クロッカス村2-1
まだ日が昇っていない薄暗い時刻に起きた零香は、まだ眠っているエリミアを見た後、こっそりとベットから抜けた。
(人形でも体温があったり、食事をしたり、睡眠も摂るんだ…)
不思議に思いながら、机の上に置かれていた櫛で軽く髪を梳き、寝間着から昨日貰ったワンピースに着替える。少し着るのが恥ずかしかったが、自分の私服を着るよりもこちらの方が目立たないと思ったのだ。目立たないためだったら、恥ずかしさは我慢できる。
いつものように膝まである髪をポニーテールにして、ゴムで結ぶ。うまく出来たか鏡で確認すると、零香は足音を消しながら、部屋の外へ出た。
そのまま、少し遅く歩きながら階段から一階を覗く。一階にはまだ誰もいなかった。
(…さすがに、起きてないか…それじゃあ、今のうちに…)
零香は自分の部屋に戻り、カバンの中から下着とタオルを取って、カバンの中に黒いパンプスが入っていることに気付いて、それを履く。そして、一階に戻り裏口の扉を開けた。
家の裏には川流れていた。遠くには木製の水車小屋が見える。まだ日が昇っていないため、少しだけ肌寒い。
零香は目の前の小川を辿りながら、村のそばにある森の中へと入っていった。
「奥に行けば、たぶん人いないよね…」
奥へ奥へ進むうちに、徐々に沢山の水がぶつかり合うような音が聞こえてきた。その方向へ歩いていくと、小さな滝と池があった。池の中の水は澄んでいて、魚達が気持ちよさそうに泳いでいる。
零香は池の水を手ですくうと、ゆっくりと飲んだ。とても、おいしくて冷たかった。
零香は周りに誰もいない事を何回も確認すると、身に着けていた物を全て脱いで、池の中に入っていった。あまり深くなく、水が少しだけ冷たいと感じたが、慣れると気持ちよかった。髪を濡らさない様にお団子ヘアーにして、肩まで水に浸かる。
「はぁ……、ん?」
零香は水の中で何か光っているのに気付いた。立ち上がり、池の中心部まで行くとそこで何かがキラキラと光っていた。おもむろに、それを掴む。掴んで詳しく見てみると、形が歪だったが、綺麗なエメラルド色の石だった。ビー玉ぐらいの大きさだ。
「うわぁ、綺麗……持って帰ろっ」
とてもいい物を見つけた零香は、他にもないか水中を探し、同じような石を3つほど見つけた。4つの石を自分の衣服の上に置き、また水に浸かる。
目を閉じて、周りの音で零香は癒された。
風の音 木の葉の音 鳥の鳴き声 水の落ちる音 ガシャンッと何かが落ちる音
(……ん?何かおかしかったような…)
零香は目を開けて、立ち上がりながら周りを確認しようとして
「っ!?」
腰から上が出た状態で硬直した。その原因は
「……」
上半身裸で、タオルと着ていたはずのシャツを持ったまま、こちらを見たまま硬直している人物だった。彼の足元には、長剣が鞘ごと落ちている。最後に聞こえた音は、彼がこの剣を落とした音だろう。
「…………」
二人とも、沈黙したままきっかり1分
頭の中が活動を再開しだしたことで、今の状況を把握した零香は、顔を真っ赤にして、片手で体を隠しながら、迷わず底の石を拾い、力を込めながら彼に向かって投げた。ここまでの動作、約5秒。見事に石は、彼の頭にクリーンヒットした。バタッと彼が勢いよく倒れる。
「はぁっ、はぁっ……」
零香は涙目になりながら、池から上がり、急いでタオルで体を拭きながら髪を整え、下着や服を着る。
そして、自分が気絶させた彼の傍にゆっくりと腰を下ろす。
「……大丈夫、だよね…?」
零香の目の前で気絶していたのは、昨日零香に上着を貸してくれた、リュナミスだった。
「本当に、すまない」
謝ってきたリュナミスに、零香はそっぽを向いていた。
零香は、あの後リュナミスの頭から血が出ていた事に気付いて、治療し服を着せて、気絶していた彼と荷物を持って家に戻ってきたのである。
家に戻ると、もうすでにカミィラとパルサーシャも起きていて、二人の姿に驚いて皿を落とした。零香は二人に朝の挨拶をした後、すぐに二階に上がり、彼の部屋に入っていった。
本が大量にある部屋の中を進み、彼をようやくベットの中に寝かせた零香は、自分の部屋に戻るとすぐにエリミアに抱きついた。いきなり抱きついて来た主に、エリミアが「何があったんですか?」と困惑しながら聞き、零香が朝の出来事を話すと
「……少し、行ってきます」
と、満面の笑みで部屋を出て行った。30秒後、彼の部屋からものすごく大きな音が聞こえた。零香は急いで彼の部屋の扉を開くと
「あっ」
エリミアがリュナミスに向かって、身長以上ある大きさのハンマーを振り落としていた。
リュナミスはそれを剣で受け止めていた。
その後、音に驚いて入ってきたパルサーシャとカミィラにエリミアが連れて行かれ、今、部屋に二人だけの状態だった。
「本当に、申し訳ない」
「……本当に、そう思ってますか?」
そっぽを向いたまま、零香は遠くを見つめ、小さい声で呟いた。正直言うと、零香が異性に裸を見られたのは、アレが初めてではない。前にも見られたことはある。
指で数えられる数だけど。
だけど、好き好んで見られたい人などいないだろう。いるかもしれないけど。
「本当に、そう思ってる」
「……信用なりません」
その言葉にリュナミスが肩を落としたのがわかった。さすがに、もうこの事を引き摺っても駄目だと判断した零香は、リュナミスと向き合い、少しだけ微笑んだ。
「…もう、いいです。この事を引き摺ってたら、死ぬまで引き摺りそうですから」
「ありがとう、今度何かで償おう」
「いいです。その代わり、あの時のことを記憶から消し去ってください」
リュナミスは何回も頷いた。零香はその反応に満足して、近くの椅子を持ってきて、彼のいるベットの横に座った。
「怪我、大丈夫ですか?頭に当たってましたけど」
「あぁ、全然平気だ」
「それならよかったです。手加減とか出来なかったので、綺麗な顔に跡が残ったかなって…」
その言葉にリュナミスの表情が固まった。零香は彼の反応に気づかず、話を続ける。
「リュナミスさんって本当に綺麗ですよね。髪を長くしたら、女性と見間違えるぐらいに」
グサッと何かが何かに刺さった音が聞こえた気がした。が、無視する。
「今のままでも男性って事を言わないと、女性にしか見えないと思います。初めて会った時も、声でようやく男性ってわかりましたから。人を観察するのは得意なのにな…」
グサッグサッグサッと追加で刺さる音が聞こえた気がした。が、それも無視する。この様子をカミィラやパルサーシャが見たら、後でリュナミスを慰めただろう。
「それに、昨日リック君が騎士様って呼んでたのに今朝のアレ。少し……想像より弱いなって思っちゃいました」
今までの零香の発言に何も反応を返さなかったリュナミスが、最後の言葉に反応を示した。
「…ほぅ、そこまで言うのか…」
表情は笑っているはずなのに、リュナミスの背中から黒いオーラが見える。
突然、背筋に寒気を覚えた零香は、
(何か…悪い事でも言ったかな?)
と、内心慌てた。
「あの、私悪い事……」
言いましたか?と言おうとした零香。だが、言えなかった。いきなり剣を抜いて、自分に向かって振り落としてきたのを、瞬時に近くの燭台で受け止める。そのまま剣を受け止めながら、零香は慌ててリュナミスに声をかける。
「いきなり、何するんですか!?危ないじゃないですか」
「俺は騎士だ。いきなり弱いと言われて、許せるほど俺は心が広くない」
「あっ、そこに怒ったんですか」
その言葉に、怒りをあらわにしたリュナミスは剣に込める力を強くした。零香はピクリともしない。
「男としてのプライドも傷つけられた。それも年下の女にな」
「私は事実を述べただけです。それに褒めたんですよ?」
「俺には褒め言葉に聞こえなかった」
事実、リュナミスは男性も女性も虜にするような美貌の持ち主だった。それに加え、体一つ一つの仕草は色香を纏っている。それに昨日の帰り、見かけた女性全員は頬を染めながらリュナミスに悩ましげな視線を向けていた。男性も似たような視線だったのを覚えている。自分に向けられた視線の事には気づかずに。
朝、零香が硬直したのは、そんなリュナミスの姿に見惚れていた事と、いきなり現れた異性に驚いたのが重なっただけだった。
なかなか剣に込める力を弱めてくれないリュナミスに、零香はため息をつきながら、賭けをする事にした。
「よっと」
燭台で剣を受け流し、彼の腕を自分に近づける。そのまま、燭台から手を離し腕を掴んで、
「はっ?」
彼が驚いているうちに、彼を抱きしめた。零香は彼の背中をポンポンと優しく叩きながら、駄目だったかな、と思った。
よく、妹と喧嘩したときはこうやって仲直りしたのを思い出して、それを実行したのである。実際、妹にこれをするとおとなしくなってくれたし、あの人と喧嘩した時はこれで仲直りできたのである。
零香は少し心配になりながら、背中を擦ると、彼の肩から力が抜けたのがわかった。
「……落ち着きました?」
零香がそういうと、リュナミスの頭が零香の肩に乗った。零香はホッとしながら、体を離そうとしたが、反対に抱きしめられて動けなくなった。零香は驚きながら、顔を真っ赤にした。
(うわ~、リュナミスさんっていい匂いするな…って違う!何でこんな事に!?心臓が痛いっ)
やった後で後悔した零香だった。
「…リュナミスさん?」
おそるおそる彼の名前を呼ぶが返事が返ってこない。落ち着いて、彼から体を離そうとすると簡単に腕から抜けられた。
「……?」
様子がおかしいのに気づいた零香は、とりあえず手で彼の体を押してみた。簡単に体はベットに倒れた。数秒待っても、ピクリとも動かない。零香はリュナミスの顔を覗き込んだ。
「…蒼白…口から血出してるし」
ふむふむと顎に手を当てながら、零香は冷静に
「カミィラとエリミア呼んで来よう」
と言って部屋を飛び出した。
その後、カミィラ達と戻ってきた零香は事情を説明して、リュナミスの治療をしてもらった。事情を説明した時、エリミアが勢いよく零香の肩を揺さぶって
「それ以外は何もされなかったんですよね?!本当に、何もされなかったんですよね?!」
と取り乱して何回も聞いてきて、零香は困りながら頷くしかなかった。カミィラは、横で小さく「お兄ちゃんの悪い癖が…」と呆れながら、リュナミスに治癒魔法をかけた。
その後、リュナミスが零香の傍に行こうとしたり、話しかけようとした時、必ずエリミアが睨みつけてくるようになったのは、その日の朝御飯からだった。
「零香をあんな男に軽々しく渡すつもりは、全くありません。最初から渡す気などありませんでしたけどね」
零香は、決意表明したエリミアの姿を見て、ただ苦笑いを浮かべるだけだった。
兄からの提案で、王道パターンを真似てみましたw