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1✤Primrose

※本物(植物)のプリムローズに棘はありません……。

 それは、プリムローズ・オルグレンが六歳の日の出来事。


 その日はぽかぽか陽気の素敵な小春日和だった。この世の中には魔物という怖い存在がいるそうだけれど、そんな恐ろしいものにプリムローズ――プリムは出会ったことなどない。

 国で十二人しかいない熾天騎士(セラフ・ナイト)という最高位の騎士である父によって、邸宅には魔物除けの防壁シールドが張り巡らされている。


 父は若くして順調に武勲を重ね、その十二人の選ばれた熾天騎士(セラフ・ナイト)の中でも五本の指に入る強さを誇る。プリムはその娘として育った。厳しい武人の子であるのに、プリムの気質はほんわかとしている。

 見た目も子供らしいあどけなさで、黒髪をおだんごにしてリボンで止め、水色のドレスを着せてもらっている。段のついたスカートにはびっしりとフリルが縫いつけられていた。

 黒髪に飴色のどんぐりまなこ

 使用人たちとも仲良く打ち解けて過ごしている。


 その日、家庭教師のラヴィニア先生が庭の木の下で好きな本を読んでくれるという約束だった。プリムが勉強をがんばったご褒美だ。

 プリムは王子様が長い旅の末にお姫様を助け出す、そんな非常にベタなタイトルを選んだ。先生はにっこり笑って本を受け取ってくれた。


 ラヴィニア先生はまだ若い美人の先生だ。ワインレッドのロングスカートをお行儀よく畳んで庭の木の根元に座ると、栗色のストレートの髪を耳にかけた。その仕草がすごく綺麗で、プリムは小さな胸を弾ませる。


「ええと、じゃあ読みますね」


 優しい先生の声。授業を真剣に聴かないと時々尖った物言いになるけれど、それはプリムが悪い。そう覚ってからは授業もちゃんと聴いて宿題もする。真面目な生徒だ。

 プリムはウキウキとしながら先生が本を読んでくれるのを待った。

 けれど。


 先生の口から最初の一文が飛び出すよりも先に、のどかだった庭園に暗雲が立ち込めたのだ。


「ひっ!!」


 明らかに不自然だった。

 晴れ渡っていた空、花の匂い、鳥のさえずり、すべてがどこかへ消え失せてしまったかのようだった。

 にわか雨を降らせるでもなく、暗雲はただ庭園を薄暗く染めた。


「せ、せんせぇ……!」


 びっくりして振り返ると、ラヴィニア先生は気を失って木にもたれかかっていた。あまりのことに幼いプリムはパニック状態に陥る寸前だった。

 ただ、そうならなかったのは、それどころではなくなったからだ。


 ぶわん、と耳鳴りがして、プリムの目の前に一人の青年が現れた。急に、現れたのだ。

 年の頃は二十代前半くらいだろうか。紫紺の髪を幅の広いリボンでまとめ、ドレスシャツにベルベットの上着といった貴公子のような出で立ちをした、まあまあ麗しい青年である。ただし――。

 その瞳は赤かった。そうして、耳も尖っていた。


 はて、とプリムは考えた。うさぎさんも目が赤い。だから目が赤いからといってそれを変だとは思わなかった。

 しかし、知らない人である。知らない人には注意しなければならない。


「おにいさんは誰ですか?」


 舌ったらずながらにプリムは丁寧に問うた。青年はニコニコと笑顔を振り撒くとプリムの前に膝を折った。目線が合うと、やっぱりその瞳はうさぎさんのようだ。


「会いたかったよ、コーネリア」


 うん、人違いだ。


「わたしはプリムローズです。『こーねりあ』さんじゃありません」


 ここでこの人が、ああ、間違えてすまなかったね、と言ってくれると幼いプリムは信じて疑わなかった。

 それなのに、青年はうっとりとした表情でプリムの小さな手を握り締めた。妙に冷たくて青白い手だ。爪もちょっと伸びすぎなのではないだろうか。なんてプリムが思っていると、青年は涼やかな声で言った。


「現世ではそうかも知れない。けれど、君の前世は私の妻だったのだよ」

「はい?」


 つま。奥さんということ。

 プリムの母が父のそれに当たる。それはわかる。

 ……。


「『ぜんせ』ってなんですか?」


 小首を傾げてみると、青年はプリムを愛でながら小刻みにうなずいた。


「この世に生を受ける以前のことだよ。生まれ変わることを転生と言うんだけれどね、君はコーネリアが転生した魂なんだ」


 話が難しくてプリムにはさっぱりだった。

 へー、とかふぅんとか知ったかナマ返事でやり過ごした。これを授業中にやると大変なことになるのだが、今は授業中じゃないから平気だ。


「……そろそろ自我がはっきりした頃だろうと思って、愛しい君に会いに来たんだ。けれどね、さすがにその姿は可愛らしくはあるけれど、幼すぎる。私に幼女趣味はないので、せめて後十年は待たねばなるまいか……」


 青年はボソボソとそんなことを言った。


「『よーじょしゅみ』ってなんですか?」

「ええと、それはね――って、気にするのはそこなのかい?」


 こくりとうなずくと、青年は答えずにごまかした。


「まあいい。十年だよ。十年後に迎えに来る」


 十年後。プリムが十六歳になった時だ。それくらいの計算はできる。

 十年後、この青年の花嫁になれというのだ。


「おことわりします」


 プリムは正直に言った。だって、意味がわからない。

 青年はひくひくと整った顔を引きつらせた。


「な、何を……」

「だって、プリムのおムコさんはおとうさまが決めるって言ってたもの」


 プリムはオルグレン家の一人娘である。今後のことはわからないけれど、もし弟が産まれなかったら婿養子を取らなくては、と父が言っていた。このオルグレン家に見合う強い男を選ぶ、と。

 目の前の青年は細く、優美ではあるけれど強そうには見えなかった。それに、婿に来てくれるつもりもなさそうだ。

 すると、青年は急に顔を伏せると、薄気味悪い笑い声を上げた。


「フフフ、君の婿だって? そんなもの、私が片っ端から消し去ってやろう」

「へ?」

「邪魔立てする者も皆、消してやる。君に親しく接する者、君が大切に想う者が私の他にあってはならない。そんなものは必要ない。君も私にそれらを消されたくなければ他人に心を移さないことだ」


 言うことが難しい。けれど、彼が言う言葉がひどく恐ろしいものであることだけはわかった。赤い瞳が底光る。


「私はチェザーリ。人は皆、私を魔王と呼ぶ。君は魔王の花嫁なのだ」


 誇らしく思うがいい、と。

 プリムは唖然とした。この人、頭がおかしいのかも知れない。綺麗な顔をしているだけに残念だ。

 そんな考えがプリムの目に表れていたのかも知れない。チェザーリは心外だとでも言いたげに手をひと振りした。


 その途端、先生が根もとで眠っていた木の太い幹に切り目が入った。たくさん葉をつけた枝がそのままゴロンと後ろに吹き飛ぶ。まるでブロッコリーを切ったかのように容易かった。

 土埃が舞う中、先生はそれでも気を失っているのか眠っているのか、目を覚まさなかった。

 サーとプリムが青ざめたのとは対照的に、チェザーリはポッと頬を染めた。


「ではな。十年などあっという間だ。私を想いながら過ごすといい。美しく成長した君と再会する日が楽しみだ」


 この日の出来事が夢であってくれたなら。

 そうしたら、プリムの人生はもっと華やいだはずなのに。


 暗雲が晴れても切断された木はもとには戻らなかった。それが現実の証だと、あのうさぎ男が知らしめたかのようでプリムはぽかぽか陽気の中、一人で悪寒を覚えていた。


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