36✤Primrose
なんとなく気分は晴れないまま、というよりもかなりモヤモヤしていたけれど、プリムはその翌日も魔王への対応策を探していた。前世の記憶は頭をぶつけたくらいでは戻らない。
これは戻る確率は低いと見て、別の方法を探すべきだろう。
家の地下書庫にはたくさんの書物を抱えている。けれど、そこを探しても収穫がないのだから、一度外へ目を向けてみようかという気になった。王都には王立図書館がある。一般公開されている書物くらいならば家の地下書庫で十分だと足を向けなかったけれど、奥にある稀少本を見せてはもらえないだろうか。
こんな時くらい、父の名前を出して強気で迫ってみようか。ぼちぼち、それくらいしないとマズイ。
プリムは化粧をして出かけようか迷った。けれど、結局しなかった。いざという時までは父の名前は出さずに頼んでみようと思う。それなら、どこの誰だかわからない童顔娘と思われた方がいい。
ひと目で高価だと知れるようなドレスではなく、割とシンプルなものを選んだ。白地にベビーピンクのフリルとリボンがある。
「お母様、わたくし図書館へ行って参りますわ」
ソファーで刺繍をしつつくつろいでいた母にそう断った。母は一瞬だけプリムに目を向けたけれど、すぐにまた手元に視線を落とし、忙しく縫い針を動かしている。行き先が図書館ならば母も反対する理由もないのだろう。
「そうなの。気をつけてお行きなさいね」
「はい」
ぺこりと頭を下げると廊下へ出る。すると、エリィが跳ねるようにして駆けて来た。いつもの天使の微笑みである。ひいき目のつもりはないけれど、こんなに可愛い子は滅多にいないと思う。
「プリムねえさま、お出かけするの?」
「うん、図書館へ行こうかと思って」
エリィといるとささくれた心が洗われるようだ。プリムも自然と微笑んでいた。
「じゃあ僕も一緒に行っていい?」
お利口なエリィは図書館でも静かにできるだろう。プリムが調べものをしていたら大人しく待っていてくれるはずだ。
「ええ、いいわよ」
今は誰かといた方が余計なことを考えなくて済むのかも知れない。プリムは笑顔でそう答えた。
図書館は王都の中心に位置する。王城から大通りを南に下った先だ。オルグレン家の邸宅からは北西になるのだが、まあ近い方だ。歩ける距離ではあるけれど、エリィが一緒となると馬車の方がいいだろう。
プリムは御者に頼んで馬車を出してもらった。歩いて行ったら、嫁入り前の娘がフラフラと、と父に叱られそうな気もする。
プリムが馬車の中でエリィと楽しく話していると、やはり馬車はすぐに図書館へ到着した。御者にはなるべく目立たないところで待つように頼んだ。何故かとは訊かない。プリムの不可解な言動はいつものことだと思っているのだろうか、苦笑して従ってくれた。
王立図書館はレンガ造りの大きな建物で、礼拝堂のような造りをしていた。日差しに煌く虹色のステンドグラスは神話をモチーフにしている。
それらを眺めつつ、プリムはエリィと手を繋いで階段を上った。太陽が眩しくて、手で陽光を遮りながら階段を上がりきると、図書館にはテラスがあった。高木が日差しを遮る屋根のように生えていて、そのそばに机と椅子がセッティングされている。アンティークな風合いだ。
図書館はお喋り厳禁だけれど、外でなら構わない。甘ったるい恋を詠った詩集を手に、お嬢様方はお喋りに花を咲かせている。
「ねえ、それ本当ですの?」
プリムとそう年齢の変わらない令嬢だ。甲高い声がそれに答える。
「もちろんですわ。見ていた方もたくさんいらっしゃると思いますわよ」
「えー、またですの? こうもあっさりとじゃ面白くもなんともありませんわね」
楽しそうだな、とぼんやり思った。プリムも本来ならああしてお喋りを楽しんでいるはずの年頃であるのに、何かが遠い。ふぅ、と嘆息するプリムの耳に聞き慣れた名前が飛び込んだ。
「それにしても、ルーサー様っていかにもというほど生真面目な方に見えたのですけれど、殿方ってわかりませんわねぇ」
その言葉に、ぴたりと足を止めてしまった。エリィはちらりとプリムを見上げる。けれど、足がどうしてもそこから進まなかった。お喋りに興じる令嬢たちはそんなプリムに気づかずに話し続けた。
「もうぴったり寄り添って暗がりから出て来ましたのよ。メルディナ様と少しお話しするだけで殿方はすぐに心奪われてしまうのですわ」
「けれど、こんなことがオルグレン卿のお耳に入りでもしたら、昇進どころか血の雨が降りそうじゃありませんこと?」
「ですわよね。お二方ともなかなかの度胸ですわよね」
誰の話をしているのか、プリムは段々わからなくなった。それはプリムが認めたくないからだろう。
けれど、昨日のルーサーの照れた様子が思い起こされる。あの後、プリムが帰った後、二人は親密になったというのだろうか。そんなにも急になれるものだろうか。ルーサーは融通が利かないほどに真面目で、婚約者のいる身で他の令嬢と親しくしたりできるとは思えない。
そうは思うのに、頭のどこかで否定しきれない。
やっぱりそうか、とどこか冷めた目で眺めている自分がいる。
今まで、あてがわれた婚約者たちの命を護るためとはいえ、ひどい言動でたくさん傷つけて来た。そんな自分が誰かから大切にしてもらえるわけがなかったと、自分の仕打ちがここで戻って来たような、そんな気がした。
でも、と令嬢の声が笑いを含む。
「プリムローズ様は確かにお美しいけれど、とてもとっつき難いですわ。ルーサー様も息が詰まってしまわれたのかも知れませんわね」
「それはまあ……。わたくしももし男性でしたらメルディナ様の方によろめいてしまうと思いますわ」
他人から言われたくはないけれど、言われた言葉が刺さるのは、それが事実だからだ。実際に、プリムと一緒にいてもルーサーには気詰まりだったのかも知れない。
婚約は、今更ルーサーの方から断ったりはできないだろう。けれど、その心はもう別のところに移ってしまったのだ。
くい、とドレスの裾をエリィが引っ張った。それでプリムは我に返った。
「プリムねえさま、今日はもう帰ろう?」
エリィの声は労わりに満ちていた。それもそのはずで、プリムは自分でも気づかぬうちに頬を涙で濡らしていた。




