29✤Luther
妙に眩しくて、ルーサーは顔をしかめて目を覚ました。カーテンを開けっ放しにしてあるのだろうかと考えて、ルーサーは自分が横たわる場所の固さにハッと気づく。以前にもこんなことがあったのではないかと――。
慌てて首を起こすと、その勢いにひゃ、と驚いた声が上がる。けれど、次の瞬間には落ち着いた様子でプリムローズは続けた。
「お目覚めですのね。どこか調子が悪くはありませんか?」
「え……」
暑いこの夏の最中、ルーサーは冷や汗が滲む。手をついて体を起こしたその正面には座り込んだプリムローズがいたのである。それも、この距離で。そういえば、地面に寝ていたにしては頭の辺りは柔らかかった気がする。これは膝枕でもされていたのかと思いつつ、いや、そんなはずはないとそれを打ち消す。
しかし、二度目だ。二度も彼女の前で倒れていた。しかも、倒れた原因がまるでわからない。
「これは……」
なんと言っていいものかまるでわからずにただ呆然としてしまったルーサーに、何故だかプリムローズはどこか上機嫌だった。にこり、と微笑む。
「綺麗な場所ですわね。しっかり堪能できましたわ」
睡蓮の花にルーサーは救われたのかも知れない。ほっと胸を撫で下ろしつつも正直に詫びることにした。
「すみません、またしてもこのような醜態を……。王都に戻ったら一度医者に診てもらった方がいいのかも知れません」
本当に、こう度々昏倒しているのならばどこかが悪いのだろう。倒れたのが戦いの最中でなかっただけマシと言うべきだろうか。皆にバケモノ扱いされるほどには丈夫であったはずなのに。
すると、プリムローズはかぶりを振った。
「どこも悪くはないと思いますけれど。ご自分が思われる以上にお疲れなのでしょう」
そうなのだろうか。もう、自分で自分がわからない。
ただ、プリムローズはつぶらな瞳でじっとルーサーを見つめたかと思うと、ぽつり、と言った。
「ところでルーサー様」
「は、はい」
ぎくりとして姿勢を正したルーサーに、プリムローズは意外なひと言をつぶやく。
「今後、わたくしのことはプリムとお呼び下さい」
「え……?」
思わず声を漏らしてしまったのは、今日まさにルーサーがプリムローズに頼みたかったことがそれだからだ。いつまでもよそよそしく他人行儀な呼び方を続けていては少しも歩み寄れない。そのことにようやく気づいたから。
何故だかそれを提案する前に彼女の方からそれを口にしてくれた。そのことにルーサーは驚くのだ。
プリムローズはふぅ、と息をつく。
「一応は婚約者ですもの。わたくしもそう畏まって頂きたいわけではございませんわ」
一応、に妙な力がこもっていた。しかもその後、ぷい、とそっぽを向かれたけれど、照れ隠しだろうか。それでも、ルーサーは素直に嬉しかった。自然と顔が綻ぶのを感じた。
「でしたら、私――いえ、俺のこともルーサーで結構です」
「……そういうわけには参りませんわ。父に叱られてしまいます」
「俺がそうしてほしいと思うだけです」
プリムは少し考える素振りを見せ、そうして、照れくさそうに目をそらしたままぽつりとつぶやく。
「ルーサー」
可愛い。
「はい」
「そろそろ、帰りましょう」
「ええ、そうですね」
ここへ来た収穫は十分にあった。ほとんど覚えていないながらにそう思う。心の中では父に感謝した。
ルーサーは先に立ち上がって、風に飛ばされたらしきつば広の帽子を拾った。軽く砂を払ってそれをプリムに差し出す。プリムはそれを受け取ると帽子を被り直した。そうして、ルーサーはプリムに手を差し出して引っ張り上げるように立たせる。
けれど、歩き出した一歩目で、プリムは転びそうになった。
「あっ」
とっさにルーサーは手を差し出し、プリムの二の腕をつかんで止めた。
「大丈夫ですか?」
慌てて強くつかんでしまった。すぐに放したけれど、プリムの白い肌にルーサーの指の跡が赤く残る。プリムが少し顔をしかめたのでルーサーはドキリと心臓が縮み上がる思いだった。けれど、プリムが顔をしかめたのはルーサーのせいではなかった。
「……少し足を挫いただけです」
いつの間に挫いたのかは知らないけれど、ルーサーが眠っている間だろうか。足を挫いたというプリムを歩いて帰らせるつもりはない。抱えるなり負ぶうなりするつもりであった。
しかし、プリムはあっさりと言うのだった。
「これくらい、魔法ですぐに治せますわ。ご心配には及びません」
以前、魔法で馬の怪我を癒したことがあった。プリムには朝飯前なのだろう。わかってはいるけれど、抱えて帰ってもルーサーとしては構わないので、なんとなく残念な気にもなる。などと言ったら怒られるけれど。
「そうですか、それならよかった」
一応タテマエとしてそう言った。
「ええ、しばしお待ち下さい」
プリムローズはその場に膝をつくと、何やら腰の辺りを探り出した。そういえば、以前は魔法を使う際に使用する杖をそこに挿していた。ただ、今、そこに杖はない。プリムもすぐにそのことには気づいたようだ。しかし、今更認められないのだろうか。愕然としつつもルーサーに助けは求めない。
「プリム、その、杖を忘れたのでは?」
仕方がないからルーサーの方からそう言った。本人は認めないけれど、プリムは割と抜けていると思う。
すると、プリムはキッとルーサーを睨んだ。
「いつもなら大事な杖を忘れたりなんてしませんのよ! どこかの誰かが崖から落ちたりなんてするから、慌てて飛び出して来て忘れてしまったんですの!」
腹立ち紛れに喚いて、それからプリムはハッと口を噤む。余計なことを言ったと思ったのかも知れないけれど、もう遅い。
要するに、ルーサーの一大事に慌てて飛んで来てくれたと。少なくとも、彼女にとって自分はどうでもいい存在ではないのだと、それを知ることができただけでルーサーは自分でも驚くほど嬉しかった。
ああ、自分は彼女のことが愛しいんだと改めて思う程度には心が舞い上がっていた。
「それでしたら、責任を取らせて頂きます」
「へっ?」
抱き上げようとしたプリムは、なんとなく後ろに下がった。顔を赤くして、ブルブルと首を横に振る。
「抱き上げて帰るとか、さすがにそれは恥ずかしすぎます。いいです、歩けますわ」
「……じゃあ、負ぶって帰ります」
それなら、とプリムも渋々納得してくれた。背中を向けると、おずおずと体を預けて来る。それでもあまり密着しないように体を浮かせているのがわかった。
「ごめんなさい」
と、背中で小さくつぶやかれた。プリムが妙に素直に謝罪を口にするのは、お互いに顔が見えないせいだろうか。背中にいてくれてよかったのかも知れない。正面にいたらきっと力いっぱい抱き締めてみたい気持ちになる。
「そう大丈夫だと言わず、少しでも頼ってもらえたら嬉しいのです」
今は自然と言葉が零れた。背中でプリムが小さくうなずいたような、そうでもなかったような、そんな振動が伝わった。




