第5話 国境の町、仮初め夫婦と歪んだ市場
帝都を発って数日。国境都市の城壁が見えた瞬間、私は息をのみました。焼け跡の残る空き地と、屋台で賑わう城門前が同じ視界に収まっています。
門番が帝国の紋章を認めて慌てて敬礼すると、セドリック殿下――今日の偽名、クラウス様――は穏やかな声で言いました。
「今日は視察ではなく、私的な滞在という名目だ。大げさにしないでくれ」
そうして通されたのは、帝国側が手配した老舗の旅籠です。受付の主人は書状を一読し、にっこりと笑いました。
「新婚でご視察とは、たいしたお方だ。ようこそお越しくださいました、クラウス様にエリゼ奥さま」
……新婚。
私と殿下は、ぴしっと同時に固まります。
(殿下。聞いておりませんわ)
(すまない。宰相の提案でね。夫婦の方が目立たない、と)
笑顔を貼り付けたまま殿下を睨む私に、主人が追い打ちをかけました。
「若いお二人ですし、部屋は一番良い一室を。鍵は一つでじゅうぶんですな」
◇
客室に入ると、途端に気まずい沈黙が落ちました。ベッドは一つ、椅子は二つ。
「まずは、呼び方の確認からですわね」
私が咳払いをすると、殿下は苦笑しました。
「リリアーヌ……ではなく、エリゼ」
「殿……いえ、クラウス様」
自分で言いながら、頬が熱くなります。仮名のはずなのに、ファーストネームで呼ばれると距離が近すぎて危険です。
「いつか本当にそう呼ばれる日が来る可能性も、ゼロではございませんもの」
思わず本音が漏れ、私は慌てて視線をそらしました。殿下は一瞬だけ目を見開き、すぐに穏やかな笑みを浮かべます。
「その時までに、練習しておこうか」
「……検討しておきますわ」
話を打ち切るように、私は未来ノートを取り出しました。ページの片隅に小さく記す。
今回のカバー:仮初め夫婦。
◇
翌朝、私とクラウス様、腹心の騎士の三人で市場へ向かいました。腹心の騎士は荷物持ち兼護衛ですが、目つきだけはいつも通り鋭いままです。
「殿……クラウス様。顔が甘すぎます。奥さまから視線を外すと、すぐ正体がバレますよ」
小声のツッコミを背中で聞きながら、私は腕を組まれたまま微笑みました。観光客らしく見えるなら、本望ですわ。
市場の一角に、やたら目立つ看板が立っていました。
『聖女ミア様のご加護を』
その下の屋台には、聖女の肖像を印刷したお守りやブレスレット、乾燥ハーブ入りのポプリが山積みです。値札をちらりと見ると、庶民には重い数字が並んでいました。
隣には『○○商会謹製・保存食セット』と書かれた木箱が積まれ、聖女グッズとの抱き合わせ販売になっています。
「奥さま、いかがです? 聖女様がお祈りくださったお守りと、この保存食があれば、どんな戦場でも安心ですよ」
さらりと混ざる戦場の一言が、嫌に耳に残りました。
(聖女の祈りは有限ですのに。それを付加価値にして売るなど、前世の課金ガチャより悪質ではありませんこと)
心の中で毒づきつつ、私は何も知らない観光客の顔で笑います。殿下は値札と木箱をさりげなく確かめました。
木箱の側面には、見覚えのある焼き印が押されています。王都の帳簿で、未来ノートの地図で何度もなぞった紋章でした。
「まあ。帝都でも王都でも見かけた商会名ですわね」
「記録庫の棚でも、よく目にした気がする」
短いやり取りだけで、互いの理解は十分でした。
少し離れた場所では、『聖女様推薦』と書かれた薬草ティーが安価に売られています。タグはかすれ、「誰が推薦したのか」は誰にも分かっていません。
市場をひと回りしたところで、腹心の騎士がぽつりと呟きます。
「戦争の匂いがしない市場は、いいものですが……これは、違う匂いが強すぎますね」
甘い香りの奥に、焦げた鉄と札束の気配が混ざるような気がして、私は未来ノートの表紙をそっと撫でました。
◇
市場から少し離れた丘の上には、石造りの教会がありました。入口の立て看板には、丁寧な文字でこう書かれています。
『先日、聖女ミア様ご来訪』
私たちは「旅の無事を祈りに来た新婚夫婦」として礼拝堂に入りました。神官はにこやかに迎え、最近の奇跡を語ります。
「先の戦で傷ついた兵も、聖女様の祈りで立ち上がられました。国境近くの村々でも、そのお噂で持ちきりでして」
ミアの祈りで荒れた手と、少し遅れる笑顔が脳裏に浮かびました。彼女の負担が、ここでは都合の良い物語として消費されている。
礼拝のあと、廊下に掲げられた寄付板を見せてもらいます。大きな木板に、名前と金額がびっしりと刻まれていました。
上位に並ぶのは、○○侯爵家、○○商会、教会を守る会。見覚えのある単語ばかりです。一方、戦争で被害を受けた村や小さな店の名は端に小さく刻まれているだけ。数字の桁が、あまりにも違いました。
(祈りの行き先は、この板から決まる。そういう構造ですのね)
戦争記録庫で見た赤と黒と青のピンの地図が、頭の中で重なります。数字になった死者と、ここで動く金額が一本の線で結ばれていく。
「戦場への慰問なども、こちらから手配を?」
殿下が何気ない調子で尋ねました。
「もちろんですとも。物資の配分も、聖女様のご訪問先の調整も、ここから──いずれ聖女様も前線に立たれるでしょう。そうなれば、戦もすぐに終わります」
神官は疑いのない笑顔でそう言います。その一言が、聖女を前線へ、という噂の形をはっきりと描き出しました。
「戦がすぐに終わるために、誰を前に立たせるべきか。お間違えになりませんように」
私は微笑みを崩さずにそう返しました。神官は意味を深く考える様子もなく頷きます。
教会を出たあと、私は未来ノートを開きました。
国境教会寄付板。
上位:○○侯爵家/○○商会/教会強硬派の団体名。
祈りの配分=戦場の優先順位。
紙の上の矢印が、戦争記録庫の地図と静かにつながっていくのを眺めながら、私はペンを握る手に力を込めました。
◇
日が落ち、国境料理が名物だという酒場で夕食をとった。表向きは旅先を楽しむ新婚夫婦と従者だが、狙いは酒と一緒に流れてくる噂話だ。
その喧騒の中、カウンターの向こうからこちらをちらちらと見ている若者がいる。学院時代に見知った奨学生、アルフレッドでした。
思い切ったように近づいてきた彼は、小声で私の名を呼びます。
「あの、公爵令嬢……いえ、リリアーヌ様ですよね」
「今はエリゼとお呼びくださいませ」
軽くいなすと、アルフレッドは今も商会の手伝いをして国境まで来ているのだとだけ明かし、「あの時、何も言えなかった」と視線を落としました。
「生き延びてくださって、何よりですわ」
責める代わりにそう告げると、彼はしばし迷った末に、さらに声を潜めます。
「王都で、変な話を聞いたんです。聖女様を前線に出せば、戦争はすぐ終わるって。本気で言っている大人が、いる」
聖女が傷つく姿は民の心を動かす、敵国も攻撃しづらくなる、奇跡を戦場で見せれば皆が喜んで戦う――そんな理屈を当然のように口にしていたらしい、と震える声で告げられた瞬間、ゲーム画面の戦争エンドが頭の中で色を変えました。
「それを口にするのは、どんな連中だ」
低く問うクラウス様に、アルフレッドは逃げずに答えます。○○侯爵家、例の商会と親しい貴族、教会で発言力のある神官たち。昼間、寄付板の上位で見た名前と重なる顔ぶれでした。
「怖いです。でも、もう見て見ぬふりはしたくなくて」
震える手に、私はそっと指先を触れさせます。
「教えてくださって、ありがとうございます。あなたの勇気は、必ず無駄にはいたしませんわ」
彼は小さく頷きました。その様子を胸に焼き付け、私たちは酒場を後にします。
宿へ戻る途中、ふと背筋をなでるような視線を感じて振り返りました。闇に溶けた屋根の上、わずかに光る金属と、積まれた木箱の影が見えます。あの商会の焼き印を思わせる輪郭。
(聖女ブランドと戦争利権。その線は、やはりここまで伸びておりますのね)
仮初め夫婦のカバーのまま、私は何も知らないふりで宿の扉の鍵を回しました。この夜の会話が、どれほど大きな火種をあぶり出したのかを知るのは、もう少し先のことですわ。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
国境の町での「仮初め夫婦」は、ミアを巡る戦争利権の線を一気に炙り出す回でした。
アルフレッドの勇気が、後の大炎上ポイントにも繋がっていきます。
続きが少しでも気になったら、評価やブックマークで応援していただけると、とても励みになります。




