『きらきら、きら』(コトダマ版)⑩
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春はとても不安定な季節。夏に近い暑さの日もあれば冬のような寒さの日もある。寒暖の差が激しいのだ。人生にも四季があるとすれば、きっと今は春なんだろうと思う。
何かが芽吹き、そして不安定な時期。昨日は上手く行っていたものが今日も上手く行くとは限らない。それを女子高校生の気まぐれだと思われるのは正直心外だ。
次の日、振り付けの練習の前にちょっと腹ごしらえするためにヒミコさんと私は「たこぼうず」で待ち合わせをした。
「ホントよく食べるねぇ~」
「当然です。また今日も特訓ですから。まったくあの社長にも困ったもんです」
「でも最近レッスン嫌がらなくなったね」
「あはは、私なりになんとなくアイドルっていう自覚が出てきたって事ですね」
「頼もしいね。頑張って、ベルルちゃん」
「ベルルって言われると力が抜ける……」
私がため息混じりに鼻を鳴らしていると、千尋が焼きたてのたこ焼きを持って来てくれた。鰹節と青海苔、なによりソースの香りに私のお腹が反応した。
「なになに、困りごと? よかったら私、相談に乗るよ」
「はいはい、千尋は仕事して。これは鈴ディアの秘密会議なんだから」
相談したくても、後ろで真さんが怖い顔でアンタを睨んでるだって。
「本当に困ったら私に言って。力になれると思うよ」
後ろ髪を引かれる様に千尋は去っていった。すぐに店舗で言い合いが始まったけど気にしないことにする。
ヒミコさんは運ばれてきたたこ焼きを割り箸で口に運ぶ。はふはふ言いながら、私に何かを言おうとしていた。
「ほへれも、はのはひょうは……」
「ヒミコさん、口の中を空にしていってください」
「……ふう。最初に話しようと思ったけど~、たこ焼きの魅力には勝てなかったの~。あのね。あれでも社長は色々考えているから大丈夫だよ~って言いたかったの」
「私を茶化すことも考えのうちですか?」
「あれは単なる嫌がらせだと思う~」
やっぱりか! 誰が見てもそうだよね。よし今度から心置きなく戦ってやる。
「でもね~、私と長峰さんを誘ってくれてたのは社長なんだよ」
「え? じゃあ、ヒミコさんもスカウト組みですか?」
逆に考えると紗江子だけがオーディションを勝ち抜いた本物だったわけだ。まぁ、私はお茶濁し要員だから、数の内に入らないけど。
……って、今さっき長峰さんも社長に誘ってもらったって言ってなかった?
「でも、なんでヒミコさんが長峰さんの入社したいきさつを知っているんですか?」
「……あ~」
のんびりと自分の失敗に気づいたヒミコさんは、慌ててたこ焼きを三つほど口に入れた。
「んぐ~、んぐ~っ」
「喉詰まらせた振りして誤魔化さないでください。教えてもらいましょうか。長峰さんが入社した経緯を」
私は無理やり水を飲ませてたこ焼きを食べさせた。元に戻ったヒミコさんはすっかり大人しくなっていた。
「でも~、本人から聞くの一番だと思うし~」
「じゃあ、昨日社長が長峰さんに『お前も根はマネージャだな』って言った理由を教えてください」
「ぴ、ピンポイントすぎるよ~」
ヒミコさんは頭を抱えて「どうしよう~」なんていっている。この人、本当に「鈴ディア」のエースなんだろうか。そして密かにヒミコさんのファンが近くに座っていることに気づいているのだろうか……という心配は置いておこう。ヒミコさんは少し俯いて覗き込むように私を見つめた。
「聞かないほうがいいよ。若葉ちゃんは長峰さんに好意を持っているみたいだから」
「大丈夫ですよ。私平気です」
本当は全然平気ではなかった。心臓はドキドキ鳴っている。人の秘密を聞くのは正直なれていない。だけど、目力を込めてヒミコさんを見つめる。すると小さくため息をついて観念したようだった。
「じゃあ、言うね……少し私の憶測が入るから話半分に聞いてね」
私が黙って頷くとヒミコさんは話を始めた。
それは長峰さんが東京でマネージャーをしていた頃の話。彼はとある女性アイドルのマネージャーだった。長峰さん自身が発掘したアイドルで、熱心に彼女を育てていたらしい。その熱心さがいつの間にか愛情に変わり、二人は付き合うようになった。
だけど、当時人気も出てきたばかりだったので、事務所の力によって二人は引き裂かれた……というのが、東京から地方の小さな事務所へ移ることになった理由なんだという。
一気に話した後、ヒミコさんはフォーをぐいっと飲み干した。私と言えば、本当にそんな話あるんだなと漠然と思うことしかできなかった。どこか遠い世界の話に思える。だけど……少し胸が苦しくなった。
私の知らないところで長峰さんは知らない誰かと恋人同士だったんだ。手を握ったり、髪に触れたり、照れくさい言葉なんかもかけてたんだろう。私みたいに肩に触れれたぐらいで舞い上がるなんてなかったと思う。
だいたい、長峰さんもいい歳なんだし、恋愛をいくつか経験して当たり前だよね。私とは違うよ。それに昨日みたいな馬鹿馬鹿しい特訓じゃなくて、きっと身のある練習をしていたに違いない。相手は東京で活躍しているアイドルだもん。それこそテレビの向こう側の世界。
私がやっていることなんてちっぽけに見えたんだろうな……きっと心で笑ってたに違いない。なんで悲しくなるんだろう。社長だったら気にならないのに。長峰さんには失望して欲しくなかった。なぜ?
それはきっと……好きだからかもしれない。こんな状況になってようやく理解するなんて私はやっぱり駄目なヤツだ。
だんだん自信がなくなっていくのが自分でもわかった。元々自信なんかなかったけどさ。私の視線がどんどん下がっていこうとした時、テーブルに置いた手にヒミコさんの手が重ねられる。顔を上げると、眉を八の字にして心配しているヒミコさんの表情が目に入った。
「若葉ちゃん、聞いて。だからきっと社長は嬉しかったんだと思うよ。長峰さんが形はどうであれアイドルの卵の練習を手伝っていたこと」
「ヒミコさん……」私は意味なく泣きそうになっていた。正確には感情が高まってた。
「もしかしたら、アイドルに絶望している長峰さんを、若葉ちゃんなら救うことができるかもしれないね」
私は自分の事で精一杯でそこまで考えが及ばなかった。たしかに無理やりアイドルの恋人と引き裂かれた後、私たちには直接何か指示することがなかった理由も頷ける。
もし、私が長峰さんを変えることができたら……それはとても凄いことだと思う。
「はい、私やってみます」
すぐに前向きになれるところが自分の長所だと思う。社長辺りは単細胞って言うけどね。