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第十二話

(1)

 しばらく『それ』を穴の開くほど見つめていた稔であったが、克が近づいてくるのに気付いて二人のそばに駆け寄ってくる。いかにも『言わねばならないことがある。』と言わんばかりの顔で…。

 こちらに駆け寄ってくるそんな光景を困ったように苦笑して迎える克に、間違いなく笑顔ではあったが、祐子が小悪魔のようなひどく愉快そうな目で克を一瞬覗く。そして、小さな笑い声を残して、祐子は達雄のもとに駆け出した。

 すぐに交差する祐子と稔。祐子の腕には抱き寄せるようにして何かが携えられていた。

 「本田先輩。あれ、あれを見てくださいよ。あのボート、ゴム製ですよ。なんと底の部分まで。あんなの完全濡れるじゃないですか。」

「んー、あー、うん、確かにまるっきりゴムボートだねぇ…。ま、二人でかしこまって、大人しくしてれば大丈夫だろ。それに…ほら、これ。」

 稔に詰め寄られて克は、そばから離れていく祐子を遠近感の定まらない目でおいなら、ゴシゴシと乱暴に自分の頬を撫でた。そんな、少なくとも稔に対してはそっけない態度の克が放り投げるように差し出した半透明の物体は、先ほど祐子が腕にぶら下げていたのと同じものだった。

 「あ、これ、例の…雨合羽…。て、これ、フードすらないじゃないですか。」

「ん、みたいな。ちなみに、それ、篠原に経費で落としてもらったものだから、心して着用せよ。」

 あけてびっくり…あるいは予想道理だったのか、稔のさめた反応が示すように、それは雨合羽というよりは、頭と両腕を出すための穴の開いたビニール袋。申し訳程度に、袖のような部分もあるが少なくとも半袖使用。輝く太陽の下、この施設内を通る水の路が、こんなにも綺麗に乱反射しているというのに…どの時点で客足が断念へと向かったかが手に取るように分かる。

 稔もその訳を文字どおり『手にとって』実感した様子で、目の前に広げた物証をぼんやりと見つめている。心なしか、すでに皺になっているようにも見える。

 そんな固まっている稔を置き去りにして、克が大型ビニール袋を被りに掛かる。

 「ん、なんだ、これはどこから頭だせばいいんだ。よっと、ほっ。」

 稔の嫌そうな顔はここに極まった。ガサガサと間抜けな音を立てて特売…もとい、特大覆面と化した『雨合羽』と白昼に堂々格闘する克の図。克本人の目から意外は隠しようもない光景に、稔の引きつった笑みにチラリと歯が見える。雲ひとつない空の、底が抜けたようだ。

 ようやく対戦相手を制した克が見たものは、目を見開いて克の様子を凝視する稔の姿だった。ちなみに、もと『雨合羽』は彼女の猫の様に丸まった掌のなかで無残に揉みくちゃになっている。

 「なんだ、お前。まだ着てなかったのか。着ないと濡れるぞ。」

「だってぇ。」

 祐子のためという大義名分をジェットコースターの辺りで落っことしてきたのか、稔の克に対する泣き言が続く。克は感じていた。

(こいつ、なんかさっきから行動のベクトルずれてないか…。)

 「…あの先輩。」

 白けたように自分を見つめている克に気付いたのか、何を気に病んだのか恐る恐る尋ねる、稔。…克の考えは、案外的を射ていたのだろう…的が何であるかということを除いては…。

 そんな、最早、何を不安に思っているのかすら判然としない稔に、克はビニール袋に包まれた胴体をガサガサ言わせながらおもむろに距離を詰めた。その分、稔が後に引いたのは言うまでもない。

 「なんだ、もしかして一人じゃ着れませんってことか。仕方ない奴だな…ほら、ちょっと貸してみろ。」

 克は素早く稔の手の中でテニスボール大にまで圧縮された『雨合羽』を掠め取ると、埃でも払うかのように勢いよく振り、広げはじめる。『雨合羽』はその度に空気の抵抗に敗れて、ヒラヒラ漂うようにしながら新しい皺を刻んでいった。同時に稔の眉間の皺も深まっていく。

 「よし、いいだろう。それじゃあ猪山、ほら、あれだ、ええっと…そう、万歳しろ。どうした、ほら、バンザーイ。なんだよ、逃げんなよ。」

「無理、絶対無理ですよ、そんな格好。それだけはありえませんって。」

「遊園地内ではどんなことだってありえてしまうんだよ。てか、人のこと指差しながらありえないとか言わないでくれるか。…あー、もういいから早くしろよ。どうしても俺とこうやっていちゃついていたいなら、こんなとこでじゃなく、ボートの上にしてくれよ。一緒にビニール袋ルックに、文字どおり包まれながら。」

「そこまで自分の格好のことを理解していて、なぜあえて人を巻き込もうとしますか貴方は。」

「…そりゃぁ…だってなぁ。ま、いいから着てみろよ。俺が全力で装着を助けてやるから。」

「装着とか言わないでください、装着とか。ストップ、それ以上は近づかないで下さい。」

 くったくのないにやけ顔に加えて、ビニール袋、もとい『雨合羽』をしっかりと握り締めた手を前面に押し出した克が、じりじり稔を追い詰める。首を横に勢いよく振り回しながら後退る稔にも、流石にこの場所から逃げ出すという選択肢だけは存在しないようで、ついには見えない壁にでも阻まれるかのように、開放感溢れる路の真ん中で縫い付けられたように逃げ場を失った。しかし、その表情には今だ、戦意が顔文字と化して浮かんでいる。

 克はそんな稔の我がままだとはっきり言い切れる様子にも気を悪くした風はなく、それどころか何かこう悟りきったような笑顔を稔に向けた。それは『雨合羽』がそうさせるのか、実に包容力のある笑みで、同時に、間違いなく『雨合羽』がそう見せているのだろう…とてつもなく不気味だった。

 「猪山。」

「な、なんですか。」

 克は未だ警戒を解こうとしない稔の肩に、そっとビニール袋ごとその手を乗せた。耳元でガサゴソしているそれに、稔は嫌そうな視線を油断なく向ける。

 「猪山、俺にもいろいろといいたことはあるが、とにかくお前の言いたいことも解る。それに今日は、俺はお前に対して彼氏的行動をとらなければならない日でもある。だから猪山…とりあえずあれを見てくれ。」

 そう言った克の視線の先を見つめた稔の目が、点になる。

 二人の視線の向こう、そこでは、楽しそうにお揃いのビニール袋に胴体を梱包された祐子と、はにかむように口元震わせている達雄が、すでにゴムボートに乗りこんでいた。

 稔は、すでに自分の顔に視線を戻して満足そうにしている克にも気付いていないように、唇を真一文字に結んだままで固まっていた。

 「さてと。」

 声にあわせて仕切りなおすように、一歩後ろに距離をとる、克。いつのまにか稔は、そんな克を決然とした面持ちで迎えていた。

 我知らず、可笑しそうに歪む克の口の端。そして今一度、差し出される白い旗にも似たそれ。そのとき、稔の手が空へと掲げられたのかは、知る由もない。

(2)

 「先輩。だから、先輩ってば。もう少し静かに乗ってくれませんか。」

「お、悪い。」

 稔は、まさかそれでどうにかなるとは本当には思っていないであろうが、頼りなげに浮かぶボートの転覆をどうにか抑えようと、まるでヤジロベエのよう両腕を左右に伸ばして休みなく、揺れ動く水面にあわせて巧みに体をくねらせている。

 注意を受け克はというと、そんな稔の様子を愉快そうに見つめつつ、ずり落ちるようにしてさらに深々とその身をゴムで出来たベッドに横たえた。目の前に広がる蒼天には当然、背後のプールと違い底などない。

それだけに克にはこの独特の匂いを放つ揺り篭が、木の葉のように覚束なく、だから今日のような陽光がサンサンと降り注ぐ午後には、どこかむず痒いものにも感じられた。

 (まぁ、一人で乗るには、子供の無邪気さが必須だってことだな。)

 克は脚を伸ばし、目を瞑る。彼の口元が皮肉に緩んだのは、首筋に感じた熱いほどの日差しが原因だろうか。ボートはいよいよ、プールの流れに従ってゆっくりと克の足元の方、同時に、稔の背後へと進み始めた。

 「せ・ん・ぱ・い。」

 ボートがいくらも進まないうちに、瞼を落とし、薄い笑みを浮かべながら単調さを楽しむ克の午後に、待ったが掛けられた。稔が情感たっぷりの可愛らしい発音にあわせて、ボートの端まで伸ばされた克の膝の辺りを、打楽器にするにはやや軽めに手で打ち鳴らしたのだ。

 「なんだよ、猪山。その呼び方を明日からも続けてくれるんなら、何でも応えて差し上げるぞ。だから今日はもう、それで俺を呼ぶのは勘弁してくれ。…ところで、なんでおたくサンはそんな所におられるんでしょうか。」

「その点に関しても、説明の必要があるのは本田先輩の方だと思いますけど。」

「むっ。」

 太陽を背景の一部に、水鏡の反射を受けて稔の涼しげな顔が際立つ。その小さな微笑から漏れた、どこか船上の空気を熱っぽくする言葉に、克は呻く様に、納得したとも、感嘆したとも取れる声を水面に滑らせた。

 この辺りで、四人がなんだかんだ言って堪能している、このアトラクションに関して簡単に説明を加えておきたいと思う。

 とはいえ、これはなんてことはない。書いてしまえば、このテーマパークの他のアトラクションとの違いが、一目で解るような…そんな代物である。

 設備というか、範囲は、柵で囲うことすらされていない、陸上競技のトラックを思わせるような楕円形…しかし、この走者の位置すべき場所は、ここでは二メートル以上は優に下に掘り下げられていた。

 つまり、克たちの浮かぶ、視線を低くしたことで塗装の剥げ落ち具合が一目瞭然なプールもどきは、ようするにそのループ型の窪みに水をたっぷりと張っただけのもの。言ってしまえば、そういうことである。おそらく、遊園地の側の意図としては、このアトラクションと外界は窪んだ路で仕切られていると、そう演出しているのであろう。…ただ、窪みの内側に広がる、克たちより頭一つ分は上に存在する場所。

なぜここが芝生に覆われているのか、この理由は、寝転んで空を見渡したとしても判然とはしないようだ。

 稔に呼びかけられる寸前、克は

(全長は400m、いや500mはあるかな。規模だけ見ればたいしたもんだ。しかし、やっぱこの芝生が謎だよな。つか、こんなところ誰も入って来れないだろ。そういう意味でも間が抜けてると言うか。…やっぱ、あれか、あえて陸上競技をモチーフとした空間をのんびり過ごすことで、日常性を嘲ろうとか。そこから夢想的な何かを…いや、それはないか。第一、何かを貶めて夢を提供しようってのはなぁ。いくら大衆向けの施設でも、品が無さ過ぎるか。ま、考えてみれば、こちらさんは俺たちと違ってプロでいらっしゃるんだからな。…いや、どうだかなぁ。)

というようなことを考えていた。

 壮大というか、見当はずれというか、その辺りの了見で克はで両足と思索を伸びやかに遊ばせている。いつの間にか、組まれた両手がざらついたゴムボートと克の頭に挟まれて、枕に早い変わりしていた。時折耳の近くで聞こえる、ゴムボードが水を後方に音に送り出す音が頭を掠める度に、満足そうな息さえ漏らしている。なんのことはない、偉そうなことを考えている割には、きっちり克も、このアトラクション(?)が造り出す夢のコースにちゃんと牽引されていているようだ。

 その自覚が克にあったためか、はたまた頭の片隅にすら上っていなかったのが悪かったのか、稔に呼びかけられたときの克の反応は、いつも以上に消極的なものだった。冗談を添えるのは、忘れなかったようだが…。

 そして再び、向かい合った二人のやり取りに戻る。

 いやにあっさりと言い返された克は今、片目だけ開けた状態で稔の視線に対している。閉じられたもう一方の瞼が細かく痙攣しているのが、若干の時間の経過があったことがなんとか推察できた。しかし、克の脚に右手を乗せたままの稔は、ただただ午後の陽を微かに伏せた睫毛でいなしていた。

 やり辛そうに瞬きしていた克が、たまりかねた様に右目を閉じるのと同時に、口を開く。

 「えーっと、それはだね…。あ、ボート内のこの状態のことと、ボート外の篠原たちとのこと、どっちから説明しようか。」

 克は首を持ち上げると、空々しいほど親しげな笑顔で質問を返す。稔はそれを聞くと、ニッと歯を見せて笑った。

 「へぇー、じゃぁ今、こんな風になっていることは、篠原先輩たちのことと関係はないんですか。」

「そうとも言えるかもね…。」

 ようやく克から、それがどの質問に対してのものか解り辛いが、回答らしきものを得た稔は、また…いや今度はさらに大きく笑った。そして今まで預けるように勝の膝の辺りに置かれていた右手が、ガッと勇ましく克の脚を掴みに掛かった。

 「なるほど、じゃあ今、私が私の居場所を大きく削っている、この立派な脚をどかしたとしても、先輩が文句を言うことは無いんですよね。」 

 稔は少し状態を持ち上げると、今度は克の脚を押さえつけるように腕に力を込める。その細腕から如何ばかりの力が顕れているのかは、稔が動くたびに『雨合羽』の放つ独特の音ほどははっきりしない。

 「何か言うことはありませんか、先輩。」

 わずかに弾む悪戯心を匂わせつつ、稔の楽しげな笑顔が克を見下ろす。その顔からは、今までの仕返しにとか、謝っても止まらないとか…そして何より、これから慌てる事になるであろう克を面白がっているという雰囲気が、有り余って溢れかえっていた。

 ここで今度は、ボートの内側のことについて説明したいと思う。

 当の施設が、集客力の面から考えたとき、少なくとも数多のアトラクションに囲まれているという立地である以上…過度の敷地面積を有していることに異論の向きは、何所からも上がらないだろう。

 さてそこで克たちの押し込められている…そう、こんな表現が適切に感じられるほど…二人の収まっているゴムボートは小ぶりなのだ。

 克は脛の辺りを押さえられた状態で、稔の体勢に左右されて面白いように揺れるボートの縁をしっかりと掴んだ。この状態で稔が行うことといえば、確かに自ずと限定される。

 「とりあえず、待ってくれ、猪山。この体勢は、いや、もちろんさっきまでの体勢にしても、俺にとっては不本意なものだったのだよ。」

「ほほう。」

 稔の意地の悪い犬歯がなおもちらつく。それは仕方のないことだろう。なにせ、両手と口先では慌てている様に見えるが、肝心の態度と表情には飄々とした皮肉な笑みが消えていない。これでは溜飲が下がるわけもない。

 さて、さっきから二人が揉めている『体勢』の話に進みたい。

 とは言え、先ほどまでの断片的な説明で賢明なる読者諸賢には、今更のくだくだしい文句は必要とならないであろう。ので、あえて端的に書かせて頂くと…稔は挟まれていたのだ、何憚る事もなくボートの端の方にまで伸ばされた、克の脚と脚の間に…。

 「それにさぁ。たぶんこれ…そうだよ、この微妙なサイズのボートは、このアトラクションがカップルをターゲットにしてるってことなんじゃないかな。どう猪山、お前もそう思わないか。」

「なるほど、確かにそうかもしれませんね。もちろん、私たちに何の関係もありませんけど。」

 目元まで笑いが行き渡った顔の、稔。そして今度は、その左手が克の左脚の脛の、それがあるはずの場所に宛がわれる。またもや、傾くように揺れる船内。そんな中でも、克は目聡く稔の両腕が接触している位置を確認し、左の口の端を伸ばした。

 ボートの振幅が、細長い水路中に伝わる。それを受けて、とこどころ塗装のはげ落ちた壁が、人工物とは思えない微細な波紋を、また水面に返す。今またゆっくりと、一欠けらが沈んでいく。

 落ち着きなくシャンパンのように泡を立てる塩素入りのプールの上で、克がまたなにやら始めたようだ。克がわざとらしく表情を曇らせた。

 「なるほど、猪山。解ったよ。」

「な、何がですか。」

 突然の克の、しか当然に怪しい変化。当然、稔はちょっとむっとしたように、そしてやはり君の悪そうに尋ね返した。

 「猪山は俺の慌てふためいた、滑稽な様を…その上で俺が平謝りする様子を見たい。そうだろ。」

 抑揚の効いた台詞に、いつの間にか優しげなものに張り変わっている顔。克の声の傍を、水の書き混ざるような音が通る。稔は結んだ口をモゴモゴ言わせながら、答えた。

 「ま、そうですけど、そうはっきり言われると…。その、いろいろやり場に困るというか…。」

「いいんだ。さ、やってくれたまえよ。」

「…えっ。」

 稔の言葉を受けて瞬時に、言葉を返す、克。その畳み掛けるような馬鹿に明るい笑顔と、多少あせっているようにも思える克の返答に、稔の顔が変なものでも食べさせられたような渋くなる。両手を軽く広げて、あるいは受け入れの意思表示のもりつか…胸を張る克の姿が、よほど胡散臭く稔には映ったのだろう。

 そんな疑問の声を上げて固まってしまった稔に、克は上半身を起こすとそっと手を伸ばした。その手の動きを稔の視線が追う。注視の中、克の手は稔の右手に重なった。

 「あの。」

「俺の脚を引っ張りあげるつもりなんだろ。いつでも、いいぞ。」

「いえ…そうでは、なくて。」

 稔は克の妙な態度に耐えかねたように、目線を横にそらした。そして、ジーンズの上を滑らせて、右手も克の脛の辺りまで後退させた。

 いやにあっさり、と克の手から開放された、稔の右手。このとき小さく拗ねたように目のやり場を探していた稔には見ることが出来なかった。稔の右手が抜けた後で、克の手が自分の膝を探るように掴んでいたことを、そして全てが終わった後に、満足そうな表情は顔に張り付いていたことを。

 「さぁ、やるなら今だぞ。どんとこい、猪山。」

 全身が脱力したことを示すように、克が再びゴムボートに横たわった。ゴムのこすれる様な鈍い音で、稔の首が克の方へと曲がる。あっと言う程度の克の動きの間に、その薄っぺらい表情は、元の状態に戻っていた。

 一連の克の奇行をどのように判断したのか、いや、おそらく今この瞬間でさえなめてからかわれていることは自覚していたのであろう。決然として、稔の両手に力がこもる。

 「先輩、私も解りました。では、遠慮なくいかせてもらいます。あ、水飲まないように、息は止めておいたほうがいいですよ。」

「うむ。」

 自分の皮肉にも、この期に及んでさえ、腕組みまでして尊大に構える克に、稔の眉が釣りあがる。そして…。

 「それっ。」

 掛け声一線、稔は克の脚を…すっぽ抜いた。

「…。」

 あまりの驚きだったのだろう。稔は呼吸をするのも忘れて、目を見開いている。そして、そのままの『克の脚』を抱きかかえるような格好のまま、稔は後ろに倒れこんだ。

 「ガボッ。」

「おいおい、大丈夫かよ。…ったく、忙しい奴だな。」

 克がようやく稔を助起こしに掛かったのは、首から上を水に付けた稔が抗議を始めた頃だった。克は冗談キツイ男である。

 こんなにも広い空の何所にも、今日は、雲の一つ置いておく余地もなさそうだ。


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