3✤Luther
ルーサー・アーミテイジが騎士として叙任されてから三年の歳月が過ぎた。
大柄な体格のせいか、そうは見えないと言われつつもまだまだ十九の若輩者である。階級は六階級中の四番目、主天騎士。昇進はまずまず早い方だろう。
熾、智、座、主、力、能。当然ながら、上に行けば行くほどに少数になる。他国でいうところの爵位と騎士団の地位はほぼ同等の意味を持つ。それだけ武力がものをいうお国柄なのだ。
何故かといえば、この国が魔王が棲む魔界に続いているためである。このエンピレオ王国は近隣諸国から『魔界のフタ』と呼ばれ、魔界から流れ出す魔族どもを押し戻し、世界への流出を防ぐ役割を担う。とはいえ、夥しい数の魔物の撃ちこぼしはどうしてもあるものだ。それらにも対応すべく、屈強な歴代の男たちが最強のエンピレオ騎士団を創り上げた。
近隣の国々は決してこの国に侵略はしない。むしろ、魔族との戦いを援助するための物資や金銭を定期的に送る。この国が魔族を押さえ込めなくなっては困るのだ。優秀な人材が派遣されて来ることもある。
国に生まれた男児はほぼ騎士団へ入団する試験を受け、そうしてそれに合格することでやっと一人前と認められた。落ちたものは農商いずれかの道を選ぶが、やはり身分は低いままだ。
生まれよりも力がすべてである。
その騎士の中の一人であるルーサーに、国に十二人しかいない熾天騎士の一人、オルグレン卿から声がかかった。
ルーサーは彼を筆頭とする第三天の所属なのである。ルーサー直属の上官である オルグレン卿は四十を少し過ぎて、熾天騎士の中でも特に王の信の厚い忠臣である。その武功は数えきれぬと謳われ、現・熾天騎士の団長が退役したのちにはその座に着くのではないかとささやかれている。
ルーサーも座天騎士であった父を持つ。父は負傷して退役したが子が六人もいる。ルーサーはその長男である。下の二人は父の後添えの継母が産んだ子だった。ルーサーは試験に合格し、騎士見習いとして入団した十四の歳から家には用がある時にしか戻っていない。自分と十歳も離れていないような若い女性を母親とするのは難儀だった。
気立てのよい女性だったので、もちろん嫌ではないけれど、接し方がわからない。気を遣わせているのがわかるから、何か申し訳ない気分になるのだ。
そうして、ルーサーは戦と鍛錬に明け暮れたのだ。もともと父も大柄であったから、ルーサーの背が伸び、逞しい体躯に成長したことはなんら不思議ではない。茶色く硬い髪質の短髪、やや鋭い双眸、引き締まった口元。大抵の者は自分を怒らせないようにと気を使うのがわかる。
ただ、ルーサーの性質はどちらかと言えば温和で勤勉であった。
オルグレン卿は部下に対して魔王よりも恐ろしい顔を見せるとされるが、素直な畏敬の念を持ち合わせている。
ルーサーはそんな上官について来るように促され、詰め所から無人の会議室へ向かう。白壁の殺風景な室内を引き締める、茶色の幾何学模様の絨毯を踏み締め、二人は会議室へ踏み入った。長い会議用の机を越え、窓際へと立つ。そこでオルグレン卿は窓から差し込む光を浴びながら、ルーサーに顔を向けずにボソリと切り出した。
「ルーサー、私に十五になる娘がいるのを知っているな?」
「はい、存じておりますが」
部下に厳しいオルグレン卿も娘には甘いと聞いたが、真偽のほどはわからない。実際、男親が娘を可愛いと思うのは自然なことだろう。
けれど、それがなんだと言うのか。オルグレン卿のように厳格な人から、そうした私的な話が飛び出したことにルーサーは戸惑った。オルグレン卿はそのまま振り返らずに言った。
「その娘なのだが、そろそろ縁談をまとめねばなるまいと思っている」
十五と言えばそうした年齢だろう。王の忠臣オルグレン卿の娘であれば引く手数多のはずだ。すぐにでも良縁に恵まれるだろう。
そうルーサーがぼんやりと考えた次の瞬間に、オルグレン卿は窓の外、空を仰ぎながらルーサーに告げた。まるで祈るようだと思ったのは何故だろう。
「君を娘の夫にと見込んだのだが、どうだろうか?」
ルーサーの顔の筋肉は微動だにしていない。していないけれど、晴天の霹靂とはこのことかとルーサーは内心でかなりの衝撃を受けた。それは不意打ちで背中から斬りつけられたに等しいものである。
どうと訊ねられても、上官から見込まれて断れるはずもない。武人は縦社会に生きるのだ。
実際、ルーサーも嫡男であるのだから嫁を迎えるようにとはせっつかれている。
しかし――。
会ったことなど一度もない相手である。喜んでと即答できるほどにはルーサーもおもねることが得意な性分ではない。
遅れてあたふたとしていると、オルグレン卿が振り返って、それはそれは珍しく苦笑したのだった。いつもはつり上がっている目元に細かな皺が刻まれる。
「唐突ですまぬな。まあ、まずは顔合わせをして、それから返答を聞こう」
本当に、普段からは考えられぬほどの穏やかさであった。大事な娘の婚姻だ。慎重になるものなのだろう。その大切な娘の夫に自分を抜擢してくれた。それだけ自分は将来を見込まれている。そう思うと素直に嬉しさがじわりと湧いて来た。
「はい、ありがとうございます」
それだけをやっと言って頭を下げたルーサーに、オルグレン卿の更なる声が降る。
「だが……だがもし、もしどうしても我慢ならなければ仕方がない。その時は正直に言ってくれ。断ったからと言って昇進に響くようなことはないと約束しよう」
「はぁ……」
あまりにも深刻な声だった。オルグレン卿の娘とは、一体どのような娘なのだろうか。
オルグレン卿も筋骨逞しく武人らしい体型である。それを受け継いでいるのか、よほどの不美人か。
女性は外見ではない、そう言いたいところだけれど、あまりにも父親似の逞しさを持っていたならば、正直なところどうしていいのかわからない。そんな娘を想像してルーサーはその娘との初夜のことを考えないように思考を散らした。
同期の騎士キアランに言わせると、ルーサーは幼少期に母親と死別したせいで女性を神聖化しすぎているということらしい。
女性は儚くて優しくてか弱くて、護ってやらねばならない――そんな女はいないから目を覚ませと。
そんなつもりはない。そんなつもりはないけれど、できれば護ってあげたくなるような頼りない娘に惹かれる自分ではあるのだろう。
逞しいオルグレン卿の娘は、きっとそれとは対極の存在だ。
さて、どうするべきか。
そこでオルグレン卿は深々と嘆息したのだった。
「娘は強い男しか認めないと言うのだ。君ならば大丈夫だとは思うのだが……」
強い男――。
これは、父よりも強い男でないとと娘が言ったということか。それはかなりの高望みと言えよう。
ルーサーは同期の連中の中では一番の怪力であるため、白羽の矢が立ったわけだ。
しかし、オルグレン卿と婚約者候補をいちいち比べていては婚期を逃すだけではないだろうか。
それでも、彼女にしてみれば譲れない条件なのか。
そうして、顔合わせの日はそれから三日の後にセッティングされた。この速さはオルグレン卿の焦りを示しているような気がしてならなかった。
馬車を降り、卿自ら邸宅に案内されたルーサーは乱れなくブルーグレイの制服を着こなしていたものの、オルグレン卿が女装したような娘が出て来ても取り乱さないように、心を落ち着けようと必死だった。
オリーブグリーンの荘厳な入り口の扉が開き、エントランスの緋色の絨毯が目に入った時、そこに立つ夫人と一人のうら若い乙女の存在に気づいた。
筋骨逞しいどころか、むしろ細身である。コルセットで締め上げているのだろう腰は容易く折れてしまいそうに細い。けれどしっかりと胸のふくらみを強調するデザインのドレスである。キッとつり上がった目元と赤く彩られた唇。濃い目の化粧は赤いドレスによく映えていた。
美人と呼べる範疇の娘である。ルーサーの好みかと問われればそうではないけれど、想像よりははるかにまともであった。そのことにひどく安堵した自分を感じた。
「プリム、彼がルーサー・アーミテイジ――お前の婚約者にと考えている青年だ。お前が強い男でなければというから彼を選んだのだ。今度こそ問題を起こすな」
問題とはなんだろう。そこを深く考えてはいけないような気がした。
すると、令嬢プリムローズ・オルグレンは薄く笑ったのだった。女性はたおやかなものと信じているルーサーには少々耳を疑う瞬間であった。
それは婚約者に向けるにはあまりに冷たい微笑だったのだ。
「お父様、わたくし強い男性とは申しましたけれど、肝心な言葉が抜けておりますわ」
はて、とルーサーが目を瞬かせると、彼女は落ち着いた響きの声を保ち、凛と言った。
「わたくしは魔王よりも強い男性と申したのです。この方は魔王を倒せるのでしょうか?」
彼女の隣の母親がおろおろと憐れなほどに慌てふためく。オルグレン卿は手の平で顔を覆ってしまった。
ルーサーはとりあえず呆然とした。