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サイノクニ

風呂マット

作者: 斉藤周二
掲載日:2026/05/04

人生に倦み疲れた中年男性「俺」による日記的・私小説的なサムシング。

「俺」はいつ終わるともしれない「実家」の「ごみ屋敷」清掃を続ける。

 裁ちばさみが切ることを拒んでいた。これ以上なにも切りたくないのは俺も同じだった。 小便が滲みついたカーペット、大便で汚れたツーピース、黴が生えたカーテン、紫外線でぼろぼろに崩れたポリプロピレンの籠、雨ざらしにされたフードバンクの段ボール、そうしたものどもを切り刻み続けることに、俺も鋏もうんざりしきっていた。


 二度と切りたくないもののひとつがスカートだった。無駄に凝ったわかりづらい造りはどこをどう切っていてどこで切り終えられるのかしばしば見失い、望まないタイミングで分離する二重構造の内側はねちょねちょと鋏にまとわりつく、切りづらく湿っぽく不愉快な素材だからだ。色柄やデザインはどうでもいい。俺が関心があるのは大便がついているかどうか、切りやすいかどうかだけであり、汚れた不快な布切れを切り刻んでは、汚ねぇ、と唇を歪めて吐き棄て、顔を背けながらごみ袋に押し込むだけだ。最近では服屋の側を通るだけでうんざりし、町を行く女どもの服もよくてごみ、よくなければ大便まみれのごみにしか見えなくなっていた。俺がコート姿のあんたを見てしまうのは、お洒落で素敵な女性に見えるからじゃない。大便まみれに見えるからだ。



 母親の入院手続きを済ませた翌日から作業は始まった。本体がどうなろうが、それが残した汚物は本体が存在しないときに処理するよりなかった。団地の商店街のアコレでアルコールタオルと使い捨ての手袋とクロックスもどきの黒いサンダルを買い、おまじない程度でしかない装備をしてから、部屋の真ん中に倒されてラーメンの器を載せられていた大便のついた襖を起こしてどかせば、そこにふとんはなく、代わりに数十着の衣類が敷き詰められており、そこにも大小便が撒かれていた。救急隊員は状況を理解できなかった。俺も状況を理解できなかった。いずれにせよ汚れた衣類はどかすよりなく、風呂場に運び、衣類の山に向かってシャワーの湯を撒けば、もわもわとした蒸気の中に母親の体臭と大小便の臭いが混じりながら甦って立ち昇ってきた。熱湯消毒をしようと湯を沸かし、手袋をしたまま鍋を運ぼうとしてポリエチレンを溶かして左手の中指を火傷し、破傷風という言葉が頭をよぎった。台所に積まれた本の陰には、使用済みのトレーニングパンツが遺棄されていた。


 三週間が経ち、ふとんの在り処がわかった。案の定感染したコロナウイルスの後遺症を抱えながら母親の回復期リハビリテーション病棟への転院手続きを終えたクリスマスの日、考え事をしながら一時間半歩いて団地に戻り、言語聴覚士について簡単に検索し、不燃ごみと資源プラスティックの仕分けの途中でふとベランダに出て状況を眺めれば、塊のひとつがふとんだった。さらに見ればふとんには乾いた大便がついており、漏らしたふとんをベランダに隠したつもりでいたことは容易に理解ができた。ふとんをどかせば汚れた二枚のカーペットがあり、その下からは二袋のごみ袋と使用済みのトレーニングパンツと生きた赤いゴキブリが姿を現した。ベランダは物置でもゴミ捨て場でもないということ、隠して見えなくなっても存在しなくなるわけではないということが理解できない母親であることは、昔からわかっていた。


 さらに三週間が経った。川越の七福神めぐりを済ませ、摩尼車を回し、病気の臭いは鼻から消え、中指の脇に跡を残して火傷も癒え、AFCONが開幕してすぐに二節目に入った。電球の傘に雪のように積もった埃を拭き、レンジフード内部につららのように下がったぎとぎとした茶色い埃を取り除き、洗剤と芳香剤と六本の塩素系漂白剤のボトルを空けて捨て、二十六年前に賞味期限が切れたきのこだのれんこんだのの瓶詰の固まった蓋をニッパーで開けて捨て、散在していた百本を優に超すプラスティックハンガーの群れもビニールテープで束ねて捨て、二十袋ぶんの紙ごみも仕分けて残すは残し、資源リサイクルに出すべきは出した。

 ごみが回収される度に便臭と母親の体臭は薄れ、部屋の空気は清浄になり、寒くもなり、窓から出ていく埃や瘴気の量も減っていったが、それでも清掃は終わらなかった。ひと通り出し終ったと思えばこまごました棚や天袋や台所収納や箱や袋から新たなものどもが現れ、母親が知人に預けていた荷物の存在も判明した。それさえ終わったと思った頃、気づかないようにしていたベランダの端の白い扉を、電気系統かなにかの保全作業用のがらんとした空間の類であってくれと願いながらおそるおそる開ければ、ひんやりとした静かな暗がりから現れたのは、六年前に死んだ父親の遺品のひと群れだった。



 今日の業、というのが、最近の俺の脳内口癖のひとつになっていた。今日の業を為し終えれば、心軽く安らうことができる。そうした健気な信仰を示す用語だ。実際はなにを為そうが安らうことなどできず、一月の日々には冷たく暴力的な風が吹き荒れ始め、口を衝くのは「疲れた」「嘘でしょ」「頭がおかしい」「最悪」「クズ過ぎる」「正男は地獄に落ちろ」の数種類の繰り返しだった。正男は母親の父親であり、どこまでも娘を甘やかし、意思と理性を欠いた人間未満のなにかに育て上げ、服を溜め込み飯を食い散らかしては糞尿とごみを生産し続けるだけのグロテスクななにものかを作り出して世に放った責任者――無責任者だった。正男の墓を訪れ、糞をぶっかけて使用済みのトレーニングパンツを捧げてやりたいというのは、近頃よく考えることだった。これがお前の娘だ、お前が作った化け物だ、地獄に落ちて未来永劫貴様の娘の糞を喰らい続けろ、と。



 夜の十時前にふと、見ないことにしてベランダの手すりに干したまま放置していた件のふとんを洗おうと思いついたことがあった。今この時間にやるべき活動ではないということはわかっていたが、思いついてしまったからにはやるよりなかった。マスクとゴム手袋をしてクロックスもどきを履き、掛布団か敷布団か判別のつかないそれをベランダから回収し、台所に運んで明かりの下で汚れの程度を確認した。全体の黄ばみ、広範囲の赤茶色の薄い染み、いくらかの黴、絨毯から色移りした青い染料の染み、そして明るい色の大便汚れ。発見当初の印象ほど汚くはなかったが、購入してから二十数年間一度も洗われたことはないはずで、少なくともここ十数年間、俺が便宜的に手すりにかけるまで、一度も天日に干されていなかったことは明らかだった。

 湿って薄く固くなっていてもふとんはふとんであり、洗濯機には押し込み切れなかったから風呂場に運んで浴槽に沈めようとしたが、思いの外空気を孕んでいたふとんはそうそう簡単には湯には沈まなかった。何度か手で押しこもうとしてその不可能性に気づいたあと、思い出したのが風呂場からベランダに移動させていた古い時代の名残の湯かき棒で、粗大ごみとして廃棄予定だった彼の最後の出番かもしれないと思い、再び夜のベランダに出て、同じく粗大ごみになるはずの柄のついたバスブラシとともに風呂場に運んだ。

 枯れ木に水をあげましょう、と間違ったことを思いながら重曹を掴んで撒き、二十数年ぶりに活用されたであろう湯かき棒で気持ち程度湯に溶かし、それからふとんを突き始めた。何度沈めても執念深く水面に浮かび上がってくるふとんを、湯かき棒に体重をかけてがぼがぼと沈め直す工程は、なにかに似ている、と思った。『死者の奢り』だった。

 浮上を諦めたふとんが水中に沈んでいくに連れ、湯は茶色い濁りを増し、蒸気とともに母親の体臭がいくらか立ち昇ってきた。衣類よりは弱いにせよ、黴と甘ったるさが混じったような、相変わらず不快で湿っぽい臭いだった。Amazonから届いていた一キログラムの重曹が半分ほどに減っても汚れが落ちている気配はなかったが、湯が濁ってきたということは一定の汚れは落ちているのだろう、と考えることにした。俺に必要なのは現実的な清潔や衛生ではなく、「ふとんを洗う」という儀式を完遂して「ふとんを洗った」というアリバイを得ることだった。

 三十分ほどの重労働を経て、湯の色が茶色から黒に変わってきたので、一度流してから重曹を洗剤に切り替えることにした。ゴム栓を抜けば濁った湯はしばらくは順調に流れてふとんとともに水面を押し下げていったが、やがて止まった。下を見れば湯の流れは排水溝で止まっており、俺は風呂の蓋やら邪魔なものを洗面台の前に出し、排水溝の清掃に取りかかることにした。割れたトラップ蓋をどかせば恐れたほどの汚れはなく、いくらかの毛とビニールのついた目皿を外して中のワンを少し持ち上げれば、ごぼごぼと気持ちのよい渦を巻いて再び湯は流れ始めた。ワンを持ち上げる際につまみの金属の輪っかがもげたことについては気にしないことにした。

 湯を吸ったふとんは死体のような重さになっていた。ふとんがこれほどまでに空気や水を吸うものだとは、俺は知らなかった。再び湯を溜める間に台所で休憩し、風呂場に戻って粉せっけんを撒けば、湯は入浴剤を入れたように白くなった。ふとんの黄ばみが落ちているようには思えなかったが、俺は気にせず、再び湯かき棒でふとんを突き始めた。ふとんはすでに充分に従順になっていた。

 排水を始める頃には〇時前になっており、さすがに近所迷惑を考える時間になってきていた。気を抜けばふとんはすぐに蓋や堰となって湯の流れを止め、その度に俺は死体のような重さのふとんを何度も引き上げた。腰、背中、ふくらはぎ、その辺りの筋肉は充分に疲労していたが、疲労の性質が精神的なものではなく肉体的なものであるのはなによりだった。

 十分かけて二度目の排水は終わった。これ以上なにをどうしていいのか俺にはわからなかった。大した考えもなく、もう一度栓をして、湯を張る間に洗面所でジャージを脱ぎ、ボクサーパンツ一枚の下半身になって風呂場に戻り、浴槽に入ってクロックスもどきでふとんを踏みつけた。イメージしたのはある種の素朴な生活スタイルにおける洗濯の風景だったが、実際には器具を使った有酸素運動のように、リズミカルに左右の脚に交互に体重をかけていく形になった。自宅でテレビを観ながらウォーキング、そうした類の運動だ。俺の表情がそれらしき笑顔になっていたのかはわからないが、この運動に一定の愉快さがあったことは否定しない。踏みつけ、重いふとんを動かし、また踏みつける。ふとんの中で綿がばらばらになって再使用できないであろうことは気にしないことに決め、俺はぐじゅぐじゅと有酸素運動を続けた。

 充分な脂肪燃焼効果も得られたので、湯を流し、ふとんをずり上げて浴槽の縁にかけ、すすぎと脱水を終えたことにした。俺に必要なのはアリバイであり、あるいは動詞を未来形または現在進行形から過去完了形に変えていくことであって、実際にすすげ、脱水できているかは大した問題ではなかった。

 水が滴る音を聞きながら風呂場を離れ、三十分ほどして戻れば滴りは止んでおり、ベランダへの窓を開けて経路を確保してから風呂場に戻り、部分的にふとんを絞り、まだまだ大量の水が残っていることは諦め、死体のようにぐったりとしたふとんを運び、ベランダのごみ袋どもを乗り越え、いずれにせよもうふとんは開きようがなかったので、死体のようにぐったりと手すりにかけた。まだ水は滴っていたが、ここが一階であることはなによりで、滴りが落ちようがふとんが落ちようが死体が落ちようが、迷惑を被る階下の人間はいなかった。深夜一時に死体のような物体を抱えて死体のように手すりにかける人間を正常な家の正常な人間だとは誰も思わないだろうが、俺も俺で自分を正常な家の正常な人間だと主張するつもりもないので、その点に関しても問題はなかった。車の動きもない静かな夜の中に、水の滴りと換気扇の音がしていた。芝生には手すりの影が落ちていた。


 翌朝が晴れていたのは幸いだった。ふとんはまだまだ水を含んでベランダを濡らしてはいたが、整えてやればそれなりにふとんらしくはなった。このあとは冬の太陽の下で、時間をかけて少しずつ水分を蒸発させていくはずだった。何日かかるかはわからない。俺は台所に戻り、白く汚れた窓の向こうの、思うよりきれいになっていたふとんを眺め、呟いた。


 平和そのものだな。



 平和。ベランダの手すりに干された、清潔なふとん。それが日本住宅公団が予定していた、あるべき団地の姿、平和な団地の平和な生活の姿であるはずだった。風呂にせよ、台所にせよ、玄関にせよ、各部屋とその収納にせよ、あるいは公園群と集会所と図書館と商店街とその行事であるにせよ、それが本来の姿で機能していれば充分なポテンシャルを持っていたことを、俺はようやく理解しつつあった。



 生活には平和が必要だった。この家にはそれが欠如していた。この家で起こった平和な出来事を思い出そうとする試みは、虚しく終わった――平和だったならばなぜ台所のドアが外されてベランダで朽ちているのか? 洗面所の壁に油性マジックで書かれた殺伐とした文言は誰に向けてなにを意味していたのか? なぜ襖には大便がつき、あるいは包丁が突き立てられた跡があるのか? なぜそこに死体があったかのように畳が腐っているのか?



 目を傷め、何度も眼鏡を洗い、百六十枚以上のポリエチレン手袋を消費し、口からは何十回もヴォエッというオノマトペが漏れた。何枚マスクをしようが喉は痛く、咳は続き、肺と気管支に違和感が残り続けていたが、それがコロナの後遺症のせいなのか、部屋に蓄積された有害物質やウイルスのせいなのか、再び増え始めた喫煙量のせいなのかはわからなかった。左手中指の火傷と、鈍器のような重さの盆の縁を踏みつけて梃の原理で跳ね上げたことによる右脛の打撲と、ふとんをひっくり返す際に右手中指の爪の先を剥がしたこと以外に怪我をしていないのは、充分な幸運と言えるだろう。

 ときどき悪霊の類が悪寒として背中に憑りつくことはあったが、大抵は川越で手に入れた七福神手拭いで擦ると改善した。それでも駄目なときは手近にあった定規で背中をぺしぺしと叩き続け、にんにくとしょうがと唐辛子をたっぷりと効かせたツナキムチのスパゲッティを汗をかきながら食べ、食後には般若心経とチベタンゴングを聴いた。そんな日々の中で活力を取り戻す魔法のように頭に響いていたのは、ベルトラン・トラオレやイッサ・カボレやママ・バルデやマセコやシャルリレや、アティヤト・アラーやマブルルやバファナ・バファナやチポロポロといった単語群だった。



 自分の活動は間違いなくこの世界をいくらかマシな場所にするための活動、すなわち善であり、ごみ出しのルールおよびマナーも可能な限り遵守している、と自らに言い聞かせても後ろ暗さは消えず、近隣住民の目と耳と動きは常に気になっていた。それはひとつのストレッサーになっていたが、現在の団地住民の大半は善良な老人たちであり、顔を合わせれば大抵は穏やかに挨拶をしてくれ、そこには年始のにこやかな挨拶さえも含まれていた。老人たちであるということは多かれ少なかれこの家と類似の状況はあり、ポータブルバスタブを抱えて向かいの棟の階段を五階まで上がっていく介護ユニフォーム姿を台所の窓から眺めることもあれば、救急車が停まっているのを何度か見かけた階段の前に今度はトラックが停まっており、扇風機やストーブなどの生活に必要な品々が積み込まれていくのを見かけもした。救急車が行きついた先がどこなのかは正確にはわからないが、多かれ少なかれそういうことではあるのだろう。そんなことを思いながら屋根のない荷台を眺めていたら、買い物帰りの高齢女性の帽子が冬の風に飛ばされてきた。トラックのタイヤの脇に転がったそいつを、俺はしゃがみ込んで拾って渡してやった。彼女が元気に生きていることがなによりだった。



 風呂マットも切れば可燃ごみとして捨てられる。それが今日俺が知った人生の――少なくともこの市における人生の――真実だった。真実は俺を動かした。ベランダの室外機に立てかけたまま見ないことにしていた風呂マット三枚を、切る。

 十六時二十五分。俺はかつて母親が所有者だった六畳の窓を開けた。ベランダはすでにごく論理的で整然としたものになっていた。右端には「棒状のもの」という区分でまとめたものども――用途不明の棒ども、長すぎて使い物になっていなかったハンガーラックの部品、父親の杖が数本、ブラシ、網、ほうき、榛名山土産の木刀、どこかの土産の竹の水鉄砲、トレーニングバー、襖の桟――があり、その隣に「板状のもの」という区分でまとめたもの――用途不明の板ども、用途不明のトレイ、兄のスケートボード――、その手前には「石の類」として硯、文鎮、用途不明の石どもがあり、その隣に久しく使われていないエアコンディショナーの室外機があった。さらに向こうにはふとんが干され、ごみ箱が転がり、廃棄すべきごみ袋はひとまず数袋を残すのみとなっていた。かつて俺が生活していた四畳の前には、件の異様に重い盆があった。父親の品々の象徴性はわかりやすいものだった。自分がこの世界で小さく軽い存在だと感じていたがために大きく重い品々を集め、この世界で腰を落ち着ける場所が必要だと感じていたがために様々な椅子を集め、自分がどこの誰か不確かだったがために印鑑を好んだ。囲碁を好んだ背景には、無秩序で不条理なこの世界に対する不安や失望もあったのかもしれない。十数年前に兄が外してベランダに遺棄した台所のドアのような朽ちたなにかは俺にはほとんど見えない存在になっていたが、いずれにせよ充分に見通せるベランダになっており、それはいまだかつてこの家が一度も辿り着いたことがなかった、健康的で爽やかな風景だった。

 そして俺は室外機に立てかけておいた風呂マットの一枚を取り、窓際に半端な正座のように膝をついて座り、裁ちはさみを手に、それと向かい合った。



 幅八十五センチメートル、奥行き六十センチメートル、厚さ二センチメートル。ところどころに水抜き用の十二、三センチメートルほどのスリットが刻まれた、色褪せて汚れた淡いブルーの樹脂素材。表面には足裏の滑りを防ぐための小さい円とカプセル型の楕円が交互に盛り上がって斜めのライン群を形成し、裏面にはヨーグレットのようなサイズの円形の出っ張りが並んでタイルの床との滑りを防ぐ。そんなマットだった。

 切り始めるや否や、「この作業はダルい」という事実に気づかざるを得なかった。熱した鉄線で切れないかということも考えたが、それらしき道具がこの家にないことは知っていた。俺は立ち上がって台所に向かい、軍手を外し、ごみ箱に突っ込んでおいた鎌だのの父親の道具類を漁り、弦掛鋸を手に取って眺めた。無理だ、と俺は思った。俺に日曜大工はできねえ。俺は日曜大工をするために生まれてきたわけじゃねえ。弓部分の重みで、鋸は手の中でぐるんと回った。

 早々に諦めて窓辺に戻り、再び軍手を嵌めて、再びはさみを入れ始めた。ああ、固い、と苦々しい声が漏れた。反射的にはさみを両手に持ち替えて力を込めようとしたがバランスが取れなくてうまくいかず、はさみを上下させて角度を変え、刃元を使い、マットを歪め、捩じり、丸め、どうにか切りやすくなるような方法を探した。方法はなかった。結局は絨毯等と同じように、少しずつ根気よく切っていくしかないのだろう。眉を顰め、俺はまたはさみを持つ手に力を加えた。

 二分ほどかかってひとつの直線を切り終えたときには、すでに飽きてうんざりしていた。この日々に鋏の指穴に押し当てすぎたせいで、右手の中指の甲には打撲のような痛みもあった。いつ消えるかわからない、深い痛みだった。指たちもまた、切ることを拒んでいた。

 先に、ベランダに落ちていたクッションを切ることにした。順番が前後するだけで、どのみち切らなくてはいけないことには変わりがない。変色してなにがなにやらわからないそれにはミッキーマウスが描かれていたが、俺は一度も見たことがない品だった。この家で使用されていた実績があるように思えない。まずはカバーを切り、カバーが綿に縫い込まれている部分を切り、それから綿をばらした。綿もすっかり茶色く、汚くなっていた。当然、虚しく馬鹿馬鹿しい作業だった。使わないのであれば、捨ててあげなければいけない。雨風と埃に晒しながら、無意味に放置し続けてはいけない。それはものに対する虐待だ。いずれにせよ、これでこのクッションは――


 ――帰天できる。


 ふと思い浮かんだ言葉に、俺は頷いた。それだ。俺がやっていること、やらなければならないこと、ものたちが置かれている状況は、それだ。クッションの残骸をごみ袋に詰め、俺は風呂マットに戻った。

 金属が樹脂素材に擦れ、ときどきはちょきちょきと、そしてぱちんと切れる音がした。黒いジャージはすぐに砂埃と切り屑で灰色になった。膝が冷えていき、団地に残る光は少しずつ暗く、鈍くなっていった。塊が小さくなれば、少しは切りやすくなった。一枚目を切り終え、二枚目に移った。はさみとマットを動かし続けながら、俺はこんなことを考えていた。


 ごみ屋敷にあるのは、ごみではない。


 風呂マットが存在すべき場所は、風呂場の床だ。その使命は、風呂場の床に敷かれ、人体および床の滑りを防ぎ、床の冷たさを防ぎ、固い床を柔らかく快適な場所にすることだ。

 風呂マットが存在すべき場所は、決してベランダではない。ベランダでは風呂マットは使命を果たすことができず、存在意義を失う。それはもはや風呂マットではないが、無でもない。物理的には存在しているからだ。物理的に存在はしているが、意味がない。意味がないものは、見えなくなる。それはごみでさえないなにものか、無意味で、見えない、なにものかだ。

 外はさらに暗くなり、カナメモチとつつじの垣からうーうーとした奇妙な唸り声が聞こえ始めていた。障害者の声なのか、猫の声なのかはわからなかった。俺は立ち上がり、ベランダに出て、切り終わって積み重ねていた連中を、かつて棚だったはずの汚れた板に並べて立てかけた。

 それを五十センチメートル四方以内に切り、半透明のごみ袋に収めてやることで、可燃ごみという意味あるものになり、行き場所ができる。然るべき曜日に然るべき場所に出しておけば、然るべき人物たちによって然るべくして回収され、然るべき施設へと運ばれて然るべき処理をされる。彼らはようやく無意味で居場所を失ったなにものかであることをやめ、然るべき場所へと辿り着くことができる。俺は思った。入手し、役に立ってくれ、その使命を終えたものたちは――。


 天に帰してやらなくちゃ。解放してあげないと。


 俺はかつての風呂マットたちを見下ろした。正方形に切られた彼らは、すでに無意味ななにものかであることをやめ、「可燃ごみ」という明確で可視的な存在に変わっていた。暮れゆく冬の団地のベランダの弱い光の中で、彼らは少し、嬉しそうに見えた。

 俺はしゃがみ込み、彼らをごみ袋に詰めていった。クッションが一袋、マットが二袋に収まった。俺は右下を眺めた。畳の上にはとっくに役割を終えた傘たちが――二十五本ほどの傘たちが――横たわっていた。彼女たちもまた、「わたしを切って」と俺に呼びかけていた。俺は溜め息をついた。それは夜までかかる作業になるだろう。それでもやるよりなかった。六畳の電灯はすでに外していた。スポットライトをカーテンレールに取りつければ、作業に必要な明るさは得られるのだろう。それもまた、やるよりなかった。だが、その前に休憩だ。


 眠気と手の痛みを感じながら、大型のプランターに立てかけられた電子キーボードと積まれた段ボール箱の間を抜け、レシピブック、DVDプレイヤーの説明書、未使用のクロッキー帳、そうした塊を踏み越え、カビ防止スプレー、シェーバークリーナー、墨汁、そうした類を収めた収納ボックスをよけて、台所に戻った。軍手を外し、マスクを外し、棚に置いておいた煙草をとり、乾いた唇に咥え、マッチを擦った。ばっと音がして炎が上がり、燐の匂いが鼻を突き刺した。父親がどこかの棚に遺していた、池袋の囲碁クラブの萌黄色のマッチだった。煙草を吸わない父親が、どうしてマッチを持っていたのかはわからなかった。父親なりの思い出の残し方だったのか、あるいは蚊取り線香を点けるのにでも使っていたのだろうか。俺はぼんやりと、なにかを思いながら煙を吹いた。換気扇はレンジフードの奥で静かに回り続け、白い煙をゆっくりと吸い込んでいった。俺は窓の外に目をやった。向かいの棟の階段には暖色の明かりが点っていた。団地の明かりだった。植え込みのうめき声は「ぷぎゃー」という叫び声に変わった。猫だった。

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