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プリムローズには棘がある  作者: 五十鈴 りく


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18/54

18✤Luther

 う、と自分の呻いた声でルーサーは目を覚ました。とっさに飛び起きると、そこは自室のベッドの上ではなく、草の中であった。そうだ、プリムローズと森へやって来たのだとルーサーはぼんやりと思い出した。

 ただ、なんとなく頭が重い。そもそも、何故自分はこんなところで転がっていたのだろう。

 こめかみを手で押えると、そばにあった気配が近づいた。


「蹴られた――いえ、頭が痛むのですか?」


 月明かりに照らされたプリムローズが大きく輝く瞳でルーサーを見上げていた。ルーサーはとっさに声を失ってしまった。

 プリムローズは強い男にしか興味がない。そのために自分が彼女の婚約者に抜擢された。それだというのに、その彼女の目の前でルーサーは無様に伸びていたのである。あまりの失態に愕然とした。


 何故こうなったのか、ルーサーはまるで覚えていない。それがまた恐ろしかった。どれくらいの時間、自分は気を失っていたのだろうか。

 プリムローズは答えないルーサーを心配そうに見つめていた。失望もなく、本当にただ心配してくれているように見える。それはルーサーの単なる願望だろうか。


「意識が朦朧としているのかしら?」


 独り言のようにプリムローズはそう言った。ルーサーはようやく張りついた喉で答える。


「いえ、意識ははっきりとしました。あの……一体何があったのでしょうか?」


 冷や汗をかきながらルーサーが問うと、プリムローズは可愛らしく小首をかしげた。


「ええと、ですわね、ルーサー様はきっとお疲れになっていたのだと思いますわ」

「え?」

「父の人使いの荒さは存じておりますわ。きっとご自分でも気づかれていないくらいに疲労困憊で、それで急に気を失われたのだと思います」


 そうなのだろうか。そこまで疲れていたという自覚はないのだが。

 けれど、プリムローズの様子から、特に危険はなかったのだと思えた。とはいえ、護ると言っておきながら目の前で倒れる男など滑稽この上ない。

 騎士であることを差し引いても、か弱い女性を護るのは男である自分の義務だと思うのに。

 ルーサーは消えてなくなりたいような心境であった。


「しかし、私はあなたを護るべき立場だというのに、目の前でこうも情けない姿をさらすことになるとは思いませんでした。申し訳ありません」


 詫びたところで、失態は消えてなくならない。

 プリムローズはさっそく、オルグレン卿が帰宅し次第、婚約解消を申し入れるのだろう。強い男と聞いていたのに、あんなにも情けないのは無理だと。

 プリムローズはそもそも婚約破棄の常習犯で、ルーサーとの婚約もまるで乗り気ではない。ルーサー自身は自分から断ることはしないでおきたいという思いだけで承諾した、そんな婚約だ。そう、最初は。


 彼女の方から断られるのなら受け入れるつもりでいたはずが、今はその婚約破棄を心のどこかで恐れている。こんな僅かな繋がりを人は笑うかも知れないけれど、ルーサーはこの縁を切りたくはないと感じ始めているのだ。そんな自分にも驚かされる。

 自らの失態を眩暈がするほど思い詰めたルーサーに、プリムローズはふと柔らかく微笑んだ。


「もう起きて下さらないのかと思ってしまうような寝入り方でしたので、そうして目覚めて下さって安心致しましたわ」


 それは柔らかく、優しい、可憐な微笑みだった。月明かりのせいか、それは神聖にルーサーの胸を打つには十分な力を持っていた。

 ただ、その笑みは幻かと思うほど、次の瞬間にはいつものプリムローズであった。


「……と、まあ、済んだことはもうよろしいですわ。さっさと帰らなくては」


 ぼうっとしてしまったルーサーもそのひと言で我に返る。


「そ、そうですね。目的を達せられたのなら長居は無用ですね」


 今日ばかりはもう、何を言ってもしまらない。ルーサーは頭を掻きながら立ち上がった。プリムローズは顔をそむけてルーサーの隣を歩き出す。ただ、ルーサーはそんなプリムローズを眺めながら歩いた。

 さっきのような笑顔がもう一度見たい。トクリ、と胸が鳴った。


 少し行くと、沼に出た。行きはプリムローズを抱えて渡った沼である。プリムローズはこの沼の存在を失念していたのか、沼に来て表情を更に曇らせた。ルーサーはドキドキとしながらつぶやく。


「……また運ばせて頂きますが?」

「そう、ですわね。お願い致しますわ」


 渋々、それは嫌そうにそう言った。ルーサーなりにわかっていても少し傷つく。


 ダンスも上手くは踊れない彼女だから、運動は苦手なのだと思って行きの時も手を貸すことにしたのだ。

 膝をつき、プリムローズの小柄な体を抱き上げると、彼女は体を強張らせた。ふわりと甘い香りがする。小さな体は軽く、少しも負担には感じない。このまま森の外まで抱えて戻ってもいいくらいだ。そんなことをしたら激怒するだろうけれど、ルーサーはそうしたいような気分だった。


 体を離すのが惜しいような、そんな感覚がする。行きよりも慎重に時間をかけて沼の飛石を渡ったことをプリムローズに気づかれたくはなかった。それでも沼を渡りきってしまうと彼女を下ろさないわけにもいかず、そっと地面に足をつけた。すると、プリムローズはルーサーと違い、惜しくもなんともないようでさっさと離れた。


「さあ、急ぎましょう」


 そんなことを言う。

 ゆっくりでいい、とルーサーは思うけれど、プリムローズはせかせか歩いた。ただしコンパスが違うので、ルーサーが追いつくのはすぐである。このまま森を抜けると、今日のことは夢のように消えてしまうような気がした。可愛らしい顔立ちをキリリと引き締め、まっすぐに前を見て歩くプリムローズ。


 少女らしく可愛らしい見た目のその割に、か弱いのかどうなのかよくわからなくなる存在である。

 彼女はルーサーを少しも頼りにはしていない。それだけがはっきりと読み取れた。


 ズキリ、と胸の奥がうずく。どうしてだか、いつもの自分らしからぬ心の動きを感じた。

 一人で大丈夫だという顔をしないで頼ってほしいのだと、正直な気持ちはそう語る。けれど、彼女は不慣れな森もさっさと進んでしまうのだ。


 しかし、見たところ危険はなさそうである。このまま何事もなく森を抜けられるだろうと思っていたルーサーは、草むらがカサリと揺れた瞬間にプリムローズよりも先に反応した。けれどそこに敵意はなく、ただの小動物がいるだけだとすぐに知れた。プリムローズも驚きもしない。


「ああ、ただのうさぎですね」


 苦笑してルーサーはそう言った。ただ、その次の瞬間にはしまった、と自分の失言を後悔した。


「う、うさ――」


 プリムローズの顔が見る見るうちに真っ青になったのである。


「いやぁあああっ!!」


 森にこだまする大絶叫。

 ルーサーはオルグレン卿との会話を今更ながらに思い出した。


『ええと、嫌いなものはうさぎ(・・・)だ』


『あの年になってまだそんなものが怖いなどとは可笑しいだろう? けれど、ある時から一切受けつけなくなってしまったのだ』


 愛くるしく、婦女子によく好まれるうさぎ。けれど、プリムローズはそれが大の苦手なのだそうだ。

 それを聞いた時はまさかと思った。けれど、それが真実であると今、立証されたのだった。

 涙ぐんでルーサーの胴に力いっぱいしがみつく彼女は本気で怯えていた。


「お、落ち着いて下さい。ただのうさぎですから」


 そのただのうさぎを怖がっている女性相手に何を言っているんだと、ルーサーの頭の中の冷静な一部分が突っ込んだ。


「赤い目が嫌い! 大っ嫌いぃ!!」


 そう言って取り乱すプリムローズに、ルーサーは焦りながらも震える肩に手を添えた。


「あのうさぎ、黒い目をしていましたよ」


 すると、プリムローズはぴたりと動きを止めた。そうして、恐る恐るといった具合にうさぎのいた方に目を向け、そこにはすでにうさぎがいないことを知ると大きく息をついた。抱きつかれているルーサーにその振動が伝わる。


「そ、それならいいのです。目が黒いうさぎなら……」


 そうして顔を上げ、はた、とルーサーと目が合った。その途端、プリムローズの顔は見る見るうちに赤くなった。可愛い、と本気で思った。


 プリムローズはパッとルーサーから手を離して距離を取る。今更取り繕っても無駄だと思うけれど、彼女は見事に取り繕った。何事もなかったかのようにしてキリッと表情を引き締める。


「さあ、帰りましょう」

「そう、ですね……」


 なんとも、見ていて飽きない令嬢である。彼女と結婚したら、きっと退屈しない。

 背を向けた彼女の後ろで口元を綻ばせ、その日を待ち遠しく思う自分がいた。


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