第3話 泣き虫聖女ミアと、お茶会の招待状
宗教学の講義室で、わたくしは未来ノートの該当ページを思い出していた。
ゲームでは、この授業から聖女候補ミア・ローゼットに関するイベントが動き出す。
「近年まれに見る、強い聖女の素質を持つ少女が現れた」
教師の言葉と同時に、茶色の髪の小柄な伯爵令嬢に視線が集まる。
ミアは肩を震わせ、胸の前のノートを落とした。
ぱさり、と床に響く音。
前列の令嬢がちらりと見て、わざと気づかないふりで裾をずらし、ノートの端を踏みつける。
教師は板書に夢中で、何も見ていない。
……はい。見飽きた導入イベントそのまま、ですわね。
わたくしは椅子を引き、静かに立ち上がった。
「失礼いたします、先生。前の方にノートを落とされた方がいらっしゃいますので」
踏まれていたノートを拾い上げ、ミアに差し出す。
「お返しいたしますわ、ローゼット伯爵令嬢」
「あ、ありがとうございます…」
近くで見ると、彼女の瞳は今にも泣き出しそうに揺れていた。
ノートの端には、小さな文字。
もっとがんばらなきゃ ごめんなさい
自分に向けた謝罪を、わざわざ書き込む子。
……これは、少し放っておけませんわね。
◇
授業後の廊下。
ミアはノートを胸に抱き、壁際を小さく歩いていた。ぶつからないように縮こまって、かえって目立っている。
「ローゼット伯爵令嬢」
「ひゃっ…!」
振り向いた瞳が、わたくしを見て大きく揺れた。
「先ほどはノートを。落とされたままだと、聖句の宿題が大変でしょう?」
「あの、その、ご迷惑をおかけしてしまって…」
「謝る場面ではありませんわ」
ぴたりと言い切ると、ミアは口をつぐんだ。
「不便を放置する方が迷惑ですもの。落ちたから拾った、それだけですわ」
「でも、わたし、いつも何かを落としたり、こぼしたりしてしまって…。教会の方にも、聖女なんだからしっかりしなさいって言われていて…。助けてもらうたび、迷惑をかけてしまったって…」
ノートを抱える指が震えている。
「ローゼット伯爵令嬢、と呼ぶのも堅苦しいですわね。皆さんと同じように、ミア様とお呼びして?」
「は、はい…。その方が、うれしいです…」
「では、ミア様」
自然と、声が柔らかくなった。
「あなたは、奇跡を起こす道具ではありませんわ。祈りを捧げる手を責める前に、その手を支える体制を整えるのが、大人の仕事です」
「わたしは、ちゃんとしなきゃいけなくて…。聖女様なんだからって、何度も言われて…。だから、がんばらないと…」
細い声が震え、俯いたままの唇が小さく動いた。
「そんなに、わたしのためにしなくても…」
ゲームでも見た台詞。
けれど今耳にすると、嬉しさと怖さが混ざった響きに聞こえる。
「放課後、お時間は空いていまして?」
「え?」
「わたくしの友人たちも交えた、小さなお茶会を開こうと思っておりますの。聖女候補ではなく、一人の伯爵令嬢として、お話ししたくて」
「で、でも、公爵令嬢様のお茶会なんて、わたしなんか…」
「わたくしのわがままとお受け取りくださいませ。ほんの少しだけで結構ですわ」
しばらく逡巡してから、ミアはうなずいた。
「…少しだけ、なら。お願いします」
「ええ。少しだけで十分ですわ」
◇
放課後のティーサロン。
窓際の丸テーブルに、わたくしと友人令嬢が二人、それからミアが座っている。
「ミア様、どうぞ。ここの焼き菓子は学院一と評判ですのよ」
「は、はい…。こんな立派なもの、わたしがいただいてしまっていいんでしょうか…」
背筋を伸ばしすぎて固まっているのに、視線だけは菓子に吸い寄せられていた。
「聖女様の力って、やっぱりすごいの?」
友人が尋ねると、ミアは慌てて首を振る。
「わたしなんて、まだ半人前で…。でも、この前、村の子の熱が少し下がったことがあって…。すごく喜んでくれて、うれしかったです」
「祈りに伺う場所は、ミア様ご自身が決められるの?」
「ええと…。場所は、教会の方々が決めてくださるんです。たくさんお世話になっている方の領地には、やっぱり先に行くことが多くて」
「お世話になっている方?」
「寄付をたくさんしてくださる貴族の方とか、教会を守ってくださっている方とか…だと、思います」
曖昧な答え。
けれど、わたくしには十分だった。
多額の寄付をする貴族や、教会を守る者の領に祈りが偏る。
聖女は奇跡そのものではなく、奇跡の配分権。
利権が生まれないはずが、ありませんわね。
「でも、村のおばあさんも、すごく喜んでくれました。お金なんて持っていないのに、わたしを教会まで呼んでくださって…。だから、できるだけいろんなところに行きたくて」
ミアは自分の手を見つめ、ぎゅっと握りしめた。
「倒れそうになっても、祈ればきっと大丈夫って、皆さん言ってくださるから…」
「甘いものは、お好き?」
「す、好きです…。母が焼いてくれる、安い蜂蜜ケーキが好きで。お店みたいにはいかないんですけど、その、あったかくて」
その瞬間だけ、ミアの顔から「聖女」という肩書きが外れた。
ただ、母の手料理が好きな娘の顔。
……やはり、この子を聖女利権の札としてだけ扱う気にはなれませんわ。
◇
「こんな素敵な場所、初めてで…。本当に、ありがとうございました」
お茶会を終えた廊下で、ミアは何度も頭を下げた。
そのとき、封筒の束を抱えた学院事務の職員が駆け寄ってくる。
「ローゼット伯爵令嬢をお探ししておりました。教会を通じて届いた招待状が、ここ数日でこれだけ…」
「え、ええっ?」
どさっと渡された封筒の山に、ミアの腕が埋もれる。
封蝋に押された紋章が、廊下の灯りを受けて光った。
レオン派と噂される侯爵家。
教会強硬派と繋がる家。
父の仕事で聞いた、急成長中の商会の印。
「教会の方が、聖女候補として社交にも慣れなさいって…。断るのは失礼ですし、行けるだけ行かなきゃって…」
困惑した声でそう言うミアの顔には、「期待に応えなければ」という焦りだけが見える。
「ミア様」
わたくしは一歩進み出て、封筒の山を受け取った。
「日中は授業もございますのに、これを全てこなせば身体が持ちませんわ。必要であれば、公爵家から調整の申し入れくらいはいたします。あなたが行かなくてよい場には、行かないべきです」
「でも、皆さん、わたしなんかを招いてくださって…。期待に応えられなかったら…」
「期待とは、相手が勝手に積み上げるものですわ。あなたの体力と時間は有限です」
きっぱりと言うと、ミアは一瞬だけ顔を上げ、小さく呟いた。
「そんなに…わたしのためにしなくても」
「わたくしが動くのは、わたくしの利害のためでもありますのよ。聖女様が倒れれば、この国はたちまち大騒ぎですもの」
本当は、戦争エンド直通の騒ぎだ。
もちろん、口には出さない。
「とにかく、招待状の整理はわたくしに任せてくださいませ。ミア様は宿題を。よろしいですわね?」
「……はい」
◇
夜。寮の自室で、わたくしは未来ノートを開いた。
新しいページに見出しを書く。
聖女ミア宛の招待状
その下に、先ほどの封筒から読み取った情報を簡潔に箇条書きしていく。
招待主の家名。
教会の関与度。
ミア本人の負担。
途中で、ある侯爵家の名にペン先が止まった。
夜会好きで有名で、あそこに行った令嬢の評判が妙に変わる、という噂の主。
その名を赤で丸く囲む。
「ここが、聖女囲い込みお茶会の主催者、というわけですわね」
ページの片隅に三つの点を打ち、線で結ぶ。
教会強硬派。
レオン派貴族。
特定商会。
三角形の中心に、小さくミアと書き添えた。
聖女個人の囲い込みが、静かに始まっている。
「悪役令嬢の仮面くらい、喜んで被ってさしあげますわ」
窓の外で、学院の灯りが点々と瞬いている。
処刑エンドも、戦争エンドも。
ゲーム通りには進ませない。
そう胸の内で書き込み、未来ノートを閉じた。
聖女ミア宛の招待状は、一枚目のページに静かに挟まれている。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
泣き虫聖女ミアと腹黒(?)悪役令嬢アリシアのタッグは、ここから本格的に「断罪イベント大炎上」への道を転げ落ちていきます。
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