第6話 聖女フィーバーと、黒幕のクセ
教室の扉を開けた瞬間、わたくしをかすめた視線は、そのまま窓際へと流れていった。
窓際の席。ミアの机の上には、花束やお菓子、レースのハンカチがぎっしり積まれている。
「この封蝋、○○侯爵家じゃない?」
「こっちは△△伯爵家よ」
浮き立つ声を聞き流しながら、わたくしは自分の席へ向かった。
わたくしの机には、贈り物ではなく乱暴な文字がある。
「聖女いじめ やめろ」
「悪役令嬢こわい」
「リリアーヌ様……」
侍女が顔色を変えかけるのを、わたくしは手で制した。
「消してしまってちょうだい。授業の邪魔ですわ」
侍女が布でこすると、水が光り、インクが溶けていく。
わたくしは、消える文字よりも、その「書き方」を見ていた。
(線の太さも、間隔も、妙にそろっている……)
怒りのなぐり書きではなく、「読みやすく」書かれた文字。
誰かが、ここを舞台装置として使っている。
「リリアーヌ様、消えましたわ」
「ええ、ご苦労さま」
腰を下ろすと、前の席の令嬢たちが、ほどよく聞こえる声量で囁き合う。
「落書き、消させちゃった」
「反省じゃなくて、証拠隠滅って感じ」
「昨日もミア様にきついこと言ってたって。聖女様の祈りの偏り、でしたかしら」
昨日、祈りの分布について話したのは事実だ。
それが「きついこと」になり、「聖女いじめ」の一項目として整理される。
(……整えられすぎていますわね)
ため息を飲み込んだところで、教室がざわめきに包まれた。
「殿下だわ」「今日も聖女様の方へ……」
レオンはミアの席へ向かい、机の上の山を見て少し困ったように笑った。
「皆、ミアを怖がらせるほど騒ぎすぎないように。それと――くだらない落書きはやめよう。ミアも、他のみんなも嫌な気分になる」
言葉だけなら公平だ。けれど、その視線は一度もわたくしを捉えない。
「レオンハルト殿下……ありがとうございます」
ミアが頭を下げると、「さすが殿下」「お守りになっているのね」と囁きが上がった。
(くだらない、ですか)
まだ湿った机の表面を指先でなぞる。布でこすっても消えない、かすかな傷跡。
(これほど準備された舞台装置を、くだらないと片づけるには――あまりに整いすぎていますわ)
胸の内の違和感は、放課後、悲鳴に変わる。
◇
「……ミア様?」
女子寮の玄関前の芝生に、人だかりができていた。
輪の隙間から見えたのは、ずたずたに裂かれた淡い青のドレス。
今夜の夜会のために伯爵夫人がミアに贈った一着だ。
「今日の夜に着てくださいって……あんなに嬉しそうに……」
ミアは唇を震わせ、芝生に散る布切れを見つめていた。
「まあ、ひどいわ」
「聖女様のお召し物をこんなふうに」
令嬢たちが口元に手を当て、嘆息する。
そのうちの一人が、少し大きめの声で言った。
「そういえば今朝、ここでリリアーヌ様をお見かけしましたわ。ミア様のドレスを見て、『その色は少々目立ちすぎるのではなくて?』って」
本当はこう言っただけだ。
『夜会なら、もう少し落ち着いた色の方が、お顔立ちが映えますわ』
それが、「目立ちすぎる」「嫌だった」と翻訳される。
「リリアーヌ様!」
誰かが名を呼び、輪が割れた。責める色と好奇の視線が突き刺さる。
わたくしは芝生へ近づき、手を上げた。
「どなたも、まだ触らないでくださいませ」
ざわめきが止まる。屈んでドレスを観察した。
裾から胸元へ向けて、布はきれいに引き裂かれている。
怒りに任せて引きちぎったというより、一定の力で「作業」した跡。
芝生には、泥の足跡が一列、玄関から端まで続いている。
だが途中でぷつりと途切れ、その先には何もない。
(足跡消去の簡易魔法……わざとらしいほど)
花壇の縁には、泥ひとつ付いていない綺麗なリボンが一つ、ぽつんと落ちていた。
深い赤と黒。アルベール家の紋章に使われる配色。
(足跡を消すほど用心深いのに、アルベール家の色だけを残す――)
(舞台装置としては、あからさますぎますわ)
ミアが、今にも泣き出しそうな声で問う。
「リリアーヌ様が、そんなことなさるはず……でも、皆が……」
わたくしはリボンから視線を外し、彼女を見た。
「こちらの件、わたくしの方でも整理いたしますわ。ミア様は今夜、寮母様の側を離れないで」
そう告げて場を離れた。視線が背中に刺さる。
◇
夜。寮の自室。
ミアは祈りと挨拶に駆り出されていて、まだ戻らない。
部屋着に着替えたわたくしは、机に向かった。
鍵付きの未来ノートを開き、新しいページに題を書く。
「二年目・聖女嫌がらせ事件」
これまでの出来事を書き出す。
教室の落書き。祈りの偏りを指摘した日の噂。
聖女のお茶会の招待状をめぐる誤解。そして今日のドレス。
どれも、同じ形をしていた。
ささやかなきっかけがあり、被害者の物語が広まり、最後に「リリアーヌがやった」と思わせる象徴的な証拠が一つ置かれる。
机の落書き、祈りの地図、招待状の山、アルベール家の色のリボン。
(直接手を汚す気はない。物語の上で、わたくしを加害者にできればいい)
(だからこそ、毎回証拠を一つだけ置いていく――)
赤インクに持ち替え、欄の上に書き加える。
「間接的で、決定打にならない証拠を一つだけ残す」
その下に、さらに一行。
「黒幕のクセ」
ページの端に小さく記した。
「言葉だけでは意味がない。台本を書いている手を、証拠で示さなければ」
(――明日、試してみましょう。レオンとミアに、どこまで届くのかを)
◇
翌日、昼休み。
「殿下がお呼びです。中庭脇の応接室にて、お待ちとのことですわ」
侍女の言葉で、筋書きは読めた。けれど足は止まらない。逃げたと言われるのは癪だ。
小さな応接室の扉を開けると、レオンは腕を組んで立ち、ミアは椅子の端に座っていた。
「お呼びとのことでしたが、殿下」
礼をすると、レオンは僅かに眉をひそめた。
「リリア。最近、ミアの周りで妙なことが続いているのは知っているね?」
「はい」
「君が直接やったとは思いたくない。けれど、皆がそう見ている。説明してくれ」
わたくしは未来ノートの内容をかいつまんで話した。
事件がいつも三段構造になっていること。毎回「リリアーヌが怪しい」と思わせる証拠が一つだけ置かれていること。
聖女の祈りと一部貴族の利権が結びつきつつある以上、ミアを利用したい誰かがいること。
「わたくしが疑っているのは、ミア様ではありません。ミア様を中心に物語を組み立てている誰か、ですわ」
そこまで言うと、レオンが遮った。
「……つまり君は、ミアの周りの人間を疑っている、と」
「事実を並べれば、そう見えるだけですわ」
「ミアを守るどころか、疑いの目を向けているじゃないか。君はいつも、自分の正しさばかりを押し通そうとする」
一度目の人生、断頭台で聞いた言葉とよく似ていて、胸の奥が冷える。
ミアが、おずおずと口を開いた。
「で、でも……リリアーヌ様がそんなことをするはずないと、少しは……」
レオンの険しい横顔と「悪役令嬢」の噂が頭をよぎったのだろう。ミアの声はしぼみ、視線が揺れる。
「……ごめんなさい。わたし、どうしたらいいか分からなくて」
わたくしは二人を見比べ、心の中で静かに線を引いた。
(この場でどれほど言葉を尽くしても、「嫉妬する悪役令嬢」の台本からは外れない)
ゆっくりと一礼する。
「承知いたしましたわ、殿下。
わたくしは、わたくしにできる範囲で正しいことをいたします。それが今は理解されなくとも」
そう告げて応接室を後にした。
◇
中庭に面したバルコニーに出ると、夕方の光が芝生を染めていた。
昨日ドレスが投げ出されていたあたりでは、笑い声が響いている。
胸元には、未来ノート。
手で表紙を押さえ、空を仰ぐ。
(言葉で届かないのなら――証拠で、この茶番の脚本家を引きずり出すまで)
校舎の片隅からの視線も、いつかノートの中に記号として並べてみせる。
そう決めて、わたくしは部屋の中へ戻った。
聖女フィーバーの裏で、じわじわ積み上がる冤罪フラグと「黒幕のクセ」を拾い集めた回でした。
リリアーヌの未来ノートは、まだただのメモですが、その一行一行が後で効いてきます。
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