4✤Primrose
それはプリムが十二歳になった頃から始まった。
父がプリムに婚約者をあてがい始めたのである。
魔王につけ狙われているプリムの婚約者とはすなわち死を意味する。それを理解してくれていない父は、将来有望な若者たちをプリムの夫にと引き合わせるのだった。
最初の十二歳の時、相手は三歳年上の智天騎士の息子だったか。智天騎士は魔法に秀でた者でないと就けない階級である。その息子ともなれば、それなりに魔力は強かった。プリムが魔法の腕を磨くから、彼ならば気が合うだろうと思ったのかも知れない。
気さくで優しい少年だった。少し照れたように挨拶する姿も好感が持てた。
だからだ。だからこそ、婚約を成立させてはいけない。自分に関わったせいで命を落とすようなことになってほしくはないのだ。
心は痛んだけれどひどい言葉をたくさん投げつけた。弱い男は嫌いだとか、ヘラヘラしてばかりで気持ち悪いだとか。なるべく人目につく場所で言ってやった。
向こうはいくらでも相手が探せる身分だ。何もプリムにこだわる必要はない。
それも子供同士のことであるから、解消するなら早い方がいいと先方から断りが入った。プリムはほっとしたけれど、父は激怒した。
「お前というヤツは!!」
その剣幕に卒倒しそうだったけれど、プリムはえぐえぐと泣きながら訴えた。
「お父様、私の婚約者は魔王より強い方にして下さいとお願いしているじゃないですか!」
「この馬鹿娘が!!」
――というやり取りを五回。それを越えた頃には数えなくなった。
社交パーティーにも出席しろとせっつかれているのだが、あれは結婚相手や友人を作るためのものであって、どちらも求めていないプリムが出席するのもどうかと思う。
それでも母親に泣きつかれてしまった。仕方なく、社交界デビューをすることになる。
なるべくツンツン素っ気なく、近寄るなオーラを出して出席するしかないかとプリムは覚悟した。
しかし。
プリムは童顔である。やや垂れた黒目がちな瞳。薄めの眉。黒くたっぷりとした髪をおさげにしてみると、自分でも悲しくなるくらい子供っぽかった。背も低いのだが、毎日十二センチヒールで鍛えているからそれはカバーできる。
この迫力のない顔をどうにかしなければ、と鏡の前で百面相をしてみるのだが、やはり愛玩動物のような外見は野性味を帯びない。
プリムはどうしたものかと情報を主に書物からかき集める。顔貌を変える魔法もあるけれど、もとの顔に戻れる確率は八十五パーセント――微妙な数字である。美しく保てるのならまだしも、崩れて固まるとのことだ。恐ろしすぎる。他の手段はないものか。
また別の本に手を伸ばした。
社交界マナー、流行、プリムはすべて本に頼る。人に訊ねることをしないのは、長いことそうして来たからかも知れない。
うさぎ男の出現を信じてもらえず、身を護る術を模索する毎日だ。それに比べたら外見を変えることくらいなんでもないと思えた。
パラパラとページをめくり、手っ取り早いのは化粧だと悟った。母に化粧品がほしいと頼むと、すごく喜ばれた。今までほしいものはほぼ魔法書の類だったせいだろうか。
そうして、プリムは練習を重ね、化粧を覚えて行く。アイラインは上向きに跳ね上げ、垂れ目の印象を拭う。眉もしっかりと描いて――そうしたら、驚くほど華やかな顔立ちになった。どうやら化粧映えする顔だったようだ。
外出時には化粧を欠かさないことにした。この顔なら高飛車なセリフも似合うはずだ。
けれど、家の中ではあまり化粧はしないことにした。何故かというと、弟のエリィが嫌がるからである。
金髪の、天使のようなエリィは悲しそうに言ったのだ。
「プリムねえさま、お化粧しない方がずっとかわいいのに……」
そんなことを言ってくれるのはエリィくらいである。プリムはまだ八歳で背の低いエリィをギュッと抱き締めた。
「ありがとう、エリィ」
プリムが魔王に狙われているということを信じてくれたのは、この弟だけである。僕がねえさまを護るからね、と。
そう言ってくれるだけで心が軽くなる。プリムにとっては大切な存在だ。
身内ならば大切にしても魔王に葬り去られたりはしないだろう。プリムを嫁にするつもりなら、義弟になるのだから。だから、プリムは家族以外は親しくしないと決めたのだ。
父は国内では知らない人がいないほどの有名人である。
魔物と戦う様は鬼神のようだと謳われる。そんな父の娘であるプリムには貴族たちの関心がいっせいに向かっていたのだった。
あの厳しい父の娘婿になりたい人などいるのが不思議だった。そばにいるだけで入りたての使用人たちは呼吸困難になる。それを身内にとは。
けれど、理由を知ると納得した。
オルグレン家の姻戚ともなれば、実家には強固な護りが約束される。防壁も一段上の術を施してもらえるし、もし万が一魔物の軍勢に襲われても優先的に救助が来る。そう思われているようだ。
実際、防壁なんて魔王には通用しないことをプリムは早々に知ってしまったのだが。
最初の社交界は宮廷舞踏会だった。何度か父に連れられてきたことはあるので、城は初めてではない。階段から壁、床、天井、すべてが尊い白色、そこに散りばめられた水晶たち。幻想的な眺めの中でさえ、プリムは現実的だった。ようするに、それどころではないのだ。
十二センチヒールで上手く踊れるほど、プリムの運動神経は発達していない。せっかくオートクチュールのドレスを着込んでキリッとした外見を作って来たのに転んでは元も子もない。
プリムは人に酔ったと言って外に出た。テラスで涼んでいると、数人の男性が大丈夫ですか、大丈夫ですかと声をかけて来た。親切な人たちだと思う。だからこそ、巻き添えにしてはいけない。
あのうさぎ男のことだからどこかで見ている気がした。
「わたくし一人で気分を落ち着けていますの。どうぞお構いなく」
ツン、とそっぽを向いて言い放つ。感じ悪くできた気がするけれど、どうだろう。
「まあそう仰らず、お話でも」
そのうちの一人にニコニコとそう返された。顔立ちは整ってるけれど、細い。こんなで戦えるのかしら、とプリムは思ったけれど、何も国中の男が腕力に頼って戦っているわけではない。
「結構ですわ」
更にツンとしてその後は相手をしなかった。そのままずぅっとそこにいた。
そうしたら、屋敷に帰ってからやっぱり父にカミナリを落とされた。
「お前は社交界の社交の意味も知らぬのか!?」
「だ、だって、男の人たちみんなナヨナヨじゃないですか! あれじゃ魔王と戦えな――」
「この馬鹿娘!!」
毎回そう怒られるけれど、こっちだって必死なのだ。そう馬鹿馬鹿言わないでほしい。
そうして、父は大げさなくらいに大きなため息をついた。
「もういい。そんなに強い男がいいなら連れて来てやろう。ただし、今度断ったら家を追い出すから覚悟しておけ」
ひどい。
こっちの気も知らないで。
プリムは部屋に駆け込んでわぁわぁ泣いた。そうしたら、化粧がとんでもないことになった。その顔を鏡で見たら今度は笑えて来た。
そうか、家出もひとつの方法かと。でもそれをするとエリィと会えなくなるから、それが嫌だ。
しかし、前世の記憶があっさりと蘇ったりしないものなのだろうか。そうしたら、うさぎ男を愛しく思ったりするのだろうか。
そう考えて、プリムは身震いした。
やっぱり、蘇ってくれるなと。