第7話 倒れた令嬢と、命の値段の話
完結まで後9話
蝋燭がじりじりと短くなり、地図の上だけが赤く染まっていました。
帝国と王国の境界線。補給路。前線候補。戦争記録庫で見た統計を、わたくしは赤い線と数字に引き直しています。
数字の裏に、記録庫で見た名前が貼りついて離れません。あれは統計ではなく、人の人生の残骸でした。
「……この案なら、前大戦の半分くらいには抑えられますわね」
口にした瞬間、自分で苦く笑います。半分でも、残り半分は死ぬ。命の値段を少し下げても、本質は変わりません。
処刑台を回避して得た「予定外の命」を、未来の死者を減らすために使わなくては──そう思っていたとき。
「……灯りが消えている気配がしないと思ったら」
ノックもそこそこに、セドリック殿下が入ってきました。
「もうお休みになられたのでは?」
「一度はね。だが君の部屋の方から、いつまでも紙の音がする」
彼は壁一面の地図と書類を見回し、眉をひそめます。
「医師に、今日は休むよう言われていただろう」
「もうだいぶ楽になりましたわ。少し線を引くだけですの。今夜中に利権の三角形を洗い出しておけば、明日の会議が──」
「君は、また自分の命だけ予算外にしようとしている」
ぴしゃりとした声に、ペンを握る手が止まりました。
「わたくし一人の寝不足で救える命があるなら、安い取引ではなくて?」
「安売りしていい取引と、してはいけない取引がある。明日の会議には必ず出てほしい。だから今は寝ろ」
そう言って、セドリックは蝋燭の火を落とします。
「……倒れませんわよ。明日までは」
闇の中で小さく呟き、わたくしは別の蝋燭にそっと火を点けました。
◇
翌朝の帝国会議室。長机の向こうに宰相と将軍たち。わたくしとセドリック殿下も、地図と資料の束を前に席に着いています。
「この案だと、辺境都市の被害は減るが、国境の村がいくつか犠牲になるな」
「聖女の祈りの配分次第では、まだ動かせます」
「犠牲は、避けられん」
タカ派将軍の一言に、指先が冷えました。前大戦の死者を前にしてなおそう言った男と同じ声。
その瞬間、手元の文字がふっと二重にぶれました。赤い線が、全部血の筋に見えます。
耳の奥で、戦争記録庫の紙の擦れる音と、「聖女ブランド」という浅ましい単語がぐちゃぐちゃに重なりました。
「アルベール公爵令嬢?」
宰相の声が、水の底から響いてくるようでした。
「失礼、少し……」
ごまかそうとしてペンを取ろうとした指先が、空を切ります。カタ、と落ちる音だけがやけに大きく響きました。
視界の端で、セドリックが立ち上がる気配。
椅子が横に傾き、世界がふわりと浮きました。
「リリアーヌ!」
固い腕に抱きとめられた感触だけが残り、あとは断片的な声。脈はある、と誰か。医師を呼べ、と誰か。
まだ何も決めていないはずの戦争の未来が、視界の端で真っ黒に塗りつぶされていくように見えて──そこで、暗転しました。
◇
目を開けると、見慣れない天蓋と、半分だけ閉ざされたカーテン。窓の向こうは夕方の色。
ふかふかのベッド。手首には魔力を整える魔道具。テーブルの上には、きちんと閉じた未来ノート。
「……起きたか」
ベッド脇の椅子で腕を組んでいたセドリックが、顔を上げました。上着も脱がず、目の下には隈が浮かんでいます。
「ここは……?」
「僕の私室だ。会議室で倒れた君を、そのまま通路に転がしておくわけにもいかなかったからね」
乾いた冗談のあと、彼の視線がわたくしを射抜きました。
「君は、自分の命を安売りしすぎる」
「少し立ちくらみをしただけですわ。大袈裟です」
「会議室の床に崩れ落ちることを、少しとは言わない」
声が、わずかに荒くなります。
「君は、自分の命だけ犠牲は必要だの枠に平然と放り込む」
「わたくしが動かなければ、戦争に向かう流れは止まりませんのよ。一人の身体で多少でも被害が減らせるなら──」
「それは、あのタカ派将軍と同じ理屈だ」
ぴしゃりと遮られ、息が詰まりました。
「誰か一人が犠牲になれば、全体の死者が減る。あの男はそう言った。君は、その誰かを、何の相談もなく自分に設定している」
「……わたくしは、もともと処刑エンド要員でしたのよ」
自嘲混じりに笑ってみせます。
「命の値段で言えば、最初から安売りコーナーに置かれていたようなものですわ。少しくらい乱暴に使っても──」
「君の命を値引きコーナーに並べる権利は、君自身にもない」
ひとつひとつの言葉が、胸に突き刺さりました。
「殿下に救っていただいてから、どれだけ背負わせてしまったか、分かっております。だからせめて、仕事くらいは戦場に出させてくださいませ。守られっぱなしの姫でいるつもりはありません」
「守れない相手を戦場には連れて行けない。君が倒れた瞬間、会議は止まり、決定は先送りになった。本物の戦場なら、その一瞬で誰かが死んでいたかもしれない」
「だからこそ鍛えているのですわ」
「鍛える先が倒れるまでなのが問題だ」
悔しくて、わたくしも言い返しました。
「殿下こそ、人のことは言えませんわ。イザベル殿下から伺いましたの。前大戦で、たった一人で囮役を買って出ようとなさったのは、どこのどなたでしたかしら」
「……妹は余計なことを話す」
苦く笑いながらも、否定はしません。
「殿下は、ご自分の命を切り捨てる覚悟を、ずっと前から持っておられました。わたくしがいくら安物でも、その覚悟に勝手に相乗りする権利は、わたくしにだけあるとお思いです?」
自分でも矛盾した台詞だと思いながら、黙ってはいられませんでした。
しばらくの沈黙のあと、セドリックは低く言います。
「……君に死なれるくらいなら、世界の方を変える。君の死を前提にした最適解など、最初から選択肢に入れない」
「世界は、わたくしたちの恋物語のためだけにあるわけではありませんのよ」
「それでもだ」
そこで医師が入り、「単純な過労と魔力消耗です」と淡々と告げて去っていきました。セドリックは一度部屋を出て、扉の向こうで立ち尽くしている気配だけを残します。
「……また、やってしまいましたわね」
天井を見つめながら、小さく息を吐きました。
わたくしが寝ているあいだにも、どこかの家の灯りは消えているかもしれない。ゲームならスキップで済んだ一晩が、ここでは何人分もの未来を削るかもしれない。
だから倒れている暇などない。そう自分を追い込み続けた結果がこれだと思うと、笑うしかありません。
ほどなくセドリックが戻り、無言でベッドの端に腰を下ろして、わたくしの手を握りました。わたくしが「戦争のことも、殿下のことも怖くて、手を抜くのが怖い」とこぼすと、彼は小さく息を吐きます。
「僕も、君が二度と目を開けない未来が怖い。だから決めよう。どちらか一方が自分の命を削る選択をしようとしたら、必ずもう一方に相談する。一人で死にに行かない──これを僕たちの第一条に」
「分かりましたわ。かっこよく一人で死ぬ悪役令嬢ルートには、もう寄り道いたしません」
握り返された手の温度が、新しい約束の印でした。
未来ノートが開かれ、「戦争にならなかった後の世界」の欄に、簡単な一行のイメージが書き込まれていきます。それは、戦没者の碑の前に立つ人々と、その日付を確かめる二人の姿。
「怖がっていてくれていい。そのぶん僕が現実を見ておく」
薬に引かれるまま目を閉じながら、重ねられた未来ノートと、つないだ手の重みだけを確かめました。命の値段を決めるのは、戦場の地図ではなく、この小さなノートと、二人で交わした約束なのだと知りながら。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
倒れたリリアーヌとセドリックの不器用な約束が、少しでも胸に残っていれば嬉しいです。
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