31✤Primrose
翌日に、プリムはエリィと一緒にアーミテイジ家の馬車に乗せてもらい、王都の自宅まで帰還することとなった。ルーサーは騎乗してその後を進む。ルーサーの馬は大人しくて賢そうな顔つきをした茶色の馬だ。鼻筋の白が可愛い。ルーサー自身は騎士の制服姿が久々であるせいか、凛々しく見えた。
エリィはルーサーの実家がとても気に入った様子で、名残惜しそうだった。王都では、同じ年頃の子供たちがいても、オルグレンの息子というだけで気を許してつき合ってくれていないのだろう。
それにしても、とプリムは考えた。
前世を思い出す――解決の糸口がそれとして、本当にどこから手をつけたらよいのだろうか。妖精王にもう一度会いに行ったところで教えてくれそうもない。
とりあえずはやはり書物に頼るしかなさそうだ。
そんなことをあれやこれやと考えているうちに馬車は王都へ辿り着き、プリムが気づいた時にはオルグレン邸の門を潜っていた。アーミテイジ家の御者は気後れしたのか、馬車を止める時に随分まごついていた。やっと馬車が止まると、ルーサーが扉を開けてくれた。気遣うような目がプリムに向けられる。
「ええと、部屋までお連れしましょうか?」
差し伸べられた手に手を添えながら、プリムはあっさりと答えた。
「結構ですわ。こんなもの、すぐに治します」
すると、ルーサーはどこか寂しそうに首を揺らした。
「そうですか……。それならいいのですが」
そう言う割に、視線はプリムに絡みつく。エリィが横でプリムを肘でつついた。
「プリムねえさま、お願いすればいいのに」
エリィなりに気を利かせたのだ。賢い子だから。
「いいのよ。お忙しいのにお手を煩わせてはいけないの。――それではごきげんよう」
そう言って、プリムはルーサーの視線を振りきった。エリィがルーサーの心配をしつつ、ひょこひょこ歩くプリムの支える。
数日振りの我が家に戻ると、母が迎えてくれた。ルーサーの父が手紙を寄越してくれたらしく、心配はしていなかった。
「あら、プリム、あなたその足はどうしたの?」
「少し転んでしまいましたの。すぐに魔法で治しますわ」
すると、母は苦笑した。
「そそっかしい子ね。もうすぐ結婚しようかというお年頃なのだから、気をつけないと駄目よ」
「はい」
そうしてエリィは母と積もる話があるようなので、プリムは一人で部屋に戻った。杖はどこかと思ったら、何故だかランプシェードの天辺に突き刺してあった。出立前の自分に問いたい。あれはどういう理由でやったのかと。
ようやく魔法で足を治し、プリムは足首を軽く回してみた。痛みはすっかり引いている。
「これでよし」
ようやくひと息つけた。けれど、まだまだ休んでいる場合ではない。
前世の記憶への手がかりを探さなければならないのだ。プリムはそこからスカートを翻して地下の書庫へと走った。途中ですれ違ったメイドに人差し指を口元に当てて口止めする。廊下を走っていたなんて父に告げ口されたら大変だ。
久々の書庫。入り口でランプ灯りを調節して中へ入る。中へ進むたび、点々と置かれているランプに明かりを灯して行くと、小さな窓から差し込む光も合わせて地下とは言ってもそれなりの明るさにはなった。プリムは書庫の中をぐるりと観察する。
さて、どこから手をつけようか。
前世はコーネリア。けれど手がかりはそれだけだ。魔王の妻だったというけれど、だとするなら人間ではなかったと考えるべきなのだろうか。種族を超えた関係だった可能性もある。
プリムはとりあえず、家系図を遡ってみることにした。もしかすると、コーネリアは先祖であるかも知れないのだ。
製本になった分厚い家系図をパラパラとめくってみる。分厚いから相当古い家なのだと思っていたら、三分の二くらいが家訓を書き連ねてあったので読み飛ばした。ほとんどが父の口癖である。
古くないつもりが、二百年くらいはある。案外古いうちに入るのだろうか。見事に武人ぞろいの家系である。――しかし、何度も読み返しても、コーネリアと名づけられた娘はいなかった。
生まれ変わりとはいえ、先祖ではないらしい。
「ハズレかぁ」
プリムはがっくりと項垂れた。そうなると、コーネリアの人生を調べるのではなく、本当に前世の記憶を呼び覚ますしかない。そんな方法は果たしてあるのだろうか。前世の記憶が必要であった人間が今までにいたのかどうかもわからない。
まるで自分のやっていることが手で水をすくい上げているだけのようで、徒労感が押し寄せる。はぁ、と息をついて机に突っ伏した。
次の誕生日まで半年。コーネリアの誕生日らしき、魔王が現れた日には半年と二十日ほど。
どうしようもなく落ち込む。
ふと、ルーサーの顔が脳裏に浮かんだ。表情に乏しいけれど、プリムを見る目はいつも優しい。
ルーサーは半年後、プリムがいなくなったらどうするだろう。ルーサーのことだから、真剣に探してくれるかも知れない。けれどその時、プリムは魔王のもとである。そうそう助け出してもらえるとも思わない。
いっそ、ルーサーに魔王のことを話してみようか。ルーサーなら鼻で笑ったり、頭ごなしに嘘と決めつけたりはしないでいてくれる気がする。
そんな風に感じるくらい、自分はルーサーを信頼しているのかとプリムは自分の心に問いかける。
違う、と否定できる何かを探した。
何人もいた仮初の婚約者の一人に過ぎない。迷惑をかけてはいけない。命に関わるようなことにならないように、早く手を振り払って関わりを絶たなければと思うのに、それを寂しく感じてしまう。
赤の他人に戻って、あの大きな手が自分に触れることがなくなるのだと思うと、悲しい。
そんなことを思って、プリムはカッと頬が熱くなるのを感じた。ちっとも調べものが進まない。ルーサーの顔がプリムの脳裏をちらつくのだ。こんなこと、今までにあっただろうか。
「これじゃあまるで……」
一人でつぶやいて、そうして首を強く振った。そうしたら目が回ってプリムは机に突っ伏した。
なんとか雑念を追い払いつつ、プリムは書物を調べ続けた。けれど、やはり前世の記憶が蘇るような記述は見当たらない。そうなると、手がかりは妖精王の言葉だけだ。
本当に、頭をぶつけた拍子に思い出せるといいのだけれど。
その後、プリムは夕涼みがてら、誰もいない中庭のベンチに座りながらうんうん唸って考え続けた。そうした結果、立ち上がった。一度試してみるしかないかと。
そろりと後ろのベンチを振り返る。木製の白く塗られたベンチは、なかなかに丈夫そうだ。石とか金属でぶつけたら思い出す前に昇天してしまいそうなので、これくらいがいいかと思う。
クッションになりそうなので、後頭部におだんごにまとめていた髪を解いた。これでよし。
――もちろん、痛いのは嫌だ。嫌だけれど、魔王の嫁になるのはもっと嫌だ。
プリムは深呼吸をくり返すと数歩前に進み、胸の前で手を組むとまぶたを閉じた。明日、コブはできると思うけれど、これで思い出せたらいい。意を決してプリムは体の力を抜き、後ろに倒れ込んだ。
ガツン、と後頭部に衝撃が走った。目を閉じていたのに火花が飛び散るようだ。痛みは首を抜けて背中まで響いた。身構えてはいたものの、やはり痛い。
「い、いた……」
しかし――。
痛かっただけである。前世どころか逆に晩餐のメニューさえ脳みそから吹き飛んだ。
涙を浮かべ、もぞもぞと起き上がろうとしたプリムのもとに慌しい足音が近づいた。頭をぶつけたので、急にそちらを見やることができなかった。ただ、声で誰だかわかった。
「プリム!」
どうやら仕事終わりにルーサーが会いに来たらしい。それにしても、このタイミングで来なくても良さそうなものを。
どう言い訳をしようかと考えたプリムの体を、ルーサーは力強く抱き起こした。頭を打っているので揺らさないでほしかったのだけれど。
「あ、や、大丈夫ですわ」
なんとか取り繕うべくつぶやいたプリムに、ルーサーはほっとしつつも眉間に皺を寄せた。
「……自発的に後ろへ倒れたように見えたのですが、気のせいでしょうか?」
「気のせいですわ」
間髪入れずに答えたけれど、ルーサーの目はいつになく疑わしげであった。ただ、大きな手がそっとプリムの後頭に触れる。やはり、コブになっているらしく、指が当ると痛かった。
これはやはり魔王と妖精王のせいだとプリムは思った。




