意外だった。――身につけたいとは思わないけれど。
結局、どこにも大した情報がない。重たい愛情が溢れているだけである。
けれど、こんなにも愛されていたなら、コーネリアはもしかすると幸せだったのではないだろうかとプリムはふと思った。一人の男性が、死が二人を分かつも妻を想い続け、いつまでも追いかけているのだ。プリムにはその記憶がないから、コーネリアと呼ばれても少しも嬉しくはないだけで。
魔王は、かつての妻が自分を思い出してくれないことを寂しく思いながら手紙をしたため、贈り物を選んだのだろうか。
そう考えたら、なかなかに切ない。大嫌いなうさぎ男であったけれど、ほんの少し見直したことがある。
それは十四歳の時の手紙である。その手紙にはこう書かれていた。
本来ならば会いに行きたいけれど、十年待つと約束した。だからその日を待つ。それまでは会いに行かないと自分自身に誓ったから、と。
会いに来たのは六歳のあの日だけ。魔王なりに気持ちを押し殺していたのだ。
勝手な勘違い男と思って来たけれど、もしかするとそればかりでもなかったのかと。プリムはなんとも複雑な気分だった。
けれどそこでハッとした。まだあるのだ。ごく最近届いた最後の一通がある。ルーサーと森へ出かけて戻った日に送られて来た手紙が。プリムは散らかったテーブルの上を掻き分けて最後の一通を探し出した。
その手紙を手に取ると、あの時は気づかなかったけれど、硬いものが入った僅かな膨らみがあった。ゾクリとしながら封を切る。するとそこにはルビーのような赤い石がついただけのペンダントが入っていた。
プリムはそれをテーブルに置き、手紙を取り出す。開いてみると、それはどの手紙よりも長文であった。
『親愛なるコーネリア
現世での君の父親がまたしても君に婚約者をあてがったようだね。
今までは本当に子供同士の約束で、
君もまた弁えたものでちゃんと自分で断ってくれていた。
ただ、今回ばかりはどうなのだろう。
君は十五歳になった。
十五ともなれば、そろそろ私も笑って見過ごせる年齢ではない。
けれど、今の君ではあの父親にはとても逆らえそうにもない。
本当に全部消し去ってもいいのだけれど、
優しい君が傷つくのは嫌だ。
だから、あの男だけを消してしまおうか。
君を信じていないわけではないけれど、
今日は何故か君の姿を上手く映すことができなくて、
それで不安になってしまった。
後少しなのだから、静かに待つべきだとは思う。
けれど、コーネリア、
君がもし父親に逆らえずつらい思いをしているのなら、
その時ばかりは私も誓いを捨てよう。
十年とは言わない。
私のもとへ君が駆けつけてくれるのなら、
私は両手を広げて受け入れよう。
そのペンダントを身につけ、屋敷の外で私の名を呼んでくれ。
その時はすぐにでも使いを寄越す。
どうかそのことを気に留めておいてほしい。
――君の夫、チェザーリ』




