王都エ・レーラ1-4
乾いた笑みを浮かべたまま、抱きしめている少女の頭を撫でていると穴から飛び出してくる白い物体が目に映った。
飛び出してきた途端、ビクリと体を震わせた少女に服を摑まれた。今さっきまでの殺気が嘘のように、オドオドしている。
「私の知り合いだから、大丈夫」
そう言ってもう一度頭を優しく撫でると、恐る恐るだが頷いた。
可愛いな~と思いつつ少女を撫でながら穴から飛び出してきた、見覚えのある人を見る。
そして空中に浮遊したままこっちをじっと見てくる白い狐の様子が、おかしいのに気付く。
人間の姿だが少し力を解放し、狐の耳と九本の尾が生えている状態のクオが今さっきから腕の中の少女をガン見しているのだ。
手を振っても反応が返ってこないし、名前を呼んでも反応が無い。
仕方ないので少女を床に座らせてクオに近寄る。今はアシュリードとして彼に話しかける。
「クオ、どうした?あの子をじっと見ているけど、何考えてる」
「……あの娘から違和感がするのだ」
「違和感?」
首を傾げて少女をじっと見てみるが、違和感などどこにも無い。至って普通の美少女だと思う。
目が前髪で隠れているのが少し残念かなと思うぐらいだが。
今着ている薄水色のドレスはシンプルながらも彼女の魅力を引き立てている物だし、白い肌によく映えている。
守ってあげたくなるような儚い雰囲気の彼女を、思わず横目でじっと見ていると、何故かタンスの後ろに隠れてしまった。
その反応に驚くと、クオに何故か変なものを見るかのような目で見られた。
「……マスター、完全に目が獲物を狙う獣だったぞ」
「えっ?」
そう言われ、隠れてしまった彼女の方を見ると、まるで狼に睨まれた兎の様にビクッと体を震わせて物陰に隠れてしまった。
「……な?」
「嫌われたのか。そうか、嫌われたのか…いいよ、泣かないから」
部屋の隅に座って床にノの字を書きながら落ち込み始めると、クオが黒髪執事の格好に戻り、ため息をついた。
可愛い子に嫌われると、やはり辛い。なぜかは分からないが、辛い。
涙目のままずっと絨毯にノの字を書いていると、軽く右肩を叩かれた。
顔を上げながら右のほうを見ると、ウサギのぬいぐるみを抱きしめて心配そうにこちらを見える少女の姿があった。
「………だいじょう、ぶ?どこか、痛いの…?」
首を傾げながら見つめてくる少女に、胸がキュンと締め付けられ、思わず彼女を抱きしめていた。
「えっ!?えっ?!」
「可愛いっ、何この子。可愛すぎるっ!シュラとエリミアと同じくらい可愛いわー」
「マスター、素に戻ってるぞ」
ハッ!まずい、まずい。子供とはいえ、正体がばれると後々まずい。
一度咳払いをして少女をゆっくり体から離すと、真っ赤な顔で私とクオを交互に何度も見ていた。
私は微笑みながら、「今さっきの人と同じ人だよ」と言うと少女は目を見開いて、クオを見つめ始めた。
クオも同じ様に見つめ返しているのだが、微かに頬が赤いのは気のせいか?
「……クオ、もしかしてロリコン?」
「我は決してロリコンではない!ようやく、ようやく会えた……」
「会えた…?」
意味が分からず首を傾げていると、クオが膝を折って床に座り、少女の頬に触れた。
そして、少女の黒く染まった目の近くに触れると、悲しそうに微笑んだ。
「……我の、昔の契約者の……我が愛した人間たちの、子孫。ようやく会えた…っ」
そう言って少女の手を握って、いきなり泣き始めた。
さすがにその反応に二人揃って驚き、少女は真っ赤だった顔をさらに真っ赤にしてあたふたと片手を振り回している。
私はクオの背中を擦りながら、少女が落ち着くように頭をぽんぽん撫でた。
少ししてようやく涙を止めたクオに、少しの疑問をぶつける。
「クオ、昔の契約者ってどんな人だったの?」
「…この少女と同じ、緑色の髪と碧眼の女性だった。契約した時は確か向こうは34歳だったな」
「どうして契約したの?それに、我が愛した人間たちって言葉…」
「………後で話そう。この場では少し言いづらい」
涙を流した所為で赤くなった目を擦りながら、クオは心配そうに自分を見ている少女に微笑んだ。
そして、彼女の頭へ手を伸ばそうとした瞬間
『彼女に触れるなっ!!!』
「っ!」
少女とクオを遮るように、黒い物が現れた。
彼女の影から突然現れた黒い物に少女でさえも驚いた表情を見せた。
クオは現れた黒い物を一度睨んで、目を見開いた。その顔は、まるでありえない物を見るかの様。
「…お前は……何故、ここにお前が居るんだ…」
『彼女は僕の物だ!誰にも渡さない、絶対渡さない!!彼女は僕だけのお姫様だ!!』
「きゃっ」
「くぅっ」
黒い物に少女と一緒に体を締め付けられ、傍にあった穴から下に落ちる。
少女を抱きしめながら、襲い来る衝撃に目を閉じると勢いよく横に引っ張られていく。
「零香!?」「れいか!!」「アリア!!」
「待てっ」
『誰が待つものか!!彼女はお前なんかに渡さない、誰にも渡さないからな!!』
バンッという音と共に扉が開き、その扉から黒い物が私達を引っ張りながら飛び出した。
後ろから皆の声が聞こえるけど、私たちがいる所為で攻撃できない様子だ。
せめて、この少女だけは逃がさないといけない。
城の廊下の天井近くを飛びながら、私たちをどこかに連れて行こうとする黒い物の動きを止めないと、この少女は助けられない。
今まで聞こえていた悲鳴の様な声も全く聞こえない。
これなら、タイミングを間違えなければいけるかもしれない。
「……アリアちゃん、でいいのかな?」
「……っ!…はい」
「よく聞いて。一度しか言わないから、いい?」
力強く頷くアリアちゃんに微笑み返すと、耳元で小さくこれからの事を伝える。
伝え終わると目を見開いて首を横に振る彼女に、私はもう一度微笑む。
「大丈夫、無事にお兄ちゃんの所に戻してあげるから」
「…駄目、駄目っ。それじゃあ貴方が…!」
そう言う彼女の言葉を無視して、私は行動を開始する。
「ファイヤーウォール」
私がそう呟くと同時に黒い物の前に炎の壁が現れる。勢いを抑えきれず、そのまま突っ込んでいこうとする黒い物。
私はアリアちゃんと自分自身にシールドを掛ける。アリアちゃんの方へは衝撃にも耐えるシールド。自分は炎だけを防ぐシールド。
薄い透明なシールドが掛かると同時に黒い物が炎の壁へ突っ込んだ。
『ギャぁああああああああああああああああああああああ!!!!』
「っ!」「きゃぁああああああっ!」
勢いのまま炎の中を通り過ぎた黒い物の体から力が抜け、締め付けられる力が緩んだ。
その瞬間を逃さず、アリアちゃんを後ろの方へ突き落とす。
泣きながら私の方へ手を伸ばしながら落ちていくアリアちゃんに、私は優しく笑った。
この言葉は本当の私の声で。
「大丈夫。だって、アリアちゃんとまだ友達になれてないもの」
「…っ!!」
「また、後でね」
手を軽く振って、アリアちゃんの体を風で包むようにすると炎の中へと彼女の姿が消えた。
向こうでは追いかけてきていたエリク様やエリミア達がいるはずだ。
これで、心置きなくこいつから事情を聞ける。
天井付近から落ちながら、体の所々が燃えながら空中をのた打ち回っている黒い物の方へ顔を向ける。
『ア、アァ。熱い、熱い、熱いぃいいい!!!!消せ、誰か火を消せぇぇえええ』
「お望みどおり消してあげる。アイスストーム」
魔力の塊から吹雪が現れ、黒い物の火が消し去るの確認すると、自分から羽が生えるイメージをする。
すると、背中から白い羽が現れ、羽ばたいてゆっくり下へと降下していく。
「……さすがにこの姿は、あの人には見せられないかな」
そう呟きながら、元の世界の親友の顔を思い浮かべる。この場にいたら絶対
「うわっ、何その姿。中二病にでもなったの?」
と変な顔で言われるに違いない。「あんたの方が中二病だろうが」と返すだろうが。
苦笑を浮かべつつ、ゆっくり床に足を着けると背中から羽が消えた。
それと共にかすかに疲労が体に溜まった感じがする。これが魔力を消費したということだろう。
「ゲームみたいに、自分のステータスとかMPとか見れたら楽なのにな」
首を回しながら軽い調子で呟くと、顔の横を風が通り過ぎた。
いや、違う。黒い物が通り過ぎたのだ。条件反射で横にずれていなければ、顔に直撃していただろう。
通り過ぎていく黒い物が、もう一度炎の壁を突き破ろうとしている。狙いはアリアちゃんだとすぐに分かった。
「アンタには話を聞かなくちゃいけないんだ。通すわけにはいかないよ」
頭の中で強固な氷の壁をイメージし、手を横に振る。
すると、炎の壁の前に分厚い氷の柱が何柱も現れ、炎の壁を覆った。
黒い物はその氷の壁にぶつかり、何度も体を氷に押し付け通れないことを悟ると、私の方へ顔を向けた。
その目は赤く鈍く光っている。
『邪魔をするな……お前も僕から彼女を奪いにきたのか』
「アンタ、何であの子にそんなに執着してるのよ」
『彼女は僕だけの物だ!もう、誰にも奪わせない。僕だけのお姫様なんだ』
「あの子はアンタの物なんかじゃない。それに、あんまりしつこいと嫌われるよ?」
『お前に何が分かるっ』
「分かるわけないじゃん。自分の主張だけ押し通そうとする奴の考えなんて、理解したくもない」
そう吐き捨てると、黒い物は一度体を震わせ、自分の体から何十本もの触手を槍状にして放った。
その行動に呆れながら、魔力の塊を同じ数だけ触手に向けて放つ。
甲高い音と共に相殺された事に黒い物が驚いている内に、走ってその懐の中へと入る。
黒い物の体を片手で掴んで、ニマリと笑う。
「まぁ、まずは冷静になって話でもしましょうか、ね!」
『げふぁっ!』
走ったままの勢いで氷の壁へ黒い物を押し付ける。手が少し痛かったが、この際気にしない。
掴んだまま、頭上高く持ち上げ床に叩きつける。叩きつけたと同時に床に罅が入った。
『ごほっ、このっ』
手から逃れた黒い物が、反撃とばかりに死角から殴ろうとしてきたが気配で分かった。
だが避けようとはせず、腕を交互に組み合わせ衝撃に耐えた。相手の攻撃の威力を自分の体で確認するためだ。
襲い掛かってきた黒い物の攻撃を体で受け止めようと、できるだけ無防備に動く。
次の瞬間、腕に凄まじい痛みが襲い掛かってきた。体も数mほど遠くまで飛ばされ、口の中から血の味がした。
「かふっ、結構きつい…」
口の中から血を吐き出すと、ズキズキと痛い両腕に交互に回復魔法を掛ける。
軽く腕を回して一応動く事を確認すると、起き上がった黒い物に向けて炎の球を連続で放つ。
黒い物はそれを必死に避けるが、一つだけ体に当たり、その体を燃やし尽くそうと燃え盛る。
黒い物が悲鳴を上げ、炎から逃れるため、自ら燃える自分の体を引きちぎった。
ブチッという音と共に千切れた体を投げ捨てて、ほぼ半分になった体がこちらに向かって飛んでくる。
今さっきより本数の減った槍が、今度は頭上から襲い掛かってくる。
あえて魔法は使わず、自分の身体能力と反射神経のみで避ける。
頬を槍が掠り、体のあちこちから血が滲んでくる。致命傷とまではいかないが、痛い。
だが回復する間も惜しい。もうそろそろ、本気で反撃に行くとしよう。
「冷静になって話す、なんて出来そうな状況じゃないしな」
『黙れ、黙れ、黙れ、ダマレェェエエエエッ!!ボクカラカノジョヲウバウヤツワ、ミナゴロシダァッ!!!!!』
「正常な精神じゃないね。もう、狂ってる」
次々と私を殺そうとする槍を避けながら、両手に魔力を集め、剣をイメージする。
そして次の瞬間、両手には魔力の塊ではなく、漆黒の剣が二振り握られている。
自分の手にしっくりと馴染む剣を振り、襲い掛かってくる槍を全て切り裂く。
右の剣で一つ槍を切れば、左の剣で回りながら死角から襲い来る槍を切る。
上から槍が降ってくれば横に跳び、振り向きざまに切り捨てる。
普段の自分ならありえない動きで、二つの剣を操り、槍を消滅させていく。
その行動を何度か繰り返している内に、向こうの隙が大きくなった。
これを見逃す私ではない。
「速度増加、光属性&火属性付与」
小さく呟いて自分の体に体の速度を上げる魔法を掛け、右の剣に光属性、左の剣に火属性を付与する。
ゲームでの知識がここら辺で役立っている事に、複雑な心境になるが、今は気にしてはいられない。
神々しく輝く右手の剣と、刀身から炎を放つ左手の剣を持ち、握りなおす。
その間にも槍が襲い掛かってくるが、速度増加によって動体視力も良くなった状態の私にとって、障害にもならない。
軽いステップで槍を避けながら、相手の目が見えた瞬間、全速力で走る。
驚いて目を見張る姿を横目に、回転しながら両方の剣を上から下へ落とすように振り上げる。
『イヤダッ、マダ、ボクハカノジョノソバニ…ッ!』
「加減はしてあげるから心配しないで。ただ、正気でいられるかはアナタ次第」
そう言って腕を振り落とした。
その時すでに私は油断していて、見過ごしていた事に気付いていなかった。
燃えて消えているであろう黒い物の半身が、ゆらりと空中に浮かび上がっていた事を。
『殺されちゃうと困るのよね~。一応、ごめんなさいね~?』
そんな陽気な声と共に、私の体に何かが突き刺さった。その拍子に剣を両方とも落とす。
「……えっ…?」
口の中から鉄の味がして、恐る恐る口元に触れる。
触れた手は、生温かい感触と赤い液体で覆われていた。それを自分の血だと認識するには、時間が掛かった。
下を見れば、へその少し上から黒い突起物が突き出していた。やはりそれも血で赤く染まっている。
ようやく、頭が正常に動き始めた。
「ぁっ…」
私は後ろから、黒い物の半身に体を貫かれていた。
掠れていく意識を必死に保ちながら、空中で刺されたままなすがままになっていた。
『こんな事したくはなかったけど、あの御方を手に入れるためにはしょうがないわよね~』
軽い声と共に、次の瞬間私の体が投げ飛ばされる。
何度か体が床を跳ね、そのたびに激痛が走った。口から血が零れ落ちる。
「かはっ…!」
ようやく止まった頃には、体中痛みに襲われていた。骨が折れたかもしれないが、血を大量に流しすぎた。
頭から意識が消えそうになる。手を伸ばそうと考えていても、自分の体は床に倒れたまま、ピクリとも動かない。
お腹から流れる自分の血を横目で見ながら、掠れていく意識を必死に保つ。
『ほんと、ごめんなさいね~。貴女みたいな、可愛らしい女の子を傷物になんてしたくは無かったのよ~?』
耳元で囁いてくるその声は、最初に出会った時の黒い物の声だった。
ついさっきまで聞いていた声とは違う。女性の声だ。
私の顔の前まで飛んできて目だけでニコリと笑った黒い物は、何を思ったのか私の体を持ち上げた。
「……何、を…?けほっ」
『喋らない方がいいわよ~。ちょっとあの女を始末するまで、退場してもらうだけだから~』
あの女とは誰のことだろうか。
血が流れすぎて、朦朧とする頭では考えもまとまらない。ただぼうっと前を見ていると、廊下の窓の前でピタリと止まった。
そして、黒い物が窓を開いて、私の体が上に持ち上がった。
『というわけで~、えいやぁ~っ♪』
「…え…ちょっと、まっ」
聞く間も与えられず、体が外へ放り投げられた。
一瞬、下に見えたのは中庭にあった小さな池。だが、底は見えなかった。
この先の結末が、目に見えてわかる。池に落ちるのだろう。
だが、私には一つ問題があった。
「私…っ、泳げないのに……!!」
極度のカナヅチなのだ。
そんな私の叫びは、辺りに空しく響き渡り、水に落ちる音と共に消え去った。
ついでに私の意識も失った。
自分で書いておいてなんですが、主人公よく刺されるな。
さぁ、命の危機を助けてくれるのは誰でしょうか?