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21✤Luther

 それからオルグレン卿が戻るまで毎日、ルーサーは仕事終わりにプリムローズのもとを訪れたのである。なのに――ただの一度も会えなかった。具合が悪いと、そういうことらしい。寝込んでいる女性の寝室へ踏み入るようなことをするわけにも行かず、扉の前でひと声ふた声かけてすごすごと帰る。そんな日々だった。


 申し訳なさそうに奥方とエリィはルーサーを見送ってくれたけれど、こればかりは仕方がないのだろう。ただ――。

 ほんの少し不安がある。


 ルーサーの顔を見たくないから、プリムローズが仮病を使って避けているのだとしたらどうだろう。

 具合が悪くないことを喜ぶべきか、嫌われていることを悲しむべきか。

 事実がどちらなのかはわからないけれど、できることなら早く会いたいと思う。

 ルーサーは口下手だけれど、会って話せば少しくらいは歩み寄れるかも知れない。そうあってほしいと願った。




 数日後、帰還して間もないオルグレン卿が、忙しい合間を縫ってルーサーを呼んだ。前のように空いている会議室の片隅で、オルグレン卿は苦笑気味にルーサーに言うのだった。


「お前は律儀だな。何も毎日顔を出せとは言っていない。疲れただろうに、すまないな」


 いつになく優しい響きだったけれど、ルーサーは恥ずかしさが込み上げて来た。どうしてもプリムローズに会いたいと思う気持ちを見透かされたような気がした。


「すみません、融通が利かず……ご迷惑でしたか」

「いや、息子が喜んでいた」


 それを聞くと、無邪気なエリィの様子を思い出してルーサーも笑みを漏らした。素直に慕ってくれたことはルーサーとしても嬉しい。そのひと言に救われたような気がした。


「それで、プリムローズ様の具合はいかがでしょうか? 少しは回復なさいましたか?」


 それは、ルーサーが一番気にかけて来たことである。

 なのにその途端、オルグレン卿は苦虫を噛み潰したような顔になった。


「あんなもの、一喝したら飛び起きた。大したことはない」


 それでも、ルーサーと顔を合わせたくないあまりの仮病ではなかったと思いたい。さすがに滅入る。


「――とまあ、私的な話はここまでだ。今回私は陛下にご同行して北の方へ向かったわけだが、峠の魔物が少々増えたように思う。そちらの方を強化せねばならない。軍議の結果、我らの隊からも応援を出すこととなったのだ。そこでルーサー、お前にも頼みたい」


 それを口にした時のオルグレン卿はもはや父親の顔をしていなかった。高位の騎士として国中の尊敬を集める存在がそこにいる。ルーサーも気を引き締め直して頭を垂れた。


「畏まりました」


 北へ向かうとなると、数日は戻れないだろう。しばらくはプリムローズに会いに行けないけれど、彼女はそれでも寂しがったりはしないのだろう。




 王都の北は概ね山岳地帯である。その清浄な山の間に離宮を造り、国王は時折骨休めに訪れるというわけだ。

 ただ、そこへ至るまでの道のりに魔物と出くわすと少々厄介だ。魔物には翼を持つ者も多く、峠を越える前に襲われては対処に苦労する。峠は整備された道でもなく、足場も悪い。国王や側近ともなれば天馬にも乗るが、一般の従者たちはこの峠道なのだ。人が通れぬようになっては困る。


 慌しく支度をし、ルーサーはキアランたちと共に混合部隊として北へ魔物の討伐へ向かった。一隊を丸ごと向かわせれば話は早いのだが、それでは担当のエリアが疎かになってしまうので、時折こうして混合部隊が形成される。ルーサーもキアランたちも何度か経験していることなので、それほど気を張ってはいない。


 北へ向かうアクィナ公道を隊列を崩さぬように進行する。今は馬に乗るけれど、峠での戦闘になったら馬上では身動き取れない。道中で見習いに預けることになる。もともとルーサーは大剣を扱うので地面に足がついていた方が動きやすいのだ。


「峠とか面倒だよな。美人もいないし」


 なんてことをキアランはぼやいているが、ルーサーは聞く耳持たなかった。このアクィナ公道はルーサーの実家にも繋がる。退役する前に父が立てた武功により、やや北寄りの小さな領地を預かる家なのだ。だからこちら側に魔物が多く出没するのを黙っているわけにはいかない。

 五十騎ほどの混合部隊の行列は、暁の空の下をゆるやかに進んで行くのだった。



 その進行は順調であった。そう、峠に差しかかるその前までは。

 部隊の騎士たちがそれぞれに馬を下り、かちで峠に入って間もなく、視界を白く染めるようなスコールが降り注いだ。空模様には注意を払っていたものの、この季節は天候が崩れやすい。とはいえ、こうした豪雨はすぐにやむ。暗雲はそのうち晴れるだろうとされた。ただし――。


 晴れた頃には空に夥しく広がる魔物の群れがあったのだった。艶めく闇色の翼に細い尻尾。人型に少しだけ近いけれど、口元には死肉を啄ばむ嘴があり、その肌は爬虫類のようだ。

 濡れそぼった騎士たちはそれでも怯まなかった。


「迎撃せよ!!」


 わぁ、と戦いの声が上がる。ルーサーの隣でキアランが詠唱を始めた。薄暗い中で彼の手元が青白く光る。長弓を番える者もあった。ルーサーは愛用の大剣を構える。魔物の大群とはいえ、こちらも精衛ぞろいだ。十分に戦える。


「ぐっ!」


 突如飛来した鉤爪が、一人の騎士の肩に食い込んだ。ルーサーは大剣を一閃、その脚を切り落とす。断末魔の声はあちらこちらで飛び交った。塗れた制服に魔物の血が広がって染みて行く。こんな姿はプリムローズには見せたくない、とルーサーは少し雑念を抱いた。

 かぶりを振って剣を構え直す。峠は足場が狭く、岩肌は凸凹で視界も悪い。障害物が多いのだ。


 ルーサーがいたのは隊の後方の方であった。不利に感じるところへ走り、援護するような戦い方を自分でもしていたと思う。息が上がるほどに剣を振りかぶり、そうして何度も薙いだ。

 ただ――。

 その時、両断した魔物の体が吹き飛んだ後、ルーサーの視界には一人の青年がいた。


 血の飛沫の中、それは目を疑うほどに場違いな身綺麗さであった。

 貴公子然としたベルベットの上着。裾から覗くフリル。ひとつにまとめた紫紺の長い髪。そうして、少し尖った耳と赤い瞳。


 その青年は、戦場に佇むとは思えないほどに涼やかにそこにいた。雨に濡れた痕跡もない。どこか光り輝くような気さえする。

 ルーサーが唖然としていると、青年は組んでいた腕を解いて髪を掻き上げた。


「……ふむ。どうということのないただのニンゲンだな」


 蔑みに満ちた声だった。


「は?」


 ルーサーは意味がわからずに呆けた。何故か、自分だけが戦場から切り離されたような気がした。妙に辺りが静かに感じる。

 ふと、ルーサーは青年の足元を見てしまった。そのつま先は岩場のどこにもついていないのだ。そう、彼は浮いていた。つまり、人ではないのだろう。

 愕然として剣を構え直すルーサーに、青年はやれやれといった口調で言うのだった。


「昔から言うだろうに。ヒトの恋路を邪魔するヤツは馬に蹴られて死んでしまえ、と」

「はぁ?」


 ますます意味がわからない。

 そんなルーサーに、青年は手をかざしてにこりと微笑んだ。


「では、さらばだ」


 その途端、ルーサーの周囲に突風が吹き荒れた。目も開けていられないような風の中、ルーサーはよろめいて仰け反った。そうして、足を踏み外したのだ。ここは峠の上である。マズイ、と思った時には体はルーサーの意思ではどうにもならないほどに傾いていた。

 最後に見たのは、人にあらざる青年が手を振る姿だった。


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