第一話
『あらすじ』でも記載いたしましたが、この作品は以前に当サイト様にて掲載していた小説の再投稿です。要するに、紛うこと無き恥の上塗りである事を、ここに明記いたします。
それでは、お目汚し、大変失礼をいたしました。
どうぞ、ごゆっくりお楽しみ下さい。
(1)
義足を外し、その内側を拭ったあと、本田克は何やらアンケートに記録をし始める。
外芝高校二年一組、10時を過ぎている今の時間は、他の生徒たちは体育の授業を受けているはずだ。克は一人教室内での作業を終えると、義足を再度装着に掛かった。
「あっ…。」
「よう、篠原か。ん、体育は…まさかお前ふけて来たのかぁ。いいのかねぇ、生徒会に入っている人がそんな所業を。」
「え、違うよ。」
どこまで本気なのか、困ったような顔で笑う少女。彼女の名前は篠原佑子、克と同じクラス、つまりこの教室の生徒だ。そのはずが、佑子は少し挙動不審気味に、室内に覚束ない足取りで入りこんで来る。
克は少し顔色を翳らせながらも、努めて明るくふるまう。
「あ、あー、悪かったな、近くで見ると結構怖いだろ。実は俺からして、まだ慣れてないからな。よっと、じゃあ俺、図書館にでもいるから。篠原も教室出るときは、鍵が教卓にあるから、戸締りだけ頼むな。」
克は特に歩行に困難な素振りも見せずに、足音高く教室を後にしようとした。
「待って。」
佑子はそれを授業中には適さない音量で呼び止めた。慌てたように、それでも気を使ったように、速やかに、かつ静かに扉を締め直す、克。
「ちょっと、不味いって、他のクラス授業中だから。」
「ごめん。」
佑子は顔を赤らめながら、しょんぼりとした様子で謝る。彼女はこういうところからして人気があった。
「で、何か用。」
克は近くの椅子に腰かけると、鼻から息を漏らす。佑子はおずおずとしながらも、着実に近づいて来る。普段が快活なだけに、こんな風に近づかれると少し威圧感がある。克はのけ反りそうになりながらも、なんとか彼女がすぐ隣の席に座ったのを、後ろに倒れずに確認し終えた。
「…実は、私も同じなんだ、本田と。」
「同じ、同じって、病欠見学か。まさか、風邪か。…悪いけど、今日はそっちの方角が鬼門だから。…そういうことで。」
そういうと、克は後ろを向く。背後から、佑子とは思えないような台詞が返ってくる。
「うん、そのままでいいから、もう少しここに居てくれないかなぁ。」
「あ、どうしたんだよ、お前。何か変だぞ。」
克は首だけで佑子の方に、振り返る。
「ヒッ。」
佑子の口から、かすれた様な悲鳴が漏れる。佑子は制服の裾を少しまくりあげていた。手には、黄色いペンの様なものが握られている。瞬時にそれだけ確認すると、克は勢いよく首を戻した。
「悪い、篠原。」
「い、いいの、ごめん、もうすぐ終わるから…。」
いいと言うその声は、どこか引きつっていた。克はその場を繕おうとしたのかも知れない。動悸に無理に重ねるように、克が佑子に同意を求める。
「篠原…さっきお前の言っていたこと、…お前、糖尿病だったんだな。」
「…うん。」
佑子はポツリと呟くように答えた。校庭では、見知った顔達がソフトボールをしている。空は白く、曇っていた。
(2)
「えっと、どうも注射するとき、近くに誰か居ないと不安で…だから…もう、いいから。」
「ああ。」
努めて明るく振舞い合う二人。だが睨めっこしているわけではないので、残る違和感はきっちりあった。
そんなぎこちなさの中で、克はペン型注射器からインスリンのカートリッチを取り出す佑子の姿に見入る。セミロングの黒髪、白い肌、二重まぶたに形のいい瞳。
(近くでこうまじまじと見ると、やっぱ美人だな、篠原は。)
「どうしたの。」
見とれる克に、佑子がずるそうに、しかしどこか不安そうに尋ねた。克は事もなげに答える。
「篠原って美人だよなぁ。…とりあえず、そんなこと考えてた。」
「何、本田ってやっぱりそういう奴なの、もったいないよ、せっかく頭良いのに、軽そうなキャラは。」
「なんで篠原が、もう少し視点を下げた場所のことを褒めてくれないのかは追及しない。で、やっぱりって…俺のことを篠原に捻じ曲げて伝えたのは…情報ソースは誰なのかなぁ…イニシャルだけでいいから教えてくれるか。」
克は楽しげな顔で、おどけた口調を廻す。佑子もようやく寛げたようだ。しかし、彼女には言わなければならないことがある。
「えっと、本田…。私の病気のこと、みんなには黙っておいて欲しいんだけど。」
佑子が柔らかい笑顔を作りながらも、少し困ったように切り出した。克も佑子を出来るだけ追い詰めないように、笑顔を作る。こういう反応は、お手の物だった…。
「解ったよ。もともと、話の種にする気は無かったけど、篠原がそういうなら、墓まで持ってくことにするよ。」
「ありがとう。本当は本田に、こんなこと頼むのは失礼だって思うんだけど。」
佑子の花のような笑顔が、再びしぼむ。克は優しげな声で彼女の言わんとすることを引き出してやる。
「失礼、どんなことがかな。聞かせてくれ、事と次第によっては怒るかも知れないから。」
「うん…。その本田にも障害があるのに、私だけ秘密にして…しかも、本田を利用してって…怒るかな。」
心底不安そうに尋ねる、佑子。本田は机に突っ伏しながら、顔を綻ばしてみせる。
「怒んないよ。」
「本当。」
「ああ、そういう気持ちは俺にもあるからな。」
「…」
じっと克を見つめながら佑子は黙っている。その真剣な目を受け止め、克が話し出した。
「俺の今の義足。これ大学で研究中の最新型で…ああ、親戚にコネがあってな…で、バイトついでにモニターやっているんだ。そういう、境遇を利用するときとか…そうだな、脳に障害を持つ人を見たときとか…あるんだよな、何か。自己嫌悪でも、罪悪感でもないけど…少なくとも義足つけ始めたころにはもう、感じていたかな…って、かなり昔のことだから、義足が理由かは解らないけどな。まぁ、篠原と同じように考える気持ちは俺の中にもあるから、少なくとも俺に気に病む必要はないよ。」
「でも、本田は足が…。」
佑子はまだ納得しない。克はなかなか面倒見のいい性質なのか、説明を続けた。
「えーとちょっと回りくどかったか、何せ、俺視点だしな。あー、あ、そうだ、篠原、お前可愛いだろ。」
「え、何、いきなり。いや、それは私としては、すぐ同意するのは。」
ハッとしたり、赤くなったり、佑子も克に負けず劣らず忙しい。克もそんな様子を楽しそうに見つめている。
「そうなんだよ。俺の眼は確かだ。で、篠原は平均的女生徒から抜きんでた美貌の持ち主ってわけだけど。化粧くらいは、しているんだろ。」
「え、してるけど。」
「なんでだ。」
「何でって…しないと人前に出られないし。」
「スッピンでもお前は篠原だろ。」
「…私の負けかな。」
佑子が楽しそうに、降参を宣言する。
「おい、おい、話の途中で撤退は酷いんじゃないか。」
「いいよ、私聞いててあげるから、好きに話したら。」
佑子は机に頬杖つくと、余裕の目線を克に送った。どうやら、彼女が何かを得たのは確からし。
「そんじゃあ、失礼して…って、何か俺の言いた事解ってくれたようね。化粧だって、中年女みたいに何の脈絡もなくゴテゴテと塗り固めるようなのもあれば、もとが美人の篠原みたいにナチャラルなのもある。だがどっちにしたって、化粧する本人の都合に合っているって範囲では化粧であるし、本人の顔ってことだな…って、聞いてる。」
佑子は笑顔で手をあげて応じた。克は苦笑いでその様子を見る。
「でも…それは、本田に褒めてもらえれば嬉しいけど、私ってそんな美人かな。」
「どうやら俺の眼力に関しては、信用してもらえているらしいな。にしても、ここには俺達しか居ないんだから、そんな謙遜してみなくても。」
佑子が、呆れ顔の克に、味の濃い笑顔を送る。
「違うわよ。本田、ちょっとひねくれすぎじゃない。…私、子供のころから病気のこと隠してきたからか…なんか自分の欠点ばかり目について。だから、人の忠告よりも、自分の粗を無くすことばかり考えるようになっちゃっていたんだ。本田が褒めてくれたこと嬉しかったよ、でも…。」
「お前のことは信じられんから、お前の秘密を教えろと、そういう訳か。…ふっふっふ、そこまで言うならば仕方無い、見せてやろう。篠原が美人だってことを証明するのにも、一石二鳥だからな。着いてきた前、明智君。」
「へ、あんた何言ってんの、ちょっとどこ行くのよ。」
佑子の声を遮った克は、妙に用意の整った論理を吐き出すと、急に廊下に出る。その後を佑子が、不自然に見えないながらも、どこか頼りない足取りの克を庇う様に、後ろからついて行った。好きなことをいって、好きに行動する克は当然として、佑子もどこか幸せそうだ。だから…もう、どうにも成らなかったのであろう。
(3)
二人は図書室に慎重に入り込む。授業中のこと、どうやら先客は居なかったらしい。そして、克はさらに奥に突き進む。
「ねぇ、どこまで行くの。」
辺りをはばかる様に、少し身を低くして、佑子が小声で尋ねた。克は一向にお構いなしに、ズカズカと奥の書庫の扉まで歩み寄る。
「ここだ。」
「え、だってそこは、先生方しか…。」
「いいんだよ。開いている部屋には入って、ほら。」
克がノブを回すと、あっさりと書庫が口を開く。辺りに、日焼けした紙の匂いが漂う。
克は唖然とする佑子を尻目に、奥の棚から一冊のアルバムのようなハードカバーの本を取り出す。そして、それをテーブルの上に置くと…柏手を打ち始めた。
「な、何を…してるのかな。」
困った人を目の前にしているような、不安そうな表情で、佑子が聞いた。克がその様子を、手を合わせながら一瞥する。
「こら、何してんだよ。篠原もこっちに来てやれ。」
「え、だって…。」
「早く。」
「あ、…うん。」
佑子は言われるままに、ドアを閉めてテーブルに近づくと、手を叩いた。そして、
「で、これは何なわけ。」
とやや責め気味な口調で尋ねた。今度は、明らかに克の立場が弱くなる。
「あ、えーと、オホンッ、これはだね、我が外芝高校創立以来のその年度年度における、ミス学園コンテストの覇者の生写真が収められたアルバムなんだ。」
「ミスコン。…そんなことうちの学校でやっていたっけ…。」
「あーっと、…男子だけで代々…粛々と…受け継いで来たんです。」
ジロリと克を睨む、現生徒会書記。克はアルバムを、佑子との間に少し間隔を設ける様にずらす。
「えっと、…言わないよね。墓まで持っていてくれるよね。」
「解ったわよ。で、それがどうしたの。」
呆れ果てたように、面倒くさそうに先を促す、佑子。克は器用にパラパラをページをめくると、一枚の写真を指差した。
「あった、あった。ほらこれ、去年のミスコン優勝者。」
「え、こ、これ、私じゃない。てか、いつこんな写真撮ったのよ。」
本当に予想していなかったのか、佑子は大いに驚く。写真の佑子は、カメラに向かって笑いかけているとしか思えない、朗らかな表情をしていた。
「それは、その…教師の中にも協力者がいるんで…。」
「くっ。何なのよこの手際の良さは…。」
佑子の不穏な目の色を見てとって、克がまとめにかかる。
「まぁ、人の眼なんて自分では絶対にコントロール出来ないものだから、気にするだけ無駄ってことだな。それに、自分が美人だって確認できたろ…めでたしめでたしってことで…。」
「本当に、その積りでこれを見せたの。」
佑子が意地悪そうな眼で、ドギマギする克を見据えた。克は乾いた笑いを立てたあと、呟く。
「あー、その、実は…それを見た篠原の反応が見てみたかった…という部分も無きにしも非ず…。」
それを聞いた佑子は、溜息を一つ。そして、
「もういい。…でも、この写真は私が処分するから。」
と言って、おもむろに写真をアルバムから剥がしにかかった。
「やめてー、それだけは。堪忍してー。それがなくなると、今後の俺たちの活動がー。」
必死で止めに掛かる克の不可解なセリフ。それを聞いて、また佑子の顔が嫌そうな感情を湛える。
「活動…なにそれ。」
「えっと…夢工場…かな。」
二人の間に流れる痛い沈黙。佑子が作業を続行する。
「あー駄目、マジに剥がれるから。なー頼むよ、俺と篠原の仲だろ。」
その言葉を聞いた瞬間、佑子の動きが止まった。そして平坦な顔で、克を見詰める。
「本田と私の…。それって、具体的にはどんな関係なのかな。」
抑揚がついた、だがどこか不自然な音。しかし今の克に、それに気づく余裕は無かったらしい。
「関係。そんなものは、あれだ、クラスメイトで…えーと、それに秘密の関係ってやつ。ほら、バーネットだっけ。あれ見たいな。アハハッ。」
半ば意味不明な言葉を引用しながら、克が説得を試みる。…佑子が彼に顔を向けた。
「解った。じゃあこの写真は本田にあげる。だから、きっちり、貴方の責任で処分しなさいよ。解ったわね、貴方のものだからね。」
「…あ、ああ。…そうするよ。」
佑子は先に立って、書庫を出て行った。克はアルバムを片づけながら考える。
(なんだったんだ…あの眼は…粘っこい視線…。)
心なしか、アルバムを棚に返し終えた克の肘は、細かく痙攣したようだ。外では、すこし楽しげな顔で、佑子が待っている。