23✤Luther
「お前って、人間離れしてるよな」
休憩のために張られた天幕の中で脚を伸ばして座っているルーサーに、キアランは呆れた顔をしてそんなことを言った。崖から転落した友人にかける言葉ではないとルーサーは思うけれど、何故か皆が周りでうんうんうなずいていた。
「崖から落ちたお前を更に攻撃しようとした魔物を捕まえて落下を止めた後、その魔物を素手でボコボコにして崖に飛び移ってそこから自力で崖を登るとか、そんなことするのはお前くらいだ。お前はそれでも人間か?」
必死で生還したというのに心外だ。ルーサーは敷物の上でムッとした。
「人間だからこう、崖を登る最中に魔物に爪で刺されたりして傷だらけになったじゃないか」
剣も下へ落としてしまい、崖を這い上がったはいいが戦力外である。後方へ下がれと指示をした部隊長も、血まみれで崖から上がったルーサーには驚いていた。
「んなもんカスリ傷だろうが。術で大方塞いでもらったし、もう痛くもないだろ」
「まあ……」
一応体のあちこちに包帯を巻かれ、頬には大きなガーゼが張られている。けれど、こんなものはすぐに治るだろう。そんなことよりも、気になるのはあの崖の上の青年だ。
「赤い目……」
あの時の青年の赤い瞳を思い出す。自然と口から零れたその言葉をキアランは敏感に拾った。
「赤い目? なんだ、そりゃあ魔物の目は赤いのが多いな」
キアランの言う通りだ。あの青年はああ見えて魔物なのだろう。しかし、それにしては人間臭く思えた。
人の恋路がどうのこうの、意味がよくわからなかった。
力は強いのかも知れないけれど、それにしてはルーサー以外には危害を加えもしなかったようだ。気づいたらいなかった。よくわからない存在だ。
「赤い目をした魔物の男はいなかったか? 優男風で」
とりあえず訊ねてみたけれど、皆が首をかしげただけだった。
「どうしたんだ、お前」
どうと問われてもうまく説明できない。本当に、あれはなんだったのだろうか。
うぅんと唸って考え込んだルーサーに、部隊長のガレスが天幕にやって来た。ただでさえでかい男たちがひしめく中だ。とにかく狭かった。
ガレスは四角い顔の小さな目を瞬かせた。
「アーミテイジ、具合はどうだ?」
「はい、大事ありません。いつでも戦えます」
姿勢を正し、ひざまずいて正直に答えたルーサーに、ガレスはとんでもないとばかりにかぶりを振った。
「いやいや、無理はいかん。聞くところによると君の実家はコモドール領だというじゃないか。ここから近いことだ。そちらでしばらく療養しなさい」
「は?」
「では、そういうことで。オルグレン卿にはすでに連絡をしておいたから心配要らぬよ」
唖然としたルーサーに、ガレスは不自然な笑みを浮かべて天幕を去った。
「…………」
武人は瀕死の重傷でもなければ、ツバつけときゃ治る、甘えんなというのが普通である。それが、実家で養生しろとは――。
そこではた、と思い当たった。目が合ったキアランもうなずく。
「オルグレン卿の娘婿になろうかってヤツに何かあったら責任者は困るよな」
「いや、オルグレン卿はそう甘い方ではない。この程度で休んでいられないだろう」
「この程度って、崖から落ちてそんなこと言うのはお前くらいだろ」
「しかし……」
養生なんてしていたら、ますますプリムローズに軽蔑されそうな気がする。弱い男は嫌いだとか、きっと言う。
キアランは小さく息をつくと、戦闘の後だというのに傷ひとつない整った顔で言った。
「お前、剣を無くしたんだろ? 希望すれば支給はしてもらえると思うが、それが馴染むかどうかはわからないしな。一度実家に寄って何かないか探して来れば?」
確かに、父は現役を退いた後も何かと武器を蒐集していた。新たなものを新調するよりはその方が手っ取り早い。
「じゃあ一度実家に立ち寄ってから戻ることにする」
「ああ、そうしろ」
――そうしたわけで、ルーサーは久し振りにコモドール領の実家へと戻ることになったのだった。汚れていない制服を借り受け、見苦しくない程度には身だしなみを整えた。天幕で夜を過ごし、早朝に単騎で公道を行く。思えば、婚約が決まってからちゃんと挨拶に帰っていない。
馬首を廻らせながら懐かしい道を行く。
その道中、彼女はどうしているのかと考えてばかりいた。
ルーサーの故郷、コモドール領は自然豊かな片田舎だ。少し歩けばすぐに見知った顔に合う。麦畑の中から大きく手を振る老夫婦に手を振り返し、ルーサーは先を急いだ。
懐かしの我が家に戻ったけれど、亡くした母との思い出もまたここに溢れていて切なくなる。頻繁に帰ろうとしない理由のひとつはそれかも知れない。
馬を柵に繋ぎ、爽やかな緑広がる庭を進む。ところどころに古びた跡のある白い屋敷の扉をノッカーを使わずに開いた。使用人もいるけれど、そう多くもない。いちいち呼びつける気はなかった。
「ただいま」
久し振りということを感じさせず、普通に入って来た長男の登場に真っ先に気づいたのは末弟のファリスだった。絨毯の上に座り、遊んでいた積み木のオモチャを放り投げるとルーサーに向かって両手を伸ばした。
「にーちゃ!」
「ファリス、いい子にしていたか?」
歩み寄って、まだ三歳の弟を抱き上げると、ファリスは嬉しそうにはしゃいだ。ルーサーが滅多に帰って来ないため、数えるくらいしか会っていない弟だが、それでも懐いてくれているのでルーサーとしても可愛い。後添えの母によく似た線の細さがある。
「あら、ルーサーさん! おかえりなさい。連絡して下さったらご馳走を用意しておきましたのに!」
と、ファリスの後からやって来た義母のシエナが驚いた顔でそんなことを言った。まだ二十代、たおやかで女性らしい義母だ。長い髪を下ろして控えめなドレスに身を包んでいる。
「いえ、またすぐに王都の方へ戻りますので」
そう答えたルーサーの腰に、放たれた矢のように飛んで来た六歳の弟エドワーズが突進した。
「ルーサーにいちゃん、おかえり!」
「おかえり!」
ぐ、と首が締まった。後ろから首にぶら下がったのは十一歳の弟のイングリスだ。腕白盛りである。
「ああ、ただいま」
ルーサーは弟たちをぶら下げたまま父の書斎へと向かった。そんなルーサーに、書斎で紅茶を飲んでいた父は口から紅茶を吹き出しそうになった。何度見ても、自分が後二十数年したらこうなるのだろうと思わせる父の顔である。一昔前よりも少し体は小さくなったような気がするけれど、ルーサーが大きくなっただけかも知れない。シャツの襟元を軽く着崩して、年の割に洒落ている。
「父さん、久し振り」
父はゲホゲホとむせながら、やっとという様子で言った。
「ル、ルーサー、お前、婚約したというのは本当か!?」
何故か、報告するまでもなく知っている。王都からは少し距離があるから、報告に帰った時に話せばいいかと思っていたルーサーは、ことを軽く見すぎだったのかも知れない。結婚は当人同士の問題ばかりではないとはよく聞く。
「うん、まあ」
「オ、オルグレン卿のご令嬢だと言うじゃないか!」
「なんで知ってるんだ?」
まだ何も言ってないのに。
すると、父は机をバシンと叩いた。そんなことをするから、カップが倒れて残った紅茶が零れた。紅茶はソーサーの上にとどまってくれたので、机の上が大惨事にならなくてよかった。とまあ、そんなことはどうでもいい。
「オルグレン卿から直々にお手紙を頂いたのだ。当人からの承諾は得たけれど、仕事の都合がつき次第、娘を連れてこちらに会いに行くと仰られてな。我々が王都まで会いに行けばいいものを、オルグレン卿は私が怪我がもとで退役したことを気遣って下さったご様子だ。馬車の旅はつらかろうと。で――」
そこでまたバシン、と机を叩くから、結局ソーサーごとカップが跳ねて茶が零れた。しかし、今の父には些末事らしい。ルーサーに向け、口角泡を飛ばす。
「あれからお前に手紙を何通出したと思っている! 一向に返事が来なかったが、読んですらおらんのか!」
このところ慌ただしくて、寮のポストを確認に行ったことはなかったかも知れない。黙って目をそらした息子に、父はイライラと指先で机を叩き続ける。
「にいちゃん結婚するの!? うわぁ、すげー」
何がすごいのかは知らないけれど、エドワーズがそんなことを言った。場の空気がほんの少し緩和された気がして、ルーサーは密かに弟に感謝した。
「まあ、その報告はまた改めて――」
ルーサーがそう断ると、父は椅子を倒して立ち上がった。ファリスがびっくりしてルーサーにしがみつく。古傷が痛むとは思えない元気さだ。
「馬鹿者! 何が改めてだ! こんな重要なことが他にあるか!」
「ええと、剣を戦闘の最中に駄目にしてしまったので、何か代わりになるものを借りようかと」
ルーサーにしてみればかなり重要なことである。けれど、父は顔を真っ赤にして馬鹿者馬鹿者としつこいくらいに怒鳴った。
そこからガミガミと続く説教を素直に聞いたルーサーだった。




