その騎士、抱く想いは
月明かりが眩しい夜。
石畳の通路を一人歩く。
緑豊かな中庭と平行にある廊下。
均等に置かれた支柱の影がくっきりと濃く映る。
「まさかアイツがもうここを突き止めていたのか?
いや、そんなはずは…。
だがあの感じはアイツの…。」
カインは空を見上げる。
そこにあるのは自分が持つものと同じ、銀と金の輝き。
瞳には戸惑いと怯え、そして怒りが見える。
気のせいだったのか?
いや、仮にそうでなかったとしても今後シェリーに触れることがなければいい。
あのオーラにさえ二度と触れることがなければ、探知されることはないはずだ。
大丈夫だ。俺ならやれる。
シェリー…。
さっきも、初めて出会った時もそうだった。
一目であの瞳に閉じ込められた。
眩しくて美しくて自分だけを見ていてほしくなる輝き。
穢れを知らない純真な瞳。
「こんなことがなければ、な…。」
【精霊の祝福】。
やはりあれは何の影響もない、ただのまじないだ。
彼女自身にそういった類の術跡は全く感じられないのだから。
ふと遠くの陰りに意識を飛ばす。
なんだ?
何か見られていたような気がしたが…。
カインは何もないはずのそこをしばらく凝視すると、あてがわれた部屋へと戻っていった。
カインが見ていた視線のその先。
城の上層階の影の濃い場所。
その影に飲まれるかのように一人の人物が身をひそめていた。
鋭く、冷たく、紅の瞳が去りゆくカインの後ろ姿をジッと見つめていた。
†
カインが婚約者としてこの城に来てから幾日かが経った。
この数日、二人はとても仲の良い婚約者同志だった。
周囲が羨む程の愛し愛されの模様で、もうすぐそこに結婚が待っているかのように思えた。
しかし、あの夜の翌日からカインは一度もシェリーに触れることはなかった。
そしてカインはシェリーとの婚約者ごっこをしている最中も、カインを好く想う貴婦人と仲良くもしていた。
それがどうして悪い噂とならないのか。
カインはその度に口にする。
「シェリーを純潔のまま妻とするため、今後結婚するまで彼女には指一つ触れないと誓ったのです。
ああ、でもあなたは別ですよ。あなたには結婚してしまえば触れることなどできなくなりますからね。」
そう相手の耳に囁くのだ。
極上の笑顔と共に。
相手の女性はカインの美しさに目眩を起こさずにはいられなくなる。
シェリーはその光景を突きつけられる度に想った。
あの夜の一時は夢であったのだろうかと。
あのキスはなんだったのか。
煌めく星の瞳から目が離せなかった。
惹かれた…とでも言うのだろうか。
憧れの輝きと似ていたから?
カインは私を好きにはならないといった。
その気持ちはあの冷たく鋭い眼からも伝わる。
戸惑いつつも、本物だった。
私の目を見た後に、ここまでの態度をとれる人なんて初めてよ。
気になることが多すぎる。
知りたいことが沢山ありすぎる。
これは恋なのかしら?
「また人を好きになるだなんて…。」
城の上層部、空中庭園でシェリーは呟く。
そこからはカインのいる中庭を見下ろせた。
中庭では社交の場が設けられおり、カインは沢山の女性に囲まれ、楽しそうにしている。
シェリーの周囲には他に誰もおらず、静けさの漂う中、中庭からの賑やかな話し声がここまで聞こえきた。
シェリーが手摺に手を掛けその場を眺めていると、柔らかな風がシェリーを撫でる。
青空とは対照的ともいえる色の髪が太陽の光を浴びて煌めき揺らぐ。
その切なそうな後姿を離れた場所から見つめるものがいた。
「シェリー様。」
振り返ると衛兵が立っていた。
シェリーは少し驚きの表情で応えた。
「ハロルド!」
ハロルドはブロンドの長い髪を緩やかに括り、深い青の瞳をサラリとした前髪から覗かせる。
優しい表立ちで衛兵というには少し細身だが筋肉質でがっしりとした体つき、白で統一された衛兵服を身に纏い、金柄の洋刀を腰に下げている。
カインの現れたその日、腰の刀をカインに突きつけたのは彼だった。
ハロルドはシェリーの元へ歩く。
「二人きりの時はシェリーと呼んでと言っているでしょう。
あと敬語も無しね。幼馴染なんだし、なんだか変な感じなのよ。」
「では、…シェリー。」
ハロルドは年上でシェリーの幼き頃からの友達であり、お目付役だった。
いつも優しく、頼もしく、シェリーを一番に守っていてくれた人。
だけどある時からシェリーの傍をを離れ、武の道へと進み、今またこうして一緒にいてくれる。
「ひさしぶりだ。」
「そうね、こうしてゆっくり二人で話すのは。」
寂しげだった空気がふわりと穏やかな雰囲気に包まれる。
懐かしく安らぎのある距離感がシェリーの心を優しくときほぐしていく。
「びっくりしたよ。君が婚約したこと。」
ドキリとした。
そういえばあの時、ハロルドは見た のだろうか…。
ハロルドはあの後何も言わなかった。
ギリギリのところで本当に見えていなかったのかもしれない。
何にせよ、今私から墓穴を掘るわけにはいかないわ…。
このまましらを切ってそれとなく確証を得られる発言が聞ければいいのだけれど…。
「…ええ、私自身もびっくり。」
「おめでとう…と言いたいところだが、相手があの様子では心からは言えないな。」
ハロルドは中庭のカインを一瞥する。
「いいのよ。」
同じく中庭で楽しそうに振る舞うカインを見て、シェリーは少し目を伏せる。
そんなシェリーにハロルドは優しく手を添え、握った。
「シェリー、僕は君があのような人間を好きになるとは思えない。
幼馴染として問うよ。
本当にあの人間が好きなのか?」
「ハロルド…?」
ハロルドの不安そうな表情。
シェリーのことを本当に心配しているのだろう。
そんなハロルドにもこの嘘は貫き通さなきゃいけないんだ…。
だけど私のカインに対する気持ちはきっと嘘じゃない。
「好きよ。」
シェリーはハロルドをまっすぐ見て言えた。
ハロルドはシェリーのその態度に少し驚きを覚えたが、納得ができず質問を投げかける。
「あんな男のどこが…。
そもそもどうやって知り合ったというんだ。
君はここ数年、あまり城を出ていなかっただろう。
出会えるはずがない!」
それは…そうなんだけど。
でも…どうしよう!
「それは…秘密よ。」
苦し紛れに出た言葉だった。
そのシェリーの発言にハロルドはさらに詰め寄る。
「シェリー、その言葉は君らしくない。
そもそも僕と君の間に本来秘密なんてないだろう?」
「そ、そんなのっ…私たち大人だもの。
秘密の一つや二つ…あってもおかしくないわ。」
「それは、アイツとキスしたことか?」
「えっ…。」
困惑していたシェリーが驚き顔を上げると、そこにはハロルドの真剣な眼差しがあった。
感想、応援コメ受付てます。