第5話 王子の謝罪と、『正しさ』の言い換え
完結まで後3話
会談の間には、まだ断罪の余熱が残っていた。
折りたたみ机の上で、聖印や契約書がひとつずつ封筒に収められていく。大司教とレオン派貴族は護衛に囲まれ、青ざめた顔のまま退場していった。
「聖女様も被害者だったのか」「王子殿下は知っていたのか」
矢印の先を探す囁きが、空気の上を漂っている。
(これで、誰が仕組んだのかの答え合わせは済みましたわね)
わたくしは円卓の一角から会場を眺める。構造は暴かれた。けれど、まだ責任の行き先だけが宙ぶらりんだ。
視線が、じわじわと王と王太子へ集まっていく。帝国代表席の最奥で、セドリック殿下が静かにそれを見ていた。
椅子が引かれる音が一つ。父王が立ち上がるだけで、ざわめきがすっと消えた。
「教会と一部貴族の暴走を許した責任は、最終的にこの国の頂点にある私にある」
父王はそう告げ、帝国側へも「隣国を巻き込んだ非」を認めて頭を下げると、今度は隣の青年へと視線を向けた。
「レオンハルト。王太子としてではなく、一人の人間として、いま何を語るべきだと思う。その答えを、そなた自身の言葉で示せ」
道筋も正解も与えない問いだけを残し、王は席に戻る。
沈黙。レオン殿下は肘掛けを握りしめ、指先が白くなっている。隣のミア様は、震えが残る手をぎゅっと組み、前だけを見ていた。
(ようやく、自分だけの椅子に座らされましたのね)
長い沈黙のあと、殿下は立ち上がる。視界の揺れを振り払うように一度瞬きし、それから会場全体に向き直った。
「……王太子レオンハルトとしてではなく、一人の人間として、まず謝らなければならない人がいます」
張り詰めた空気に、その声だけが落ちていく。
「リリア・アルベール」
指名され、わたくしはゆるやかに頷いた。立ち上がりはしない。わたくしはもう、彼の物語の中心ではないのだから。
「君が何度も告げてくれた危険の兆しを、僕は聖女を貶める悪意だと決めつけた。君の見ていたものを、僕は最後まで見ようとしなかった」
淡々とした告白に、過去の庭園の光景がよぎる。
「あの時、庭で君に言った言葉を、今度は言い直したい」
その一言に、胸の奥がわずかに疼いた。
「君は自分の正しさを押しつけていたんじゃない。正しさから逃げていたのは、僕の方だった」
ようやく、そこまで辿り着いたのね――と、心の中だけで呟く。
(遅すぎますわ。それでも、遅れた答えを出すだけの勇気は、認めて差し上げてもいいでしょう)
わたくしは表情を変えぬまま、扇子の陰で小さく息を吐いた。
「……以上です。リリア」
「謝罪の順番だけは、評価してさしあげますわ」
軽く頭を下げると、殿下は苦笑し、次に向き直った先で足を止める。
「ミア」
聖女の席。ミア様は涙を堪えながらも、逃げずに殿下を見据えていた。
「君を守ると言いながら、僕が守っていたのは理想の聖女という幻だった。怖がる顔も、弱音も、主人公らしくないと見ないふりをした」
「わ、わたしも……レオン様に縋っていました。聖女でいれば、そばにいられると――」
ミア様がそう言いかけたところで、殿下は首を横に振る。
「それを君に言わせるのは、もうやめたい。僕が選んだ逃げ道の尻拭いを、君にさせたくない」
聖女と王子という物語の仮面を、彼自身の手でゆっくり外していく光景は、痛々しくも、どこか穏やかだった。
(選ばされてきた子を、ようやく舞台から降ろす準備が整いましたわね)
レオン殿下は大きく息を吸い込み、今度は会場全体に向き直る。
「……そして、僕自身の責任の取り方について、ここで示したい」
視線が、一斉に集まる。
「僕は、王位継承権第一位を返上したい。そして、戦のたびに見捨てられてきた北境ノルド地方に赴き、その再建に生涯を費やすことを望む」
未来ノートの地図ページに、幾度も赤い印をつけた地名。祈りも届かず、戦争エンドでは火の海になっていた辺境。
(島流しではなく、骨の折れる現場仕事を選びましたのね)
囁きが飛び交う。「逃げる口実だ」「罰として重すぎる」「いや、軽い」と、好き勝手な評価が渦巻く。けれど事情を知る者ほど、顔色を変えていた。
父王が、ゆっくりと立ち上がる。
「それは、罰から逃れるための道か。それとも、自ら選ぶ責任の道か」
「……後者です」
殿下は迷いなく答えた。
「王としてではなく、一人の男として、ようやく自分の正しさを選びたい」
父王は短く息を吐き、宣言する。
「今ここに、レオンハルトを王太子の座から外す。そのうえで――北境ノルド地方の再建を命じる。逃げ場ではなく、働き場としてだ」
続く一文は、驚くほど穏やかだった。
「それがようやく、男としての正しさだ」
まばらな拍手が起こり、すぐに静まる。帝国側でセドリック殿下が目を細め、「処刑ではなく交渉になった」とでも言いたげにこちらへ視線を送ってきた。
(処刑エンドは回避。交渉エンドへの分岐は、ひとまず成功ですわね)
◇
会談が終わり、夜風が王宮を洗い流す頃。
高いバルコニーから見下ろす王都の灯りは、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。そこに、紋章を外されたマントを抱えたレオン殿下の背中がひとつ。
扉を開けると、殿下が振り向く。
「……怒鳴りに来たのなら、覚悟はできているよ」
「怒鳴って差し上げるほど、まだお優しくはありませんわ」
わたくしは適度な距離を保ち、手すりにもたれかかった。庭園のベンチで並んで座っていた頃より、少しだけ遠い位置。
「あの時、庭で君に言った言葉を、ずっと言い直さなきゃと思っていた。けれど、今日まで逃げていた」
「ええ。本当に、見事に逃げ続けていらっしゃいましたもの」
軽く刺してから、わたくしは口調を和らげる。
「それでも、今日、最悪の未来を処刑エンドではなく交渉エンドに書き換えたのは事実ですわ。その一点だけは、評価してさしあげます」
殿下は驚いたように目を瞬き、それから夜空を見上げた。
「これから先、僕は……正しいことができると思うか」
王子ではなく、一人の青年の問い。
わたくしも同じように夜空を仰ぎ、静かに答える。
「それは、わたくしが決めることではありませんわ。今度こそ、ご自分の正しさをご自分で探して。その途中で、誰かの正しさを踏みつけないでくださるなら――きっとどこかで、報われますわ」
かつて殿下が投げつけてきた「正しさ」という言葉を、今度は選び直すための道標として差し出す。
レオン殿下は、しばらく黙って夜風に髪を揺らされていたが、やがて小さく頭を下げた。
「……ありがとう」
王太子ではない、一人の青年としての礼。
彼がバルコニーの扉の向こうへ消えていくのを、わたくしはひと目だけ見送ってから踵を返した。
(ここから先は、殿下自身の番外ルート。わたくしの未来ノートには、もう書かれていない物語ですわ)
王太子という肩書きを脱ぎ捨てた背中は、それでもなお、処刑台ではなく、まだ名前のついていない新しい正しさの行き先へと向かっていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
第5話は、レオンがようやく自分の「正しさ」を選び直す回でした。
ざまぁだけで終わらせず、それでも楽になりすぎない出口にできていれば嬉しいです。
続く第6話では、今度はミアが「嫌です」と選ぶ番。
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