17✤Primrose
来た道を戻るのは、進む時よりもずっと楽だ。ただ、一年で一番明るい夜とはいえ、夜は夜。朝までに帰らなければ、無断外泊などと父に知れたら恐ろしすぎる。プリムはぶるりと身震いしながら道を急いだ。
ハーバルは嬉しそうにちょこちょこと歩いている。
「王様はやっぱりお美しいなぁ」
なんてしつこいくらいにつぶやいていた。面倒なので途中から相槌すら打たなくなったプリムである。帰り道では小さな妖精たちにも出会わなかった。それもそのはず、小さな妖精たちは眠るルーサーの上で遊んでいた。顔が踏みつけられている。その辺の岩と同じ扱いだ。
「あー、こら、おやめなさい」
ルーサーのそばへ駆け寄ると、シッシッとプリムもなかなかに失礼な追い払い方をした。けれど、妖精たちはご機嫌に飛び回っている。光の粉がキラキラと舞った。
「このニンゲン、ハーバルに眠らされるなんてマヌケねぇ」
「でも結構いい男じゃない?」
「えー、そう?」
なんて言いたい放題である。プリムはルーサーの顔の横にため息をつきながら座り込んだ。大事に持って来た花の露と眠るルーサーとを見比べる。ルーサーはまたしても眉間に皺を寄せて眠っていた。どうせなら大口を開けて眠っていてほしかった。そうしたら花の露も飲ませやすいのに。口はぐっと引き結んでいる。
まあ、眠っているのだから何をしても構わないだろう。
プリムはルーサーの口の端をぐいっと引っ張って伸ばした。その途端、妖精たちがプリムの頭と肩に乗って騒いだ。
「あらヤダあなた、そんな飲ませ方じゃこのヒトは起きないわよ」
「本当にダメねぇ。なんてガサツなの?」
ひどい言われようである。プリムはムッと頬を膨らませた。
「飲ませ方なんてどうだっていいでしょう?」
すると、蝶の翅を持つ妖精が、そばで縮こまっていたハーバルの頭の上にとまって言った。
「よくないわよ。王様が下さったお薬よ。王様はどんなことにも美しさを求められるの。そんな飲ませ方なんてしたら、きっと効力がなくなってしまうわ!」
「じゃあどうしろっていうのかしら?」
なんて面倒くさい。呆れながらプリムが言うと、妖精たちは楽しげにプリムの周りを飛び回り、歌うように言うのだった。
「もちろん口移しでしょ?」
「はぁあ!?」
自分でも耳を疑うような声が喉から漏れた。けれど、それも仕方ないと思う。
物語の中で、眠るお姫様が王子様のキスで目覚めるというのは定番である。けれど、眠っているのがお姫様でもなければ、プリムは王子様でもない。眠っているのはでっかい図体をした武人である。
「いいわよ、そのガサツな飲ませ方をして効果がなくても知らないから。王様、呆れてもうお薬なんてくれないわ。このままこのヒトを置いて行ったら、今に苔が生えて花が咲いちゃうんじゃない?」
キャハハ、と妖精たちは可愛く笑う。プリムにとっては面白くもなんともない。
ただ、失敗したら二度と薬はもらえない。それはあり得るかも知れない。
そう思ったら、急にプリムも恐ろしくなった。自分のせいでルーサーがこのままになったらどうしよう、と。婚約者だけれど、愛しいとかそういう感情が特別にあるわけではない。ただ、不器用だけれど優しい人だとそう思う。だから、ほうってはおけない、それだけのことだ。
「……ハーバル」
プリムは低くハーバルを呼んだ。その不機嫌な声にハーバルがびくりと肩を跳ね上げた。
「な、何さ」
「王様は今日、この森で起こるこことは魔王にも見通せないって仰いましたわね?」
凄むような声にハーバルは少したじろいだ。
「い、言ってたけど?」
ふう、とプリムはひとつ息をついた。
「わかりましたわ」
手中の花の花弁に唇を当て、その露を口の中に流し込んだ。あたたかくも冷たくもなく、味も特にしなかった。ぽい、と花を放り投げると、プリムは何も考えないように意識して、ルーサーの両頬にしっかりと手を添える。後はもう、勢いに任せた。
意識のないルーサーはなんの抵抗もしない。規則的な息遣いがあるだけだ。唇の少しの隙間から露を零さないように移す、それはプリムにとっては至難の業であった。ちょっと角度を変えてみたり、ルーサーの頭を傾けてみたり、かなりがんばった。なんとか移し終わった頃にはほとんど呼吸をしていなかったプリムは肩でぜぇぜぇと息をする。
こんなのがファーストキスとか、自分が撒いた種とはいえ、ひどすぎる。ちょっと惨めな気分になって落ち込むプリムに、妖精たちは飛ぶのをやめて並んで言った。
「冗談だったんだけど?」
「ほんとにやると思わなかったから」
「騙されやすい子ねぇ」
「…………」
ぷち、とプリムの中で何かが切れた。
「ふざけるなあ!!」
「ひやぁっ」
妖精たちは顔を真っ赤にしたプリムの剣幕に慌てて逃げた。ハーバルだけが逃げ遅れている。
「お、落ち着きなよ。誰にも言わないから」
「当たり前ですわ! こんなことが知れたら、魔王にこの森は滅ぼされますわよ!」
「えええ?」
素っ頓狂な声を上げるハーバルを、プリムは腹いせに睨んでやった。ほてった頬を包み込んでいると、情けなさと恥ずかしさで涙ぐむ。
そんなプリムに、ハーバルはええと、とつぶやく。
「王様は全部お見通しみたいだったけど、プリムは色々と難しい問題を抱えてるみたいだ。でもさ、今晩だけは大丈夫だって王様が言ってたじゃないか」
「そうですわね、仰ってましたわね」
ケッと吐き捨てるように言うと、逃げた妖精たちが戻って来た。ハーバルの周りをクルクルと飛び回る。
「ハーバル、ぐずぐずしてちゃ駄目でしょ! そっちのでっかいニンゲンも今に目が覚めるわよ。取って食われちゃうんだから」
別に食べないし。
けれど、ハーバルは妖精たちに心配されて少し嬉しそうだった。普段はからかって遊んでいるものの、嫌われているわけではないようでプリムもほっとした。
「あ、うん。もう行くよ」
ハーバルは妖精たちと一緒にプリムから離れると、一度大きく手を振った。
「ニンゲンってもっとヤなやつだと思ってたけど、案外楽しかったな。また遊びにおいでよ」
その照れた顔にプリムも苦笑した。
「そうね。またね」
と、小さく手を振る。妖精たちと一緒に、スキップしながら去って行くハーバルのお尻の尻尾がぴこんぴこんと揺れていた。
なんともおかしな一日だとプリムは今更ながらに疲れを感じた。そこで眠っていたルーサーが、う、とかすかに呻いた。どうやら目覚めたようだった。
口移しの件は知らないはずだから、変に照れたり挙動不審にならないようにプリムは気を確かに持った。




