30✤Luther
足を挫いたプリムを背中に負って、ルーサーは屋敷までの道のりを戻る。その間、道行く人に結構な回数の冷やかしを受けた。プリムは屈辱的に感じるのか、背中で震えていた。しまいにはルーサーの肩と帽子で顔を隠すようにして伏せる。それでも、ルーサーはその道中もずっと幸せな心地だった。
プリムに、少なくとも嫌われてはいない。
だとするなら、このまま一年後には彼女の花嫁姿を拝むことができるだろう。
その日が待ち遠しい。
屋敷の前まで来ると、プリムはルーサーの背中から下りた。下ろせとうるさかった。
こうした姿をルーサーの家族やエリィに見られたくないらしい。仕方がないのでルーサーは渋々プリムを下ろし、それでも隣に寄り添って歩行を支えた。すると、プリムはそっぽを向きながら言った。
「ルーサー」
「はい」
「その……ありがとうございました」
ルーサーは明後日の方を向いたプリムの後ろ頭にそっと微笑む。
「いいえ」
そうして二人が屋敷に戻ると、シエナが出迎えてくれた。歩きづらそうなプリムに気づくと、穏やかな雰囲気はそのままに慌てて口元を押えた。
「あらまあ、お怪我をなさったの!? ルーサーさんがついていらしたのに!」
「すみません……」
そうとしか言えない。
プリムがまとう空気はすでによそ行きに切り替わっていた。にこりと笑顔を浮かべている。
「わたくしが勝手に転んだだけですのよ。これくらい、大したことありませんわ」
「いいえ、大切なお嬢様に怪我などさせて申し訳ないわ。すぐに手当てをしなくちゃ」
シエナはそう言ってプリムの手を取ると、ルーサーを軽く睨んだ。
「ルーサーさんは外に出ていらしてね」
「……はい」
部屋どころか屋敷から出された。
仕方がないのでルーサーは屋敷の裏手へと向かった。そういえば、本来の目的であった剣をまだ選んでいない。急がねば王都への帰還が遅れる。
いくつかの候補はあるので、後はその中から絞り込もうと思う。ぼんやりとそんなことを考えながら歩いていると、子供たちの楽しげな声がした。イングリス、エドワーズ、ファリスとエリィだ。エリィは明らかに育ちが違う気品があるのに、やんちゃな弟たちとよく遊べるものだ。
弟たちはルーサーを見つけると、嬉しそうに駆け寄って来た。
「にいちゃん!」
「うん、ただいま」
膝をついて弟たちに視線を合わせると、イングリスが得意げに手を差し出して来た。その手には剣の柄が握られている。薄青い柄には銀色の控えめな装飾が施されている程度だった。あまりごちゃごちゃとした装飾が好きではないルーサーには程よいと思わせる。
「にいちゃん、これ俺たちで選んだんだ。どうかな?」
ルーサーが剣を探していると知り、弟たちなりにルーサーに合うものをと考えてくれたのだろう。
ただ、こればかりは相性というものがある。手に馴染むか、望むような質の刃を構築することができるかは手にして見ないとわからない。けれど、せっかく選んでくれた弟たちを落胆させることはしたくなかった。
「そうか、ありがとな」
と、その剣の柄に手を伸ばす。その途端、雷にでも打たれたような衝撃が体中に走った。ほんの刹那のこと。けれど気のせいで済ませるには鮮烈な感覚だった。呆然としたルーサーをエリィが不思議そうに覗き込んだ。
「ルーサーにいさま?」
「あ、うん、悪い。なんでもないんだ」
気を取り直して剣を握る。危ないので弟たちから少し距離を取った。ぐ、と力を込めると、瞬く間に白銀の刃が柄から先へと繋がる。それは想像以上に美しい刃だった。一点の曇りもない、例えるならば冬の湖面のような――。
思わずその刃に見惚れてしまうくらいだ。弟たちはそばでキャッキャとはしゃいでいる。試しに何度か振るってみても、以前のものと変わらぬ長さや幅であるにも関わらず、軽くて扱いやすいと感じた。手にとてもよく馴染む。
こんな剣が父の蒐集品の中にあったとは、完全な見落としだった。
「にいちゃん、どう?」
そう訊ねて来るイングリスに、ルーサーは大きくうなずいた。
「ああ、すごく扱いやすい。使わせてもらうよ」
すると、弟たちはやった、と飛び跳ねていた。無邪気なもので、そんな様子にルーサーも笑みを零した。
弟たちが去ってからも、しばらく剣を手に素振りを続けていた。一日でも鍛錬を怠ると体が鈍る気がする。
納得が行くまで剣を振り、それから父のもとを訪れた。最初から好きなものを持って行けと言ってもらってはいるのだが、一応剣を借り受ける許可をもらいに行った。
「父さん、この剣を借りることにした」
「うん? そんなのあったかな? まあ好きにしなさい」
書斎の机の前で椅子に腰かけていた父は気のない返事をする。蒐集品が多すぎてすべてを把握しきれてはいないらしい。それなのに蒐集する意味はあるのかと少しだけ思った。
そんなことより、と父は机を叩いた。
「それで、プリムさんはどうだった? 少しくらいいい雰囲気にはなったのか?」
「え、や、まあ……」
なっていないこともないと言いたいけれど、どうだろう。しどろもどろになりながらルーサーは慌てて書斎を出た。
廊下を折れると、少し離れた先にプリムがいた。壁伝いに、足を庇うようにして歩いている。靴下を履いていない片方の足に包帯が巻かれていて、それが痛々しい。家に帰ればすぐにでも自力で治すのだろう。早く連れて帰らねばと思った。
せめて部屋まで支えて行こうかとルーサーが近づきかけた時、プリムの後からイングリスが尖った声を上げた。
「わざとらしく歩くなよな。足を挫いたなんて、にいちゃんの気を引くための嘘なんじゃないのか」
弟の暴言にルーサーは心底驚いた。あまりプリムに友好的ではなかったけれど、ここまで突っかかるとは。すぐに叱って謝らせるべきかと思ったルーサーに、プリムは背中を向ける形でイングリスに向き直った。
「あら、そんな嘘にひっかかるほどルーサー様はお馬鹿さんなのかしら?」
ガク、と崩れ落ちそうになるほど、ルーサーは拍子抜けした。それくらい、プリムの声は堂々としていた。
「なんだと!」
イングリスの方が憤慨するも、プリムの背中は何故だかいつもより大きく見えた。その肩の動きで嘆息したのだとわかる。
「そうですわね。嘘でも信じた振りをして、嘘が露見したら今度は怪我がなくてよかったと言って下さるような方ですものね。それがわかっていて、くだらない嘘なんてつきませんわ」
プリムの口から自分のことを語られると、ルーサーはどうしようもなく照れ臭かった。そう信用してもらえているのかと。
つい、イングリスを叱りに飛び出すのも忘れて物陰で成り行きを見守ってしまった。
「にいちゃんのこと、知った風な口を利くなよ」
気に入らない、とイングリスの顔には書いてある。けれど、プリムは動じなかった。本当に、可愛らしい外見の中身はとんでもなく肝が据わっている。
「あら、わたくしよりも弟のあなたの方がよく知っているのは当たり前でしょう。あなたよりも知っているなんて言うつもりはありませんわ。お兄様が大好き、ご家族が大好き、それは素晴らしいことですのよ」
プリムはいきり立つイングリスに平然と返した。それがまた癪に障ったのだろう。イングリスは顔を赤くして足を踏み鳴らした。
「俺はお前みたいなネコカブリは大っ嫌いだ! みんなが歓迎してるなんて思うなよ!」
さすがにあの言い方はない。いくら子供でも、いや、子供だからこそ今のうちに叱ってやらなくてはとルーサーなりに思った。
けれど、プリムはそれを真っ向から受け止めたのだった。
「そうでしたの。けれどわたしく、あなたのことが嫌いではありませんのよ」
「は?」
「だって、ここへ来てからエリィをとても可愛がって下さったでしょう?」
「べ、別に! エリィはいい子だし……」
たじろいだイングリスにも、プリムの柔らかな笑い声が聞こえたことだろう。
「エリィはわたくしの大切なの弟ですもの。ですから、あなたのことは嫌いではありませんわ」
イングリスは最早何も言えず、目を瞬かせていた。ああ、もう心配は要らないな、とルーサーは密かに思った。
そうして、一人でつぶやく。
「嫌いではない、か」
ルーサーもそんな風に言ってもらえたら嬉しい。
きっとそれは、素直でないプリムにとってはかなりの褒め言葉なのだ。




