表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

九話

 「うつほ様は飢饉が起こったときに外から伝来した神だ。そして清美沢きよみさわ村は廃藩置県の際に五つの村が合併して出来た。…じゃあそれまで信仰されていた土着神はどこへいったと思う?」


 田村たむらの責めるような口調の問いに、雛菊ひなぎくは答えられなかった。


 「うつほ様に()()()()()()んだよ」


 田村の口調はなんだか、村の信仰を調べにきた民俗学者にしては内側に入り込み過ぎている気がした。私怨のような何かをうつほ様に対して抱いている。研究者が研究対象に抱くような類いの感情ではなさそうだ。


 「…あなた、何者ですか?」


 雛菊が睨みつけながら問う。


 「この地を追われた天狗の末裔……とかね」


 自嘲するように田村はそう呟くと、太郎を連れて去って行った。太郎だけは名残惜しそうに何度も雛菊の方を振り返った。

 

 田村の背中には哀愁が漂っていた。でも、雛菊は言葉をかけて引き留めることをしなかった。何か言えばよかったかもしれないが、何を言えばいいかもわからない。そんな状態で放たれた言葉など空虚で、お互いを傷つけるだけだろう。


 うつほ様が土着神を飲み込んだという話は本当かもしれない。清美沢村の成り立ちは田村が語った通りであり、村の分校で教えられている。しかし、神が消えたという神話的な話は教わらなかった。ただ簡潔に、廃藩置県の際に五つの村が合併した…とだけ。


 田村が天狗の末裔ということを信じるならば、彼がうつほ様を恨んでいることも、なぜか外部の人間にしては村の事情を知り過ぎていたことも納得できる。民俗学者という立場を隠れ蓑にしていたのだろう。


 「それで私のうつほ様への()が揺らぐと思っているの?」


 もう田村の背中は見えない。田村に問いかけたわけじゃないが、雛菊はそう呟いていた。さっきのことで確信した。田村はもう「犬を連れた旅人」として、雛菊を救ってやることを諦めるだろう。


 


***




 松に吹き寄せる風が花を散らす。雨とも雪とも言えない花吹雪の中に、玉が転がるような音が響く。風に混じる玲瓏たる音は巫女たちが狐面をつけて歌いながら舞っている音だ。


 びゅう、びゅうと風が花を散らし、巫女たちは袖を翻しながら花吹雪の間を舞っている。風に身を任せ、花の中に身を投じながら、雛菊たちを寿いでいる。


 しゃらん、と鈴が鳴る。笛が長く響く中、雛菊は裾の鈴を鳴らしながらさながら花魁道中が如くゆっくりと優雅に花嫁行列は進行していた。


 村中を練り歩いてから、お社に向かう。お社への道へは篝火が焚かれていて、家々の軒先には提灯がぶら下がっていた。


 狐謝堂家から送られてきた狐面をつけた雛菊は視界が狭いので、人の手を借りながらお社へと続く階段を登った。朱色の鳥居がいくつも立ち並んでいて、竹林が風に揺れる。


 宮司や巫女を先頭とし、最後の鳥居を潜ると狐面をつけた狐謝堂家の人たちが深々と礼をしながら雛菊を出迎えた。花嫁の素顔は花婿のうつほ様しか見てはならない決まりで、仮面をつけているのに万が一にも雛菊の顔を見ないように頭を下げていた。


 「こちらへ」


 年老いた宮司のしゃがれた声が、雛菊をお社の中へと導いた。お社の中は薄暗い中に篝火が焚かれていて、花嫁は真っ直ぐ進むようにと言われ中に入ると後ろから扉が閉まり施錠される音がした。


 中は長い廊下のようになっていて、外から見たお社より大きい。山を切り開くようにして建てられたこのお社は鍾乳洞に続く隠し通路を擁しているのかもしれなかった。


 雛菊はしゃらしゃらと雅な音を立てながら一人進む。白壁はいつの間にか岩肌に変わり山の中へと入って行っているのだろう。岩壁には壁画のように、絵が描かれていて金箔でも貼られているのか篝火に照らされてきらきらと輝いていた。


 描かれているのは、白い狐。尾が九本に分かれている。進めば進むほどに壁画の内容は変化して、一本の物語になっている。


 最初は飢饉に苦しむ人たちが肋の浮いた餓鬼のような姿で描かれている。そこに後光が差したように輝く白狐が現れ、稲穂がたわわに実っている様が描かれている。最初は枯れ枝のように墨で荒々しい筆致で描かれていた人々は、ちゃんとした人間の姿で描かれるようになった。


 「こっちだよ」


 岩壁にこだまするようにかすみの声が聞こえた。どこからか話しかけているのだろう。きっと最奥まで辿り着ければ会えるはずだ。


 はずむ心を抑えて、雛菊はお淑やかに歩く。本当は裾を引き上げて足をさらしながら、走って行きたいけど我慢した。


 「待ってて。すぐ行くから」


 雛菊が叫ぶと「ゆっくりでいい」と声が反響しながら帰ってきた。この奥に霞がいると考えると胸が暖かくなる。早く歩かねばと思うのに、裾についた鈴は重いし、壁画にも見惚れて、ついつい歩みが遅くなってしまう。


 「霞さん、何で私を選んでくれたの?」


 雛菊は洞窟の奥に向かって話しかけた。


 「雛菊が花嫁に相応しかったからだよ」


 霞の優しい声が響いた。うつほ様は白狐。つまり、白い子を産んでほしい。黒髪より、雛菊の白茶けた髪の色の方が白い子を産んでくれるだろうと狐謝堂家の人たちは考えたらしい。


 雛菊はずっと嫌っていた自分の髪が少し愛おしくなった。いなくなった母の面影を一番に残すこの髪は、疎まれていたのに。霞はそれすら愛してくれることが嬉しかった。


 最奥まで辿り着くと、そこには祭壇があり紋付き袴を着て狐面をつけた霞が待っていた。雛菊はゆっくりと霞の隣に近づく。


 「お待たせ」


 雛菊が微笑むと、霞も微笑んだのが感覚的にわかった。


 「鈴の音が聞こえてきたから、待ち遠しかったよ」


 中央に、三つ重ねられた白磁の杯がある。杯には清美沢村の湧き水、霊水とうつほ様のおかげで作られた米からできた御神酒が注がれた。


 一の杯は、「水の契り」として口をつける。二の杯では、「命の契り」として、霞の手から直接受け取ったもので唇を濡らした。三の杯では、「帰らぬ契り」として、すべて飲み干すことを求められる。


 「これは、神とともに在る証。いま一口含めば、そは契り。いま一盞、飲み干せば、そは黄泉。あとの世に、人の世の味、二度と知らず」


 雛菊が三杯目を貰い、口をつけようとした時だった。洞窟の祭壇の間に近づく、靴音と四足歩行の獣の足音が聞こえた。がるるるっという犬の唸り声が聞こえ、篝火に照らされたのは田村と太郎の姿だった。


 「その結婚、ちょっと待った!──ってね」


 田村はこんな時に軽薄そうに笑っていて、自分の言葉を軽い冗談みたいに飾る。


 「邪魔者めが」


 霞が低い声を出して、田村から雛菊を庇うように前へ出た。


 「田村さん…どうしてここに」


 雛菊は尋ねる。この鍾乳洞は神域であり、簡単に立ち入れる場所ではない。今日は婚儀だから雛菊はお社から入れたが、村人は入れないし、外部の者が入れるはずがない。お社の前には沢山の人が集まっていたのだから。


 「ここはもともと、天狗の土地だ。抜け道の一本や二本、知っている。この神域の結界に弾かれなかったことこそが、僕を天狗の末裔だと証明している」


 田村は余裕そうに笑った。そしてある昔話を語る。


 むかしむかし、山の奥に風の神が住んでおった。声のない神であった。風の吹く音に、人は神の言葉を聴いた。だが、ある年、大いなる飢えが村を襲った。村人は狐の形をした神を招いた。狐は金をもたらした。稲を実らせた。人々は喜んで、風の神を忘れた。風の神は怒ったのではない。ただ黙って、洞の奥へ消えていった。それから、その神は、“うつほ”と呼ばれるようになったとさ


 「本当は心配だったんだ。都会に出て、天狗は人間の血と交わり過ぎた。だから、僕の中の天狗の血が反応するかは賭けだった」


 そして田村は霞を見つめた。それは一族の恨みを込めたような視線ではなく、どこか憐れむような視線だった。


 「血が混じって弱くなったのは九尾も同じだ。人間の血を混ぜることで人間の姿を保っていたのに、混ざり過ぎたことで逆に弱くなっている」


 なぜ、うつほ様は人間の娘から嫁取りをするのだろうという疑問が田村の言葉で解けた。狐は人間の姿に化けると漠然と信じていたから気づかなかったが、本来は獣の姿である。人間の姿を保つには人間の血が必要だったのだ。


 しかし、人間と交わりすぎると九尾の血が弱くなり、田村に易々と結界を超えられてしまったのではないか。


 「これ以上、この土地で勝手な真似をするな。九尾。そして、雛菊さん。あなたのお印は傷がついている。だから、三杯目さえ飲まなければ帰って来れるはずだ」


 田村の言葉に雛菊は手にしていた白磁の杯の酒を飲み干した。御神酒の甘い香りと稲の風味が喉を通り、雛菊の体中に温かさが広がった。これでもう、雛菊は霞の──うつほ様のものだ。その行動が田村への答えだった。


 「残念だよ」


 田村はそう言うと、近くにあった篝火を地面に倒した。火は燃え上がり、雛菊たちに熱風が届く。この時初めて、雛菊は灯油臭さに気づいた。御神酒を飲んでこの世から少し離れていたから、気付かなかったのかもしれない。


 「天狗の羽団扇で仰いでいるから、消えないぞ。ここで燻されて消えろ、九尾」


 いつの間にか田村の手には羽団扇が握られていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ