風の始祖精霊の過去
クオがクオになる前のお話と、黒いものたちの昔の姿のお話。
廊下で眠ってから目を覚ました時、私は見知らぬ部屋のベットの上にいた。
寝ぼけ眼のまま起き上がると、がたんと何かが動く音が聞こえた。
「起きたのか、マスター」
聞き覚えのある声がするほうへ顔を向けると、椅子から立ち上がりこちらに近づいてくるクオがいた。
今は黒髪執事の姿ではなく、着物を着た姿に戻っていた。
クオは近寄ってくると、私の肩をベットに押し戻した。ポスンと枕に頭が乗る。
その行動に首を傾げながらクオの顔を見ると、布団を被せられ頭を撫でられた。
「まだ日は昇ってはおらぬ。ゆっくり休め」
「ここ…どこ?」
「我らの部屋だ。小僧たちからの礼として、上等な部屋を貰った」
ぼんやりとする思考のまま話を聞いていると、クオは苦笑しながらもう一度私の頭を撫でる。
「まだ眠いんだろう?シュラやエリミアはいないが、我でよければ眠るまで傍にいよう」
そう言ってクオは小さな狐の姿になると、私の頭のすぐ傍に寝転んだ。
綺麗な白い尻尾をパタパタ振りながら片手を私の目蓋の上に乗せる。
真っ暗な視界の中で、暖かい太陽の匂いがした。干したての布団の様な落ち着く匂い。
その匂いと暖かさに思わず欠伸がもれる。すると、クオが耳元で小さく笑った。
「遠慮せずに眠れ。時がきたら、起こす」
「……うん、わかった」
頷いて頭の中に残っていた意識を徐々に遠ざける。
「明日から忙しくなるらしいからな…ゆっくり休め」
どんな意味で忙しくなるのか、と疑問に思いながらも眠気には勝てず、そのまま眠りにつく。
マスターの寝息が聞こえてきたのを確認すると、物音を立てないようにベットから降り、人の形態をとる。
軽く肩を回しため息をついて、窓の傍に椅子を移動させ、座る。
窓の外から見えるのは黒い空と金色に輝く月が二つ。そして、大小様々な星たちだけだ。
「…………」
いつもと同じはずなのに、涙が零れそうになるのは何故だろうか。
その原因は理解している。あいつらと再会したせいだ。姿は違うが、性格はあの頃のままだった。
あいつらに出会ったのは、まだこの国が建国する数百年前のこの場所だった。
建国する前は森林が広がる、豊かな土地で我はその森の主として存在していた。
洞窟の深い場所で一人眠る毎日を過ごすだけだった。生まれた瞬間から洞窟で眠り続けていた。
通り抜けてくる風で大陸中の状況はわかっため、動く必要がなかったのだ。
だが、ある日洞窟の入り口が騒がしい事に気づき、初めて外に出た。
目の前にいたのは、幼い少年少女たちだった。初めての人間だった。
そして、我は出会ったのだ。彼女に。
『あっ、大きな狐さんだ!こんにちわ~』
我の姿を見てその場の人間で唯一怖がらなかった、少女。
若葉の様な緑の髪に、透き通る海の様な碧眼の目。
彼女こそ、我の始めての契約者。名をリアメル・リュクシアという。
彼女―――リアはよく我の居る洞窟に訪れた。本人曰く、『暇だから』らしい。
毎日必ず顔を見せてくる彼女に、最初はうっとおしいと思っていた。話しかけもしなかった。
だが、会う回数が次第に増えていくに連れて、彼女が来るのを心待ちにしている自分が居ることに気づいた。
気のせいだ、と思いながらも彼女が現れず日が暮れていくのを感じると、気分が落ち込んだ。
リアは知らないだろうが、帰り道は危ないだろうからと、一度風の精霊を護衛につかせた事もあった。
リアが話すことは、外の世界を知らなかった我にとって新鮮な物だった。
『今日はこんなことがあったんだよ』と笑顔で話すリアが、我は好きだった。
平凡な日々が何年も過ぎ、彼女と出会ってもう20年以上経ったある日のことだった。
我がリアを見送った後、眠りにつこうかと目を閉じた時だ。風が突然変わった。
風の精霊たちが異様に騒ぎ出し始めていた。嫌な予感しかしなかった。
立ち上がり、風に姿を変え洞窟の外へと出た。
我はそこで呆然とするしかなかった。
『いやぁっ!!たすけてぇ!!』
『うわぁぁんっ、お母さーん!』
『こっちだっ!早くこの場から離れるんだ!!』
彼女の住んでいる村が燃えていた。人々は火を消そうと必死に水をかけているが、火の勢いはさらに増すばかり。
呆然とその様子を上空から見下ろしていると、リアの姿が見えた。
その姿はつい先ほど会った時とは、まるで別人であった。
まるで、無理やり手で引き裂いたかの様な服を身にまとい、燃える家を見ながら静かに涙を流していた。
我が隣に降り立ち、その姿を確認するやいなや、リアは飛びついてきた。
『お願い…っ!私を、どこか遠い場所に……ここじゃないどこかに、連れてって…!』
その願いを我は受け入れた。
せめて、彼女の故郷が残るようにと火の回りだけ風を止め、我は飛び去った。
彼女の願いを叶え、我は彼女に初めて話しかけた。『我と契約しないか』と。
彼女は、すぐに頷いた。そして契約を交わした。リアが34歳の時だ。
我は嬉しかった。これで彼女の傍で彼女を守ることが出来ると。
だが、この契約は彼女をさらに苦しめるだけだった。
リアが故郷より遠い地で、前々からの夢だったパン屋を立て、ようやく収入が安定してきた時だった。
我がいつもどおりリアの様子を見に行こうと、パン屋の屋根に飛び降りたとき、見知らぬ男と女がリアの前に立っていたのだ。
『ようやく見つけた……リア、帰ろう?僕たちの村へ』
『嫌っ……私は、ようやく夢を叶えたの…!もう…一人で生きていける!!』
『あらあら、困った子ねぇ。でも、しょうがないでしょう?――なんだから、逃げても無駄よ』
『もう嫌よ…!あんな想いは嫌っ!!』
『リア…我が儘は駄目だよ。さぁ、また一緒に幸せに暮らそう?』
男がリアの肩に触れようとした瞬間、リアはその手を叩いた。
男は反抗されるとは思わなかったのだろう。叩かれた手を呆然と見ると、男は怒りを顕わにし彼女を壁に押し付けた。
我はその男に向かって吼えると、リアを男から距離をとらせた。
我の姿を見た瞬間、男は恐怖におののき尻餅をついたが、その隣の女は違った。
恍惚とした目で我を見てきた。思わず背筋が寒くなるほど、その目は気持ち悪かった。
『あぁ…!ようやく見つけましたわぁ。始祖精霊様…お慕い申しておりました』
そういうと、女は我に近づき膝をついて頭を下げた。
我の正体を知っている人間はリアしかいない筈なのに、何故初めて会う女が知っているのかと思った。
女は頬を赤く染めたまま我を見つめると、懐から小瓶を取り出した。
そして、それを開けた瞬間、我は訳も解らず地面に倒れた。
後から解ったことだが、あの小瓶の中には精霊には毒物であるウェイズ草の花の蜜が入っていた。
草その物は無害な物なのだが、花の蜜には精霊を死に至らしめる毒が含まれている。
匂いだけで体が硬直し、飲めば数日後に消滅する珍しい毒花だ。普通の花の蜜と間違えて飲む精霊が多い。
そのためリアが泣き叫びながら我を呼んでいるのに、体は動かなかった。
『本当に効いたわぁ。始祖精霊様…これで貴方は私だけのモノですわ~…』
『さぁ、これで邪魔者はいなくなったよ。リア、僕たちの家へ帰ろう』
『嫌ぁっ!!』
泣きながら男に連れられていくリアを、我は動けぬ体で見ていた。契約の指輪は彼女の指から地面へと落ちた。
我もいつの間にか現れた沢山の男どもに体を縄で縛られ、その後を追うことになった。
我が連れてこられた場所は、小高い丘にある小さな祭壇の上だった。
その周りにはウェイズ草が生えていた。我はずっと匂いをかぎ続け、硬直したままだった。
あの女は毎日来た。そして、何度も同じことを言ってきた。
『私も精霊になりたいですわ~…そうすれば、永遠に貴方の傍から離れる事もありませんのに……』
耳元で囁いてくる度、我の頭の中には連れ去られたリアの姿が浮かんだ。
リアの行方だけが心配だった。毎日毎日リアの泣く姿だけが思い浮かんだ。
1年が経ち、今日もまたあの女が来るのか、と思っていた日のこと。
突然、大勢の人間たちが祭壇に上がって来た。そして、我を縛る縄を切った。
我はその人間たちに見覚えがあった。確か、リアの故郷の村の人間たちだ。
人間たちは、我の縄を切ると我の体をウェイズ草から遠ざけた。
匂いがわからないほど遠くまで来て、ようやく我は自分の力で立つことができた。
『………リアはどこだ』
そう呟くと、人間たちは我の前に跪き、頭を下げた。
その中の白髪の老人が、しゃがれた声で泣きながら話始めた。
『精霊様、どうか、どうかあの優しいリアメルをお助けください…あの子を欲望の渦からお助けください』
『どういうことだ』
我がそう問いかけると、老人は細々と過去の事から話し始めた。
リアは昔幼馴染の婚約者がいたらしい。相思相愛で、二人は将来幸せに暮らすはずだった。
だが、それを気に食わないと思っていたやつがいた。
リアを連れ去った男とその妹である女だ。村長の長男、長女らしい。
男はリアを愛していた。女はリアの婚約者を愛していた。
二人は計画を立て、ある時リアの婚約者を殺した。女はその死体を食し、男は何も知らないリアを慰めた。
リアがその事実を知ったのは、婚約者を殺した男と結婚式を挙げたその夜だったらしい。
日記を見つけ、愛していた男を殺した男の妻になった事に気づいたリアは、その家から逃げようとした。
だが、真実を知ったリアを逃さないように男が襲い掛かってきた時に、リアの親友である人間が家に火を放ち、彼女を外に連れ出した。
それがあの場面だったのだ。彼女の親友はその後、男と女に村人の前で殺されたという。
『わしの…っ!わしの大切な娘を、あの悪魔共からお救いください。そして、わしらの村を取り返してください…』
その言葉で初めてこの老人がリアの父親だという事に気づいたのだ。
リアは父親と二人暮らしで、時々父親の話題が上がることがあった。
我はリアの父親の言葉に頷く。この親子には幸せに暮らして欲しかった。
周りの村人は、我に彼女の場所を教えてくれた。
そして、くれぐれも長女のほうには気をつけるようにと忠告してくれた。
我は頷くと、すぐに彼女の元へと走った。
村長の館を風で壊し、リアを見つけたとき、彼女の腕の中には彼女と同じ髪と瞳の子供がいた。
そして、傍にあの男も女もいた。リアは我にすぐ気づき、腕を伸ばして叫んだ。
あの時と同じ悲痛な声で我に呼びかけてきた。
『私とこの子を助けて!』
我はすぐに行動に出た。
剣で切りかかってきた男を爪で切り裂き、風で地面を掘り、その中に放り込んで生き埋めにした。
女は青ざめた顔で我を見て、逃げていったが気にも留めず我は彼女の傍に寄り添った。
彼女は、昔に比べやせこけていた。だが、その笑顔は変わらず明るかった。
『助けに来てくれて…ありがとう』
『…ままぁ、きつねさん、だね?』
彼女の腕の中の子供が我の耳に触れながら、にこりと微笑んだ。
その笑顔が彼女と初めて出会ったときの顔と被さった。リアは、その子供の頭を撫で我の背中に乗せた。
『この子はね、あの人の忘れ形見。お父さんの所に預けていた子。可愛いでしょ?』
『子供がいたなんて、初めて知ったぞ』
『ふふ、だって内緒にしてたんだもの。…この子だけは幸せに暮らして欲しかったのよ』
悲しげに微笑む彼女に、我は体を下げ、早く乗れと示す。
彼女は笑いながら乗ろうと我の体を掴もうと腕を伸ばした。
だが、その腕が我を掴むことはなかった。
突然彼女の表情が痛々しい表情に変わり、涙を流し口から血を吐き出した。
やけにゆっくりと彼女が倒れていくのを、ただ呆然と見ていることしか出来なかった。
倒れた彼女の体から鮮血が流れ、床を赤く染めていく。背中にはナイフが刺さっていた。
そして、響き渡る女の笑い声。背中に乗っていた彼女の子供は、泣き叫ぶ。
リアの魔力が我の体から抜けていくのがわかった。
我は無心で女の声がする方へと走った。
女は空中を見つめながら、笑い続けていた。そして我を見ると、笑いながらこちらに走ってきた。
『愛しております。愛しております。私は貴方の恋人。貴方は私だけの人!!』
狂っているとしか思えなかった。
我は女の体を踏み潰し、精霊に命じ樹の中に閉じ込めた。女の声など聞こえない。
我は彼女の傍に、彼女の子供を降ろした。
彼女は必死に子供に手を伸ばし、子供がその手を握る。
『………幸せに、生きて』
『まま!まって、ぼくをおいていかないで。おじいちゃんとやくそくしたんだよ!?さんにんで、ぴくにっくにいこうって!』
『ごめ、んね?…ママ、約束守れそうに…ないの…どうか、立派な人に、なってね…?』
『………リア』
我がその名を呼ぶと、彼女はゆっくりと顔を上げ、微笑んだ。
そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
『今まで、ありがとう……どうか、貴方も幸せになって、ね…』
その言葉を最後に彼女はもう口を開くことはなかった。
子供は泣き叫び、母親を呼ぶ。我も同じように愛していた人の名を呼ぶ。
その声を聞きつけ現れた村の人々も、同じように彼女の死を悼んだ。
次の日、彼女の葬儀があった。小さな葬儀だったが、墓は我がすぐに来れるようにと昔住んでいた洞窟の傍に立てられた。
村人も我も彼女の子供も、墓前で誓った。
村人たちはこの村を守り続けると誓った。彼女の子供は、この国を一から作り変えると。
我は、その子供とその子孫たちを死ぬまで見守り支え続けることを、彼女に誓った。
年月は過ぎ、彼女の子供が王国を建国し、一国の王となった。
死ぬ間際、我に笑顔で『母さんに、何か伝えたいことあるか?』と憎らしげに言ってきた事を今でも覚えている。
子供のそのまた子供を見送り、我はその間ずっと彼女の子孫たちの傍にいた。
彼女の子孫は、我にとっては解りやすい。緑色の髪と碧眼。そして、魂に彼女の魔力を感じるのだ。
一度この国を離れ、別の人間と契約し始めてからは子孫たちの様子を確認できなかった。
ここ数十年見ていないだろう。あの少女を見たとき、ようやく今代の子孫に会う事ができたと思った。
だがあの少女は、まさに彼女とそっくりだった。雰囲気も顔も、魂までもが似ていた。
あの男と女が勘違いするのも無理がないと思う。
性格はどちらかというと、今のマスターに似ていると思うがな。
空の月を見つめながら、我は過去の思い出を振り返る。
悲しくも美しい過去たちの思い出に、我は静かに涙をこぼした。
月が光る暗い夜、あの時と同じく片方の月が金色から橙色に変わり、赤く染まるのを我は静かに見つめ続けた。
いまさらながらですが、一応説明。
*名前の表記の仕方*
(例)エリク・リュクシア・アラドール
自身の名・貴族(王族)名・家名
真ん中の貴族(王族)名の部分には、役職の名前が入る場合もあります。
(例)レイカ・キアラ
自身の名・家名
自身の名しかない人は、親なし子か奴隷、自分の名前を捨てた人です。