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四話

 「実咲みさき…なぜ、こんなことをした。うつほ様の花嫁という名誉なお役目を…」


 父が怒りを抑えて震える声を出した。今すぐにでも怒鳴りつけたいのを理性で抑えているが、端々から滲み出る怒りの気配は隠し切れていなかった。静かにこんこんと叱るのが理想なのだろう。


 雛菊ひなぎくは実咲を守るように手を繋いでいた。実咲が強く握り返してくれる。勇気を振り絞っているようだった。


 「私は、うつほ様の花嫁にはなれません」


 実咲はきっぱりとした口調で言った。しかし、わずかに震えているのを手を繋いでいる雛菊だけがわかった。だから、実咲が小さな体を奮い立たせて父と相対していることがわかった。それはとてつもなく、すごいことだ。


 雛菊は父を目の前にすると、足がすくんでしまう。実咲だって怖いはずなのにはっきりと自分の意思を示したのだ。女子大学に行くって決めた時も、受験勉強に励んでいた時も、やっぱり実咲はすごい。雛菊ができないことをやってしまう。


 「私…妊娠してます! だから、うつほ様の花嫁にはなれません!」


 父と継実つぐみさんは実咲の言葉に絶句した。雛菊だって驚いた。しかし、ぎゅっとつかむ実咲の手が熱かった。


 「嘘じゃない。十月十日待ってみたらいい」


 実咲の手はもう震えていなかった。何年、実咲の姉をやってきたと思っている。雛菊はその話が結婚したくないだけの嘘であることがわかった。嘘の出産をするまで、時間稼ぎができる。うつほ様の嫁取りが、花嫁が決まってからすぐに準備が執り行われる。


 祝言が伸びることは今までなかったし、何より花嫁が別の男の子を妊娠しているなんて前代未聞だった。正確に定められているわけではないが、神の花嫁は古来から生娘と決まっている。


 実咲が妊娠したと嘘を吐くのなら、雛菊は最後まで嘘を突き通せるように協力しようと思った。実咲はもう花嫁の資格を失っていることになる。雛菊は実咲がこんな嘘を思いつくわけがないと思っていた。だから、この嘘は田村たむらが入れ知恵したのではないか。


 田村は民俗学に詳しかった。きっと神婚について知っていて、神が花嫁に求めるのは純潔であることを知っていたのだろう。田村は雛菊が「うつほ様」と言った時に、すぐ「村の神の名前か?」と問うた。


 実咲は自分に迫っているのがただの結婚ではなく、神婚であることを話していたのだろう。だから、田村はうつほ様が婚姻相手の苗字などではなく、神の名前だとわかった。


 「お…堕ろせ!」


 父の声は真っ青になっていて、叫んだ声は弱々しく震えていた。父がここまで動揺するのを雛菊は初めて見た。


 「あなた…」


 継実さんが涙を堪えるようにして父の腕を掴む。同じ女として、そして母親として、娘に腹の子を堕ろせとはとても言えなかったのだろう。そして、夫にもそう言ってほしくなかったと思っているようだ。


 「他にどうしろというんだ。うつほ様の花嫁が…他の男の子を妊娠だと…?」


 父はうつほ様の花嫁になれない実咲にばかり目がいき、自分の娘が知らぬ男の子を妊娠しているという事実に目がいってなかった。まず最初に尋ねることは「誰との子だ?」というはずなのに。


 「わ…わたし、堕さないから。産むから!」


 実咲は引っ込みがつかなくなったかのように、売り言葉に買い言葉で言い返した。それが父は気に食わなかったのか、顔が赤くなり眉間に皺がよったが「あなた…」と継実さんのか細い声が、父の理性を繋ぎ止めた。


 「どうしたらいいんだ!」


 父は叫んで髪を掻きむしった。その時、父の瞳が雛菊を捉えた。今日、初めて父と目があった。否、顔を合わせることすら久しぶりだった。どくり、と心臓が鳴り血が巡る。父と目を合わせることに緊張していた。


 「取り替えよう」


 父は雛菊から目を逸らさずに呟いた。父の目は蒙古襞がなく端から赤い粘膜がむきだしになっていて、目が充血しているし、瞳孔も開いている。これは、父が酒瓶を振り回す前兆だと雛菊は知っている。継実さんもその異様な様子に気付いたようだった。


 「この家から、うつほ様の花嫁を出さなきゃいけない。実咲が駄目なら、お前が代わりになれ」


 父の声だけがはっきり届いて、継実さんや実咲の非難の声は後からゆっくりと遠くから聞こえた。父の目が真っ直ぐ雛菊だけを見ている。こんなこと、いつぶりだっただろうか。


 実咲に向けられている愛情の一粒くらいでも、雛菊に向くかもしれない。必要とされることが嬉しくて、雛菊は目線を逸らせないでいた。


 「お姉ちゃん?」


 実咲が心配そうに声をかけてくる。まさか、姉に押し付けるような形になってしまったことに罪悪感が湧いているのだろう。「そんなに栄誉だって思うなら、お姉ちゃんがなればいい」と言ってしまったことも後悔しているのだろう。


 しかし、実咲は優しいけど狡い。「実は嘘です」と白状して、うつほ様の花嫁になる勇気はない。雛菊に押し付けてしまっている状況に罪悪感を覚えながらも、少し安堵してしまっているのだろう。


 「わかりました。私がうつほ様の花嫁になります」


  必要とされてなかった自分が何か役に立てるなら。視界に入るな、と言われ続けた雛菊が今だけは父の視界を奪っている。父はもう雛菊しか見れない。それがとても嬉しかった。うつほ様の花嫁になるという不安や恐怖がないわけじゃない。


 でも、実咲が大学に行く未来が閉ざされてしまうのも嫌だった。うつほ様の花嫁になると宣言した時に、手の痣がほのかに熱を持ったような気がした。


 


***




 花嫁が入れ替わったことは狐謝堂こしゃどう家には隠された。村長が、醜聞をなかったことにしたがった。詐欺を働いているようで、雛菊の胸は痛んだが、この痛みが実咲を守ることに繋がるなら耐えられると思った。


 「お姉ちゃん…私、そんなつもりじゃ…」


 二人きりになると実咲は雛菊に対して今にも泣き出しそうな声で言い訳を並べた。やっぱりそうだ。実咲は優しくて狡い。自分の身を切るような優しさを施せない。自分が犠牲になるくらいなら雛菊という他者を差し出す。


 「本当にしてるの? 妊娠」


 雛菊は静かに尋ねた。実咲が冷や汗をかきながら視線を逸らす。


 「……十月十日経ってみなきゃ、わからない」


 実咲は妊娠を嘘だと白状しなかった。雛菊でさえも、秘密を打ち明けるに値しないと判断したらしい。それはそうかもしれない。実咲の代わりに花嫁になった雛菊に「実は嘘でした」と打ち明けたら、雛菊が告げ口をしてうつほ様の花嫁は実咲になるかもしれない。


 「実咲が駄目になったら、代わりの人がうつほ様の花嫁にならなきゃいけないってわからなかった?」


 雛菊は恐怖も不安も怒りも悲しみも、全て表に出さないように静かに声を出すように心がける。実咲は「そんなつもりじゃない」つまり、雛菊にうつほ様の花嫁を押し付けるつもりなんてなかったと言いたかったのだ。


 「結婚の話自体がなくなると思ってた」


 実咲は怒られた後に言い訳する子供のような口調だった。涙が滲んでいるが、絶対にこぼすまいとしている。


 「でも、実咲より私のほうが良かったかもしれないね」


 雛菊は気丈に笑ってみせた。


 「だって、私はこの家の役立たずで…早く出て行って欲しかっただろうし、実咲は大学に行かなきゃならないんだから」

 

 実咲は雛菊の言葉を聞いてとうとう泣いてしまった。


 「ほら、実咲はこの村はじめての女子の大学生なんだよ。あんなに都会に行くの楽しみにしてたじゃない。ほら、食べ物…アイスクリームっていったかしら。それもあるんでしょう?」


 実咲にこの村の水は合わなかった。実咲は「女なのにそんなに勉強して何になる」といった村の老人たちの言葉に傷ついていた。実咲にとってこの村の水は苦いものでしかなかった。なら、新たな水場に羽ばたくべきだし、この村の水を甘いと思う雛菊が残るべきだ。


 「だって、うつほ様の花嫁は生涯をこの村で過ごさなきゃいけないんだよ」


 実咲は涙を流しながら叫んだ。うつほ様の花嫁は、うつほ様の妻であり、母であり、仕える巫女でもある。実咲は雛菊をこの村に縛り付けて、自分だけ外に行くことになってしまったのに罪悪感を抱えていた。

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