11✤Primrose
どうしてこんなことになったやら、とプリムは出かけから疲れてしまった。何故、父が留守だというのに、こんな夜分にルーサーがやって来るのやら。
ルーサーは武人らしく逞しい腕を組んでみせた。
「森? 森へ何をしに行くのですか?」
「防壁強化のためのアイテム作りに行くのですわ。妖精王がいる森まで行かないと作れませんの」
正直に言った。なのに、ルーサーは眉根を寄せて、真顔でも険しいというのに表情を更に険しくした。そういうリアクションは父に似ている気がした。
「その情報源はいずこで? 夏至の夜の森でとは、あまり聞いたこともございませんし、そもそもそれをあなたが行う必要があるのですか?」
聞いたことがないのは、ルーサーが不勉強だからだと思う。夏至の夜といえば妖精の力が一番強まる日なのだ。妖精王ほどの存在ならば、魔王に対抗する力をもしかすると持つのかも知れない。そういう希望を捨てきれない。
プリムはぐっと拳を握り締め、長身のルーサーを見上げながら力強く訴えた。
「わたくしが行う必要ならもちろんありますわ。わたくしの将来に関わることですもの」
時間がないというのに、ルーサーはなかなか納得してくれない。このまま夜が明けたらどうしてくれるとプリムは泣きそうだった。
ルーサーはそこで至極真面目に言うのだった。
「あなたの将来にですか。でしたら、私の将来にも関わることなのですね。わかりました、お供致します」
「っ……」
そうだった。ルーサーは現在プリムの婚約者なのだ。配偶者の将来ならば人事ではない。
プリムは魔王の花嫁にと望まれている。そのプリムを魔王配下の魔物が傷つけることはまずない。けれど、ルーサーが言うように、暴漢ともなれば話は別だ。暴漢避けに『オルグレンの娘』と書いて背中に貼りつけておきたい気分にもなる。
暴漢が相手なら、ルーサーはかなり戦えるだろう。それならついて来てもらった方がいいのは確かなのだが、あまり親しげにしてあのうさぎ男がヤキモチを焼いても困る。
と、そんな風に悩んでいる場合ではない。いざとなったらその場で婚約破棄だ。それしかない。プリムは覚悟を決めた。
「では、行きましょう」
プリムが目指すのはワープルの森という、オルグレンの屋敷から最も近い森である。地図で見る限り、規模は王城の敷地よりも狭いかも知れない。もっと大きな森へ行けたらいいけれど、それでは移動が間に合わないのだ。
けれど、妖精たちは転移魔法や浮遊術に長けているという。だから、清浄な森でさえあればすべてが繋がっていると考えてもよいだろう。プリムはワープルの森から妖精の力を借りて妖精王に会いたいと思うのだ。
期せずして馬車を拾う必要がなくなったことだけはありがたい。ただ、狭い車内で大柄なルーサーと二人――気まずいことこの上なかった。ルーサーは無口なたちで会話など弾むわけもない。ほぼ無言で馬車のカラカラ鳴る車輪の音だけが二人の間にあった。
夏も真っ盛りの夏至の夜だけれど、馬車の中はほどよい涼しさである。天上を見上げると、ほの明るい青い石が散りばめられていた。飾りではなく、快適な旅のために車内の温度を調節する氷の魔力がこもっているのを感じる。プリムにとっては当たり前でも、噂によるとこういう設備は辻馬車にはないらしい。
カラカラカラカラ。
――それにしても、会話がない。
この人と夫婦になったらずっとこうなのだろうか。逞しくて浮ついたところがないのは好ましくも思えたけれど、長く共にいるとなるとどうなのだろう。こうして会話らしい会話もなく、そこにいるのにひどく遠いと感じながら同じ屋敷で暮らすのだろうか。息が詰まるような苦しみになってしまわないだろうか。そんな風にも思ってしまう。
ルーサーはプリムを見ずに、暗くてろくに外も見えないだろうに窓の方に顔を向けていた。そんな横顔をプリムはただ眺めていた。
ルーサーと夫婦になることなど考えなくてもよいのだろうか。
そんな未来は、きっと来ないから。
馬車はそれでも森の外れに到着した。馬車が止まった時、プリムの心臓は激しく高鳴り出す。ここからががんばりどころだ。気を引き締めて行かなければ。
意気込むプリムにルーサーが目配せする。
「着いたようです。引き返すのなら今のうちですが」
「目的を達するまで戻るつもりはございませんわ」
ムッとして言い返しても、今の自分の顔に迫力がないことくらい、プリムはよくわかっている。それでも、素直で可愛く接して変に好まれたら困るのだ。態度は常に悪くを心がけなければ。
ただ、ルーサーはそういうプリムをどう思っているのかがまるで伝わって来ないのだが。
「そうですか。では行きましょう」
淡々とそう返された。拍子抜けするくらいに平坦な人である。
外から御者が扉を開けてくれた。その途端、ムッとする熱気が車内に混ざる。
「ルーサー様、到着致しました」
御者は思ったよりも若かった。暗がりで顔までは見えないものの、声でそう思った。ルーサーの部下だろうか。
「ああ。お前はここで待て」
「はい」
ルーサーは先に馬車を降りた。体の大きなルーサーが動くと、馬車が大きく揺れた。そうして、プリムが馬車の扉から外を見遣ると、すぐそこにいたルーサーがダンスをする時のように手を差し伸べて来た。
「お手をどうぞ」
それくらいのことはしてくれるらしい。素晴らしく真顔であったけれど。
プリムはその手を跳ね除ける勇気がなく、そっと手を重ねた。もっと笑顔で差し出してくれたら突っぱねたのに。
ダンスを踊った時にも思ったけれど、信じられないくらい大きな手だ。プリムのものとはあまりに違う。その白手袋の手に手を重ねてはいるけれど、ほとんど体重をかけることなくプリムは地面に降り立った。そこは、プリムが知るどんな場所とも空気が違った。
痛いくらいに清い、深夜の森のはずれ。冴え渡る月の輝く夜空。その月光が照らす、鬱蒼と茂った木々が構成する森。それはある意味深淵のようでもあった。人を拒絶する聖域とでもいうべきだろうか。月明かりのおかげで、それらが夜にしてはよく見えた。
森の青い匂いが鼻先をかすめる。ほうっとプリムがため息を漏らしていると、草むらに潜んでいた何かが突如馬に襲いかかった。それは本当に唐突で、御者が大きな悲鳴を上げた。
「魔物!!」
それは目玉の四つある黒い犬のような生き物だった。足も六本。紅の長い舌をだらしなく垂らして、しなる筋肉のよくわかる後ろ足で地面を蹴って飛び上がった。
ここで普通の女の子なら、絹を裂くような悲鳴を上げるべきである。ただ、プリムは自分が襲われる危険がないものだから平然としていた。
そんなことを知らないルーサーは、とっさにプリムの手を力強く引いて自分の背後に庇う。その勢いに転がりそうになったプリムは、ルーサーの逞しい背中を見上げた。腰に装備していた剣の柄を、ルーサーが握り締めた瞬間に大剣へと変貌する。
剣の刃を鞘に収めていた時代は終わった。今では柄の内部に刃を構築するすべてを分解して収め、そうして柄を持ち主が握れば剣として構成できるという仕組みである。魔法の進歩と共に武具もまた進化するのだ。騎士の制服にしても、一見軽装だが、実は燃えにくく刃物にも鋼鉄の鎧よりも強い。
襲いかかった魔物は馬の脚に食らいついた。耳を劈く馬の嘶きに、プリムは思わず身をすくめてしまう。こんな悲鳴のような声を聞いたのは初めてだ。
馬は半狂乱で棹立ちになり、御者がそれを抑えようとするも、蹴り殺されそうな勢いだった。
「わ、お、落ち着けって!!」
御者台に乗らず地面の上で手綱をつかんだ御者は、言うことを聞かずに走り出した馬車馬に引きずられた。体を持って行かれてよろめき、それでも必死にすがりつく御者。ルーサーは素早く、重々しい大剣を漆黒の魔物に向けて振るった。ぐわん、と空気を斬る音が夏の夜に鈍く響いた。その剣の軌跡が宙に残るようだった。美しく弧を描いた剣の刃が魔物の腹を無残に真っ二つに裂く。
森の柔らかな匂いを凌駕して、錆びた鉄に泥を混ぜたような臭気に満ちた。この臭いを恐れるのは、ほとんど本能的なものなのではないだろうか。これには、先ほどまで平然としていたプリムも堪らずに悲鳴を上げた。
「ひっ!」
魔物の両断された体から、血の飛沫と臓物が草の上に降り注いだ。プリムのその悲鳴でルーサーはハッとして振り返る。その時のルーサーの顔には、しまった、という色濃い戸惑いが確かにあった。
魔物と日々戦う彼にはこれが普通のことなのだ。魔物と見れば戦い、滅ぼす。自然とそう体が動くのだ。
ただ、なんだかんだといいつつも深窓の令嬢であるプリムは、こんな惨状を目にしたことなどない。思わずへたり込んでしまった。ルーサーはそんなプリムの正面にすぐさまひざまずいた。
「申し訳ない! 女性に見せるものではありませんでした」
本気で慌てている。あまり取り乱さない人かと思えば、そうではないらしい。大きな剣は消え、それでも魔物の残骸はそこにある。怖い人ではあるのかも知れない。けれどこれは防衛で、悪意あってのことではない。不安げに、心配そうに自分を見つめている無骨な青年――。
「その、大丈夫ですか……?」
恐る恐る差し出した手。けれど、ルーサーはその手を悲しそうに引こうとした。白手袋には魔物の血が一点、赤い染みを作っていたのだ。汚れた手を差し伸べても怖がらせるだけだと、ルーサーはそう思ったのだろう。プリムはそれが手に取るようにわかった。
プリムはとっさにルーサーが引きかけた手を取る。力強く、握り締める。
「大丈夫ですわ。連れて来てと言ったのはわたくしですもの」
口が上手くはないルーサーだけれど、気を遣ってくれていないのではない。むしろ、気遣ってくれているからこそプリムの扱いに戸惑うのだ。どうにも不器用な人だと、そう、思った。




