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第三話

(1)

 携帯電話のバイブレーション。克は今日もその音で目を覚ました。携帯電話の液晶画面には、篠原佑子の文字。

 克はのっそりと蒲団から起き出すと、振動し続ける携帯電話を無視して、外芝高校指定の制服に着替え始めた。

 このような事態が始まったのは、克が佑子を初めて部屋に上げた日の翌日だった。

 朝七時ぴったり、朝食を作るかどうかをベッドの中で、まどろみながら考えていた克を、玄関に取り付けられたチャイムが強制的に起こす。

 不意の出来事に心臓を高鳴らせて、少しおっかなびっくりドアに取り付けられた除き穴から外を確認した、克の目に飛び込んできたのは…。

 「篠原…何で。」

 驚きを露わにして、インターフォンで呼びかける克に、佑子は少しはにかむ様にして、後ろ髪を撫でながら答えた。

 「学校、一緒に行こうと思って…。」

 それが最初だった、そして徐々に佑子の迎えに来る時間は早くなっていった。

 近所の外聞をはばかって、克が携帯電話の番号と、メールアドレスを教えたころには、佑子は朝五時には克の部屋の前に現れる様になっていた。

 その後の克の説得もあって、佑子はインターフォンを使わずに、携帯電話で到来を知らせる様になった。それに時間も何とか、六時前に来るようなことはしなくなった。現在の時間、朝六時二分。

 克は振動を続ける携帯電話の単調な音を耳にしながら、考える。

 (…好かれてはいるんじゃないかな、向こうに嫌がらせしている気がなければだけど…。いや、嫌がらせじゃ、ここまで続かないか…。これは、俺から告れっていう、意思表示なのか。…そういや、自分で自分のこと、奥手だ…みたいなこと言っていたっけな。…でもなぁ。)

 克はシャツの手首の裾のボタンを閉めながら、さらに思いを巡らす。

 それは、佑子の態度のことだ。朝押しかけて、そして帰りも一緒に下校するようになった、佑子。しかし、人前での佑子の克への接し方は、どこか余所余所しいものになっていた。

 授業中に限らず、休み時間も、下校途中も、果ては登校中も、佑子は他人の眼を意識すると、克にはっきりと解るほどの距離を作って見せた。そして、それは少なくとも、克の為を思っての行動ではない。

 克のその思考を裏付けるように、待ちきれなくなったのか佑子がドアを叩き始めた。

 そう、克がいちいち悩むまでもなく、彼が告白に至らない理由は明白だった。佑子は克の許容の範囲を超えたのだ。

 そして着替え終わった克は今日も、佑子がまき散らす騒音を止めるために、携帯電話の通話ボタンを押した。

(2)

 「たく、起きるの、遅すぎよ。まさかそのガタイで低血圧なの。」

 佑子が二人分の朝食を用意しながら、本当に解っていないのか愚痴をこぼした。少し伸びた髪を揺らしながら、エプロン持参で押し掛ける姿も、克には望むと望まざるに関わらず、馴染み深いものに成っていた。

 「あのなぁ、篠原。頼むから、ドア叩かないでくれって言ったろ。本気で、俺、このアパートから追い出されるから。」

 そして克は、効果の期待できないことを骨身し染みて知っている願いを、今日もまた虚しく空に放つ。佑子はテキパキとトーストとスクランブルエッグにベーコンを添えた皿を、テーブルに並べると、クッションの上に膝をついてエプロンを外し始めた。

 「なぁ、篠原。毎日迎えに来てもらって、しかもこうして朝飯まで用意してくれるのは、非常に有難いんだけど…。やっぱり、篠原の親御さんの気持ちとかを考えると、その…心苦しくもあるし。だから、明日からは…。」

 「明日からは…何…。」

 また、この眼だ…。ようやく、克にも解ってきた。なぜ自分がこれほど佑子のこの黒い瞳に、翻弄されるのかを。そう、それは、

 (すでに何かを決めてしまっている奴の眼だ。だから、このままじゃ、俺は…。)

 克は心の中で意志を固くすると、初めて佑子の、その先へと踏み出した。

 「明日からは、もう来ないでくれるか…。」

 辺りを包む静寂、克は自分の心臓の音に視界を狭められていくのを感じながら、佑子の次の返答を待つ。

 「…んー、まぁ、本田がそう言うなら、仕方無いかな。あーあ、私、オママゴトみたいで結構気に入っていたんだけどなぁ。…解ったわよ、もう来ません。ほら、冷めないうちに食べよ。」

 拍子抜けするほど簡単に承諾した、佑子。克は驚きとともに、安堵感を抱く。

 (これで、篠原との接点は無くなるかも知れないと思うと、確かにもったいない気もするけど、これ以上篠原の事を煙たく思わずに済むのは、良かったかな。…ハァー、今さら考えると、何か、かっこ悪いな、俺。やっぱ、睡眠不足かな。)

 克は久しぶりの屈託の無い笑みを佑子に向けて、気分良く食事を始めた。確かに、睡眠不足だろう。克は、さっきから佑子がピクリとも動いていないのに、気付いていない。

(3)

 その少女は放課後、突然訪れた。

 「一年三組、猪山稔(いのやまみのり)です。篠原先輩と同じ、アウトドア部に入っています。」

 「猪山さんね。で、例のアルバムのことは、誰から聞いたの。」

 他に誰も居ない二年一組の教室で、克と稔は面談を行っていた。克は自分の机の上に座り、携帯電話を弄びながら、稔に質問した。それに、硬い表情の稔が尋ね返す。

 「あの、それは口止めされていることだから…。それより、私絶対に他言しませんから…。」

「しないから、俺に何かを要求すると…。学校で恐喝は良くないんじゃないかな、猪山さん。生徒の和って大切だと思うな、俺は。で、寺町は他に何か、君に教えたわけ。」

 「はい、自分の知る限りでは、篠原先輩と一番親しいのは本田先輩だって…あっ。」

 淀みのない克の弁舌に、しっかりと乗ってしまった、稔。慌てて口に手をあてるが、もう遅い。克はニヤリと笑う。

 「やっぱりそうか…あ、いいんだ、いいんだ、気にしなくても。バラした、寺町が全面的に悪いから。えーと、ちょっと、電話を掛けたいんで、少し時間もらえる。すぐ済むから。」

 克は稔が頷いたのを確認した後、廊下に出た。そして、誰かに電話を始める。稔にも、それが克の意図かは解らないが、その不穏な会話が聞こえてきた。

 「ああ、やっぱり、寺町の奴が裏切ってた。…確かに、あいつは俺のクラスの生徒だが…そのことに関しては、俺が始末を…。ああ。寺町の処遇だが、階級を二級工作員から、愚民に落としてくれ。それと、『片道切符の中央階段、プロレス研究会名物、リアル死亡遊戯の刑』に処してくれ…。そうだな、まぁ、初犯だし、三階の踊り場まで持ったら解放してやってくれ。それじゃ、よろしく。」

 折りたたみ式の携帯電話を閉じて、神妙な顔で教室に戻る、克。そんな彼を出迎えたのは…。

 「あれ、猪山さん…何してんの。」

 窓際で震えながら自分を見る、稔の姿だった。

 「あ、あの、もしかして私も…殺されちゃうでしょうか。」

「…何の話ですか…。」

 克は溜息を吐くことも忘れて、疑問を呟いた。

(4)

 暮れ始めた味の濃い光に照らし出され、机に頬杖付きながら稔の演説を聞く、克の横顔にも影がさす。稔は自分の要求を早口で伝え終わると、克の返答を待っている。克は半眼で問い返した。

 「えーっと、つまり、猪山さんは…篠原とより親密に成りたいから、俺に手を貸せと…。ついては、今週の日曜日のアウトドア部の野外活動に、俺も出席して、その時に篠原に、猪山が俺の前からの知り合いで、だから『親しくしてやって、欲しい』みたいなことを言って欲しいと…。そしたら、例のアルバムに関しては、黙っといてやるからと…そう言いたい、訳。」

 稔は首を縦に振り振り回して、嬉しそうに肯定した。克は面倒臭そうな溜息を吐きだすと、さらに確認を続ける。

 「なるほど、あのさぁ、猪山。まず、これだけは理解しておいて貰いたいんだけど。寺町がどんな風に説明したのかまでは、俺には分からないけど。俺、多分猪山が思っているほど、篠原と親しい訳じゃないよ(どうせ、人前じゃ、あいつ素っ気無いし。)。むしろ、同じ部活に所属している、猪山の方が親しいんじゃないか。」

 ある種、もっともと言える克の忠告。その疑問を受けて、稔が今度は首を横に強く振り回す。割とリアクション過多な、後輩さんだ。

 「そ、そんなことないです。…篠原先輩って、美人で人当たりもいいから、確かにみんなと、私とも仲良くはしてくれます。でも、ある所より近づこうとすると、何だか敷居が高くなるというか…妙な疎外感があるんです。だから、私、もっと篠原先輩と仲良くなって、他の人じゃ手が届かないような場所の、お手伝いもして上げたいんです。…それで、同じクラスで性別の違う、本田先輩に違う形で紹介してもらえれば…。」

 「と、寺町から得た情報から、篠原の受ける印象に対して、より効率的だと計算して、導き出したか…。猪山、お主も悪よのぉ。」

「そ、そんな…。」

 ハッとしたような驚きの顔を作って、たじろぐ、稔。克はその様子を生暖かい目で、眺めた。

 (へぇー、なかなか頭の回ること。つか、やっぱそこまで篠原のことに思い詰めるってことは、絶対猪山の方が俺より、篠原と親しいだろ…。それにしても、性別に関わらずモテるっていうあの触れ込み、本当だったんだな。)

 克は未だ唇の端を噛みしめる様に言葉を探す稔に、今朝同じ人物に対しての悩みのハードルが下がった先達として、妙に優しげな笑顔を送った。…日常って偉大だ。

 「いいよ、効果の方は期待されても困るけど、俺を通じて猪山の新しい一面を、篠原に紹介するっていうのは、手伝うよ。何か、面白そうだし。」

「ほ、本当ですか。」

 胸元で握りしめられていた二つの手はそのままに、稔が希望に満ち溢れた顔を、克に突き付けて来る。そんな、様子に全く臆することなく、克は目の前に現れた顔面に、余裕の笑顔で応じる。…克の肝は、強くなっていた。

 「でも、何でわざわざアウトドア部の活動でなんだ、別に今日今から篠原に紹介してやっても、俺は構わないけど。やっぱり、演出の一環ですか、監督。」

「それもあるんですけど…学校に居る時に、行き成り紹介してもらったら…なんだか、篠原先輩に、変に思われるんじゃないかなって。ごめんなさい、本田先輩をこんな回りくどいことに、突き合わせてしまって。」

 照れたように笑う、稔の頬が赤く染まっているのは、夕陽のせいばかりでは無いだろう。克も大がかりな悪戯を準備する、子供のような誇らしげな微笑みを返す。

 「よし、そうとなったら、打ち合わせだな。やるからには、完璧にやらんと面白みがないからな。じゃあ、決行日はもう明後日出し、キャンプに参加するのに必要な荷物とか、教えてもらっとこうかな。」

「はい、えーっと、このプリントに…あ、後でコピーしますね。で、とりあえず、参加費が一人、2000円です。もちろん、先輩の分も私が出しますから。」

 「いや、費用に関しては、気にしなくていいから。でも、プリントあるなら、持ち物の件はこれで解決だな。じゃあ、俺たちの関係だけど…幼馴染にでもしとくか。」

 夕暮れの教室の中、当初の目的を覚えているのか、二人のはしゃいだような声が響く。そうして克と稔は、地雷原の周りを踏み鳴らしに向かった。

(5)

 辺りは薄暗く、校内の電灯の明かりが、深く、どこか頼りなく感じられ始める。

 克は稔との相談に一段落ついて、一人教室の机に突っ伏して眼を閉じていた。すると、そんな克の左の耳に、ピチャリという音と共に、生暖かい何かが触れた。

 「なっ。」

 不意の感触に、跳ね起きた克の眼の前に、可笑しそうに笑う佑子の顔があった。

 佑子は、まだ眼を見開いている克に、水滴の浮かんだ冷たそうな缶ジュースを差し出した。

「はい、本田の分。」

「お、おう、サンキュな…。」

 克は驚きの収まらない心臓を抱えて、何とか缶を受け取る。佑子は自分の分のジュースに口を付けていた。

 「どうしたんだ、こんな時間に…。」

克は素気なく装って、缶を開けながら、佑子に尋ねた。佑子は喉を鳴らして、缶を高く掲げると、豪快な感嘆の声を上げた。

 「プハァー、上手い。やっぱ、このマットな食感が…。え、それは本田と帰ろうと思って…。さっきまで図書館で待ってたんだけど、なかなか来ないんだもん、まさかお休み中だったとはね。ということで、明日からはご用済みの私が最後の、目覚ましとしてのお仕事を全うさせた貰った次第であります。」

 佑子は黒板の隣にあるゴミ箱に、缶を捨てながら、克を振り返らずに平坦な声で説明した。克は缶に口を付けながら、大分遠のいたその背中をぼんやりと眺めていた。佑子の首が動く度に、あった頃よりもずいぶん長くなった髪が、小刻みに揺れる。

 「本田先輩、お待たせしました。これコピーした…わわわ、し、篠原先輩ぃ。」

 二人の趣深い時間は、新たなる登場人物によって、突き破られた。稔は教室の後ろの出入り口から、一歩踏み出した位置に固まって動かない。

 佑子が、呆れ顔にその様子を伺っている克の傍に、寄り添うように近づいてから口を開く。

 「猪山さん、どうしたの…。そういえば、今日のミーティングには顔を出して無かったけど。…えっと、二人は知り合いなの。」

 稔はしっかりと自分に向けられた佑子の目線を意識して、応答しようにも、完全にしどろもどろに成っていた。

 「あ、あの、その、えっと…ですね。それは、知り会ったのは…あっ。いや、そうじゃなくて。」

 克は稔が使い物に成らないことを察して、深いため息を嫌そうな顔で吐き出した。そして、克は差し出した右手で、稔においでおいでとボディーラングエッジで伝えた。稔はギョッとした顔をしたが、何とかひょこひょこと二人の元に歩み寄ってくる。

 克は佑子を意識しまくって萎縮している稔からコピーを引っ手繰ると、突然不自然なほどの満面の笑みを稔に向けた。

 「ん、ありがとうな、稔。にしても、悪かったな、まさか部活のミーティングサボらせてるとは思わなかったから。この埋め合わせは、当日バッチリ働いて返すから、それで勘弁な。という訳だ、篠原。こいつが今日のアウトドア部のミーティングを欠席したのは、俺のせいだから…まぁ、悪く思わないでやってくれ。」

 「え…。うんうん、それは、大丈夫なの。うちの部のミーティングは、もともと出席は自由だから。ただ、猪山さんはいつも出席しているから、今日に限ってどうしたのかなって、気に成っただけなの。…それで、二人は知り合いなの。」

 克はいつもより少し丁寧な口調の佑子と、顔を真っ赤にして押し黙る稔を見比べて考える。

 (…猪山。これは完全に恋する乙女ってやつか…。俺は先輩として、後輩が修羅の道に進むのを止めるべき何だろうか…。まぁ、いいか、面白いし。)

 「あ、あの、ですね、先輩。その…わ、私は…むぐっ。」

 夢見るような表情稔の未来の失言を、克のゴッドハンドが封じ込める。

「ん、俺たちか、ああ、母親どうしが知り合いでな。その縁で、こいつがオムツ穿き始めてた時にはもう、遊んでたらしい。所謂、幼馴染ってやつだな。それより、篠原、我が幼馴染を褒めてやってくれ。こいつ今度の、お前んとこの部活でやる日帰りキャンプ。それと、バーベキューの荷物運びとして、身銭切って俺を雇ったんだぜ。うん、なかなか、出来ることじゃないだろ。俺も幸せ、引いては世界が幸せ。いい話だ。さ、篠原、そんなとこでぼぉっと突っ立ってないで、こいつの空っぽの頭を、その白い手で一つ撫でまわしてやってくれ。」

 「ひっ。」

 いきなり克に、佑子の前に頭を突き出されて、短い悲鳴を漏らして固まる、稔。

 「…幼馴染…。あっ、そうだね、ありがとう、猪山さん。」

 佑子は、克と稔の間の虚空を瞬きせずに見つめた後、急に気付いたように、からかいの混じった笑顔を稔に向けた。

 「へ、へぁ、あ、ああ、あ。あ、お、お疲れ様でした。」

稔は佑子の手が自分の頭に近づいたのを感じて、口を開けっ放しにして妙な言語を口走った後、勢いよく頭を下げてから二年一組の教室を走り出て行った。その様子を、心底不安そうに見つめる、克。

 (うわー、猪山の奴、マジで逃げやがった。こりゃ、本気だな…。なんか、嫌な予感がしてきた。軽率に承諾するんじゃなかったな。)

 克は自分が煽りに煽ったことを忘れたのか、面倒そうな顔を提げたまま、机の横に引っ掛けてあった通学用鞄を手にした。

 「んじゃ、俺たちも帰ろうか、篠原。」

「…そうだね。」

 克に誘われて、まつ毛を伏せていた佑子が寂しそうに応じた。

 二人が後にした教室の窓に、紺色に染まった空が、くっきりと分たれていた。

(6)

 「あれ…帰んないの…。」

 克の部屋の前に来た時、佑子が疑問を口にした。責めている様子はない、だがからかいからのものであるとも到底思えなかった。

 「ああ、送ってくよ。結構、暗くなってきてるしな。」

 暗がりの中に沈む佑子の面に、克が柔和な顔つきで返す。佑子はそれを、どんな風に思ったのだろうか。

 「…ありがとう。」

佑子はそう言うと、歩き始めた。その足取りは雲を踏みように、淡い。

 「ねぇ、本田と猪山さんって、幼馴染なんだよね。それって、どんなことなの。」

「どんなって、そうだな。年の差はあるけど、クラスメイトみたいな感じか。まぁ、頭の程度の方が、だいたいは、知れている位の付き合いってことだな。」

 念を押すような、佑子の声。本当は幼馴染などいない克には、とりあえず想像で補って話すより他はない。そんなこと知るはずない佑子が、質問を続けた。

 「そっか…。ねぇ、幼馴染って、やっぱり、特別なことなの。」

「特別っ。いやそれは…考えたことも無かったからな。そう言うのを、特別と言うのならば、そうなのかもね。…えーっと、それにしても、二人で校門を抜けたのって、久しぶりだったな。」

 いい加減、耐えきれないと判断を下した克が、話を逸らした。佑子はただ前を向いたままで、その声に耳を傾けていた。

 「なんだかんだで、登下校は一緒にしていたようなものだけど、下校はいつも学校近くの公園で合流していたからな…。」

 昔を懐かしむ様に話す、克。

 そんな帰り道での落ち合い方は、最初に佑子が克を起こしに行った日から始まっていた。克がその日家路を進んでいると、公園の前で急に誰かに声を掛けられた。首だけ傾けて声の主を確認しようとした克の眼に、ブランコに座っていた佑子の笑顔が飛び込んで来た。

 それが、最初。その日から、佑子は放課後に必ずそこに居た。別にそのことを克に否む理由もなく、結果、どちらかともなく、そこで待ち合わせて帰る様になって行った。…だが。

 克は何も答えずに、徐々に夜に沈んでいく佑子の横顔を見つめる。なびく光沢のある黒々とした長髪。克に何度も言葉を失わせたその瞳も、誰憚ることなく言える、奇麗だと…。そんな佑子の美貌に飲み込まれる様に、克はずっと気になっていたことを尋ねてみる気になった。

 「なぁ、篠原。お前、なんで人前では、俺のこと避けていたんだ。」

 あまりにも呆気なく口を離れた、命題。佑子は顔を伏せたままで、小さく呟くように答えた。

 「私、避けてなんていなかったよ。…ただ、普通にしていただけ。」

 その言葉で、克は自分の目の前が明るくなったように感じた。

 (そっか、それもそうだな。そもそも、俺たちはまったく話さないのが、普通だった。そうだよな、それを俺が、朝の時に比べて…その、物足りないみたいに感じてたのか。解ってしまえば、馬鹿らしいよな、俺が。)

 克は過去の自分を嘲る様に、口元を歪ませた。

 「それじゃあ、ありがとう、送ってくれて…。」

「いいって、なんか俺が待たせてたみたいだからな。」

 切なそうに頬を震わせる佑子に反して、克は重荷の無くなった体を伸ばす様に笑って答える。そんな克に、佑子が消え入りそうな小声で話しかけた。

 「本田には、その…クラスメイトで…ミスコンの優勝者じゃ…特別には…。ごめんなさい、また、明日ね。」

 「ああ、じゃあ、明日な。」

 なんとも心細くなりそうな笑顔を向ける佑子に、克は一抹の不安を覚えた。しかし、やはりその深刻さには、思い至らなかったのだろう。滑る様に、玄関に向かう佑子の後姿に、克が声を掛けることは無かった。

 そして、次の日の朝、約束通り、佑子は来なかった…。


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