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13✤Primrose

 夏至の夜の聖なる森。


 妖精たちの弾む心がプリムには伝わるようであった。森を幻想的に照らす光源がふわりと綿毛のように舞い上がる。それはロマンチックな光景――なのだけれど、ルーサーにはそれを感じることができないようだ。これは資質の問題であり、ルーサー個人のせいではないとは思うのだけれど、ムードもへったくれもないのは確かである。


 それにしても、失敗したとプリムは歩きながら思った。

 あの時、ルーサーの手を払い除けて、思いきり悪態をつけばよかったのだ。そうしたら、ルーサーはプリムに嫌気が差して、父に婚約解消を願い出たかも知れないのに。


 つい、としか言いようがない。失敗したとプリムは思うのだ。

 まあ、怒ったルーサーに森に置き去りにされても困るので、今回はこれでよかったと思うしかない。うさぎ男が見ていなかったらいいのだけれど。


 ルーサーの背は高く、見上げないと顔もよく見えない。あまり会話も弾まないまま二人は歩いた。後どれくらいかかるのかわからないけれど、文献によると妖精は悪戯者が多いから気をつけなくては。


 そんなことを考えていると、ふと道が途切れた。先の方に明りが色濃く見える。そこにすぐ妖精王がいるはずもないだろうけれど、足がかりになるものがあればいい。

 ただ、その道の先に広がっていたのは沼である。緑色の苔は砂粒のような光を放ち、それらが固まった光の球がふわふわと浮き上がっている。風はなく、木々から垂れ下がる蔦までもが妖精の力を受けているのか、プリムには輝いて見えた。沼とは言っても、妖精の棲む場所なのだ。その力に満ちていても不思議はない。

 しかし、そうしたことに疎いルーサーにとってはやはりただの沼なのだろう。


「ところどころに岩がありますから、あの上を渡って行けば向こう側に行けるでしょう」


 目を凝らして遠くを見据え、そんなことを言った。妖精の放つ光が見えないルーサーにとってはプリムよりも視界は薄暗いのかも知れない。

 ルーサーが言うように沼には足場になりそうな岩が点々としている。


「そのようですわね」


 うなずいてはみたものの、その岩と岩との間には結構な距離がある。プリムが跨いだところで足が届くかは怪しい。跳んでやっとというところだろうか。

 これはなかなかに気を引き締めなければいけない難関だ。プリムがごくりと喉を鳴らすと、隣にいたルーサーがプリムを見下ろしてつぶやいた。


「ええと、どう運んだら失礼がないでしょうか?」

「え?」


 プリムが首をかしげると、ルーサーはうぅんと唸った。そうして、失礼、と小さく言うと、プリムの肩に触れた。その次の瞬間に、膝が裏側からすくわれた。とっさのことに声も上げられず、ただ目を瞑ってしまうと、ルーサーのためらいがちな声が近くでした。


「少しの間だけ辛抱して下さい」


 ルーサーはプリムを抱き上げたのである。俗に言うお姫様だっこだ。これが一番失礼がないとルーサーが判断したらしい。

 プリムは小柄ではあるけれど、猫の子ほどには軽くない。これで沼を渡るというのなら、途中で落とされないとも限らないのだ。正直、自分の足で渡るよりも怖いのではないだろうか。


「あ、そ、その、自分で……」


 いつになく声に力が入らないのは、顔が近くて恥ずかしいせいもある。ルーサーは小首を傾げると、そのまま無言で進み出した。こうなってしまうと、暴れたら沼に落ちるだけだ。プリムはルーサーが岩の上を移動する時には彼の制服の二の腕の辺りをぎっちりと握り締めていた。


 極力揺らさずに運ぼうとしてくれているのが伝わる。大事に扱ってくれている。

 けれど、こんなことをされたことがない気恥ずかしさが勝る。ドクドクと心臓がうるさく鳴って、ルーサーにそれが伝わらないかが不安だった。


 ルーサーは向こう側に足をついた。そうして、プリムをそっと地面に下ろしてくれる。


「ご無礼仕りました」


 と、婚約者に接するにしては硬いことを言った。

 上官の娘であるプリムには、まるで姫君に対するような態度で接する。別にそこまで畏まらなくてもいいとは思うけれど、親しくなってもいけないので何も言えない。


「……いえ、ありがとうございます」


 礼を言わないわけにもいかなかった。自力で何とかできたと言い張りたいところだけれど、説得力もない。

 ただ、化粧をしていない自分の顔はとんでもなく赤くなっているのではないだろうかと、それが心配ですぐに顔をそむけた。ルーサーの腕にすがっていた自分がひどく恥ずかしい。


 こんな時でも、ルーサーは何を考えているのだろう。それが表情からは上手く読み取れないのだ。

 恐る恐るルーサーを横目で見遣ったプリムに、ルーサーは平然と告げるのだった。


「あなたを護るのは俺――いえ、私の義務です」


 ――この言葉をどう受け止めたらよいのだろう。プリムは呆然としてしまう自分を感じた。

 ルーサーのような男性に護ると言ってもらえれば、プリムだって嬉しくないわけではない。けれど、それは義務と。


 当たり前だ。数えるくらいしか顔を合わせてもいない婚約者に愛しいなんて気持ちがあるはずもない。それも、少しも可愛く振舞っておらず、むしろ嫌われようとしてきたのだ。

 そう、ルーサーにとって重要なのはプリムではなく、父の方である。わかってはいるけれど、何か、どこかで浮ついた気持ちに重石を乗せられたようで――。

 プリムは背けた顔をキッとルーサーに向け直した。挑むようにルーサーを見つめる。


「何から護って下さると仰るのでしょう? 私が本当に護ってほしいものから私を護れる方なんていらっしゃらないのです」


 刺々しく言い放ってもルーサーは苛立ったりしなかった。不思議そうにプリムを見下ろす。


「本当に護ってほしいものからですか? それを具体的に仰って頂かないことにはお答えのしようもありませんが」


 武人らしいと言うべきか、真面目すぎるほどの返答が降る。プリムは何か心の中が掻き乱されるようで、この会話を始めたことを後悔していた。こんな話はするだけ無駄なのだ。


「お話したところで信じては下さらないでしょう。要らないことを申しました。もう忘れて下さい」


 強制終了した会話。ルーサーはきっと面倒臭い小娘だと思っただろう。プリムはルーサーに背を向け、さっさと奥へと向けて歩き出した。森の木々はプリムを拒むでもない。

 森は明るく輝き、夜だということも忘れてしまいそうな明るさだった。


 あまりに取りつく島がないせいか、ルーサーはプリムを問い質すことをしなかった。ただ、ズカズカと歩くプリムのそばにつく。

 沼を抜けたすぐ先は、開けた草むらであった。見た限り、これといって何もない。妖精王がいるのはもっと奥で、やはりここではないのだろう。急がなくては、とプリムはそこへ踏み入った。


「プリムローズ様、もう少し周囲に気を配って歩――」


 ルーサーがそんなことを言うけれど、プリムは足を止めなかった。その次の瞬間に、ルーサーが無言でプリムに覆い被さった。その動きの素早さにプリムは反応し切れなかった。ルーサーはプリムを抱き締める形でそのまま草むらに倒れ込む。


 ひやぁ、というプリムの微妙な悲鳴が夏至の夜に響き渡った。ルーサーはというと、そのままプリムを抱えて草むらを転がった。腕の中にプリムを庇う形である。

 筋肉質で硬いルーサーの体が、転がった拍子にプリムにぶつかる。プリムは回転が止まると、草の絨毯の上で切れ切れに声を漏らした。


「な、な、な……」


 けれど、ルーサーは先ほどよりもずっと厳しい、軽口も利けないほどに張り詰めた表情をしていた。鋭い目が辺りを見回す。


「何か、気配が――」

「け、気配?」


 そんなことよりも退いてほしい。こう組み敷かれては心臓が持たない。プリムは上手く言葉にできないまま、ルーサーの胸を拳でごつんと叩いた。そこでようやくルーサーも自分の体勢のまずさに気づいたらしい。


「あ、や、これは……」


 パッと慌てて起き上がった時、ルーサーの読み取り難い表情の中にも焦りが見えた。


「何かの気配を感じて、とっさに危険だと判断したのですが、私の早とちりだったのかも知れません」


 何かの気配と。まさかうさぎ男の手下じゃないだろうかとプリムは体を起こしながらうっすら肌寒さを感じた。報告されたりしたらルーサーが危ないかも知れない。

 そんなことになったらどうしよう。


 ゾクゾクと体を震わせるプリムの目の前で、不意にルーサーはフ、と糸の切れた操り人形のように体の抑制を失い、横倒しになったのだった。ドスリ、と大きな体が草に埋もれる。意識の失い方があまりに不自然で、プリムは思い当たる節があるだけに頭が真っ白になった。


「ル、ルーサー、さ、ま?」


 呼びかけてみても返事はない。触れるのが怖かった。生きているのだろうか、と。

 もし、脈が止まっていたのなら。彼が死んだのはプリムのせいだ。


 プリムは頭を抱えて絶叫していた。

 こんなことにならないようにと思って来たのに、プリムが甘えたせいだ――。


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