第3話 階段の影と、揺れる教室
三年目の学院は、春の光が満ちているはずなのに、教室の空気だけがひどく冷えていた。
「……おはようございます」
わたしが教室に入った瞬間、数名の視線がこちらに向き、それから慌てて逸らされた。椅子を引く音が微妙に遠のき、結果としてわたしの席の周囲だけぽっかり穴があく。
あら、また空席が増えていますわね。
噂の広がり具合としては、まあ順調と言えるのでしょう。
三年目の始業日。王太子レオン殿下と聖女候補ミアの周囲には自然に人の輪ができている。そこだけ朗らかな声が響き、まるで舞台のスポットライトが当たっているようだった。
対してわたしは、窓際の席にひとり。
完全に、物語の外側の人物扱い。
……原作ゲームでも、確かにこんな配置でしたわね。
ただし、現実のわたしは悪役を演じるつもりはあっても、本気で加害者になる予定はございませんのだけれど。
担任がホームルームを終えると同時に、教室のあちこちでひそひそ声が弾ける。
「見た? 今日もミア様はレオン殿下の隣で……」
「でもリリアーヌ様、昨日また階段のことで……」
「殿下が止めなかったら泣かせてたって聞いたわ」
昨日。
中央階段で、ミアが無理をして夜会へ参加しようとしたことを叱った――あの場面。
わたしはミアを守るためにあえて悪役の言葉を選んだのだが、人の口は自由奔放。
もはや、内容が原型を留めていない。
ならば、悪役令嬢としては予定通り。
悲しいけれど必要な工程だ。
「……リリアーヌ様」
控えめな声がして、わたしは顔を上げた。
クラスメイトの女子、マチルダ。かつて同じお茶会に出入りしていたが、最近は距離を取られている子だ。
「はい? どうかなさいました?」
マチルダは視線を泳がせながら、小さな封筒を机の端に置く。
「えっと……これ、ミア様宛の招待状……なんだけど……その……あなたの方が渡しやすいと思って……」
どうして、わたしが聖女の郵便係のように扱われるのでしょう。
丁寧に微笑みながらも、内心では少しだけ頭を抱える。
封筒の紋章を見ると、なるほど、夜会で悪名高い某侯爵家。
また、ミアを囲い込もうとする勢力の一つ。
「ご自分でお渡しになった方がよろしいのでは?」
「そ、それが……ミア様の周りの子たちが怖くて……。わたしが近づくと、にらまれちゃって……」
ああ、そういう事情。
ミア本人に悪気はなくとも、彼女の周囲には聖女を守る側近気取りの令嬢が集まっている。彼女たちからの視線は、確かに鋭い。
「承りました。では、あとでお渡ししておきますわ」
「ありがとう……ございます……」
マチルダは逃げるように去っていく。
ふう。これもまた、悪役令嬢の仕事のうちですわね。
授業が始まってもしばらく落ち着かず、教室の空気はつねにざわついていた。
午前の授業が終わった頃、取り巻き女子たちの声が耳に入る。
「ミア様、昨日は本当に怖かったんでしょう? 出席を禁じますって、震えましたよね」
「リリアーヌ様って、見た目は綺麗なのに、ああいうとこが……」
「でも、殿下が守ってくださって良かったですよね!」
……言っていない台詞まで増えておりますわね。
出席を禁じますと言ったのは事実だが、人を震わせる意図はなかったはず。
ミア本人は困ったように笑っていた。
「その……リリアーヌ様は、きっと何か、理由が……」
その言葉に、女子たちは一瞬だけ黙った。
が、すぐに空気の波に押されて、別の話題へ流れていく。
ミアは、本当に優しい。
わたしを完全に悪と断じない、その姿勢だけで十分なのに。
昼休み。
わたしは静かな窓際の席で、手帳――未来ノートを開く。
ページには、二年目から書き続けている事件リストが並んでいる。
・階段での小さなつまずき事故
・ミアの侍女が誰かに押された件
・教室での落書き事件
どれも、わたしを犯人に仕立て上げるために使われる、原作の小イベントたち。
ただ、現実では順番が微妙に違うし、そもそもわたしはどれにも関与していない。
つまり――
誰かが、原作のシナリオをなぞるように動いている可能性がある。
「……さて。今日も中央階段を確認しておきませんと」
食堂を抜けて廊下を歩き、広い吹き抜けへ。
昼下がりの光が大理石の段を照らし、階段の陰影を強く浮かび上がらせていた。
人通りは多い。
しかしその奥、階段の中ほどに、アルフレッドの姿が見えた。
あら、珍しい。
彼はミアが転びかけたとき、偶然近くにいて目撃したあの少年。
最近ずっと、わたしを避けているように見えていたけれど――
「わっ……!」
突然、アルフレッドが段を踏み外した。
紙束が宙を舞い、彼の身体が前のめりに倒れる――その瞬間。
「危ないですわ!」
わたしは反射的に手を伸ばし、彼の腕を掴んだ。
引き寄せるようにして体勢を戻す。
もしもう少し踏み外していれば、階段の下まで転げ落ちていたかもしれない。
「す、すみません……! ぼ、僕、足が……」
「走るからですわ。書類を抱えていらっしゃるなら、なおさら気をつけませんと」
いつものように丁寧に言うと、アルフレッドは青ざめながら頭を下げ続けた。
「ありがとうございます……その……昨日の、噂……本当は……」
「噂は噂。わたくしは気にしておりません」
気にしていないわけではない。
でも、必要な悪役なのであれば、引き受ける覚悟もできている。
アルフレッドは、それ以上何か言いかけたが、友人が呼ぶ声に驚いて逃げるように去ってしまった。
わたしはひとつ息を吐き、踊り場から下の階を見下ろす。
――今日も、特に事件はなし。
でも、この静けさこそが不気味。
未来ノートに、今日の出来事を書き込む。
・アルフレッド、階段で転倒未遂
・リリアが救助
・ミア周辺の噂拡大
・階段エリア、危険度上昇中
最後の行だけ、赤のインクで囲む。
ここ数日、階段周辺での小さな出来事が妙に多い。
偶然と言うには、少しだけ整いすぎている。
わたしは窓から差し込む光に目を細める。
……もし、わたくし以外にもシナリオを知っている者がいるのだとしたら。
そしてその誰かが、原作通りにわたしを断罪の舞台へ追い詰めようとしているのだとしたら――
「負ける気は、いたしませんけれど」
小さく呟き、ノートを閉じる。
春風は爽やかでも、三年目の舞台はすでにきな臭い。
次に起きるのは、きっと階段事件本番。
その時、わたしは必ず立っている。
誰かの思い通りではなく、わたし自身が選ぶ未来のために。
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必要であれば **第3部第3話の次(第3部第4話)** も続けてお書きしますので、お申し付けくださいね。
わたしの物語をここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
ブックマークや評価は、続きの執筆を押し出してくれる風のような存在です。いただけたら、とても励みになります。
リリアが選ぶ未来は、まだ始まったばかり。
誰かの決めた役ではなく、自分の足で進む彼女の物語を、これからも一緒に見届けていただければ嬉しいです。
次話も、あなたの時間を預けてもよいと思っていただけるように丁寧に紡ぎます。
どうか引き続きお付き合いください。




