第4話 悪役令嬢は、聖女を叱る
昼休みの回廊は、ざわめきの温度が一段高かった。
「聞いた? 聖女様、○○侯爵家の夜のお茶会にご招待されたんですって」
「本当に? あそこの夜会って、若い令嬢をやたら集めるので有名よ」
食堂脇の回廊で、令嬢たちが顔を寄せ合う。教師の目は届きにくく、噂話にはうってつけだ。
「前にもいたでしょう? あの夜会のあと、絵姿が妙な形で出回った子」
「酔い潰れて紳士に支えられているところを偶然描かれたとか」
言葉の端々から、作為の匂いがした。
視線が、わたくし――リリアーヌ・アルベールへとちらちら向けられる。公爵家の一人娘がうかつに口を挟めば、それだけで事態は動く。だからこそ紅茶を口に含みながら、黙って耳だけを澄ませていた。
(○○侯爵家主催の夜会……原作ゲームでは、聖女がここで失態を演じ、教会から離れて特定貴族に囲い込まれるルートの起点でしたわね)
未来ノートのページが、頭の中でぱらりとめくられる。夜会好きで通った令嬢の評判が妙に変わる侯爵家。教会強硬派と繋がる噂。父から聞いた、急成長中の〇〇商会。
点と点が、細く黒い線で結ばれていく。
「ミア様のことですよね?」
友人令嬢が声を落とした。
「宗教学の先生がおっしゃっていたもの。聖女候補として、社交にも慣れなさいって」
「聖女様が夜会にいらしたら、皆さま大喜びよ。奇跡のおすそ分けって」
ちょうどそのとき、話題の本人が姿を現した。書類を抱えたミア・ローゼットが、おずおずと回廊を歩いてくる。髪はいつもより手が込んでいて、控えめながら華やかなリボンが揺れていた。
「ミア様、こちらへ」
声をかけると、ミアは驚いたように瞬き、小走りで近づいてきた。
「あ、アルベール公爵令嬢様。お呼びでしたか?」
「ええ。……そのご書類、○○侯爵家の紋章がございますわね」
「あ、はい。今朝、教会の方から。ぜひいらっしゃいなさいって。夜のお茶会なんて初めてで……でも断ったら失礼ですし、皆さまきっと喜ばれますから」
期待と不安とが絡まった声音。浮かれきってはいない。その一点に、わたくしは小さく息をついた。
(ここで放置すれば、ゲームより性質の悪い断罪が起きるかもしれませんわね。今のミア様は聖女利権の格好の商品)
父の口癖が胸の内で響く。商品には、必ず独占したがる者が現れる。
「ミア様。放課後、少しお時間をいただけまして? 大切なお話がございますの」
「……わかりました。時間を空けておきます」
昼休みの喧騒の中、別の物語の音が小さく鳴り始めた。
◇
放課後のメイン廊下は、授業の余韻と夕陽に満ちていた。大窓から差し込む光が床を照らし、中央階段へと続く道を金色に染める。人目も証言も集めやすい、わたくしが選んだ舞台だ。
(証言はいくらでもねじ曲げられますわ。ならば最初の言葉だけは、わたくしが選びます)
侍女を連れたミアの姿を認め、一歩前に出た。
「ローゼット伯爵令嬢。少々、お時間を」
声をかけると、廊下のざわめきが薄くしぼむ。
「先ほどのお茶会の件ですわ。○○侯爵家主催の夜の集まりに、ご出席とのこと」
「は、はい。教会の方が、聖女として社交に慣れなさいと……」
書類を抱きしめる腕が、わずかに震えている。
「あなたが夜会に顔を出せば、王家も教会も、皆こぞって喜ぶでしょう。そして――」
わざと少し声を張る。
「聖女様の奇跡を自分のものだと思い込んでいる方々も、さぞ」
ざわめきが広がる。噂の種は、これで充分だ。
「ですが、そのお茶会へのご出席を――アルベール公爵家の名において禁じます」
空気が揺れ、周囲から息を呑む気配が上がった。
「え……?」
「聖女様の社交を妨げるなんて」
「さすが悪役令嬢ね。支配したくてたまらないのよ」
好き勝手なささやきが飛び交う。想定の範囲内だ。どうせこの場面は、将来いじめイベントとして歪められて語られる。
「ど、どうして、そこまで……?」
今にも泣きそうなミアの声が、胸を刺した。
(本当は、人前で叱りつける真似などしたくありませんのに)
「あなたの真価を見誤る方と、親しくなさらない方がよろしいのです」
静かに告げる。
「聖女という肩書きだけを見ている方々と、ですわ」
冷たい言葉を選ぶ。表面だけを見れば、支配欲にしか見えないだろう。それでもいい。わたくしが守りたいのは印象ではなく、ミアの将来だ。
「でも、わたしが行けば、皆さん喜んでくださるから。だから、わたし……」
期待を裏切るのが怖くて、自分を差し出そうとしている。その危うさに、さらに言葉を重ねようとしたその時。
「リリアーヌ。そのくらいにしておけ。ミアが困っている」
少年の声が割り込んだ。レオンハルト殿下だ。周囲の視線が一斉に吸い寄せられる。
「ミア。嫌なら無理に従う必要はない。行きたいと思うなら、行けばいい」
「殿下……」
縋るような眼差し。わたくしに向けられた殿下の視線は、まっすぐで、残酷なほど善意に満ちていた。
「リリア。ミアの交友関係まで、君が決めることはないだろう」
(殿下。ミア様が自分で選べる状況にいないことを、あなたは知らないのですわ)
飲み込んだ言葉を胸に押し込み、完璧な礼を取る。
「殿下のお望みとあらば」
一歩下がり、誰にも聞こえない小さな声でミアに囁く。
「行きたいと望まれるなら、止めませんわ。ただし、その先で何が待つのか教えてくれる方は、いらっしゃいませんの」
ミアの肩が震え、侍女の袖を掴む指が強くなる。その様子を見届けてから、わたくしは場を辞した。
◇
その夜、公爵家のサロンで昼間の出来事を報告すると、母は穏やかにうなずいた。
「やっぱり動いてきたのね、○○侯爵家。夜会の招待客リストと、そこに通った令嬢たちの噂話よ」
渡された書類には、小さな醜聞が列挙されていた。酔って階段から落ちかけたところを紳士に助けられた令嬢。きわどいドレスを着せられ、派手好きと囁かれるようになった令嬢。
「一度庇って恩を着せれば、家ぐるみで頭が上がらなくなる。単純だけれど、よくある手口よ」
母は微笑みつつ、目だけは鋭い。
書類に目を通していた父が、顔も上げずに言った。
「教会が奇跡を政治に持ち込めば、誰かがそれを商品にする。商品には、必ず独占したがる者が現れる」
その一言で、○○侯爵家、〇〇商会、教会強硬派、そしてレオン派貴族の側近たちが一本の線で結ばれる。
「娘の友人を狙った時点で、その線はわたしたちの庭先まで伸びてきた、というわけね」
母はそう言ってから、ふっと笑う。
「娘の友人を守るために悪役の仮面をかぶれる子なんて、そう多くないわ。噂くらい、この家が好きに引き受けてあげる」
胸の奥で固まっていた何かが、少しだけ溶けた。
「ただし覚えておきなさい。人を追い詰めるときは、その人の立場と逃げ道を同時に用意すること。逃げ道を失った人は、自分だけでなく周りごと焼き尽くしてしまうから」
ミアにも、殿下にも、そしてわたくし自身にも向けられた忠告だ。
◇
夜更け、自室で未来ノートを開く。
見出しを書く。
聖女ミア宛の招待状
○○侯爵家夜会 教会強硬派と〇〇商会 レオン派貴族側近――聖女囲い込みお茶会の中心。
三角形の中心に、小さく「ミア」と記す。
赤インクで、
聖女個人の囲い込み、すでに始動
と書き、二重線で囲んだ。
(いつかこのノートが、誰かを守るための証拠となりますように)
そう願うのは、聖女ではなく、悪役令嬢を名乗るわたくしだ。
ミア本人はまだ、自分が守られるべき存在だと認めていない。きっと、わたくしを嫌うだろう。それでも構わない。ゲーム通りに泣き縋る聖女より、嫌ってでも自分で立とうとする聖女の方が、ずっと救いがある。
窓の外で、学院の大窓だけがぼんやりと灯っている。
「さて、悪役令嬢の仮面をかぶる第二幕は、まだ始まったばかりですわ」
未来ノートを閉じる音が、静かな部屋に落ちる。
処刑エンドも、戦争エンドも。ゲーム通りには進ませない――そう胸の内に書き添えながら、わたくしはゆっくりと目を閉じた。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
悪役令嬢ポイントを盛大に稼ぎつつ、実は全力で聖女を守りにいくリリアーヌ回でした。
ミアは夜会へ行くのか? 殿下との溝はさらに深まるのか?
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