第7話 証拠で殴ると決めた日
週末、公爵邸の書斎に呼ばれた私は、扉の前で一度深呼吸をした。
中に入ると、父の机の上に、私が書きためてきた「聖女嫌がらせ事件」メモの写しが並んでいた。余白には、父の癖のある字で注釈がぎっしりだ。
「座りなさい、リリア」
促されて腰を下ろすと、父は紙束を指でとんと叩いた。
「よく整理した。どの件も、おまえの推測どおり決定的な証拠はない」
静かな肯定に、胸が少しだけ温かくなる。だが続きは、容赦がなかった。
「ない代わりに、必ず同じものが残っている。アルベール公爵令嬢ならやりかねない、と周囲に思わせる欠片だ」
赤い印が付いた行を、父の指先がなぞっていく。そこには、私の名を遠巻きに口にする証言と、聖女の涙、王太子殿下の焦りが、器用に結び付けられていた。
「積み上がっているのは感情ばかりだ」
「感情では、王も裁判所も動けませんもの」
自分の震えた字を見下ろしながら答えると、父は短く息を吐き、机の引き出しに手を伸ばした。
「だからこそ、これを持て」
取り出されたのは、小さなブローチ。淡く光る宝石を銀の細工が囲んでいる。一見、ただの飾りだ。
「王宮御用達工房の試作品だ。会議記録用に、ごく一部の官僚だけが使っている」
父の声が硬くなる。
「声と音を一定時間、改竄不能な形で記録する。刻印の魔法式は王家と工房しか知らん。無断で分解すれば、それだけで罪だ」
「……魔導録音具、ですのね」
「ああ。相手に知らせて録ったものは、そのまま協議録として扱える。こっそり録ったものでも、他の証拠と合わせれば十分な威力を持つ。逆に記録を偽造すれば、それだけで重罪だ」
「つまり、言葉をなかったことには、できなくなる」
「そういうことだ」
父はブローチを掌で転がし、真っ直ぐに私を見る。
「本来、娘に持たせるものではない。だが、舞台の照明がおまえにだけ当たりすぎている。表の芝居がどれほど派手でも、こちらで舞台裏を押さえておかねばならん」
私はひとつ息を飲み、差し出されたブローチを両手で受け取る。
「……ではこれは、処刑台の釘を一本ずつ抜くために、使わせていただきますわ」
胸元に留め金を押し込むと、宝石が一瞬だけ、脈打つように光った。
◇
週が明け、寮で制服に袖を通した私は、鏡の前でブローチにそっと触れた。
「本日の舞台裏、よろしくお願いいたしますわ」
囁くと、宝石がかすかに明滅した。
中央階段の踊り場では、今日も女子生徒たちの声が渦を巻いている。
「聖女様に花束が届かない日なんて、ほんとないわよね」
「この前なんて、同じ商会の紋章が付いたのが3つ重なってたわよ」
「やめなさいって。聞こえたら怖いでしょ」
最後だけ、私の名が不自然に小さくなる。
胸元の宝石が、微かにまたたいた。録音が始まっている合図だ。
私は何事もない顔で階段を通り過ぎながら、花束と寄付と祈りの行き先を頭の中で並べていく。
「リリア」
聞き慣れた声に振り向けば、図書室前にレオン殿下とミア様が立っていた。側近たちが数歩後ろに控え、空気が固くなる。
「お久しぶりですわ、殿下、ミア様」
礼を取ると、殿下は少し視線をそらした。
「君は相変わらずだな。数字や証拠の話ばかりで、息が詰まらないか?」
「詰まっておりますわよ。おかげさまで」
微笑みながら返すと、殿下が目を瞬かせ、側近の一人が小さく鼻で笑った。その気配を、私は逃さない。
今この場には、噂を運ぶ口がいくつもある。
「ですが」
私はわざと半歩だけ近づき、側近たちにも届く声量で続けた。
「あなたの真価を見誤る方と、親しくなさらない方がよろしいですわ」
かつて一度だけ口にした忠告を、今度はやわらかな笑みとともに言い切る。胸元の宝石がまた、淡く光った。
殿下が困ったように眉をひそめる。
「またそうやって、難しい言い方を……」
「リリアーヌ様は、いつも殿下のことを心配しておられるのですよ」
ミア様が慌てて取りなそうとして、途中で言葉を飲み込む。その瞬間、側近たちの視線が、彼女と私の間で揺れた。
会話はそれで終わり、2人は図書室へと去っていく。私が歩き出すと、廊下の柱の陰から別の男たちの声が聞こえてきた。
「聖女様のご祈り先は、寄付次第で多少は融通が利くって話だぞ」
「俺の親父も言ってた。あの商会と仲よくしておけってさ」
「アルベール公爵家の嬢さんの評判が落ちれば、公爵閣下も教会に口を出しにくくなるだろ。悪い話じゃない」
私は足を止めない。宝石の明滅だけが、彼らの現実論を淡々と記録していく。
◇
その夜、私は公爵邸の書斎にいた。
机の上には、教会の寄付帳簿の写し、特定商会の取引記録、レオン派貴族の領地一覧、ミア様宛ての招待状の束――紙の山が積み上がっている。
「まずは、お金の流れと祈りの流れを分けましょうか」
母が袖をまくり、軽やかに言った。指先だけが驚くほどの速さで紙を捌いていく。
封筒の差出人名ごとに色付きの細いリボンを巻いていくと、同じ名前が何度も出てくる束だけが、毒々しい色で揃っていった。
「こちらが教会強硬派と仲のいい家系。こちらが例の商会。そして……」
母は一枚の書類を持ち上げ、私に見せる。
「ここが、レオン殿下の側近が出入りしている家ね」
「まあ。見事に三角形ができておりますわ」
私は2年目に作った「聖女嫌がらせ事件リスト」と照らし合わせる。ミア様の周囲で起こった騒動の多くが、特定の領地と重なっていることが浮かび上がった。
母はさらりと言いながら、ペン先だけは容赦なく動かし続ける。
「いいこと、リリア。人を追い詰めるときは、その人の立場と逃げ道を同時に用意してあげるのよ」
「逃げ道、ですの?」
「さもないと、自分ごと周りを巻き込んで、自爆なさるから。そうなると、誰も幸せにならないでしょう?」
口調は軽いのに、その目は笑っていない。
「では、今回追い詰めるべきは……」
「人ではなく、構造よ」
母は迷いなく答えた。
「聖女の祈りを商品に変えた教会の一部と、それを利用して儲ける貴族と商会。その構造を殴りなさい。人そのものは、最後まで残しておくの」
「……処刑台そのものを壊しなさい、ということですわね」
「そういう賢い言い回しは、好きよ」
母が楽しそうに笑う。紙の山の端には、小さな箱。蓋には「要監視」と書かれたカードが挟まっていた。
その中に、教会強硬派の大司教や特定商会、レオン派貴族の名前が収められていく。
私は箱を見下ろしながら、静かに呟いた。
「この箱ひとつで、わたくしたちの国が燃えるか、救われるかが変わるのですわね」
◇
皆が寝静まった深夜、私は自室の机にひとり座っていた。
引き出しから、帝国紋章入りの便箋と、今日まとめた事件リストの写しを取り出す。羽ペンの先を整え、宛名を書く。
「ガルディア帝国第一皇太子セドリック殿下へ」
本文の前半は、淡々とした報告文だ。
三年目春現在、聖女を巡る小規模な騒動の多くが特定商会と結びついた領地で起きていること。レオン殿下側近と教会強硬派の人脈が一部で重なっている疑いがあること。
私は一度ペンを止め、以前の会談で取り決めた約束を書き添える。
この情報を帝国の侵攻の口実に使わないこと。聖女ミア個人を戦場の旗として扱わないこと。ローゼリア側の改革の余地が尽きるまでは、動くとしても陰からの支援に留めること。
そして、最後に。
「わたくしは、泣き方を忘れた夜に、証拠で世界を動かすと決めました」
そう一文だけ、個人的なことを書いた。
「次にお会いする時までに、貴国の力を借りずとも済むよう、準備を進めておきますわ」
そこまで書いてペンを置く。
封をし、封蝋に帝国の紋章を押す。送る前に、私はその封筒をしばらく見つめてから、そっと引き出しの中に置いた。
同じ引き出しには、胸元から外した魔導録音具も収まっている。
小さなブローチと、封蝋された手紙。
処刑台の釘と、戦争の導火線。それらを一緒にしまい、鍵をかける。
かちり、と小さな音がして、部屋に静寂が戻った。
「中途半端な優しさで、誰も救えませんわね」
第3部第7話までお付き合いありがとうございました!
今回は「人ではなく構造を殴る」回でした。
リリアが泣くことをやめて、証拠で殴ると決めた瞬間を楽しんでいただけていたら嬉しいです。
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