25✤Primrose
プリムはルーサーに背を向けて駆け出すと、木の裏に隠れて膝をついた。そこで自己嫌悪に陥って項垂れてしまった。
崖から落ちて重傷だと思っていたのに、ベッドの上にすらおらず、元気に剣を振るっている姿を見た途端、プツンと自分の中で何かが切れた。その結果の醜態である。
思い出すだけで恥ずかしい。
無事でよかった。安心した。それは間違いないけれど、心配を返せとも言いたい。それは無事だったからこそ言えることではあるのだけれど。
まあ、自分も見舞いに来たルーサーを邪険に追い返したりしたのでお互い様と言えなくもないのかも知れないけれど、腹は立つ。
到着するなりルーサーの居場所を聞いて、家族に挨拶もせずにルーサーのところに直行してしまったのもマズイ。この恥さらしがと後で父に叱られると思うとそれも憂鬱だった。
ルーサーの家族に気に入られたいというわけではなく、父の面目を潰さない程度にはお行儀よく挨拶して帰らなければならない。まずは少し身だしなみを整えてと思ったけれど、急いで出て来たから化粧道具一式を忘れて来た。しかも、よく考えたら杖も忘れた。これでは本当に何をしに来たのかわからない。ルーサーが元気で本当によかった。
木の陰からこっそり出ると、そこに待ち構えていたルーサーがいた。
「ひやぁ!」
びっくりして軽く飛び上がったプリムに、ルーサーは言いづらそうに頭を掻きながら言った。
「すみませんが、両親にちゃんと紹介させて頂いてもよろしいでしょうか?」
それは当然の申し出である。挨拶に来るのが遅いくらいだ。
プリムは深々とため息をついた。
「わかりましたわ」
まあ、仕方がない。挨拶くらいは。
そこでふと、プリムは一緒に来たはずのエリィをきょろきょろと探した。
「ところでエリィはどこでしょうか?」
「ああ、うちの弟たちと遊んでいます」
いつの間に打ち解けたのやら。プリムとは違い、さすがの社交性である。
そこでルーサーは物言いたげにプリムを見下ろしていた。その視線に気づくと、プリムはとんでもなく居心地が悪くなった。言いたいことがあるなら早く言ってほしい。
「ところでプリムローズ様」
「何か?」
キッと挑むように見上げたプリムに、ルーサーは真顔で言った。
「お加減はいかがですか?」
「え?」
「夏至の夜に戻ってからずっと寝つかれていたので、疲れが出たのかと思いまして」
予想もしなかった言葉に、プリムの方が呆けてしまった。崖から転落した男に体調を心配されるとは。
駆け引きだとか、そんなものは微塵もなく、ルーサーはただ真剣にプリムを心配してくれたのだろう。
「も、もう大丈夫ですわ。見ておわかりのようにすっかり元気になりましたもの」
しどろもどろになりながらそれだけを言った。すると、ルーサーはほんの少し目元を柔らかくした。
「そうですか。それはよかった」
プリムは耳の先が熱を持つのをなんとなく感じながら顔を背けた。それから、この人を相手に仮病を使うのだけはやめようとぼんやり思った。
きっと、本気で心配させてしまうから。
プリムはルーサーに連れられて彼の父親の書斎へ向かった。そこには母親だという女性も一緒にいた。後妻だと聞いて納得する。精々が姉弟にしか見えないのだ。
父親の方はと言うと、ルーサーととてもよく似ていた。大きな体躯だけれど、退役してから穏やかに過ごしているのだろう。表情は柔らかい。
書斎の入り口に立ち、プリムはすぅっと息を吸うと書斎机に座るルーサーの父親と、その横に控える義母にスカートの裾をつまんで一礼して見せた。
「プリムローズ・オルグレンと申します。本来ならばすぐにでもご挨拶に伺うべきところですが、少々体調を崩してしまいまして、こんなにも遅れてしまいましたご無礼を、どうかお許し下さい」
しっかりと、非礼のないように心がけて挨拶をした。隣のルーサーがなんとなく驚いているのが伝わった。失礼な。
プリムはこれでも小さい頃から厳しく躾けられて来たのだ。これくらいの挨拶はやろうと思えばできる。
ルーサーの両親に失礼な態度を取れば、ルーサーはプリムに愛想を尽かすかも知れない。それはそうなのだけれど、それではルーサーに恥をかかせる。それはプリムも本意ではない。四方八方丸く収めるため、できれば二人のすれ違いで破局したと思われたいのだ。
それから、父の面子に泥を塗るような行いをした場合、考えるのも恐ろしいことになる。それもまた、プリムにここでお行儀よく過ごさせる要因のひとつである。
化粧やドレスが間に合わなかったことが悔やまれるけれど。
ルーサーの両親はニコニコと好意的であった。
「いや、こちらの方こそ不手際で申し訳ない」
「プリムローズ様はとても可憐なお嬢様ですわね。ルーサーさんは果報者ですわ」
と、彼の義母は優しくコロコロと笑った。心安らぐ、優しそうな女性である。プリムはほっと息をついてゆるくかぶりを振った。
「いいえ、とんでもございませんわ。ルーサー様はわたくしには勿体ないお方です。それから、お義父様、お義母様、そう畏まらず、わたくしのことはどうかプリムとお呼び下さい」
見上げなかったけれど、ルーサーが隣で耳を疑った気配があった。よくスラスラと心にもないことを言えるものだと呆れているのかも知れない。
けれど、別にプリムは嘘などひとつもついていないのだ。
実際に、ルーサーはプリムには勿体ない。本当にそう思っている。
気が利いたセリフは言えないかも知れないけれど、とにかく誠実だ。本当なら傷つけたくはない。
ただ、それができないから申し訳なくは思っている。これはプリムの本心である。
悪いのはルーサーではない。プリムの方――でもない、あのうさぎ男だ。
ルーサーは悪くないのだから、できれば穏便に婚約を破棄できればよいのだけれど。
「ありがとう、プリムさん。私、男の子ばかりに囲まれていて、みんな優しくて幸せなんだけど、時々は女の子とお料理とかしたいと思っていたの。可愛いお嫁さんができてとても嬉しいわ」
義母がふわりと優しい笑顔でそう言ってくれた。母というよりも本当に姉のようだ。
料理などしたことのないプリムだけれど、それはそれできっと楽しいのだろうと思えた。義母と二人、ルーサーや家族のために料理を作る、それは幸せな未来のようだけれど、実現はきっと難しい。
にこりと卒なく微笑んでみせたプリムを、ルーサーは物言いたげに見つめていた。




