『きらきら、きら』(コトダマ版)⑤
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「なるほど。わかりました。それが今日社長が来ていない理由ですか」
次の日、ダンスレッスンの合間の休憩で、ヒミコさんと紗江子が私を取り囲んでいた。さすがに長峰さんの事については触れなかったけど、社長が私に対してセクハラではないけど、失礼な発言があったことを説明した。二人は「社長ならありえる」と頷いてくれた。
「で? なんで若葉さんがいるんですか? クビになったんじゃないですか?」
「誰が? 私は無礼なことを言う社長を蹴っ飛ばしただけだよ?」
「いや、それがクビになってもおかしくない、って言ってるんです。若葉さんは被り物ですし、人が変わってもバレないでしょ」
「紗江子、アンタ、社長より酷いこと言っている気がする……」
私と紗江子が睨み合いながら顔を近づけようとした時、ヒミコさんが一回だけ手を叩いた。自然と二人の注目が集まった。
「何だかんだ言っても~、社長はマゾなんだよね~」
「……ヒミコさん。急になに言ってるんですか?」
私のツッコミに「え~、違うのかな~」と腕組みしてヒミコさんは考え出した。
「ヒミコさんになんて事言わせるんですか? 私がアナタをとび蹴りしてもいいんですよ」
私の胸倉をつかんで震えている紗江子。ヒミコさんの事になるとコイツも社長であろうと殴りかかりそうな気がする……
「まぁまぁ、紗江子ちゃん、落ち着いて~。とび蹴りは最後の手段に取っておこうよ~」
「……わかりました」
そういう問題かよ、とツッコミそうになったけど、また問題になるので止めた。
「でも~。社長がいないとなると~、レッスンできないよね」
「だいたいこの人にレッスンいるんですか? 微妙です」
私も同じことを思ってるけど、我慢してるのに。この小娘が。ヒメコさんが再び手をぽんと叩くと、嬉しそうに提案した。
「じゃあ~、私が~先生になるね~」
私よりいち早く反応したのは、もちろん紗江子だった。
「ちょっと待ってください! ヒミコさんの練習は……」
紗江子が一歩前に出た瞬間、ヒミコさんは彼女の唇に人差し指を当てた。すると紗江子の動きが一瞬にして止まる。
「たまには休ませてね~」
「は、はい……」
紗江子は顔を真っ赤にして俯いた。「じゃあ、長峰さんに言ってくるね~」と言い残してヒミコさんは私たちから離れていった。なんとなく気まずい雰囲気が漂う。
紗江子はずっとヒミコさんの後を視線で追っていた。アコガレの人と練習できる環境がどれだけ大切なのか、伝わってきた。これは謝らなくては。
「ごめんね。私のためにヒミコさんが……」
「まったくです。アナタは本当に足を引っ張っています」
紗江子は私をまったく見ずに答えた。いつものなら腹が立つけど、今日は我慢した。私が何も言わないでいると、紗江子は小さくため息をついて、私を見た。
「でも、足を引っ張っているのは私も同じです。一緒に練習しててもヒミコさんについていけない時があります」
「私には全然そうは見えないけど……」
「あなたの実力じゃあそうでしょう」
ずけずけと言われるのは社長で慣れていたつもりだったけど、年下に言われるとまた格別にジワジワくる。だけど言い返せない。年下なのに私よりも実力がある。この子は私よりもきっと練習しているはずだから。
「だけど、たまには休憩するのは悪いことじゃないと思います。ヒミコさん最近頑張りすぎていましたから」
紗江子は腕組みをして私から視線を逸らした。
「ヒミコさんは現在、全盛期の半分以下の力でダンスしてます」
「なんで?」
すると「はぁ?」と声を上げて、紗江子が私に顔を近づけた。信じられないと言いたげな表情だった。
「知らないんですか? ヒミコさんが東京でのアイドル活動を止めた理由」
「ごめん、知らない……」
「本当にアナタ、アイドルになりたくてこの『鈴なりプロジェクト』に応募したんですか?」
『鈴なりプロジェクト』とはもちろん、期間限定のローカルアイドルを育てる計画のことだけど……
私は応募なんてしてなかった。社長と長峰さんにスカウトされたからだ。だからと言うわけじゃないけど、アイドルのことには疎い。それ以前に私の能力のこともあって、あんまりアイドルが好きになれなかったのだ。
きらきら輝いている存在。普通に考えれば憧れなんだけど、同時に自分のことを考えると空しくなる存在だった。私には魅力が見えてしまうので余計に自分との差がハッキリして嫌だった。
自分から溢れる魅力としてきらきらした光が見えたことは一回もない。もしかしたら、自分のは見えないのかもと期待したけど、きっと違うと思う。
だから私はあまりテレビではアイドルのような輝く存在を見なくなったのだ。
「あの……ヒミコさん。なんでこれを持たせるんですか?」
「社長からの伝言で、鹿せんは持って行うようにって言われました~」
くそっ、その辺りの嫌がらせはちゃんと仕込んでくるんだね。しかもヒミコさんだとツッコめないし。しかも、さっきから紗江子の視線が背中に刺さって痛い。
「でも~、鹿せんはもう少し慣れてからにしようか~」
「そうですね! そうですよね!」
ヒミコ様よくわかってる! 私は軽い足取りで鹿せんをレッスン場の隅に置いた。
「じゃあ、一度通しでやってみようか~」
ヒミコさんの言葉にしたがって、何度も練習した箇所を踊ってみる。私が一生懸命に覚えた振り付けを二度見ただけで完璧踊っていた。信じられない。自分の努力をあっさり追い抜かれる。実力の差を思い知らされた。しかも、やっぱりきらきら流星のような光が零れ落ちてるし。
「大丈夫だよ~、若葉ちゃん上手くなってる~。三日前よりすごく上手だよ~」
ヒミコさんは私に笑いかけながら、あわせて踊ってくれる。私には笑いかける余裕がない。
「若葉ちゃん、私だけをみて踊ってね~」
正直無理だと思ったが、今はヒミコさんが先生なのでやってみることにした。必死にヒミコさんの動きについていこうと頑張る。すると不思議なことが起こった。今まで頭で考えて次の振り付けを考えて、動きに遅れが出ていたんだけど、ヒミコさんについていこうとすると、だんだん頭で考えず、体が反応するようになっていた。
一つ一つの振り付けが自分の中で繋がっていく。そうか……流れで覚えるものなのか。二つ三つの流れを踊りきれた時に感じる爽快感は、とても言葉では言い表せない。
「すごく良くなったね~。やっぱり若葉ちゃんはできるんだよ~」
「いや、ヒミコさんの教え方が上手いからですよ」
初めてダンスが楽しいって思えた。
結局、今日も居残りで練習することになった。部屋を出て行く紗江子の恨めしい視線を一身に浴びながら、私は踊ることに集中する。居残りでは私だけが踊っていた。さっきヒミコさんと踊っていた感覚を持続させて踊ると、ほとんど詰まることなく踊れるようになっていた。
……まだ三曲分だけど。
そして今日も長峰さんは居残りに付き合ってくれていた。長峰さん自身は何をするわけではないけれど、いてくれるだけで心強い。彼がいるところだけ、浮き上がって見える。周りが暗くても私には見える気がした。
「じゃあ、買出しに行ってくる。それまで頑張るんだぞ」
という言葉を残してダンス場から出て行った。ちょっと頭の片隅で昨日の社長の言葉が頭を過ぎる。
『お前に長峰は荷が重い。アイドルでは無理なんだよ』
意味はわからないけど、私には長峰さんは不釣合いだってことだろうと思う。そりゃ、私だって思うよ。十歳以上年上だし。 きっと私みたいな小娘よりは大人の女性が好きなんだろうし。……恋人いるのかな?
「はい、若葉ちゃ~ん。よそ事を考えるのは止めようね~。足と手の動きがバラバラだよ~」
「す、すいません!」
今はダンスのことだけに集中しよう。だいたい長峰さんとはまだ何もないんだし。「まだ」ね。諦めるわけには行かな……諦める? なんでこんな事考えているんだろう。
やっぱり私、長峰さんが好きなのかな? 駄目だ集中集中。それから一曲踊ったら、再びダンスモードに入っていった。
「はい、今が一番苦しいときだから頑張って~」
ヒミコさんの手拍子に合わせて、動く。目の前にヒミコさんが踊っているイメージを崩さない。しかし、ダンスがある程度できて分かったことがある。それは私の振り付けはかなり省略されているってこと。やはり被り物だからなのかな? 一応、考えてくれているんだ。
最初はただただ嫌だったけど、できるようになってくると色々なものが見えてくる。それは嬉しいことでもあり、重圧でもあった。皆の気持ちが私の体に圧し掛かってくるからだ。
「頑張って~」
ヒミコさんの声が届く。私は少しヒミコさんを見つめる。すると不思議なことに気がついた。ヒミコさん……私を見ていない。じっと観察しているとヒミコさんは私の視線に気がついて、振り向く。
「頑張って~」と言うものの、すぐに視線が私から離れて行き、スタジオの端へ向いていく。何度か繰り返すうちに、ヒミコさんが見つめているものの正体が分かった。
「ヒミコさん、ちょっといいですか?」
「頑張って~」私の言葉が届いていないのか、上の空だ。
「ヒミコさん! そんなに『鹿せん』に興味があるんですか!」
鹿せんという言葉を聴いた途端、ヒミコさんの肩がびくっと反応した、あ……図星だな。
「違うの~、ちょっとだけね。ちょっとだけ、気になっただけなの~」
私が何も答えずにじっと見つめたままでいると、ヒミコさんが勝手に焦って「違うの~」と連呼し始めた。
「違うの~。ちょっとね。ちょっとだけだよ……食べたらおいしいのかなって」
「……鹿せんですか?」
するとゆっくりヒミコさんが頷いた。恥ずかしそうに下唇を軽く噛んで俯くと、丸みを帯びたボブが小さく揺れる。恥ずかしそうな控えめな光が流星のようにいくつか弾け落ちていった。……可愛い。だけど、鹿せん食べたいだなんて……興味ある~!
「食べてみます?」
「ホントに良いの~? ねえ、食べていいの~?」
「確か人も食べられるはずですよ」
信じられないぐらいヒミコさんの瞳が輝いている。好奇心たっぷりの表情に私はおかしくなってしまった。「鈴なりディアーV」のエースが何考えているんだか。
私たちはスタジオの隅で鹿せんを半分に割り、分けることにした。においを嗅いでみた。あんまり臭いはしない。強いて言うなら草っぽい? 私は少しちぎって口に入れようとした。
「いただきま~す!」
ヒミコさんを見たら、大きな口を開けて、まるでせんべいを食べるみたいに(せんべいなんだけど……)頬張っていた。私はあまりにも豪快な食べ方に見とれてしまった。音をたてて噛み切るともぐもぐと口を動かしていた。ほっぺたが大きく膨らみ、なんだかリスみたい。
「どうですか? ヒミコさん」
しばらくニコニコしながら食べていたヒミコさんを見て、もしかしたら美味しいのかもと思い、私もかけらを口に入れた。何度か噛んで分かったことがある。……味がない。もしかしたら大量に食べたら、味があるのかな? と思って、ヒミコさんを見る。すると大粒の涙を流していた。
「味がない~~」
そりゃそうだよね。私は苦笑いをするしかなかった。