力の兆し
目の前にいる男に見られるだけで、零香はその場から逃げ出した衝動に駆られる。
だが、理性で押さえつけながら彼にニコリと微笑みかける。
目の前の男の容姿は、この世界で今まで出会った人の中で最低にも近い姿だと思った。
似合いもしない豪華な服に、指には大量に指輪を付け、身長は低く、お腹が大きく出ている。
その目は、品定めするようにキョロキョロと動き回り、鼻息も荒く、顔には所々ソバカスがある。
人のことを苦手に思っても、嫌いになる事が無かった零香だったが、この男は何故か生理的に嫌いだ、と頭の中で思う。
もし、向こうの世界の親友がこの男に会ったら、罵詈雑言を浴びせる事だろう。
一瞬で傲慢だと分かるほど、態度がでかいのだから。
「お前、何故俺に一番先に祝福を与えなかった」
「え……」
「領主の息子である俺に一番先に祝福を与えるのは、当然だろう」
男の上から目線の言葉に、零香はむかついたがそれは心の中で押し止め、態度にはおくび出さず、頭を下げる。
「申し訳ありません。私はまだ、この村に来て一週間ほどしか経っておりませんので、全員のお顔を覚えていないのです」
その言葉に、男は鼻で笑い、零香の右手を強引に取ると、口付けをした。
零香は、手から伝わってくる感触に鳥肌が立ち、(早く終われ、早く終われ)と心の中で呟く。
数秒経っても男の唇は離れず、「離してください」と言おうと口を開きかけ、目の前の男が誰かに鋭い視線で睨まれているのに気付く。
いや、睨んでいるのは一人じゃない。大勢だ。女性も男性もほとんどの人が、この男を睨んでいる。
男は睨まれている事に気付かず、顔を上げると、そのままどこかへ消えていった。
男の姿が消えるまで零香は笑みを顔に浮かべ、姿が消えたと同時に池の中に右手を浸ける。
「……気持ち悪かった……」
「大丈夫か、レイカ」
「あっ、レナードさん」
手を池で軽く洗って立ち上がると、レナードがハンカチで拭ってくれた。
優しく拭ってくれる様は、まるで年上の兄のように思った。
もし、兄がいたらこんな人みたいな感じだろうと思いながら、お礼を言う。
「ありがとうございます。レナードさん」
「別に礼はいい。あいつが迷惑を掛けたな」
「……そういえばあの人領主の息子って言ってました。兄弟ですよね」
「俺の血の繋がっていない兄の内の一人だ。父と母と一緒にいるだろう?」
彼の指差すほうを見ると、両親らしい人物と今さっきの男に見た目が全く違う男達が立っている。
彼らは仲良く話している様だが、一人だけ場違いなような気がする。
あの気持ち悪い男以外、とても外見の整った方で、美人ばかりが揃っているのだ。
レナードと似たような表情の男性は、おそらく父親だろう。その隣で豪華なドレスを纏っている女性は、彼の母親だと思う。
父親の隣にいる少しエリクに似た雰囲気の人や、母親の横にいるフィルの様な可愛い雰囲気の人は誰なんだろう。
「近くにいる男達3人が俺の兄達だ。兄とは認めてないがな」
「え、あの、なんでですか?血が繋がってなくても、兄弟じゃないんですか?」
レナードは自分の家族を、特にあの男を睨みながら、小さく呟いた。
「俺の本当の母親は、あいつらの実験の所為で魔物にされた」
その言葉に零香は言葉を呑んだ。
「あいつらの、あいつの好奇心を満たすためだけに、騙された母上は魔物にされ、愛した父よって殺された。父はこの事を知らない。俺だけが知っている事だ」
彼は拳を震わせながら、顔に怒りや悲しみ、様々な顔を見せた。
それだけ、彼が今まで苦しい思いをしてきたのが分かる。
傍に大切だった自分の母親の敵がいる。だが、自分の母親を愛していた父は知らず、敵を息子として愛している。
零香は、想像するだけであの男に憎しみが湧いてきた。
零香はスタスタと歩き、レナード達の家族達に近づいた。
向こうも気付いて、頭を下げてくれたが、あの男だけは頭を下げない。
こちらも下げるつもりは毛頭無いが、他の人には頭を下げた。
頭を上げてみると、彼の父親の隣に立っていた女性が微笑んだ。
「祝福を分けに来て下さったのですね。ありがとうございます」
そう言うと、彼女から順に右手に口付けを貰った。
兄達は、零香と話しているときの彼の様子の事を聞きたがっているのが分かったので、ありのままに伝えると、耳元で重要な事を伝えてくれた。最後には二人共謝ってくれた。
最後に父親が、遠くのほうを見つめ、目を見開いて零香の顔を見て笑って口付けてくれた。
小さく言われた「息子を、宜しく頼む」という言葉に、零香は心の中が温かい気持ちになった。
「それでは、失礼致します」
そう言って微笑むと、零香は振り返りレナードの方へ戻った。
彼の驚いた表情に、少し笑いながらも零香は彼の手を握って微笑んだ。
「優しい人達でした。貴方のお父さんは、私に息子を宜しくと言ってくれました」
その言葉に、レナードは目を見開いて、頬を緩ませた。
彼の視線の先には、彼の父親の姿がある。
「そう、か……」
「あの男以外は、とても優しい人達ばかりでしたよ?お兄さん達なんて、貴方の事心配してました」
「心配……?」
「そうですよ。あの男の命令を止める事が出来ず、貴方に辛い思いをさせている事を。そして今も、あの男の所為で苦しい行為を繰り返させている事を」
「どうして、それを知っているっ。あれは、あいつと俺しか知らないはず……」
「お兄さん達が内緒で教えてくれました。あの男が村の人達に何をしているのか、全部教えてくれました」
レナードは頭を抑えながら「……あの、馬鹿ども」と呟いた。
だが、その顔は嬉しそうにも悲しそうにも見えた。だけど、これで彼があの家族を憎む事はあまり無いだろうと思う。
だが、あの男だけは別だ。
あいつだけは、許せない。
そう思いながら、彼の手を離し、自分のすべき事をしようとした瞬間。
「誰か……ッ!嫌、イヤァアアアアアアアアアッ!!!!!」
女性の悲鳴が聞こえた。
悲鳴を上げた女性は、座り込み、自分の腕を見つめている。
彼女の腕が黒く染まり、影のように蠢いている。それを見た瞬間、彼女の腕から出た影が彼女自身を飲み込み、徐々に人ではない形に変形していく。
その間にも、彼女の周りにいた人間はどんどん影に取り込まれ、同じように形が変形する。
「魔物…っ!」
隣にいた、レナードが叫んだ。
昨日の夜倒した、黒い狼の形に変わり、魔物は手当たり次第に混乱している周りの人たちを襲い始めた。
零香は、咄嗟に魔物に襲われている人達の下へ走り、引き剥がすように魔物に回し蹴りをかます。
「早く逃げて!出来るだけ遠くに、一人で逃げないで!」
「あ、あぁ!」
その場から逃げ出す人を追いかけるように、魔物が向かってくるが、騎士団の兵士達が食い止める。
他の場所でも、魔物と交戦している騎士団の姿が見えた。前線には、リュナミスやエリクもいる。
「負傷者はこっち!安全な場所で治療するから!」
「カミィラ!エリミア達いなかったっ?!」
「私は見てない!」
カミィラが兵士達と一緒に負傷者を連れて行くのを一瞬見ながら、心の中で舌打ちをする。
(こんな時になんでいないのよ!)
魔物に向けて氷の矢を打ち込みながら、周りの状況を確認する。
魔物の数が異様に多い。それだけ犠牲者が多いのだと、零香は手を握りながら、唇を噛んだ。
それだけではない。兵士達も猛攻撃に耐え切れず、逃げていく者もいた。
魔物を怒りに任せ、炎で燃やし続ける。それでも絶えず攻撃してくるため、零香の体にも徐々に切り傷が付き始めた。
合間に自分で怪我を治療していると、樹の上で笑い続けている男を見つけた。
男が座っている樹の周りには、誰もいない。魔物と交戦しているから、他の人は誰も気付かなかった。
「ははははは!!いいねぇ、さすが僕だ!こんな素晴しい殺戮兵器を生み出すなんて、天才だ!!」
その男の笑い声と、言葉に、零香の中で何かが切れた。
「…………許さない」
人の命を何だと思っているんだ。
お前の好奇心を満たすために、どれだけの犠牲が出た。
今までどれだけの人が苦しんだ、悲しんだ。
彼が、どんな思いでお前に従ったと思っているんだ。
それでも、お前は楽しそうに笑うのか。
ただの自己満足のためだけに、今もこんな酷い事をするのか。
「……」
許さない。
絶対に許さない。
今まで犠牲になった人たちのためにも、これから犠牲になるかもしれない人のためにも。
お前だけは
………殺す………ッ!!
「…ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
悲鳴にも近い叫び声を出しながら、零香は元凶である男に向けて、走り出す。
無意識の行動である。無意識だからこそ、力を制御する事が出来ない。
邪魔をしてくる魔物たちは、全て魔法で塵も無いほど燃やしつくす。
男と視線が合うと、男は口笛を吹いて何かを呼び出す。
進路上に突如現れた巨大な影が徐々に形を作り、やがて人の形をとる。
見た瞬間、悲しみと男に対する憎しみが強くなった。
あの洞窟で会った魔物とそっくりだが、今なら分かる。
彼女は、レナードの本当の母親なのだと。
目の前の彼女が、黒い涙を流しながら男を守るように戦おうとしている姿を見て、零香も涙を零した。
せめて、一瞬で終わらせてあげよう。それが、彼女を救う事にもなるはずだ。
頭の中で思い浮かべた武器を、手でしっかりと握る。
魔力で生み出した、死神が持つ人間の魂を狩る大鎌。自分と同じぐらいの大きさのある赤黒い鎌を振りかざし、彼女の体を鋭い刃で切り裂いた。
切り裂いたと同時に、刃から伝わってきた彼女の記憶に、零香は唇を噛み締め、体が震えた。
それでも足を止めることはせず、彼女の姿が空へ消えていくのを横目で見て、通り過ぎようとした。
そして、消え逝く彼女の最後の言葉を聞いて、零香はさらに走る速度を速めた。
「はぁああああああっ!!」
「ひぃいいっ!?」
情けない悲鳴を上げる男を睨みながら、零香は男の座っていた枝を切り落とす。
ドタッという音と共に地面に落ちた男を、零香はゆっくりと確実に逃げ場が無いように追い込む。
「どうした。もう笑わないのか?」
「ひぃっ!!く、来るな、化け物!!」
「化け物?私を化け物と呼ぶなら、お前は何者なんだ。神か?それとも精霊か?」
恐怖で顔を染めて、後ろに逃げ続ける男を追いかけるように、樹の密集した抜け道の無い場所まで追い込む。
「も、もし俺に何かあればただじゃ済まないぞ!?それでもいいのか?!」
「それがどうした」
「お前なんて、すぐにこの世から存在が消されるさ!!あははははははっ!」
男を鋭い目で睨みながら、零香は普段とは違う氷のような表情で男の首を掴み、男の耳元で囁いた。
「その前にお前を消すから問題は無い」
「っ!?」
男を樹に背中を押し付けながら、零香は憎しみですぐにでも殺してしまいたかった。
でも、こいつにはまだ聞く事がある。まだ、殺せない。
「答えろ。何故、こんな事を起こした」
「何故か?実験のために決まっている!俺の研究成果を見るには今日が一番、うってつけだったからな」
「……何故、彼女を魔物に変えた」
「彼女?…あぁ、あの女か」
気持ち悪い笑みを浮かべながら笑う男に、零香は首に込める力を強める。
それでも男は楽しそうに、そして見下すように零香に言った。
「あの女がいなくなって母さんと結婚すれば、俺は無理する事無く研究が続けられる。それに、ちょうど実験動物が欲しいと思っていた所だった。消すにも利用するにも、丁度良い存在だった訳だ。まぁ、あの女はそんな事知らずにまんまと俺の罠に引っ掛かったがな」
「……救い様の無い人間だ。嫌、人間以下の存在と言った方がいいか」
零香は吐き捨てるように呟くと、女とは思えない腕力で男を片手で宙吊りにする。
男は目を見開き、首にある手を離そうと必死になって暴れるが、びくともしない。
男の首に指が食い込んで血が出始めるが、零香は全く気にしない。
血の匂いに釣られ、彼女達の周りに魔物達が集まり始める。
「ぐっ!はっ、離せ!俺はここから逃げるんだ!」
「黙れ。お前だけはこの場から逃しはしない」
「俺は、まだ研究し続けるんだっ!こんな所で死ぬわけにはいかない!」
「なら、お前の実験に使われた人達はどうなる。死んだ人達はどうなる」
「はっ、あいつらなんて、いてもいなくてもいい奴らばかりだろ!」
零香は男を持っている手に力を込め、地面に叩き落す。
男の悲痛の声を聞き、地面でのた打ち回る姿を見下ろしながら、男の腹を足で踏む。
男が苦しそうにうめき声を上げる。男の首にピッタリと大鎌の刃をつける。
数cmでも男が首動かせば、ばっさりと首が切れるほどの位置で。
「痛いだろ?怖いだろ?……お前はこんな思いをここの人達に与え続けてきたんだ」
「あぁっ、たす、たすけ……」
「助けて?じゃあお前は、今まで助けてと言ってきた人達を助けた事があるか?あるわけないよな」
顔が真っ青になりながらガタガタと体を震わせ、口から泡を吹く男。まだ気絶していない事が不思議である。
「お前がしてきた事はゆるっ……!!」
言葉を全て言い終える寸前、自分に向かってきた殺気の塊から遠ざけるため、男を蹴り飛ばし、大鎌で受け止める。
男が悲鳴を上げながら森の奥へ消えていくのを横目で見て、悔しいが、今は目の前にいるこの人の方を優先させる。
男を殺すことが出来なくて悔しいが、姿が消えただけで怒りは少し収まり、理性が戻ってくる。
「……どういうつもりですか?リュナミスさん」
そう声を掛ければ、彼はゆっくりと剣を下ろした。
殺気も消え、うつむいたままの彼を見て不思議に思いながら持っていた大鎌を手から消す。
鎌を消すのとほぼ同時くらいのタイミングで、リュナミスが顔を上げる。
「どうせあいつは、死ぬ」
その言葉に驚いて、目を見開く。
「何故?」と問いかければ、彼の方が驚いたらしく、数秒ほど固まって、突然笑い出した。
笑い出す彼に何を考えているのか分からず、首を傾げる。
すると、彼は零香の左手を指差す。そこにはめられている指輪を見て、零香も納得した。
この指輪は、精霊の契約の証であり、精霊に自分の魔力を与える物である。
そして、意思疎通をすることもでき、遠く離れていても契約した精霊は指輪の持ち主である契約者と、会話する事ができる。
と、昨日クオから説明を受けたのを思い出したのである。
エリミアには「携帯電話だと思えばいい」と言われた。
全然携帯電話と思えないけど、まぁいいかとその場は納得した。
「多分、お前の気持ちを知ったあいつらが始末するだろう。それに、もうすでにあいつは王国から処刑宣告の書類が出されている。……この祭りが終わったら、処刑されるはずだった」
「それは、あの……」
「あいつの家族や村の人達は知らない、極秘で処刑されるはずだった。今回の事は一応、王に報告するが、たぶん王は手間が省けたと言うだけだろう、そんなお方だ」
「いや、そういう訳じゃなくて……」
「何故知っているのか?……騎士団の情報力とパルサーシャの力を舐めるな、とだけ言っておく」
「はぁ……?なんか、納得するには不十分ですけど…」
説明が不十分だ、と思いながらも「わかりました」と言って頷いた。
そして、男の血の匂いで集まってきた魔物たちを見て、もう一度大鎌を魔力で作り出す。
赤黒い大鎌を持ったまま、魔物を指差して、リュナミスに言う。
「こいつらに八つ当たりしてもいいですか?」
「ギャウン!?(えっ!?)」
「あ、反応した」
「お前の持ってる、その面白そうな武器を貸してくれるなら、許可する」
「ギャウ、ガウ?!ギャワン!?(俺達の意思、無視?!無視ですか!?)」
「はい、どうぞ。というかそれ、あげます。また魔力で作るんで」
「…よく作れたな。まぁ、ありがたく貰っておこう。ついでに参加させろ」
という訳で、魔物たちの意思を無視した八つ当たりが始まる事になった。
ちなみに、魔物たちの抗議の声は、もちろん彼らには聞こえていない。
リュナミスに渡した大鎌と色違いの、刃まで黒い漆黒の鎌を作って、零香とリュナミスは魔物達を倒していく。
魔物たちも反抗はしたが、焼け石に水程度だった。
途中、その様子を見ていたエリクが「面白そうだ」という事で参加し、さらに八つ当たりという名の戦いはヒートアップしていった。
数分後には、全ての魔物は消え去り、水の精霊の好意によって魔物の血も無くなり、初めてこの場所を見た時以上に、幻想的で美しい広場に変わってしまった。
ちなみに、池の周りに花を生やしたり、水路を作って水を流したりしたのは、零香である。
案を出したのは、水の精霊と天から降りてきた精霊達だ。
楽しそうに微笑む零香を見て、同じように微笑むリュナミスとエリクだったが、彼らを遠巻きに見ていた兵士と騎士は、八つ当たりされて無残に瞬殺されていった魔物達を、初めて哀れだと思っていたのであった。