表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
186/539

10/16 4:41 コトダマ執筆編⑯

今回のコメント


終わったぜい!

じゃすと10000字!


言いたいことはたくさんがあるけど、とりあず今日はここまでじゃ!



***********************************



『生存者は今日も吠える』



 ここは某テレビ局の収録スタジオ。二人の料理人がお互いの得意料理を競い合い、食通の評論家が優劣を判定する料理番組を収録していた。


「それでは審査員の方々判定を!」


 巨大ディスプレイ上に各審査員が選んだ料理人の名前が表示される。三人のうち二人は別々の料理人を上げた。そして三人目、本島真人もとじままことに勝利者の判断は委ねられた。息を呑む料理人たち、司会者、観客。真人に注目が集まる中、彼は腕を上げて交差させ、大きくバッテンを見せた。


「やはり今日もでました、本島印! 両者失格です」


 司会者が叫ぶ中、うな垂れる料理人たち、肩をすくめて困り顔の審査員、拍手をする観客がそれぞれカメラで映され番組収録は終了した。


 真人は拍手で見送られ、スタジオを出ようとした。すると、審査を受けていた料理人が真人に駆け寄った。彼の手には包丁。観客や番組スタッフは悲鳴を上げる。しかし、真人は寸前で気づき、包丁をかわした。囲む番組スタッフ。料理人は取り押さえられた。料理人を見下ろして、真人は叫んだ。


「本物とは常に正義であり、絶対的価値観である!」


 一部始終を見ていた番組観覧者は彼に喝采を送った。


 本島真人は料理評論家ではない。本業はカメラマンである。最初は料理番組にゲスト審査員で登場した時の毒舌が評判よく、そのままレギュラー審査員の座につき、番組を代表する人物にまで成長した。


 彼が人気を博した理由は分かりやすさだった。本物かどうかそれが彼の価値基準だった。カメラマンの仕事で常に自分が本物だと思う被写体だけを取り続け、二十年が経つ。


 今や本業をしのぐ量で料理関係の仕事を行っている。年内のスケジュールは埋まっていた。本人も忙しいことによる充実感と本物という自分の考えが世間に受けたことに満足感を覚えていた。


 そんな忙しいはずの彼がテレビ局を出てタクシーに乗り込み向かった場所は、とあるレストランだった。目的地に着くと、入り口付近で女性が立っていた。彼の妻である本島さなえである。二人はレストランに入ると予約した席に座る。


 決して一流店の雰囲気はない。昔ながらの洋食店だった。メニューを見ずに真人はハンバーグステーキセット、さなえはミックスフライセットを頼んだ。背広姿だった真人はネクタイを緩めて一息ついた。それをみてさなえは微笑んだ。


「お疲れ様。忙しい中、覚えていてくれて嬉しい」


 今日は十八回目の結婚記念日だった。


 毎年結婚記念日には、このレストランで結婚当初と同じメニューを食べて祝うのが、二人の決まりごとだった。


 色々と過去を振り返っていると料理が運ばれてきた。真人の前に運ばれてきたのは、ゆらゆらと湯気を放つ皿に乗ったハンバーグだった。やや黒いデミグラスソースがかかって、上には目玉焼きが乗っている。ナイフとフォークはなく、箸が置かれていた。これは真人が毎年頼んでいることだった。

 二人の料理が揃うと、頼んだワインを片手に乾杯をする。


「今年一年ありがとう。また来年もお願いね」


 少しだけ首を傾けて、ややはにかみながら、さなえはワインに口をつける。昔からの照れた時の姿。確かに若い頃と外見は変わったが、仕草の愛おしさにはなんの変化もなかった。


 ワインを置くと、真人はハンバーグに手をつけた。パンバーグに箸を付け切り分ける。ほとんど力を入れることなく、切り分かれていく。真人は粗引きのハンバーグにはない繊細さが好きだった。さらに口に入れると濃厚なデミグラスソースに加えて、コショウが利いている肉が食欲を高めた。とても濃い味で自分が若ければ、いくらでも食べられただろう。


 真人がふと前を見ると、じっと自分を見つめているさなえの姿があった。夢中になりすぎたせいで、毎年行なうおかず交換を忘れていたことに気づいた。慌ててハンバーグの一片をさなえへ渡す嬉しそうにハンバーグを食べていた。幸せな感覚が前進に駆け巡り、真人は自然に微笑んでいた。


 料理の審査員をしているものの、この庶民的な洋食屋が真人は好きだった。人に厳しい目は向けるものの、妻に対しては笑顔でいたい。真人は記念日に気持を新たにした。


 再び日常にもどると、真人は多忙な日々を送った。家にも一週間にニ、三度帰ることができるかどうかという、スケジュールで動いていた。ますます彼の認知度、人気も上昇していった。



 ある日、いつものように真人は料理番組の審査員をするため、テレビ局の楽屋で待機していた。ドアがノックする音が聞こえたので、返事をして招きいれた。ドアが開くとお辞儀をしたまま背広姿の男が入室してきた。男はオールバックの髪に細い目に薄笑いを浮かべながら顔を上げる。


「失礼いたします。本島真人様ですね。私、こういうものでございます」


 男は名刺を取り出し、真人に差し出した。名刺には食料研究家 小翼満男こよくみつおと書かれてあった。


「今日はですね。本島様にお願いがあってきました」


 すると、満男は持ってきていた鞄から、数枚の紙片をとりだした。三センチ四方のの紙にはピザの写真が印刷されている。満男は一枚を真人に手渡した。


「ただの紙ではございません。なんと食べられるのです!」


 満男は口を歪ませてニヤリとする。ハッキリと真人は嫌悪感を覚えた。と同時に番組台本を確認する。


「是非、私どもの紙の料理に一票をいただきたいと。これが普及すれば、食糧難が解消されるんです!」


 満男の話によれば、紙自体は食べられる素材で出来ていて、さらに野菜や肉から作った企業秘密のインクと混ぜ、紙に印刷したものらしい。香りや味は写真にあるピザと同じだった。栄養についても問題ないということだった。


 確かに商品としては魅力的だった。だが、料理としては明らかに「偽者」だった。真人の表情は曇った。


 極めつけに真人の機嫌を損ねたのは満男とった行動だった。腰をやや曲げたまま、満男は近づき、耳元で囁いた。


「ご協力いただいた際には賞金の数パーセントを本島様へと考えております」


 番組で対決を行い十週勝ち抜くと賞金一千万円が手に入るのだった。食糧難解消などと偉そうなことを言っているが、満男の本性を見た気がした。


 次の瞬間、真人は大声で怒鳴り、満男を楽屋から追い出していた。番組収録も紙の料理とゲテモノ料理の対決で、どちらもひどく、両者引き分けになった。


 満男に金で買収できるような「偽者」に自分が映ったことに真人は腹が立った。真人はその後の仕事をキャンセルして、タクシーで家に帰ることにした。久しぶりに妻の顔でも見て、心を静めようと思ったからである。


 タクシーを降りて自宅の玄関のドアを開けると、廊下で倒れているさなえを目撃した。初めて見たさなえの姿に動揺しながらも、救急車を呼び、病院へ搬送された。


 検査の結果、癌である事が判明。すぐに手術することになった。手術後、真人はベッドで眠るさなえを見て、なんとしてもさなえを守りたい、かけがえのないものを守りたい、そのためならどんな方法でも厭わないと誓った。



 手術後のさなえは内臓摘出と抗がん剤の副作用でまったく食事が取れない状態が続いた。見舞いに来るごとに痩せていく妻を真人は見ているのも辛い。頬骨が目立ち始め、愛らしかった瞳も窪んでいく。綺麗だった指や手の甲も筋がハッキリと確認できた。真人はもう戻ってこない過去に、先細りの未来に、絶望した。


 その後、真人は事実を忘れようとするかのように、がむしゃらに働いた。すると人気がどんどん上がっていた。忙しさにかまけて。少しずつ病院に行く回数が減っていった。


 数ヶ月が経過。さなえの入院が長引き、いつのまにか結婚記念日が近づいていた。たまに病室へ行くと、さなえは乾ききった唇で笑みを浮かべ喜んだ。


「はぁ……今年はレストラン無理だね」


 来年、結婚記念日を迎えられるかどうかわからなかった。先日、癌が転移したことを告げられたばかりだった。真人が答えられずにいると、さなえが彼へと振り向き、涙声で言った。


「もう一度ハンバーグを食べたいよ」


 さなえは病気になってから、弱音を吐くことなく闘病生活を送っていた。病気後、初めて見せる涙だった。

 さなえの願いを叶えてあげたいとハッキリと思った。


 次の日。真人は人生で初めての土下座をしていた。固い床の感触を脛に感じる。さらに震えながら頭を下げた。自分の鼻息が床に跳ね返ってくる。


「で? 紙の料理でそのレストランのミックスフライとハンバーグを作れと? 偽物だと断じた俺にか?」


 鼻をほじくりながら、話を聞いていたのは小翼満男だった。真人はさなえでも料理を味わえる方法として「紙の料理」を思い出したのだ。さなえにとっては限りなく本物に近い偽物だった。


「本島さん。おでこは床につけるものですよ」


 真人は歯を食いしばった。目を固く瞑り、おでこを床につけた。冷たくて固い感触。頭の中では必死に妻の姿を思い出していた。今、真人の誇りを支えているのは妻の笑顔だった。


 満男は片目を閉じながら、真人を見下ろす。


「いいでしょう。奥さんのために作りましょう」


 真人が顔を上げると、満男が鼻で笑い「ただし」と言って指を差した。


「条件がある。まず、あの料理番組の十週勝ち抜けで一千万円取らせもらう。後は各メディアから出演オファーが来た時はかならず紙の料理の宣伝をすること。これを破った時は、奥さん用の紙の料理は作らないし、すべて暴露する」


 満男は顎をなでながら、無機質な視線を向け舌なめずりをした。


 真人はすぐに料理番組のスタッフに連絡をして、紙の料理の再挑戦を頼んだ。スタッフは不思議がったが、彼の番組への影響力もあって、紙の料理は番組の猛プッシュを受けて再登場し、有名料理人を打ち破った。中でも真人が「本物」と認めたことで、放送後、問い合わせや抗議の電話が殺到した。番組収録後、病院に向かった。今日が結婚記念日だったのだ。


 真人が花束をもって病室に入ると、さなえは笑顔から少しずつ申し訳なさそうな表情に変わっていった。


「結婚記念日になっちゃった……ごめんね」


 すると真人は黙って病人用の机をベッドに備え付ける。白いテーブルクロスを被せた。状況が飲み込めず、何度も机と真人を交互に見つめるさなえ。最後に数枚の紙を机の上に並べる。紙にはあのレストランンのハンバーグとミックスフライの写真が印刷されていた。料理番組を見ていたさなえはすぐに察し、真人は黙って頷いた。


 さなえは震える手を机に伸ばした。ハンバーグの紙をつまむと、ゆっくり口の中に含む。しばらくして口の動きを止め、さなえは俯いた。やがて耐え切れなくなったのか、両手で顔を覆った。


「美味しいよ……今までのどの料理よりも」


 さなえの姿を見て真人は間違っていなかったと確信した。



 番組内における紙の料理の快進撃は続いた。真人が本物認定したことにより、他の審査員も流されるように、紙の料理を評価した。料理対決は二週、三週目と勝ち抜いた。反響の大きさから、番組も本腰で紙の料理を宣伝した。


 真人の楽屋に満男が入り浸るようになっていた。


「さすがは本島先生。お陰で賞金以上のお金が入りそうですよ」


 薄気味悪い笑みを浮かべる満男。嫌悪感だけはどうしてもなくならない。


 仕事は相変らず忙しかったが、真人は時間の許す限り、病室へ向った。彼が顔を見せるだけでさなえは喜んだ。なかでもとりわけ喜んでくれるのは差し入れに持っていく紙の料理だった。普段、食事をまともに取れないさなえにとってはまさにご馳走なんだろうと真人は考えた。


 番組内で紙の料理は有名料理人をことごとく倒し、既に五週勝ちぬけしていた。

 さらに番組内だけでなく、新聞・雑誌媒体にまで影響を及ぼすようになった。特集記事には隠れたブームと銘うたれ、必ず真人の推薦コメントが添えられた。


 こうなると当然の流れとして、反紙の料理本島真人を掲げる評論家や有名人が現れて、紙の料理も本島真人も偽物というバッシング記事も出回るようになった。


 この流れを料理番組スタッフが見逃すわけがなかった。第七週目の対戦に反紙の料理側の先頭に立つ、料理人を呼ぶことに成功したのだ。世間の注目も俄然高まった。


 対戦前、真人は妻の待つ病室に入りる。ベッドに近づくと、すがりつくようにさなえが真人に抱きついた。しがみつく腕が震えている。さなえの髪を撫でるて落ち着かせる。


「ねえ、紙の料理持ってきた?」


 真人は安心させようと微笑みながら、紙の料理を取り出すと、毟り取るように奪うと、口の中に押し込むように含んだ。


「ごめんなさい。寂しくてつい……」


 確かに忙しくて最近、見舞いがサボりがちだった。唯一すがれるものが、真人と結婚記念日の思い出が蘇る紙の料理だけなのだ。やはり紙の料理を守らなければと心に誓った。


 そして料理番組収録当日。テーマは魚料理だった。

 さすが反紙の料理派が用意した料理だった。焼き魚は皮がパリパリとした音をたてて少しだけ歯ごたえのある食感。白身はホクホクとして柔らかい。程よい塩味に鼻から抜ける香りは潮の雰囲気を呼び起こす表現力だった。


 次に紙の料理の登場。確かに一流料亭の魚料理をコピーしただけあって、香りもそれなりで、口に含むと焼き魚の味はした。だが、それだけだった。すぐに紙が溶けて食感も無い。しかも後味はやや薬品のような味がした。


 今回は判定前に簡単な討論が行なわれた。まず反紙の料理派の主張から始まった。


「五感で感じられない料理に何の意味があるんですか? 私達は感覚を通じて食と向かい合うのではありませんか? 自分の感覚だけが唯一のリアルとして」


 彼らの主張は真人が写真を撮っていた時から信じている本物だった。その通りだと思いながらも何も答えられない。すると別の審査員が反論した。


「小さい。ホントに考える世界が小さいですね」


 反論したのはいつも一緒に仕事している審査員だった。彼は真人をちらりと見ると、一瞬口を歪ませた。きっと笑いかけたつもりだろう。


「紙の料理はね、既存料理に対するアンチテーゼという存在なんですよ。触感も温感もないですが、それが逆に余計な感覚を抜きにして味覚だけで勝負しろというメッセージを感じます!」


 話しながら、何度も真人の機嫌を伺う。真人は何も言わずに、タイミングを合わせて頷いた。すると褒められた犬のごとく、大喜びで声を張り上げた。


「消費だけに特化した浪費料理と一緒にして欲しくないなぁ!」


 反紙の料理派は黙ってしまい答えれらなかった。反論の方法はいくらでもあるだろう。だが、浪費するだけの無駄遣いの料理を開き直って肯定するほどの勇気はなかった。


 しかし、調理を担当した料理人が手を挙げた。


「元々料理は消費するためにあるのです。いかに消費するかが、その人の生き方に反映するんじゃないですか? 私が紙の料理に反対するのは、安易に味や栄養をとればいいと考えて、どんどん簡素化する態度が気に入らないだけなのです」


 真人には痛いほどわかった。満男に肩入れしてなければ、大賛成していただろう。

 すると先ほどの審査員が怒鳴り声を上げた。


「時代は変わってるんです! 紙の料理は未来志向の料理なんですよ! 選択肢を広げましょうよ。これも逆に本物なんですよ」


 本物の論議になると話すことはない。我慢できなくなるからだ。

 結局すぐに判定に持ち込まれた。


 そして、結果は紙の料理が勝利した。反対していた審査員が紙の料理派に寝返ったのだ。紙の料理側の勝利が決まった瞬間、観客からは拍手が起きて、天井からは紙ふぶきが舞い降りた。真人は回りに促されて立ち上がる。隣にいた審査員は真人の腕をとり高々と上に上げて、彼に代わり宣言をした。


「本物とは常に正義であり、絶対的価値観である!」


 楽屋に帰ると、満男が高級料理店のお土産をもりもり食べていた。


「先生、駄目ですよ。俺が買収しておかなければ大変なことになりましたよ」


 醜悪な笑みを浮かべる満男に真人は吐き気がした。口元を押さえ楽屋を出ると、タイミングよく携帯電話が鳴る。電話に出ると病院からであった。



 急いで真人は病院に駆けつけた。病室に入ると看護師数人がさなえを押さえつけていた。しかし、それを振りほどこうと、手足をばたつかせている。やせ細った妻のどこにそんな力が……真人は訳が分からないまま近づく。


「さなえさん、旦那さんが来ましたよ!」


 さなえは動きを止め、ゆっくりと看護師越しに真人を覗き込む。目の週りは窪んでいるが、眼球は血走って充血していた。口からは暴れていたせいか涎が零れていたが、本人は気にしていない。さなえは真人に言葉をかけた。


「持ってきた?」


 意味が分からないので答えられないでいると、さなえは血走った目を飛び出さんばかりにひん剥かせて、叫んだ。


「なんで今日は持ってこないんだよ!」


 ようやく紙の料理のことだと気づく。ポケットを探ったが、残念ながら見当たらなかった。真人が紙を持っていないことに気づくと、再び暴れだした。看護師達が懸命に抑える中、鎮静剤が打たれ、次第に落ち着いていった。


 疲れた体を引きずり、真人は満男に電話をかけ、妻の様子を伝えた。満男は黙って聞いていたが、話が終わると、鼻で笑うような音が聞こえた。


「ただの紙の料理だと物珍しさだけですぐに飽きられるだろうと思ったから、中毒性を持ってもらえるようなインクを混ぜておいたんだよ」


 大したことではない、折込済みだ、と言わんばかりの言い方だった。真人はあらんばかりの声をあげて、満男を非難した。しかし、満男には何も届いていなかった。


「今、本島先生がこの秘密をバラしてもらっても一向に構いませんよ。だけど、奥さんはどうなるんですか? それが先生の望むことなんですか?」


 真人は言い返すことができなかった。

 その後、真人は事実を忘れるように淡々と仕事をこなした。紙の料理も番組内で九週勝ち抜けを達成した。


 中毒性がある事実は考えないことにした。考えてみればどんなものでも摂りすぎれば、体に不調はおきるものだ。常に節度をもった使用を心がければいいのだ。問題は商品ではない。使う人なのだという結論に達した。


 今日も仕事を淡々とこなすと病室に向った。無論、紙の料理を持っていくためである。 病室のドアを少しだけ開ける。さなえはまだ真人に気づいていなかった。ただ正面だけを見つめ、薄ら笑いを浮かべている。時折涎が垂れるが、気にしていない。真人はゆっくりとドアを閉めた。看護師に紙の料理を手渡すと、足早に病院を後にした。


 真人は歩きながら、思う。

 カメラマン時代は自分の信じる本物を追い求めていた。

 いや、それは今でも変わらない。

 自分にとっての本物が変わって言っただけなのだ。

 昔はファインダー越しの被写体に。少し前は五感を満足させてくれる料理に。

 最近は妻の笑顔が彼にとっての本物だった。

 カメラも料理の前に捨ててしまい、料理も妻のために捨ててしまい、その笑顔も今では虚空になってしまった。


 なにが残ったのだろう。

 疲労感だけが真人を覆っていた。


 いつものようにテレビ局の楽屋にいる真人。室内には満男も当然のように、テレビ局が出してくれた弁当を食べていた。満男は決して自分では紙の料理を食べようとしなかった。


「先生、今日も頼みますよ。番組唯一の十週勝ち抜けの名誉は欲しいですからね」


 真人は返事もしなかった。審査員の買収の事実が分かってから番組への情熱を失い、台本もろくに読まなくなっていた。今日、十週勝ちぬけが決まったら、番組を降板しようと考えていた。


 スタッフに呼ばれ、いつものようにスタジオに向う。対戦相手の料理人が真人に駆け寄り挨拶をする。いつもの風景だったが、今回は事情が違った。挨拶した顔に見覚えがあったからである。それは結婚記念日に必ず予約していたレストランの店主だった。



「さぁ、今日が番組初の十週勝ちぬけという記念日となるのか? 最後の挑戦者は自ら番組に挑戦状を叩き付けた老舗洋食屋の店主です!」


 番組収録が始まってからも、店主は真人を真っ直ぐ見つめていた。彼だけが本島夫婦の歴史を記念日ごとに知っている人間だった。その人間までも欺くのか。


 挑戦者の料理が運ばれてくる。ハンバーグステーキセットだった。ゆらゆらと湯気を放つ皿に乗ったハンバーグ。やや黒いデミグラスソースがかかって、上には目玉焼きが乗っていた。箸が置かれているのもそのままだ。


 ハンバーグへ箸を入れるとあの繊細な感触が手に伝わってきた。口に入れるとコショウの利いた濃い味が広がる。いつしか夢中になって真人は口に運んでいた。


 味が、香りが、感触が、真人の感覚という感覚が記憶を呼び起こした。


 はたと気づき前を見ると、少し呆れながらも微笑むさなえの姿が見えた。真人はハンバーグの一片をさなえに差し出した。すると満面の笑顔になるさなえ。自分にはこれだけの幸せな時間があったのだ。戻ろう。あの時信じた自分に。自然に目に涙が溢れ、零れ落ちた。

 同時に差し出されてハンバーグは床に落ちていき、さなえの姿は消えいた。


「おおっと、本島さんが不味いとばかりにハンバーグを床へ放り投げたぞ!」


 司会者の声に真人は我に返った。慌てて涙を拭う。


「涙まで流している! これは紙の料理の勝利を確信しての感涙か! 確かに長かった。この十週色々な困難がありました!」


 声をはって盛り上げる司会者。観客もハンカチをだして目頭を押さえている人もいた。隣の審査員は「やりましたね」と言って、真人の肩を掴んだ。


 数分後、判定の時間になった。早々に審査員二人が紙の料理を上げた。このままいけば紙の料理の勝利が決まってしまう。最後に残された逆転の方法は真人の「本島印」を出すことだった。両者引き分けに持ち込むのだ。真人は生唾を飲み込んだ。手が震え、足も震えだした。手を交差させれば済む話だ。ゆっくりと手を挙げた。


「さぁ、食の新しい一歩を踏み出しましょう!」


 急に隣にいた審査員が真人の腕をつかんだ。そして導くように紙の料理というボタンを押した。

 同時に天井につけられたくす玉が割れ、紙吹雪が舞い散った。


 歓喜の中、皆が真人に握手を求めた。ただ漫然と握手を受ける。喪失感が真人を襲う。大切な思い出まで捨ててしまった。


 真人は拍手で見送られ、たどたどしい足取りでスタジオを出ようとしたところ、挑戦者である店主が真人に近づいた。彼の手には包丁。観客や番組スタッフは悲鳴を上げた。店主は一気に詰め寄った。


 おぼろげに見つめる真人。包丁を見た瞬間、我に返った。動かした足はもつれ、その場に倒れてしまう。しかし、倒れたことが効して包丁をかわしてしまった。次の瞬間、囲む番組スタッフ。店主は床に取り押さえられた。


「なにが本物だ! お前と紙の料理のせいでウチの料理が偽物扱いになったんだぞ!」


 妻のために作った紙の料理、レストランの味そのままだった。紙の料理が影響で彼の料理が全否定されたのだ。


 泣きながら喚く店主を見ながら、真人はなにも言えなかった。

 楽屋に戻ると満男が満面の笑みで迎えてくれた。


「いや~、冷や冷やしましたよ。他の審査員を買収してなければ、アナタがご破算にするところでしたね」


 だが、真人にはなにも聞こえていなかった。フラフラと荷物を持つと出て行った。


「せっかく一緒にお祝いしようと思ったけど、まあいいか」


 締められた楽屋のドアを眺めながら満男は口を歪ませた。



 タクシーに乗り、真人は病院へ向う。足早に病室の前に到着すると、扉を少しだけ開けた。病室にはさなえが寝息を立てていた。


 しばらく、真人は彼女の寝顔を見つめる。

 どこで躓いたんだろう。それだけが彼の頭を駆け巡っていた。

 真人はゆっくり手を伸ばす。やせ細って筋がはっきりと見えた首に手をかけた。少しだけ手に力をいれ、喉元に親指を押し付けた。「んぐっ」という息の詰まる音が聞こえたが気にせず、力を込めていく。真人は歯を食いしばり、目を瞑った。


 なぜ、審査員が自分の腕を掴んだ時に振り払わなかったんだ。

 なぜ、店主が襲ってきた時に逃げようとしたんだ。

 結局、なに一つ守れなかった。

 プライドも大切な人も。

 だからいっそ、この手で……壊す。


 決心した真人は目を開いた。

 すると、すみれも目を開けていた。


 苦しいのか、瞳一杯に涙をため、こちらをじっと見つめている。抵抗は一切なかった。体力がないのかもしれない。

 やがて口を開いて、なにかを真人に語りかけている。


「ごめんね」確かにそう告げていた。


 真人は驚き、手の力を緩めた。そのまま後退して、床にへたり込む。目の奥からじわり暖かい感覚が押し寄せた。涙だった。目の淵で堪えきれなくなった涙は、零れて頬を伝う。

 ようやく声を上げて泣けた。


 なにも解決できない、なにも前進しない。

 それなのに生きていた。

 偽物の生き方を晒して。


 壁に貼ってあるポスターには真人が精悍な顔立ちでキャッチコピーと共に写っていた。

「本物とは常に正義であり、絶対的価値観である」






ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬう……閉店ガラガラ(パクリ)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ