34✤Primrose
プリムは社交界が嫌いだ。けれど、出席するのが義務だと言われてしまっては、渋々であろうと出席せざるを得ない。さっさと帰りたい一心なのだが、どうしてもいつも人が寄って来る。ルーサーといる時はともかく、少し離れたら途端に色とりどりの令嬢たちに囲まれてしまった。
「プリムローズ様はいつお会いしても完璧なお美しさで、わたくし憧れてしまいますわぁ」
特にこれと言って特徴のない令嬢で、初対面かと思ったら口振りから違うようだと判断した。
それにしても、化粧でも学びたいのだろうか。プリムは扇で口元を隠しながらお世辞に対する礼だけ淡々と述べておいた。
「本当に、プリムローズ様は誰よりもお美しいとわたくしも思いますのよ」
もう一人、ピンクのふんわりとしたドレスの令嬢が言った。こうしてドレスの特徴で覚えると、次に会った時には区別がつかなくなるからいけないと思うのに、同じような化粧と髪型の令嬢がプリムには双子のように思えてならない。
まあ、こうしてプリムを褒めるのは大抵父のせいだろう。話半分に聞き流してもいい。
そう思っていたプリムに、プリムと同じ黒髪を持つ目の小さな令嬢がぽつりと言った。
「それなのに、メルディナさんったらご自分が一番美しいと勘違いなさっているのですわ」
メルディナ――誰だったかな、とプリムは考えた。けれどそれを悟られないように顔だけキリリと保っておいた。
他の令嬢もうんうんとうなずく。
「ええ、本当に。殿方のことをアクセサリーだと思っていらっしゃるのではなくって? どれだけ数多くの方がご自分に言い寄って来られるのか、数えるのが楽しくて仕方がないのですわ」
この場合、婚約者をとっかえひっかえしているプリムも同じようなことを言われているのだろうか。好きでやっているわけではないし、そのメルディナさんとやらにも何か事情があるのかも知れない。
プリムがふぅ、と嘆息すると、令嬢たちはビクリと体を強張らせた。そうしてひたすらに饒舌になる。
「あの、その、わたくしたち、プリムローズ様こそが本当の社交界の華だと思いますのよ。メルディナさんは造花ですわ、造花」
厚化粧に底上げヒール。プリムも十分造花である。
なんだろう、グサグサ刺さる。プリムが複雑な心境でいると、令嬢の一人があっと声を漏らした。
「まあ、メルディナさんがルーサー様とキアラン様とお話していますわ! プリムローズ様がいらっしゃるのに、なんて図々しい!」
キアランと言うのは、ルーサーのナヨっとした友人だった。もしかして、そのメルディナさんはキアランに気があるのだろうか。プリムの好みではないけれど、女性には好まれそうな容姿ではある。
なんとなく眺めていると、二人の騎士は紳士的にメルディナと話していた。プリムからは後姿しか見えないけれど、メルディナは線の細いか弱い背中だった。
少しばかりメルディナと話しただけで、ルーサーは珍しく照れていた。プリムが目を疑ったほどだ。
あんなにも表情のわかり難いルーサーが、ようするにデレっとした――ようにプリムには見えた。
もしかすると、メルディナはルーサーの好みのど真ん中と言える女性なのではないだろうか。ちょっと話しただけであんなにも表情を崩すのだから。
それでも、生真面目なルーサーはプリムを一番に考えてはくれるのだろう。わかってはいるのだけれど、面白くはない。
今まで、他の婚約者にもそうしたことはあった。綺麗で可愛い、そんな女の子が笑いかけたら嬉しそうにする。それを見て、プリムはいつもほっとしていた。そちらに気移りしてほしいと祈るように思ったものだ。
なのに、今はルーサーがデレっとしているのを見たら無性に腹立たしかった。プリムの抱える事情はあの時から少しも変わっていなくて、むしろ差し迫っている。それなのに、何をのん気に構えているのかと自分に言い聞かせるけれど、腹立たしさは治まらない。これは俗に言うヤキモチというやつだろうか。
うさぎ男でもあるまいし、プリムが誰かにそんな感情を持つことになるとは思いもしなかった。
まあ、普通に話していただけで特別親しげにしていたわけではない。あれくらいで大騒ぎするのは醜いと、プリムなりに心を落ち着けた。
気持ちの波が静まるまで少しばかり睨んでおいたけれど、それで納得した。
なのに、令嬢たちの一人が忌々しげに言ったのだった。
「メルディナさんに心奪われて恋人や婚約者を捨てた殿方も一人や二人じゃございませんのよ。本当に、大人しそうなお顔をされていますけれど、彼女は魔性ですわ」
へ? とプリムは思わず声に出してしまいそうだった。
いやでも、ルーサーのような堅物がまさかとも思う。けれど、プリムは自分でも可愛げがない自覚はある。ルーサーも、いつも素っ気ない婚約者より、優しくてニコニコしている女性の方がいいとか思うのだろうか。
父の手前、そんなことを思っても我慢するとは思うけれど、その我慢はプリムにとってとても惨めなものではないだろうか。
そう考えた時点でプリムは無性に悲しくなった。それは、父がいなければプリム自身にルーサーを繋ぎ留めておける魅力がないと認めているようなものだ。
魔王にしても、好きなのはプリムの前世であるコーネリアだ。プリムとは言えない。
そう考えると地味に凹んだ。もう帰りたい。
「それではわたくし、そろそろお暇致しますわ。ごきげんよう」
ドレスの裾を捌いてカツカツとヒールを鳴らしながら歩いた。令嬢たちは後ろで、あなたがおかしなことを仰るから、とか責任を擦りつけ合っていた。
腹が立つのでルーサーには何も言わずにホールを抜け出したけれど、父にはちゃんと先に帰ると言伝をしておいた。多少は怒られるとしても、ここに顔は出したのだからマシだろう。
車輪の音の響く中、一人ではだだっ広い馬車の車内でプリムは膨れていた。
モヤモヤする。
やっぱり、ルーサーはプリムには特別で、少なからず好ましく思っている。認めるのは勇気が要るし、魔王のことを考えると、ルーサーに危険が及ぶだけの気持ちは迷惑なのだと思う。
なのに、今更嫌いにはなれない。
けれど、この気持ちはずっと隠していかなくてはいけない。
もし万が一、対応が間に合わずにプリムが魔王の花嫁にされてしまったとする。その後でもプリムの気持ちがルーサーにあると知れたら、魔王はルーサーを消してしまうのではないだろうか。だから、この気持ちは一生、胸の奥底にしまっておくしかない。
あの、たくさんもらった魔王からの贈り物のように、間違っても開かないように封印をしておけたらいいのに、自分の心ではそうも行かない。
切なくて、涙が零れそうだった。けれど、泣いてはいけない。
化粧が崩れると、余計に惨めな気持ちになるから――。




