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第十四話

(1)

水音のBGMが、耳の奥を洗い流す。克の言う、それが考えどおりのものかは不明であるが、作戦会議とやらは、未だ、テレから来るのか、どこか遠慮がちな稔の咳払いに促されるように始まった。

 「あー、どこまで話したっけな。」

 稔の咳払いに急かされるように、慌てた語調で克が口火を切った。

 「これといって、話してはもらっていないはずですけど…あ、そういえば、ボートの内側と外側が何とかって…。」

「そうだったな、我ながらもったいぶったもんだ。」

 二人はぎこちなく笑いあう。今更、何を躊躇うことがあるというのやら…。

 「じゃあ、とりあえず、『ボートの内側』ってくだりは忘れていただいてだね…。」

「忘れます。」

 克の声に稔が割り込む。その笑顔は、素直というよりは、これ以上無駄口をたたかせまいという威圧感に満ち満ちていた。

 「そ、そうか。助かる。それじゃあ、とりあえず、さっき石川に頼まれたことから話させてもらおうかな…。」

「お願いします。」

「あ、はい。」

 詰め将棋のように、克の口数が削られていく。一見、滑らかな水面に平行し浮かんでいるボートではあるが、どうやらその上ではバランスに問題が生じ始めているようだ。 

(2)

 克は、達雄と話し、そしてその心中の確かな思いを聞き出すにいたったところまで、稔に順序良く話して聞かせた。

 その間、もうトラックもあまり距離を残していないはずなのに、克が終点を顧みることも、稔がそんな克の先を急かすこともなかった。

 「石川は、はっきりと篠原のことが好きだと答えたよ。俺はそれを、信じられると思った。根拠は印象でしかないけどな。」

「そうですか。それなら、一安心です。…どうかしました。」

 稔は自分の味の濃い沈黙を不躾に破られて、少し不機嫌そうだった。克はそんな見のり応対にも、一向に我関せずといった具合に、超近距離で表情を伺っていた。

 「うん。なんか、俺が事前に想定していたほどは、ショックを受けていないようなんで。もしかして、猪山って、他人のものには興味が抱けないタイプ。…いや、今後の参考にと思って。」

 克の不躾な質問に、稔が焦りを見せた。何を思っているのか、耳まで真っ赤になっている。

 「なっ、ショックだなんて。そ、それに私、言ったじゃないですか。篠原先輩が幸せなら…先輩がそれでいいのなら、私だってそれがいいんだって…第一、参考ってなんですか、参考って。」

 「それは、ほら、いろいろと、な…。にしても猪山がそんなじゃ味気ないなぁ。石川には頼まれてみたものの…なんか盛り上がりに欠けそうだし…。やっぱ、拒否っとくか。」

「そう、それですよ。そうそう…とういうか、石川先輩から何を頼まれたんですか。まず、それを、聞かせて、もらわないと。」

 稔が高ぶった呼吸を落ち着けるように、言葉を噛み砕く。

 「あー、そうなぁ。でも、実は頼まれたのは俺だけだった、とか。石川の頭に猪山が数として入っているか怪しいから、とかってこともあったりするんだよなぁ。これは話してもいいもんかなぁ。どう思う猪山さん。」

 「つまり、何が言いたいんですか、先輩。」

 克はもうスコンッとさっきまでのことを忘れているようだ。稔は、まさかそのことを持ち出して非難できる訳も無く、人知れず眉を吊り上げた。

 「何だと思う。」

「また、もったいぶるつもりですか、先輩。」

 稔の平然とした声に、とたんに克の顔が引きつる。これは、不注意だった克が悪い。

 「いや、そういうわけじゃないんだけどね。…その、猪山には、とりあえず俺の仕事を手伝って欲しいな…っと。」

 克が答え終わっても、稔のジット目は、まだ克の顔面の上に据え付けられている。そのどこか覚えのある圧迫感に、克の上半身はやや後ろに退かれた。

 「解りました。この際、仕方ないですよね。よし、それじゃあ、続きをお願いします。」

 克の変化に照準をあてたような、稔の笑顔。故意であると確証は勿論無いのだが、どちらにしても、克への効果は絶大だった。

 (あの眼…まさか猪山までも…。てか、俺、弱すぎ。)

 「あの、先輩…。」

「あ、ああ、続きだよな。い、今、話を整理してたから、それで…。じゃなくて、すぐ話すから。」

 稔に瞑想を破られた克が、何かをかき消すように両手を目の前で振り振り、苦しい言い訳をする。それをどこか心配そうに、あるいは寂しそうに見つめる稔の眼には、快晴に輝く今日の太陽とは違う、仄かな温かみが宿っていた。

 全てに気付けているわけでないので、克は思う。

 (前提として、単なる俺の被害妄想でなければだが…喜べ、猪山。お前、間違いなく篠原に似てるぞ。)

 そして、解ってないからこそ、克は苦笑した。この場合、克は自意識過剰で在るべきだったのかもしれない。透き通った床の上で、ボートごと克と稔の視点はまた、逆さまになる。

(3)

 「つまり、石川は、篠原に…その、(保留とは言いかねるので…。)ぎこちない関係になるだろうけど、それでも構わないならっていう条件付きで付き合ってもらっているようなもんなんだと。で、そのことがあるから、自分からはとてもじゃないけど、篠原にそれらしい…恋人としてのだな…そういった反応を要求できない。それでも、自分が篠原に好意を抱いているのは、純然とした事実であるからして、せめて、自分から交際を願った以上、そしてもちろん自分のためにも、篠原に対して自分が好意を持っていることは、どうにかして示していきたい。だからして、今回、あいつからここに篠原を誘ったってのは、その一環で、具体的な行動としては記念すべき第一歩なんだと。ま、結果は、俺たちお邪魔虫ってことだけど…理解した。」

 日向ぼっこのさせ過ぎだったか、多少呆然として表情の、どこか要領を得ていない様子の稔に、克が終始速足で簡略に説明を済ませた。稔の困った顔は、略式であったことの効能か…。

 稔が小首を傾げてから、確認を取る。

 「えーっと、つ、つまりは、石川先輩にとっては、私たちは居なかった方が良かったってことですよね。」

「篠原に好意を示す機会が増えるって意味では、そうなるな。何、これは結局、篠原の作戦が図に当たってるってことの裏返なわけだから、俺たちが気にすることはないだろ。

 上目遣いに克の解答をまっていた稔が、克のお墨付きを得て、ほっと一安心と胸をなでおろす。克はそれを、得心のいったような目で見ていた。

 「それも、そうですよね。…なるほど、解りました。」

「それは、よかった。俺も、猪山が授業中にどんな態度で教師連中と接しているか、容易に想像がついたぞ。当てずっぽは、記述式の問題では弱いよ、猪山。」

「…一言多い男は、モテませんよ、本田先輩。」

 「苦言一つとっても、猪山を思えばこそさ。茨の道は歩きたくないだろ。」

「本当に、調子のいい…。というか、私の前途を、茨の道あつかいしないでくれますか。…それは、篠原先輩と比べたら…その方面に近いかもしれませんが…。」

 「あー、あいつ、成績も、顔もいいからなー。良かったじゃん、接点に使えそうな分野がまだあって。」

あー言えば、こー言う克の憎らしいほどよくすべる舌に、稔が咳払い交じり息を一吐き。どうやら降参の合図だったようだ。克も、面白そうな顔のままとは言え、とりあえず鋭鋒を収めたようだ。

 「ご忠告痛み入りますわ、先輩。…では、そろそろ本題に。」

「おお、すまんすまん。で、だな。…んっ。」

「こんどは何ですか、先輩。」

 またもや何かに気付いたように、不可解な声を出す克に、激変を重ねる状況に少々お疲れ気味の稔が、力なく嫌そうに問いかけた。克は聞いているのか、首を後ろに向けたまま眼を白黒させて何かを伺っている。

 「先輩。」

 勘弁して欲しいと、稔が続けて克を呼ぶ。克は態度を改めること、緩慢に答えた。

 「んー、なんか、もう、ゴール間近みたいなんだよね。」

 克に指摘されて、稔も克の肩越しに終点を確認する。

 「あ、本当ですね…って、どうするんですか、私、肝心なことはまだ、全然、教えてもらってませんよ。」

「全然ってことはないだろ。あと猪山、『全然』って『まったく、ない』ことだから。」

 「言葉の意味なんて、今は、どうでもいいんですよ。先輩、もう少し焦ってくださいよ。もう、時間ないんですよ。」

 午後の日和を精一杯浴びるように、大きく体を伸ばす克に、稔は条理の苛立ちを浴びせかける。克は首のストレッチがてら、それに応対した。

 「『全然』の使用は避けたか、もっとこう、応用力をさぁ…はいはい、解ってますよ。ま、焦る必要ないって、仕込みも済んでるしな。」

 「しこみ。」

 またも嫌そうに、稔が復唱した。もう稔の目にも、終点で待機する赤いスタッフジャンパーを着た係員の姿が、はっきりと見えている。

 「仕込みって、いった何ですか。」

 何とはなしに稔が尋ねる。その無防備さに当てられたのか、克の顎の動きが重くなった。

「んー、それはだねぇ…。」

 「またっ。」

「そう言う訳じゃ、ないんだけどなぁ。」

 克は近づいてくるボート乗り場に目線を合わせたままで、逃げるように稔の疑問をはぐらかす。そんな、以前として自分の方へ向かない克の頭を、稔が両手で鷲掴みすると、強引に正面捻って戻した。首の骨が軋みを上げるような攻防の末、克の目線が稔のそれに重なった。

 「お、おい、猪山。見られてるかも、不味いって。」

「何を慌てているんですか、先輩らしくもない。だいたい、誰に見られてるって言うんです。」

 「…それは、もちろん…お天道様…。解った。猪山、解ったから。言うからとにかく離してして下さい。」

 ようやく解放された克は、稔が怪訝そうな顔で見ているのも構わずに、大慌てて、キョロキョロと辺りを見回した。そして、異常のないことを確認すると、上体を折り曲げての大きなため息を一つ。

 そして、対面している稔には、何を意味しているのか解らない笑顔。

 そんなものを向けられて、稔は詰まらなさそうに、小さく鼻を鳴らした。

 なるほど、稔には解るまい。しかし、解るものなら慌てざるを得なかっただろう。確かに、克が真実警戒した相手は、お天道様ほど公明正大ではないはずだから…。

 観念した、あるいは投げ遣りとも取れる態度で克は、稔の頭をスイカか、カボチャの中身を調べるかのように軽く小突いた。

 「仕掛けは、これだ。」

「頭…ですか。」

 稔は自分の頭がどんな扱いを受けているのか気付いていないのか、真剣そうな眼を上に持ち上げて、克の動きをジッと見極めている。そんな、稔の真摯な態度にも、克の目は定まりきらない。なるほど、ボートは後いくらかもしない内に、乗り場に到着するはずだ。

 「あっ、違うって。その上、お前の頭皮の上に乗っかってる、もとい、生えているものだ。」

「ああ、髪のことですか…えっ、じゃあ、もしかしてわざと…ちょっと先輩。」

 「偶然だよ、偶然。では、こちらにどうぞ、お嬢様。」

 克は、ボートの内情を察しかねている係員を、義足の脚で匠に避けつつ、ステップに飛び乗った。かかとに打たれて、木製の床が小気味のいい音を立てた。

 全ての後に、そっと差し出された克の手。手を重ねようとした稔が、躊躇って見せたのは、再三に渡って重ねられた悪戯を意識したからだろうか。そんな、稔の手を中空で克が握り締めた。

 「あ、ありがとうご…きゃっ。」

 口元をはっきり動かして、礼を言う、稔。克はそんなものお構いなしとばかりに、稔をグッと引き上げた。

 ステップに乗り上げざまよろめいた稔が、克に肩を掴まれて前のめりに静止した。そんな稔の、第一声は…。

 「す、すいません。」

 克はただ笑って、言葉で取り合うことはしなかった。

 稔は克から身を離すと、裂けた何かを繕う様に、何度目になるか解らない言葉を綴った。

 「あの、先輩…。」

「解ってるって。」

 「わっ。」

 克に背中を押されて、稔が驚いたように、足早に前へ進み出る。克がその前に歩出たのは、稔が振り返るよりも、早かった。

 「ちょっと、先輩。」

「だから、解ってるって。話の続きだろ。話してやるから、速く来いよ。」

 克はそう言う、足早に外に出る。傾き始めた日のせいか、心なしかその耳の辺りが赤くも見えなくはない。

 「まったく、お願いしますよ。」

 稔はそんな克の背中に呆れたような、声を掛ける。その言葉は、稔の瞳のように澄んでいる。

 下り始めた陽の幕は、まだ、どこまでも暖かだった。


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