第9話 婚約破棄ショー、開幕
王城大広間のシャンデリアが、夜空の星よりずっと派手に瞬いていました。磨き上げられた床には、色とりどりのドレスと軍服が映り込み、音楽隊の弦が、祝福の空気を装って優雅な旋律を奏でています。
けれど。
(ここは祝宴ではなく、処刑場ですわね)
そんなことを考えながら、わたくしは階段の上から一歩、また一歩と降りていきました。
今夜のドレスは、深いワインレッド。胸元には家の紋章をあしらった宝石、髪には血みどきの薔薇を一輪。悪役令嬢が処刑台に立つ前に着せられる衣装を、前世のゲームで何度も見たので、再現度はなかなかだと思います。
「アルベール公爵令嬢よ」
侍従の声と共に、視線が一斉にこちらを向きました。
「……あれが」「聖女様を階段から」「殿下の婚約者だった方よね」
囁き声の矢が、見えない棘となって肌をかすめます。それでも、口元の笑みは崩しません。今夜だけは、最後まで完璧な仮面を被り通すと決めていますから。
視線を巡らせれば、見取り図で確認した通りの光景が広がっていました。王と王妃、そしてレオン殿下が座る王族席。少し離れて、教会の高位神官たちの列。そのさらに向こう、帝国からの賓客席には、銀髪の皇太子殿下がグラスを指先で軽く弾き、何かを数えているようでした。
(セドリック様。そちらの幕が上がるのは、もう少しだけ後ですわ)
わたくしは何事もなかったかのように一礼し、指定された位置へと歩きます。王族席から最もよく見える中央付近。悪夢の中で、断頭台が置かれていたあたりです。
(舞台装置、配置よし。照明よし。観客の数も、文句なしですわね)
胸の内でそうチェックしていると、音楽が一段と華やかになり、王の挨拶が始まりました。
◇ ◇ ◇
形式的な祝辞が終わり、乾杯の合図と共に、グラスが打ち鳴らされます。
甘い泡が喉を滑り落ちる感覚と同時に、わたくしの中で別のカウントダウンが動き出しました。
(ゲーム通りなら、そろそろですわね。殿下が、わたくしの名前を呼ぶのは)
その予感は、すぐに現実になりました。
「皆、静粛に」
レオン殿下が席を立ち、演壇の前に進み出ます。王族席の下、まさに見取り図で父と想定した位置。肩越しに見えるミアの姿は、白いドレスに包まれて、完璧な聖女の人形のようでした。
「本日、皆に伝えねばならないことがある」
殿下の声が大広間に響きます。ざわめきがしぼみ、音楽隊の演奏も、いつの間にか止んでいました。
「アルベール公爵令嬢、リリアーヌ・アルベール」
呼ばれて、わたくしは一歩前に出ました。裾を踏むこともなく、完璧な笑顔でスカートを摘み上げ、礼をする。
「お呼びでしょうか、殿下」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていました。指先がわずかに震えているのは、きっと誰にも見えません。自分でさえ、意識を向けなければ分からないほどの微かな揺れです。
殿下は、一瞬だけ目を伏せ、それから顔を上げました。
「……君との婚約を、ここに破棄する」
ざわめきが爆ぜました。
「婚約破棄」「ここで?」「公爵家と王家が?」
歓声にも悲鳴にも似た声が交錯する中、殿下は続けます。
「君のように残酷な女を、これ以上、未来の妃として迎えるわけにはいかない」
残酷。
その言葉に、どこか遠くで、断頭台の鈍い金属音が重なった気がしました。
「聖女ミアを階段から突き落としかけた疑い。繰り返される嫌がらせや侮辱。僕は何度も信じようとした。だが、これ以上は見過ごせない」
殿下の台詞と共に、わたくしの脳裏には、これまでの出来事がフラッシュバックします。
聖女利権を巡る夜のお茶会。中央階段での忠告。落書きと花束。庭園で交わした、決定的な言葉。
(ええ、そうでしたわね。全部、そこに積み上げてくださるのですね)
未来ノートのページが頭の中で開きます。二年目から書き溜めた「聖女嫌がらせ事件リスト」のページと、今この場の殿下の言葉が、ぴたりと重なっていく。
(ここまで、ほぼ予定通り。……よろしいですわ)
わたくしは、ひたすらに聞き続けました。表情も姿勢も変えず、ただ「この場に立つ加害者」として。
◇ ◇ ◇
「ミア、君からも話してほしい」
やがて殿下は、隣の聖女へと視線を向けました。
「そんな……」
ミアは首を振り、戸惑いを浮かべます。
「聖女様」「真実を」
周囲から飛ぶ声に、ミアの肩が小さく震えました。
白い手袋が胸元を掴み、長い睫毛の影で、瞳が迷います。
「……分かりました」
ややかすれた声が、大広間に広がりました。
「リリアーヌ様に、何度も怖いことを言われました」
ミアの言葉が、一つ一つ、別の形に変えられていきます。
「友人に会うなと……言われました。祈りの邪魔をされて……聖女の役目を果たせないかもしれないと、責められて……」
(会うな、ではなく。利用しようとする相手を選びなさい、と言いましたわね)
(邪魔をしたのではなく。あなたの祈りが誰の思惑で使われているのか、伝えようとしただけです)
わたくしの心の中の訂正は、誰にも届きません。
ミアは続けます。
「……リリアーヌ様は、国のことを思って……いえ、その……」
そこで、彼女の声が揺れました。
言いかけた言葉を飲み込み、唇を噛む。その仕草に、ほんの一瞬だけ、ゲーム画面には存在しなかったミアの本音が滲んだ気がしました。
けれど、観客席はそんなささいな揺れを拾ってはくれません。
「やっぱり」「かわいそうに」「悪役令嬢そのものじゃない」
貴族席では、「公爵家も落ちたものだ」と家ごと断罪する声が上がります。一方で、眉をひそめて黙り込む人影もある。学生席では、ミアの取り巻きたちが口々に「怖かったんでしょう」「殿下が守ってくださって良かった」と囁き、かつて授業で助けたことのある生徒が、「でも……」と小さく言いかけて飲み込みました。
教会席では、大司教が「聖女を苦しめる者には相応の罰を」と目を細め、端に座る若い司教が、ほんの一瞬だけ視線を落とします。
そして帝国賓客席。セドリック様は、変わらぬ柔らかな笑みを浮かべたまま、じっとこちらを見ていました。グラスの縁を軽く指でなぞるその仕草が、何かの合図のようにも見えます。
(殿下。ここまで綺麗に燃やしてくださるとは、さすがですわ)
胃のあたりが、じわじわと熱く痛む。それでも、声を荒げたい衝動は、喉の奥で固く押し込めました。わたくしが泣き叫べば、今度こそ、本当に「悪役令嬢」という役に飲み込まれてしまうから。
ミアが階段事件に触れた瞬間、ふと視線の端に、アルフレッドの顔が映りました。
彼はグラスを握りしめ、唇を白くして震えています。
(……また、何も言えないのですわね)
責める気にはなれませんでした。あの中央階段で、何度も「見て見ぬふり」をしてきたのは、彼だけではないのですから。
◇ ◇ ◇
「……話は分かった」
長い沈黙の後、ようやく王が口を開きました。その表情には、明確な怒りではなく、戸惑いと迷いが浮かんでいます。
「リリアーヌ・アルベール。何か弁明はあるか。今ここで言いたいことがあれば申せ」
形式的な言葉。でも、それで十分でした。
わたくしは静かにスカートの裾をつまみ、深く一礼しました。
「お心遣い、痛み入りますわ、陛下」
顔を上げると、視線が一斉にこちらへと集まります。レオン殿下も、ミアも、他の誰もが、「どうせ取り乱すか、泣き崩れるだろう」と決めつける目でわたくしを見ていました。
「殿下、ミア様。ここまでの御言葉、ひとつひとつ、確かに承りました」
穏やかに告げて、一拍置きます。胸の奥の鼓動が、カウントのように一定のリズムで鳴っていました。
「ただひとつ、残念に思いますのは」
わずかに視線を巡らせ、貴族席、学生席、教会席、帝国席と、順に見渡します。
「今この場で述べられたことが、本当にすべて事実であるかどうか、まだ誰も確認なさっていないという点です」
ざわ、と空気が揺れました。
「王国にとっても、聖女様にとっても、そして殿下にとっても。思い込みや噂で裁きを下すのは、不幸ではございませんこと?」
「思い込み」「噂」という言葉に、何人かの顔がわずかに強張ります。教会席の一人が顔を曇らせ、レオン殿下が「何を言っている」と苛立ちをにじませました。
わたくしは、あくまで淡々と続けます。
「ですから、お願いがございます、殿下」
胸元に添えた指先が、ブローチを一瞬だけ撫でました。宝石の奥に隠された魔導録音具。その存在を知っているのは、この場でわたくしと、ごく限られた者だけです。
「今ここにお集まりの皆さまの前で、その事実とやらを、ひとつずつ確認してまいりましょう」
ゆっくりと、会場に向かって微笑みます。
「証言と、記録と、書類とを照らし合わせて」
レオン殿下が、一瞬だけ言葉を失ったのが分かりました。「記録」「書類」という単語に、貴族席の何人かが露骨に表情を固くし、教会席の端から、小さな舌打ちのような音が聞こえます。
大広間全体が、さきほどまでとは別の意味でざわめき始めました。
わたくしは、そのざわめきを背中で受け止めながら、静かに息を吸います。
(さあ、第二幕を始めましょう)
(ここから先は、わたくしの台本ですわ)
優雅な笑みを浮かべたまま、わたくしは心の中でそう告げました。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
ついに婚約破棄ショーが開幕しましたが、ここからリリアーヌの本当の逆襲が始まります。
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