第2話 戦争記録庫と、数字になった死
翌朝、帝都の客間の窓を開けた私は、息をのみました。
灰色の屋根の向こう、ひときわ白い塔が天を刺しています。昨夜、セドリック殿下が「帝国が払った戦争の代金が眠る場所」と呼んだ建物でした。
◇
記録庫までは、馬車で短い道のりでした。
窓の外では兵士が訓練し、工房から煙が上がり、子どもたちが学校へ急いでいます。戦争を経験した国なのに、こんなにも「普通の朝」があることが、不思議でした。
やがて街並みが途切れ、高台の上の建物が姿を見せます。飾り気のない石造り、ただ正面の大扉だけが重々しく、大陸地図と細い線が刻まれていました。「戦の記録庫」の古い文字。
扉の前には門兵が立っています。セドリック殿下に敬礼した彼は、すぐに私へ視線を移しました。
「ご同伴の方の身分証を。ここは殿下でも、規定を無視してお通しすることはできません」
「アルベール公爵家令嬢、リリアーヌ・アルベールですわ」
帝国で通用する身分証のペンダントを見せると、門兵は刻印を確認し、頷きました。
「確認しました。ようこそ戦争記録庫へ。内部では私語と資料の持ち出しは禁止です」
分厚い扉の前で、殿下が振り返りました。
「リリア。辛くなったら、すぐ外に出るんだ。全部を見る必要はない」
「ゲームでは、何度も見た光景ですもの。今さら怖がってなど……」
言いながら、私は胸元の未来ノートを握りしめていました。殿下の視線が一瞬だけそこをかすめ、何も言わずに扉を押し開けます。
冷えた空気と、鉄と紙とインクの匂いが流れ込んできました。
◇
中は、棚の森でした。
天井まで届く棚が並び、金属のプレートには「戦死者名簿」「焼失都市」「物資損耗」「聖女関連派遣記録」などと刻まれています。
「ようこそ」
静かな声に振り向くと、地味な制服姿の男が一礼しました。
「記録庫司書長です。閲覧には申請が必要。一度に持ち出せる資料は3点まで。記録への書き込みは禁止」
簡潔な説明のあと、司書長は棚の端で少し飛び出していた帳簿を見つけます。落ちかけた背表紙を指先で支え、紙の端を撫でるようにして元の位置に戻しました。
「ここにあるのは統計ではなく、人の人生の残骸です」
私たちに背を向けたまま、司書長は言います。
「忘れられないよう、壊れないよう、数字の形にして並べているだけですよ」
胸の奥が、じわりと熱くなりました。
まず案内されたのは、「戦死者名簿」の棚です。厚い帳簿の背には、地名と年号と戦の名前だけ。
「お好きな巻を」
勧められ、一冊を抜き取ります。想像以上の重さでした。
開いたページに、細かな文字がびっしりと並んでいます。
名前、年齢、出身村、所属部隊、死亡理由。
「……21、23、19……」
年齢の列で、指が止まりました。私と同じくらい、あるいは少し下の数字が、延々と続いています。
「君の国も、別の巻に項目がある」
少し後ろから、セドリック殿下の声。
「自国分は、後で見ておいた方がいい」
「後で」という言葉に、私は無意識に喉を鳴らしました。
次に案内されたのは、「聖女関連派遣記録」の棚です。背表紙には「第七聖女派遣報告」「補助聖女候補損耗統計」などと並んでいました。
鍵を開けた司書長が、帳簿を数冊、閲覧室の机に運びます。
恐る恐る開いたページには、淡々とした文体で数字が並んでいました。
「祈りによる負傷兵回復:1日あたり32名」
「祈りの反動による聖女の体調悪化:記録あり9件」
「前線派遣を推奨した教会勢力:××派、△△評議会」
祈りも疲弊も、全部、数字です。
余白に、乱れた字の走り書きがありました。
「聖女は疲労を理由に派遣を拒否。代替として補助聖女候補3名を前線へ」
その数行後には、「補助聖女候補死亡統計:3名」とだけ書かれています。
ゲームの戦争エンドで、画面の端に小さく映っていた名もない聖女たちの姿が、頭をよぎりました。あれは、こうして数字に変えられた人たちだったのだと、今さら気づきます。
「聖女は、勝利を早める道具として扱われました」
司書長の声は一定でした。
「誰がそれを望んだかは、あちらの棚に」
視線を向けると、教会強硬派の派閥名や特定商会、王国の貴族の名が、背表紙に小さく並んでいます。
「……そろそろ、地図室に行こう」
セドリック殿下が、私の肩に軽く手を置きました。
◇
地図室の壁一面に、大陸地図が張られていました。
その上に、赤と黒と青のピンが、隙間なく刺さっています。
「赤は焼失した都市、黒は大規模戦闘地、青は聖女派遣先です」
司書長の説明を聞くまでもなく、青と赤がいくつも重なっているのが分かりました。
「ここが、前大戦で最も激しかった前線です」
指し示された場所から、私は自然と、自国の北境へ視線を滑らせます。
未来ノートに「北境暴動」「聖女失踪と同時期?」と殴り書きした地名。その上にも、赤いピンが一本、深く刺さっていました。
視界が、ぐにゃりと歪みます。
ゲーム画面では、ただの背景地図でした。ピンも、数字も、誰かの名前も、表示されなかった。
私が「バッドエンドだわ」と笑っていた場所に、本当に人がいて、暮らして、戦って、死んでいた。
数字になって、この壁に並べられている。
息が浅くなり、赤だけがやけに鮮やかに見えました。
「リリア」
肩に置かれた手の温度だけが、現実です。
「今日はここまでだ」
セドリック殿下の声は低く穏やかでした。
「ま……だ……」
続けて見ます、と言いたくて、言葉になりません。
「続きは、いつでも閲覧できます」
司書長が淡々と告げました。
部屋を出るとき、重い扉の隙間から、赤いピンが一本だけ見えていました。
◇
記録庫の脇の小さな庭に、ベンチがひとつ置かれていました。
冬枯れの芝と、石の記念碑。花束の代わりに、折りたたまれた紙片や古びた階級章が、そっと置かれています。
私は腰を下ろし、前かがみに顔を覆いました。
「……わたくし、一度も考えませんでしたの」
自分の声が、少しかすれていました。
「あの戦争エンドの地図の、赤い光一つ一つに、人の生活があったことを」
「わたくしが選んだ選択肢の先で、数字になって死んでいった方が、本当に、いたのですね」
隣で黙っていた殿下が、静かに息を吐きました。
「君一人のせいじゃない」
まず、その一言。
「けれど、君が知ってしまった以上、その知識を使わないのも罪だ」
顔を上げると、蒼い瞳がまっすぐこちらを見ていました。
「全部を救うことはできない。全部を救おうとすれば、どこかで別の誰かが死ぬ。それは変えられない」
「それでも、死ぬはずだった人の数を減らすことはできる」
「……減らす」
私は胸元から未来ノートを取り出し、「戦争エンド」と書かれたページを開きました。
そこへ、新しい見出しを書き込みます。
「戦争エンド書き換え計画」
続けて、箇条書き。
「戦死者の数字を、可能な限り減らすこと」
「焼失都市を増やさないこと」
「聖女を兵器として扱わせないこと」
線で囲み、ページの端を折りました。
「処刑台そのものを壊したように、今度はこの地図を塗り替えますわ」
震えるペン先でも、文字は紙の上に残ってくれます。
覗き込んだ殿下が、少し笑いました。
「ずいぶん大胆な計画だね」
「後戻りするつもりはございませんもの」
「なら、僕も付き合おう。君の地図を、現実の方に合わせて書き換える役を買って出る」
そう言って差し出された手は、記録庫の冷たい空気とは正反対に、温かかったのです。
私はその手を握り返しました。
「どうか最後まで、お付き合いくださいませ。セドリック」
「もちろん。相棒だろう?」
彼の言葉に、小さな笑いがこぼれます。
もう、この地図は「バッドエンド」と笑って眺めるための画面ではありません。
赤いピンの向こう側にいる人たちを守るための、攻略マップですわ。
私は未来ノートを閉じ、戦争記録庫の白い塔を見上げました。
第4部第2話までお付き合いくださりありがとうございます!
数字になった「誰か」の死を、物語として少しでも掬えていたら嬉しいです。
続きが気になる、リリアやセドリックをもっと見たいと思っていただけましたら、ブックマークや評価をぽちっとしていただけると、とても励みになります。次回も全力で書きます!




