クロッカス村4-3
零香は、空腹と疲労でフラフラしながら迎えに来てくれた三人にお礼を言って、ゆっくりと居候している家に帰ってきた。
手には、完成したドレスが入った箱と少し安くしてもらったアクゥのネックレスを2つ持っていた。
ネックレスは帰り際、アラトが「妻が迷惑をかけたな~」と言って、店で一番高い物を通常の値段より安く売ってくれた。
エリミアに今もっているエルドの金額を聞くと、450エルド残っている、と言ったから明日は日常に必要なものを買いに行こうと決めた。
「お腹すいた…」
倒れこむように食堂の椅子に座ると、カミィラが深めの白い皿を持って微笑んでいた。
カミィラはテーブルの上に持っていた皿を置くと、零香の手にスプーンを渡した。
零香は、もうすでに目の前に出された皿にくぎづけだった。
皿の中には、ミネストローネの様なスープが並々と注がれていた。今の零香にとって、ご馳走だった。
「いいの?」
「うん、お腹すいてるでしょ?それに、味見をしてもらうつもりだったから。遠慮なく、どうぞ」
「ありがとう、カミィラ!」
零香は、「いただきます」と手を合わせてからスープを一口啜った。
空腹だったお腹に、優しく広がる様な味だった。少し酸味があるが、とても甘かった。
「とっても美味しい」
そう呟くと、小さくカミィラがガッツポーズをしたのが見えた。
よっぽど嬉しかったのか、カミィラはニコニコと笑いながら、零香がスープを全て飲み終えるまで見つめ続けた。
零香は、エリミアにもスープを分けながら、普段よりも早いペースで食べ終え、「ごちそうさまでした」と満足そうな笑顔を浮かべ、手を合わせた。
「よし、お腹も十分だし、ちょっと外行って来るね」
「えっ?まだ何か用事があるの?」
「うん、今日中にやりたいことがあるんだ」
「だけど、今日は疲れてるはずだし休んだらいいのに……」
「ん~、でも早くやっておかないと、忘れてこの家から出されそうだし……」
零香はそう言いながら、パルサーシャの出した『保護する3つの条件』を思い出していた。
一つは、アクゥのネックレスを買ってくること。これは今日終わらせたから、大丈夫。
二つ目は、剣を台座に戻してくる事。これがまだ終わってないのだ。
三つ目は、まだ期間が後3日ある。
早く終わらせておかないと、3日後の祭りの練習ができない。だから、今日中に終わらせたかったのだ。
それに、他にも色々やりたいことが沢山ある。
「エリミア、パルサーシャさんから預かった剣。ちょっと出してくれる?」
「わかりました」
エリミアは空間の中に手を入れると、ゴソゴソと中を探って、小剣を取り出した。
零香はそれを受け取ると、カミィラに「すぐ戻ってくるね」と言って食堂を出た。
食堂を出ると、ちょうど湯浴みをした後のエリクとばったり会った。
エリクは、零香の持っている剣を見て
「どこに行くんですか?」
と、頭を拭きながら微笑んだ。
零香は、その笑顔にクラリとしながらも表面上は落ち着いて、エリクに「少し、用事です」とだけ告げて、外に出ようとした。
だが、扉に手をかけた途端に思い出した。
「そういえば、あの蛇はどこに行ってしまったんですか?」
「蛇?……あぁ、アレですか」
エリクが少し困った表情で首を傾げていると、ふと零香の横を見て、笑顔で指を差した。
「?何が……」
零香はエリクが指を差した方を向くと、窓があった。そこが何度もカタンカタンッと鳴っていたのだ。
覗いてみると、零香は思わず窓を開いて、音を出していた生き物を抱きしめた。
「可愛い!!」
零香が抱きしめたのは、小さな狐の子供だった。だが普通の狐とは違い、毛は純白、瞳は赤く、尻尾が九本あった。
だが、零香にとってその愛らしさの方が重要だった。
小さな足で一生懸命、何度も窓を叩いていた姿は零香の心をグサリッと射止めたのだ。
その抱き心地も最高で、純白の毛はふかふかで柔らかく、頬ずりしたくなるほどの温かさだった。
エリクは、零香の満面の笑みを見て驚き、頭を拭いていた手を止め、零香の腕の中からヒョイッと狐を持ち上げた。
「あっ……」
「コイツですよ」
「え?」
「だから、コイツがあの蛇です」
零香は信じられない様な顔で狐を見つめた。
すると、狐がスルリとエリクの手から逃れ地面に降り立った瞬間、蛇になっていた。
『コレデワカッタカ?』
「この声…本当にあのときの蛇ちゃん?」
直接頭の中に語りかけてくる声が、あの時洞窟で聞いた声とそっくりで、ようやく信じた零香は少しがっくりとしていた。
蛇は少し首を横に曲げると、ついさっきの狐の姿に戻り、零香の足に擦り寄った。
『ワレノホントウノスガタハ、イマノスガタダ』
「……そうなの?」
『アァ、モトアルジノセイデスガタガコテイサレテイタダケダ』
「……よかった、本当に魔法が解けて。もしかしたら、解けないかと思ったよ」
『ソレハナゼダ?』
「あぅ、そっそれは……」
零香は一瞬戸惑い、チラッと横に立っているエリクを見て、狐を抱き上げてその耳に隣に聞こえない様な小さな声で呟いた。
「……私、少し経験あるから……」
『ツマリ、ショジョジャナカッタト?』
「いや、そこまでは……ただ、その一歩手前ぐらいまでは…ある」
『フム、マァワレガモトノスガタニモドッタノダカラ、ダイジョウブダッタンダロウ』
「うん、少しホッとした」
零香は、狐の頭を撫でながら頷いた。
エリクの方を見てみると、キョトンとしたような顔で首を傾げながら、零香を見ていた。
どうやら、今さっきの会話は聞こえていなかったらしい。
零香は安心して、一息ついていると狐がじっと、自分の手を見つめていることに気づいた。
その手には、剣が握られている。零香は、それを狐の目線まであげた。
「これに興味あるの?」
『イヤ、チガウ。ソレハワレノカラダノイチブナノダ』
「へぇ~、そうなんだ……って、えええ!?」
零香は告げられた事実に驚きながら、狐がそれを寄越せと言うから、狐の足に剣を持たせた。
狐は器用にそれを掴むと、それを空中に投げ、パクリと食べてしまった。
その行動に、その場にいた全員が驚いた。全員と言っても、エリクと零香と二人と一匹を見ていた兵士達だけだったが。
狐は、満足そうに首を振ると零香に頭を下げた。
『ありがとう。少し力が戻った』
「あれ?声、変わってる」
『そうか?…まぁ、力が戻ったからそう聞こえるだけだろう』
「だけど、まるで男性の声みたい……」
『我に性別はないぞ?姿など、簡単に変える事ができるしな』
「もしかして、人間にもなれる?」
『試した事は無いが……やってみよう』
狐は零香の腕の中から離れると、床に足をついてクルクルと円を描くように回り始めた。
最初は、ゆっくりだったが徐々にそのスピードは増し、次第に姿が霞んで見える。
さらに、小さかったその体は徐々に大きくなり、零香の身長より大きくなった。
そして、一瞬光ったかと思うと、そこには狐とは違うものが立っていた。
身長と同じくらいの長い純白の髪が揺れ、巫女の服の様な白い着物を身に纏い、笑みを浮かべる素晴しい美貌の男性が立っていた。
ただ、頭の上に生えた耳と背に見える九本の尻尾を見ると、人間ではないことがわかる。
どこかで、女性の黄色い悲鳴のような物が聞こえたような気がした。
「ふむ……上手くいくものだな」
「凄い!本当に人の姿になってる」
「む…ま、まぁ当然だ。我は始祖精霊なのだからな」
「「はぁ?」」
零香の言葉に、照れながら尻尾を横にぶんぶんと振っている狐だったが、零香とエリクは狐の言った言葉に、耳を疑った。
神様が一番最初にこの世界に送り込んだ精霊、とパルサーシャから説明されたが、目の前にいる狐の精霊は自分のことを、その精霊だと、言ったのだ。
だけど、ついこの前まで王子の首に魔法で固定されていて、姿まで変えられていた。
「元主は、どのくらい強い魔力の持ち主だったのよ………」
「しかも、僕の魔力より上の人って、僕の父しか知りません」
「いや、魔力はそれほど持ってなかった。むしろ、普通の奴より少なかった」
「だったら、何故僕や父がその魔法を解けなかったんです。ありえないでしょう」
エリクの言葉に、狐は唸りながら悩む表情を見せた。
そして、何か思い出したかのように手を合わせた。
「あいつは、親の力を借りたのだ」
「親?」
「あいつの父は、変態でな。精霊を妻に持っていたのだ。それも、見た目8歳の精霊を」
「変態は遺伝だったのか……で、精霊と人間って結婚できるの?」
「無理だ。だから、その精霊は人間に化けて妻となったのだ。まぁ、元々あやつは人間そっくりだったがな」
そう言う狐の目は、過去を懐かしむような目だった。
「で、その精霊の力を借りて、我を固定させた、というわけだ」
「その精霊って、貴方と同じくらいの強さだったの?」
「我より格下の奴だったが、属性がまずかった」
「属性?」
零香が首を傾げると、狐は手を開く。すると、狐の手の上で小さな竜巻が出来た。
狐がそれを下に落とすと、竜巻は強くなり、一瞬吹き飛ばされそうになった。
が、狐がスッと手を横に引くと竜巻は跡形もなく消えた。
「我は、今の様に風を自由自在に扱うことが出来る。だが、弱点があってな。土を扱う者には、全く効かんのだ」
「ふ~ん……」
「その精霊が、土を操る者だったわけですか」
狐はエリクの言葉に、頷いた。
零香は、そこでシュラの事を思い浮かべていた。
(そういえば、シュラはゴーレム。人の姿だけど、土から出てきたんだよね…)
「シュラ、ちょっと来て」
大きな声で彼を呼ぶと、トコトコと走って零香に飛びついてきた。
零香は彼の体を受け止めて、優しく頭を撫でる。
そして、彼の体を持ち上げて狐の目の前に出す。すると、予想外の反応が返ってきた。
「おぉ、これは久しい奴を見た。今までどこにいたのだ?」
「……!……!」
「ふむふむ、なるほど。……それは迷惑をかけたな」
「シュラの言葉、わかるの?」
狐は、零香の問いかけに頷きながらシュラの頬を指で突きながら、笑った。
「当然だ。こやつは我の同胞、同じ始祖精霊が一人。昔と違う姿だったから、わからなかったがな」
零香は、思わずシュラを手から落としそうになった。落としては危ない、とエリクがシュラを零香の腕から一時的に預かった。零香は、シュラの頭を撫でて「ごめんね」と謝った。
狐は零香の反応に微笑んで、いきなり膝を折り、頭を下げた。
その行動は周りの人の視線を集めた。
始祖精霊を名乗る者が、人間に頭を下げた。人間よりも、精霊は存在が上として崇められているのだ。それも、神として。
その神の代理人ともなるべき存在が、精霊にとってちっぽけな少女に頭を下げている。
零香も、狐の行動に驚いていた。
狐は、驚いた表情を見せる零香を真剣な表情で見つめながら、胸に手を当て、言った。
「我を救いし少女よ。我は、そなたとの契約を望む」
「契……約?」
零香の左手を取って、狐は頷く。
狐は、自分の力を零香のために使いたいと言った。昔の主とは、もうすでに契約を切ったとも言った。
その真剣な表情に断りきれず、意味がわからないまま、縦に首を振った。
狐は嬉しそうに頬を朱に染めながら笑うと、零香の手に、胸に当てていた手をのせる。
「我に名を与えよ。さすれば、契約は成される」
「…クオでいい?。九尾を別の読み方にすると、九尾とも読めるから」
「安直な様な気もするが……まぁ良い」
狐――――零香にクオと名づけられた男は、立ち上がると、握っていた零香の手に離し、クルリとその場で優雅に回った。
そして、歌うようにそして宣言するように、彼は言った。
「我はクオ。この地を守護する始祖精霊が、一人。風を操りし精霊。我は今、新たな主を得た」
彼がそう告げると同時に、零香の左手に痛みが走った。
針で刺されているような、爪で傷を付けられているような痛みが左手の甲を覆っている様な気がした。
だが、その痛みはすぐに消え、暖かい光に包まれているような感触がした。
左の手を見ると、中指に銀細工の指輪がはめられていた。指輪の中心には、綺麗なエメラルド色の石がはめ込まれていた。
その指輪から、かすかに暖かい感触がする。
「我が力は主の剣。我が魔力は主の盾。我が命は愛しき主に、全て捧げよう」
クオはそう言うと、優雅な動作で零香の左手にはめられた指輪に、口付けをした。
零香はクオの仕草一つ一つで、鼓動が早くなっていくのがわかった。右手で心臓を落ち着かせるように、一度深呼吸をすると、スッと鼓動がゆっくりとなった。
「これで、終わり?」
「あぁ、終わりだ。……いや、ついでにこやつとも正式な契約を交わしておいた方が良いだろう」
狐はエリクに抱き上げられていたシュラを片手で持ち上げ、自分の腕に乗せるように抱き上げた。
シュラはされるがままで、ただクオの耳に興味津々で、話をする間ずっとクオの耳を触っていた。
シュラの子供のような行動を見ていると、人間の何倍も生きている精霊とは思えなかった。
零香は、人間のようなシュラの頬に触れながらクオに問いかけた。
「何故?今までどおりだと、駄目なの?」
「我らは永遠に近い命を持っておるが、魔力が尽きればその命も消えうせるのだ。こやつは、主が呼び出したのだろう?」
「うん、本当はゴーレムを呼び出そうとしたんだけどね。精霊だったんだ、シュラって」
「正確には、違うのだ。こやつは、土を操る始祖精霊でもあり、ゴーレムでもある」
その言葉に、零香はシュラの頬を触るのを止め、クオの顔を見つめた。
クオは一瞬悲しげな瞳でシュラを見ると、零香にこう告げた。
「精霊とは、肉体を持たない事で周りのあらゆる物から魔力を吸収して、生き続けることができる。だが、こやつはゴーレムとしての肉体を手に入れてしまった。……それが意味する事が、主ならすぐにわかるだろう」
その瞬間、息が止まるような感覚に零香は襲われた。
蛇、再登場です。
この人も後日、人物紹介の方へ追加します。