第3話 オタク皇女の恋愛観測&戦略お茶会
戦争記録庫の地図と未来ノートを机いっぱいに広げたまま、わたくしは椅子で突っ伏していたらしい。
赤く囲んだ国境線が、瞼の裏にまだ残っている。
「……リリアーヌ様、朝でございますよ」
侍女に肩を揺さぶられ、顔を上げた。
机の端には、昨夜セドリック殿下と記した「ここを塗りつぶす」の文字。
「申し訳ありませんわ。少しだけ休むつもりでしたのに」
「いいえ。それよりも、こちらを。イザベル殿下からのお招きでございます」
差し出された封筒は、花の封蝋付きで、丸い字でこう書かれていた。
『気晴らしティーパーティ』
息を吐き、地図とノートを閉じる。ペンの先で表紙を軽く叩いた。
「戦争の地図ばかり見ていては、視野が狭くなってしまいますわね」
「殿下が、『全部を一度に背負わなくていいとお伝えください』と」
侍女の言葉に、胸の奥が少しだけ緩む。
あの方らしい、遠回しな気遣いだ。
「わかりましたわ。お招きを受けるとお返事してくださる?」
「かしこまりました」
◇◇◇
支度を終えて廊下に出ると、ちょうどセドリック殿下と鉢合わせた。
「リリア。顔が、完全に徹夜明けの学者だ」
苦笑まじりの声に、思わず背筋を伸ばす。
「殿下のせいもありますわ。記録庫へ案内なさったのはどなたでしたかしら」
「……それは否定しづらいね」
殿下の口元がわずかに緩む。
「妹が騒がしくしていないといいが。張り切ると周りが見えなくなるからね」
「少しくらい賑やかな方が、今のわたくしには助かりますわ」
「無理はしないで。君の頭は、長く働いてもらわないと困る」
真正面からそう言われると、視線の置き場所に困る。
「努力は、いたしますわ」
◇◇◇
帝国宮廷の庭園は、冬と春のあいだで揺れていた。
冷たい空気の中、温室から移された花が色を添え、隅には戦没者を悼む小さな碑がある。
「リリアーヌ様、こちらですわ!」
元気な声に振り向けば、淡いドレス姿のイザベル殿下が大きく手を振っていた。
テーブルには素朴な焼き菓子と、王国風のケーキが並んでいる。
「本日は『国際恋愛&戦略会議 in ガルディア庭園』でございますの!」
殿下の宣言に、背後の侍女が小さくため息をついた。
「お招きありがとうございます、イザベル殿下」
「こちらこそですわ。前回は重かったでしょう? 本日は糖分と萌えと情報を補給する回でございます」
周りには数人の令嬢が座っていた。
そのひとりが扇で口元を隠しながら囁く。
「例の断罪パーティ、本当に痛快でしたわ」
わたくしの肩が、きゅっとこわばる。
あれは、わたくしにとって痛快などという言葉から最も遠い夜だった。
イザベル殿下が、ぱん、と手を打つ。
「本日の主役はリリアーヌ様ですの。実況するなら、敬意を添えてお願いしたくてよ」
「む、無礼なつもりは……」
「心の中で思う分にはご自由に。口に出す時だけ、少し言葉を選んでくださいませ」
笑いが起き、重かった空気がいくらか和らぐ。
「ではまず、あのパーティの観測報告から始めましょうか」
◇◇◇
イザベル殿下の「報告」は、恋バナと政治が入り混じっていた。
「あの時のレオン殿下のお顔、報告書には『憤怒』とありますけれど、実際は『自分の正しさに酔っている顔』でしたわ」
「殿下……手厳しいですわね」
「でもそう見えましたもの。ミア様を守るというより、“正しい自分”を壊されたくない表情ですの」
わたくしの記憶の中のレオンハルト殿下が、その言葉に少しだけ形を変える。
「聖女ミア様の涙、照明の入り方が完璧でしたの。もし誰かが意図的にあの位置を選んだのなら、なかなかの演出家ですわ」
「演出、ですのね」
「ええ。涙そのものが本物でも、“どう見せるか”を整える人がいる。断罪も、戦争も、そこは似ておりますの」
「録音魔道具の声が響いた瞬間、一部の貴族席が笑いを堪えておりましたわ。彼らは噂の真偽より“王家の失点”に喜んでいたのでしょうね」
「……そこまで、見えておりましたの」
「あなたの一手は、“聖女ブランドで得をしようとしていた人たち”への牽制にもなりましたのよ」
あの夜、自分を守ることで精一杯だったわたくしの視界が、少しだけ広がる。
「さて、本題に参りましょう。こちら、兄上×リリアーヌ様関係観測ノートでございます」
どさりと置かれた分厚いノートの表紙に、その文字が躍っていた。
「……………………」
「タイトルには目をつぶってくださって構いませんわ」
中には、恋愛図だけでなく、帝国と王国、教会と商会を結ぶ線が所狭しと描かれていた。
「兄上からリリアーヌ様へ、太い赤線。リリアーヌ様から兄上へは、中くらい。両想い予測ですわね」
「その評価はどなたの権限で」
「皇女兼、長年の観測者の権限ですの」
「兄上があなたを“国家的資産”と呼んだのは事実ですけれど、あの目は完全に“推し”を見ておりましたわ」
「推し、という単語を皇女から聞く日が来るとは思いませんでしたわ」
「推しを戦場に出すなど愚の骨頂。ですから、わたくしは兄上とあなたの共同戦線が“前線ではなく会議室で完結するルート”を推しておりますの」
胸の奥が、恥ずかしさとくすぐったさで落ち着かない。
それをごまかすように、わたくしは未来ノートを取り出した。
「ゲームの戦争エンドでは、ここに“聖女失踪”と“国境紛争拡大”のフラグが立っておりましたわ」
わたくしが指で示すと、イザベル殿下の表情から冗談が消える。
「では、それらを折っていけばよろしいのですわね」
「ええ。一つずつ、ですわ」
王国からの親書はまだ。帝国内の賛成派と反対派。聖女ミアの過重な祈り。
わたくしが知る限りを述べ、殿下が市井の噂を補う。
ノートには矢印と短いメモが次々と増えていった。
「最終的な理想図は、こちらですの」
隅には、庭でお茶を飲む男女二人の落書きがあり、「平和な世界」と添えられている。
「……ただの惚気未来図に見えますわ」
「惚気であっても平和が前提なら大歓迎ですの」
ゲームには存在しなかった“平和エンド”。
その絵が、今はとても尊く見えた。
◇◇◇
やがて他の令嬢たちが席を立ち、庭にはわたくしとイザベル殿下だけが残った。
殿下は庭の端のベンチへとわたくしを誘う。
「先ほどは、だいぶ好き勝手に語ってしまいましたわね」
「いえ、とても参考になりましたわ」
「……わたくし、戦争は嫌いですの」
さっきまでとは違う静かな声音に、わたくしも息を呑む。
「兄上は、そういう話を聞くとすぐ自分を切り捨てようとしますの。“自分一人が悪役になれば済むなら安いものだ”という顔。わたくし、あれが一番嫌いですの」
「想像がつきますわ」
「ですからお願いですわ。兄上が自分だけを切り捨てて終わらせようとしたら、その時はあなたが止めてくださいませ」
「止められるかどうかはわかりませんけれど……試みることは約束いたしますわ」
「それで十分ですの」
殿下は小さな紙片を取り出した。
「もう一つ。帝国にも、“戦争を望む者たち”がおりますの」
紙片には、名前と簡単な記号が書かれている。
「軍で影響力のある将軍ですわ。前大戦の功績は本物ですが、“犠牲は必要だ”と平然と言える方。わたくしの観測では、かなり危険ですの」
そこには「危険:○○将軍」とあり、「軍」「商会」「教会」の文字が矢印で結ばれていた。
「正式な場で名指しはいたしません。ただ、どこかでこの名を見た時、“あの人だ”と思い出してくだされば」
「……受け取っても?」
「もちろん。これは帝国皇女としてではなく、兄上×リリアーヌ様平和エンド推進委員会からの資料ですわ」
「随分と野心的な委員会ですのね」
「世界を平和にして、兄上とあなたにいちゃいちゃしていただくまでが活動内容ですもの」
返答に困りつつ、わたくしは紙片をポケットにしまった。
「本日の議題、“平和エンド計画”はこれにて一旦閉会ですわ。また進捗があれば報告会を」
「ええ。その時までに、戦争エンドから少しでも遠ざかっておけるよう努めておきますわ」
立ち上がって一礼し、庭園を後にする。
ふと振り返ると、ベンチの上に分厚いノートが置き忘れられていた。
イザベル殿下の「関係観測ノート」だ。
「あら……殿下、お忘れものが」
風にめくられたページには、先ほどの将軍の名と「危険」の文字。
軍部・商会・教会を結ぶ線の端に、「平和な庭でお茶を飲む二人」の小さな落書きが添えられている。
わたくしはページをそっと閉じた。
ポケットの紙片が、衣擦れの音を立てる。
断罪は終わった。けれど、戦争エンドのフラグはまだ残っている。
それでも――今はもう、ひとりではない。
「必ず書き換えてみせますわ。わたくしたちのエンドロールを」
噴水の音を背に、わたくしは静かに歩き出した。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
断罪から一転、オタク皇女イザベルによる「恋愛観測&平和エンド推進会議」回でした。シリアスの合間の、少し不穏で少し甘いお茶会を楽しんでいただけていたら嬉しいです。
続きが気になる、イザベル推せる、セドリック頑張れ…と少しでも思っていただけましたら、評価やブックマーク、ひと言感想で応援してもらえると、とても励みになります!




