第7話 悪役令嬢、証拠集めに本気を出す
週末、公爵家の馬車が学院を離れていく。窓の外で小さくなる校舎を見ながら、わたくしは膝の上の未来ノートをぱたんと閉じた。
(言葉では、届かなかった)
(ならば次は――証拠ですわ)
屋敷に着くなり、使用人が「旦那様がお呼びです」と告げる。向かった書斎では、父が大きな机の向こうで、わたくしの「一年目事件メモ」の写しを広げていた。
「どの件も、よく見ている」
紙から目を離さぬまま、父は言った。
「嫌がらせの内容も、聖女殿とレオン殿下、その周辺を浮かび上がらせるよう計算されている。だが――感想と推測だけでは、王も裁けん」
分かっている。だからこそ、ここへ呼ばれたのだ。
「そこでだ」
父は机の引き出しから小さな木箱を取り出した。蓋を開けると、銀細工のブローチがひとつ。中央の宝石が灯りを受けて瞬く。
「魔導録音具だ。王宮御用達工房の試作品で、会議記録に使われている」
父は布越しにそれをわたくしの手のひらへ落とした。冷たい重みが、指先から腕へと伝わる。
「魔力を込めると宝石が光り、その瞬間から一定時間、周囲の声と音を記録する。録音中は、肌に触れていればわずかに振動する」
わたくしは胸元に当ててみる。普段使いのブローチと変わらない大きさなのに、心臓の鼓動まで拾われそうで、背筋が伸びた。
「……わたくしに、これを?」
「本来は、軽々しく振りかざす類のものではない。だが、おまえの周りだけ舞台の照明が眩しすぎる」
父の視線が、静かに刺さる。
「ならばせめて、こちらは舞台裏を押さえよう。相手を陥れるためではなく、自分と大事な者を守るために使いなさい」
胸の奥で、何かが静かに切り替わる音がした。
(観客席で震えている悪役令嬢の役は、もう終わり)
「……ありがたく、お預かりいたします。必ず、正しい場面で使いますわ」
ブローチを制服の襟元に留めると、金具が小さく鳴った。その音が、新しい戦いの合図のように思えた。
◇
週明け。学院に戻ったわたくしは、中庭のベンチに腰掛け、録音具の試運転をすることにした。
胸元のブローチにそっと魔力を流す。宝石がきらりと光り、服越しにかすかな振動が伝わる。成功だ。
「リリアーヌ様……」
ためらいがちな声に顔を上げると、以前から親しくしている下級貴族の令嬢が立っていた。目元が少し赤い。
「どうかなさいまして?」
「その……リリアーヌ様と仲良くしていると、陰でいろいろ言われてしまって。聖女様のご友人に相応しくない、とか……」
わたくしは立ち上がり、そっと彼女の手を取った。
「ご心配には及びませんわ」
できるだけ柔らかな声で告げる。
「あなたの真価を見誤る方と、わざわざ親しくなさらない方がよろしいですわ」
「……え?」
「聖女様のご友人だという理由だけで離れていく人など、こちらから願い下げですもの。そんな方々のために、あなたの時間も心も使う必要はございません」
彼女はぽかんとした顔をして、それからくすりと笑った。
「リリアーヌ様って、本当に頼もしい方ですね」
「頼りにしてくださるのなら光栄ですわ。今度、お茶会にもいらして。甘いものは、お好きでしょう?」
そんな他愛ないやりとりごと、ブローチは静かに飲み込んでいく。柔らかい空気も、声の震えも、「励まし」として。
(後でどのように切り取られようとも)
(本物はこちらに残る)
そう思うと、胸の奥に小さな灯がともる。
その日の午後。移動教室へ向かう廊下で、前方から聞き慣れた声が近づいてきた。
「聖女様の周りは、悪意ある人間から守らねばなりませんなあ」
レオン殿下の側近である若い子爵が、わざとらしく通る声で言う。取り巻きが「まったくですな」と笑った。
「最近の嫌がらせも、噂では公爵令嬢の影がちらつくとか」
「やめろ。根も葉もない噂で人を裁くわけにはいかない」
レオン殿下の声が、それでもわずかに揺れて聞こえる。
「だが、ミアを不安にさせるものは、遠ざけたい」
隣を歩くミアが、小さく首をすくめた。
「わ、わたしのことは大丈夫です。殿下にご迷惑がかかる方が……」
「君が怖い思いをしないことが、一番大事だ」
その一言に、周囲の女子たちはうっとりとため息をつく。
ちょうど角を曲がったところで、わたくしは彼らと視線を交わした。完璧な礼をし、何も言わず通り過ぎる。
胸元では、ブローチがかすかに震えている。彼らの会話の断片ごと、飲み込んで。
(これだけでは、まだ噂話の記録に過ぎませんわ)
(けれど、誰がどの場面で何を言ったか。その積み重ねは、きっと後で牙になりますわね)
◇
その夜、公爵邸の書斎。わたくしの前には、祈り地図の写しと、教会の寄進記録、特定商会の帳簿写しが積まれていた。向かいには仕事用の眼鏡をかけた父、ソファにはドレス姿のままの母。
「今日は聖女様の噂ばかりで、さすがにお腹いっぱいだわ」と母。
「だが、そのおかげで数字は集まった」
父は寄進記録に赤い印をつけていく。
「ここ1年で寄進額が跳ね上がった教会系列の領地に、赤」
母はミア宛の招待状の差出人リストから、同じ名前に青い印をつける。
「この方も。聖女様を何度もお招きしている家ですわ」
わたくしは、その赤と青が重なった名前を未来ノートに写し取り、三角形を描いた。
「教会強硬派」「特定商会」「レオン派貴族」
3つの頂点から線を引き、中心に小さく「聖女ミア」と記す。
「皆、聖女様に恩を売っておきたいのよ」
母はグラスを揺らしながら言う。
「祈りを自分の領地に向けてもらえれば、それだけで豊作と名誉が手に入るんですもの。札束と祈りと王太子殿下、その3つを一緒に縛ろうとしている人たちがいる」
「善意だけで、これほど綺麗に数字は揃わん」
父がペンを置いた。
「ローゼリアのことを思ってくれているなら、それで十分だ。ただし、自分ひとりで国を背負おうなどとは考えるな。レオンも、ミア嬢も、そしておまえもだ」
胸の奥で、何かがきゅっと締め付けられる。
「……お母様」
「なあに?」
「わたくしが、もっと嫌われることになっても……構いませんか?」
母は一瞬目を丸くし、それからふわりと笑った。
「娘の友人を守るために、悪役の仮面を選べる子なんて、そうはいないわ」
紅茶のカップを置き、まっすぐわたくしを見る。
「噂くらい、この家がいくらでも受け止めてあげる。負けない準備だけして、好きに踊ってらっしゃい」
喉の奥が熱くなり、わたくしは慌てて視線をノートへ落とす。赤いインクで、一行。
「聖女個人の囲い込みが、すでに始まっている」
◇
その夜遅く、寮の自室で、わたくしは帝国宛ての手紙を書いた。宛先は、ガルディア帝国第一皇太子、セドリック・ガルディア殿下。
冒頭は格式どおりに。国際会議でのご厚情への礼、学院2年目の始まり、聖女ミアの活躍。誰が読んでも平和な挨拶文だ。
そこから先、インクの色を替え、小さな字で本題を書く。学院で起きている聖女関連の小事案の一覧。寄進記録と帳簿から見えた祈りの偏りと金の流れ。レオン殿下の周辺にいる一部貴族が、その輪の一角を担っているかもしれないこと。
書き終えた最後に、一文だけ迷ってから付け加えた。
「わたくし1人では、きっと見落としている部分が多々ございます。もし帝国側でも似た動きが見られましたら、お教えいただければ幸いです」
封蝋を押し終えるころには、窓の外が白み始めていた。
◇
数日後、帝国から返書が届いた。前半はいつもの丁寧な外交文書だったが、末尾近くで文面の温度がふっと変わる。
「君ひとりで全部背負う必要はありませんよ。ローゼリアは君の祖国で、ガルディアは君の逃げ場兼、共同戦線の基地です」
その一文を読み返しながら、わたくしは胸元のブローチにそっと触れた。
(逃げ場、ですのね)
(ならば、ここでは遠慮なく戦えますわ)
未来ノートを開き、新しいページに見出しを書く。
「第2部・作戦名:証拠で殴る」
ペン先が紙を滑る音が、静かな部屋に小さく響いた。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
リリアーヌの証拠で殴る第二部が本格始動しました。
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