第4話 祖国からの親書と、責任のすり替え
帝国宮廷の執務棟は、朝から静かにざわついていた。
行き交う官吏の列の真ん中を、帝国の紋章入りの書状箱を抱えた従者が早足で進んでいく。側面に刻まれた「対外極秘」の文字が、やけに目に痛い。
わたくしはセドリック様の仮の執務室で、昨日のお茶会のメモと未来ノートを並べていた。
「王国からの正式な返事は、まだ……」
そう呟いたところで、扉が二度、控えめに叩かれる。
「入れ」
現れたのは、先ほどの従者だった。
「ガルディア帝国皇帝陛下宛。ローゼリア王国国王陛下より、親書が到着いたしました」
胸の奥が、きゅっと縮む。
箱が開かれ、宮廷魔術師が呪詛検査を行う。
淡い光が封筒をなぞり、「危険反応なし」と短く告げられたあと、深い青の封蝋にローゼリア王家の紋章を刻んだ一通が残った。
「……本当に、陛下から、ですのね」
セドリック様が封筒を手に取り、わずかに眉を寄せる。
「本来なら、これは君の国の臣下が開くものだが」
「今のわたくしは、帝国に保護された証人ですわ。形式より、中身の方が急を要します」
迷いは、口にした言葉の中に押し込めた。
「……分かった。なら、一緒に立ち会ってくれ」
封蝋にナイフが当たり、ぱきり、と乾いた音を立てて割れる。
ああ、この音で、ゲームの戦争ルートが確定していたのですわよね――そう思いながら、わたくしは表情を消して親書を見つめた。
◇
少し後、小さな打ち合わせ室。
テーブルを挟んで、セドリック様と宰相閣下、その端にわたくし。皇帝陛下はまだおられない。
「このたびは我が国の不始末により、貴国に多大なるご迷惑をおかけし……」
セドリック様が、整った声で文面を読み上げていく。
前半は、教科書通りの謝罪と礼の羅列だった。
机の上には、帝国側が用意してくれた赤ペンが一本。
わたくしはそれを指先でつまみ、くるりと回した。
「しかしながら、教会と一部貴族の強い影響力により、事態の収拾は容易ならざるものとなっております」
そこで、ペン先が止まる。
わたくしは親書の余白に、さらりと書き込んだ。
『教会と一部貴族』――その横に、『あなたが任任した人たち』。
「国境付近でもいくつかの不穏な噂が立ち……」
その文の末尾には、『誰のせいで?』。
「聖女の奇跡が正当に評価されず、国の安寧にとっても由々しき状況であり……」
そこは二重線で囲み、『利用フラグ』と、自分にしか分からない印をつける。
視線を感じて顔を上げると、宰相閣下が興味深そうにこちらを見ていた。
「なかなか辛辣な採点ですね、リリアーヌ嬢」
「……国王陛下の字の癖は、以前とお変わりありませんわ。自分は被害者側という意識が、行間から滲んでおります」
努めて平静に答えたのに、ペン先がわずかに震えているのが自分でも分かった。
「続ける」
セドリック様の声が、少しだけ硬くなる。
「聖女ローゼット嬢の献身が、今後も我が国の安寧に寄与することを願っております」
ミア様の名が読み上げられた瞬間、心臓が冷たく跳ねた。
「……それは、これからも聖女を使うという意味でございますわね」
わたくしは迷わずその一文に大きく×を引き、『ミア様は人です』と強い字で書き込む。
「貴国の賢明なるご判断により、この火急の難事が円満に解決されることを信じております」
最後の一文まで読み上げられたところで、わたくしは赤ペンを静かに置いた。
「火をつけた人が、消火活動の段取りまで他国に丸投げしている文章ですわ」
思ったままの言葉が口をつく。
宰相閣下が、わずかに口元を緩める。
「それは名言ですね。――陛下をお呼びして、正式な場で分析をお聞きしましょう」
ここから先は、もう「一令嬢の感想」では済まされない。
わたくしは膝の上で指を組み、深く息を吸った。
◇
円卓のある会議室。
中央の丸いテーブルの上に、投影魔術で親書の文字が半透明に浮かんでいる。
それを囲むのは、皇帝陛下、宰相閣下、セドリック様、そしてわたくし。
皇帝陛下は視線だけで文字を追い、「ふむ」と短く息を漏らした。
「謝罪と礼に3行、言い訳に10行。配分が良くない」
一言で、親書の印象が切り分けられる。
宰相閣下が、赤ペンだらけの原本を広げながら言う。
「要約すると――
一、王家は反省していると言う。
二、しかし実際の責任は教会と一部貴族にあると主張する。
三、聖女の奇跡を盾に、国内統治と国境問題の両方を乗り切りたい願望が見える。
以上です」
「火消しではなく、散らかった灰の片付けを頼まれている印象だな」
皇帝陛下が淡々と続ける。
そこで、陛下の視線がわたくしへ向いた。
「この手紙を書いた男を、君はどう見る?」
膝の上で握っていた手に力がこもる。
「……陛下は、以前より責任という言葉を好んでお使いになります」
自国の王を指す「陛下」という響きに、胸がちくりとする。
「ですが、その言葉を主語に付ける時、そこに自分は含まれておりません」
喉が強張る。それでも、黙っているよりはずっとましだった。
わたくしは立ち上がり、原本の親書を手に取る。
赤ペンの書き込みで埋まった紙を、円卓の上に、ぴしゃりと叩きつけた。
「これは、責任を取らない人の文章ですわ」
「教会が、一部貴族が、と繰り返しながら、
彼らを選び、任せてきた自分のことは、一行も書かれていない。
聖女様の奇跡も、『正当に評価』と、美しい言葉に包んでおいでですが……
実際には、都合よく使い続けたいだけですわ」
ミア様の顔と、戦争記録庫で見た名も知らぬ兵士たちの資料が、頭の中で重なる。
セドリック様が何か言いかけ、それを皇帝陛下の手が制する。
「他国の王をここまで言う覚悟が、君にはあるのか」
「……あります。
けれど、それでも、あの国はわたくしの家です」
皇帝陛下の視線を真正面から受け止めながら、わたくしははっきりと言い切った。
沈黙を破ったのは、宰相閣下だった。
「家の大人を叱る子どもほど、厄介で、そして頼りになる存在はありませんね」
◇
宰相閣下が立ち上がり、壁一面の大陸地図の前に移動する。
赤や青のピンがいくつも刺さったそれは、第2話で見た戦争記録庫の地図の縮図のようだった。
「親書に出てきた地名を、確認しましょう」
赤いピンが一本、教会勢力の強い地方へ。
黄色いピンが、王国と帝国の国境近くへ。
白い小さな旗印が、いくつかの街に刺さる。
「王は、敵と戦う前に責任と戦うべきでしたね」
宰相閣下の一言が、地図全体に影を落とす。
セドリック様が一歩前へ出て、皇帝陛下に向き直る。
「それでも、今ならまだ火種の段階です。
教会と利権貴族、強硬派の線を一つひとつ折れば、
戦争という最悪の結末だけは、回避できる可能性がある。
帝国にとっても、火薬樽が爆発する前に釘を打っておいた方が、安くつきます」
皇帝陛下はしばらく地図を眺め、やがて静かに口を開いた。
「帝国は君の国を庇わない。
だが、火の粉を被るつもりもない。
我々は消防士ではなく、利害調整者だ。
手紙の差出人が責任を取らぬなら、その分の費用はきっちり請求する」
「まずはここから、歪んだ市場と聖女ブランドの流れを確かめましょう」
宰相閣下が、新しい色のピンを一つ手に取り、国境近くの一点に打ち込む。
カチ、と小さな音が、静かな室内に響いた。
そこは、未来ノートの地図ページに何度も書き込んだ国境都市の名の場所。
第5話で、わたくしたちが向かうことになる街だ。
視界が、地図の一角だけを切り取る。
王国の国境線。
教会勢力と商会の印。
そして、新しく刺さった帝国のピン。
「ここから先は、帝国としても人ごとではない」
皇帝陛下の声が、その絵の上に静かに重なった。
わたくしは未来ノートを開き、国境都市の名の上に赤い丸を一つ描く。
処刑エンドと戦争エンドを避けるための、新しい分岐点に、強めのペン圧で印をつけた。
――さあ、次のページを書き換える準備は、整いましたわね。
第四部第4話まで読んでくださりありがとうございます!
祖国からの親書という形で、ようやく「国」そのものと正面から殴り合う回になりました。
責任を取らない大人たちと、リリアーヌたちの選択は、ここからさらに拗れていきます。
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